備前焼とまずい酒
コロン様が主催する、『酒祭り』の参加作品になります。
詳細はこちらにて
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2124503/blogkey/3426976/
人生は長いようで短い――ってのはよく知られた名文句だ。だが俺は、その逆もあると思っている。短いようで長い。人生のあらゆる面で、停滞している、と感じている時なんかまさにそうだ。
「三原係長、新たにクライアントから2件の受注要請が入りました」
「む……この時期に受注とは緊急の要請か? わかった。ちょっとリスケできないか課長と相談してみる」
目新しいこともなく、次から次へと降りかかってくる案件を片付けていく日々。時に厄介な案件が舞い込むことはあれど、自分の立場が脅かされることはない。係長になって何年が経ったのか、もう気にすることもなくなった。
「三原係長、お疲れさまでした。大きな案件がひとつ片付きましたね。どうです、今夜?」
「俺もちょうど飲りたいと思ってたところだよ。しかし明日も仕事だしなぁ。今回はいつものところで、早めに切り上げようか」
そんな日々を紛らわすのに、酒というのはあるのかもしれない。うまいかまずいかは関係なく、ただアルコールを体内に取り込むための酒が、ここ数年で増えたような気がする。
「それじゃ母さん、お土産置いていくから。またね」
ある日、俺は用があって実家を訪れていた。研修で本社に出張することになり、実家のクローゼットにしまっていた研修用の社章付きスーツを持っていくためだった。
「ちょっと隆之、忘れるところだったわ。親戚のおじさんから贈り物をもらっててね。隆之にあげようと思って」
「おじさんから?」
台所で待っていると、母さんは小さな木箱を持ってきた。俺の目の前で箱を開けると、中から300mLの日本酒の瓶が出てきた。
「かなり、上等なやつって言ってたよ」
「だろうね。300で木箱に入ってるの、初めて見たよ」
母さんは酒が飲めないので、アルコールの贈り物は俺か兄弟に譲るのが常だ。
「日本酒飲むんだったら、それなりの器がいるんじゃないの」
「え? ああ、べつにいいよ。コップで飲むし」
なんだか話が怪しくなってきた。
「そんなこと言わずに、せっかく上等なお酒なんだから。ほら」
そう言うと、母さんは食器棚から、新聞紙に包まれていたものを取り出し、それも俺の目の前で広げて見せた。
現れたのは、俺もよく知っている、備前焼の器だった。おちょこ……よりも一回り大きく、どっちかっていうと湯吞茶碗に近い。
「これ……親父のやつだよね」
「そうそう、ずっとここで眠ってたんだからさ。そろそろ隆之が受け継ぐべきなんじゃないかと思ってね。お父さんもいい酒が飲めるんだから、きっと喜ぶはずだよ」
何が受け継ぐべき、だい。ずっと放置してたのを俺に押し付けようとしてるだけなんじゃねえか?
心の中で、少し悪態をつく。母さんはこういうところで妙な強引さを発揮するのが、俺の苦手とするところだ。
結局俺は研修用のスーツと、上等な酒と、それと親父の備前焼を持ち帰ることになった。
家に帰ってしばらくしたのち、俺は晩酌の準備をはじめていた。
「せっかく持って帰ってほったらかしってのもなんだから、使ってみるけどよ。あの時みたいなまずい酒はごめんだぜ、親父」
テーブルに置かれた備前焼に、独り言を投げかける。椅子が一つしかないテーブルだけど、なんだか、今にも反対側に親父が座ってきそうな雰囲気だ。
親父は死ぬまで酒飲みだった。特に日本酒への依存っぷりは、どんな医者だろうが止めることができなかっただろう。肝臓の手術をした後ですら、焼酎ではなく日本酒を湯で割って飲んでいたぐらいだ。
だから入院して、いよいよ酒が飲めなくなったらあっという間だった。そんな親父がずっと使い続けていたのが、この備前焼なのだ。
「ま、酒は本当に上等なもんだからな。ゆっくり飲らせてもらうぜ」
備前焼に日本酒を注ぎながら、俺は親父と飲んでいた時のことを思い出す。
『おい隆之、ちゃんと勉強しとるんか。社会人になったからって油断しとるとだめだぞ。俺の若いころは……』
やたらはっきりと、親父の声が脳内で再生される。
正直な話、俺は親父とうまい酒を飲んだ記憶が、一度もない。
どんな酒でも、酔った親父の一方的な自慢話を聞かされていると、舌の上を滑っていってしまう。
『親父、その話は前にもしたろうが。平社員の時にがんばって資格取ったってやつだろ? 俺だって、今、複数の資格勉強やっとるし』
『俺がとった資格に比べりゃーよ。お前のやつは屁みたいなもんだ。俺の時代では、あの資格は合格率が30%切ってて……』
俺が何を言っても、ほとんど頭に入ってない感じだった。加えて、明日になるとその時のことはほとんど覚えちゃいない。
晩酌に親父の相手をするのは、ほとんど俺の役目みたいになっていた。中学を卒業したあたりからずっと。未成年の時からだ。確かその時に、兄が酔った親父と大喧嘩して、お互い怪我をした事件が発生したんだ。母さんは酒が飲めないし、弟はそれ以前に親父と飯を食おうともしない。だから、俺しかいなかったんだ。
「とりあえず一口、飲るか」
備前焼に満たされた酒を見つめながら、俺は柿ピーの袋を開けて皿の上にあけた。
そして、口の中へ酒を流し込むと――
まっず!
