婚約破棄され平民落ちした元伯爵令嬢の幸せ ~旦那様に見初められ、外国で侯爵夫人になりました~
その日、私の貴族令嬢としての将来は完膚なきまでに破壊された。
「ソニア! こんなところにいたのか!」
夜会の会場で、ブラウン男爵子息のマリウスが腕に婚約者以外の令嬢をエスコートしながら近づいてくる。
エスコートされているのは、レビンス子爵家のローラ嬢だ。
夜会会場の壁際で一人佇む私を見て、彼女は口元を歪めている。
(マリウス様、今日のこの夜会には欠席すると聞いていたのに、どうして……?)
二人の親しげな姿にも何か理由があるのだろうかと尋ねようとする私を遮り、マリウスが叫ぶように宣言する。
「血筋しか取り柄の無いお前のと婚約は今日で終わりだ!