思わず吹き出しそうになった。
しかしこらえて、ひと思いに飲み込む。
「なんだこの変な味は!?」
残った酒を、恐る恐る口の中に含んでみる。
やっぱりまずい。
「酒がおかしい……ってわけじゃないよな」
300mL瓶のラベルを眺めてみたけれど、製造年月も新しめで、どこからどう見ても上等な酒だ。
「もしかして、洗ってないんじゃ?」
俺は晩酌を中断し、親父の備前焼を洗剤で入念に洗ってみた。
十分に乾かして、再チャレンジしてみたが……。
「やっぱりまずいぞ! どうなってんだ!?」
思わず声が出てしまう。洗ってもダメということは、備前焼に何か俺の知らない特性でもあるんだろうか。そう思った俺は、さっそく備前焼をスマホでググってみる。
こんな興味深い結果を見つけた。備前焼には微細な気孔があり、使えば使うほど味がしみ込み、持っている人に特有の味わいを出すことがあります、とのこと。
「うへ! じゃあつまりこの備前焼には、親父のエッセンスがしみ込んでるってわけか! まずい酒になって当然だぜ」
わざわざまずい酒を飲む理由なんかない。俺は備前焼をしまって、代わりにコップを出そうとした。
しかし、手に取った備前焼から、なにやら香りが漂ってきた。
「ん? なんだこれ。なんだか、懐かしい香りだな」
なんとなく、香りの正体に気がつく。親父と一緒に飲んだ、あの在りし日の食卓の香り。
気がつくと俺は、ふたたび備前焼に酒を注いでいた。そしてもう一度、備前焼から口の中へと酒をパスする。
不思議なことに、最初からまずいと決めてかかっていると、受け入れることができてしまった。
ちょっと舌を動かしてみると、なんか、しょっぱい感じもしてきた。
「親父は酒だけでなく、塩分大好き人間でもあったからなぁ」
久しぶりに、親父のことを考えた気がする。
社会人になってからは、俺は一人で飯を食うことも増えた。
親父だって、一人で酒を飲んでいた日が何度もあったはずだ。
「案外寂しくて、泣きながら酒飲んでた日もあったりして? このしょっぱさはその……はは、まさかな」
いつの間にか、瓶に残っている酒はわずかになった。
『隆之、隆之。ひさしぶりだなあ』
酔ってしまったせいだろうか、俺の頭には、また親父の声が再生されていた。
「三原係長、お疲れ様です。かなり難航しましたが、契約を取ることができてよかったですね!」
「うん、これでとりあえずこの案件はひと段落だな。明日は北川工場のやつを片付けよう」
「ひと段落したので……一杯飲りませんか、係長」
「すまん。今日はちょっとな、一足先に帰宅するよ」
変わり映えのしない仕事が終わり、俺は自宅に帰って晩酌の準備をしていた。
「今度のは一風変わったやつだぜ、親父。ただの純米酒だけど、吟醸酒みたいにスッキリして飲みやすいんだ」
俺は備前焼に酒を注いで、チーズの入ったおかきを皿にあけた。備前焼のまずい酒を口に含むと、テーブルの向こう側から、懐かしい声が聞こえてくる。
『よぉー、隆之。契約とれたんかい?』
「ああ、むこうがだいぶ渋ってたけどな」
『粘ってくるクライアントってのは、厄介なもんだよなぁ。俺もなぁ、40のころに経験した、大東設備の……』
「大東設備株式会社のやつね。ちょうど忘れかけてたところだ、もういっぺん、聞かせてくれよ」
人生は短いようで長い。
たまには、まずい酒が飲みたくなる夜だってあるのさ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。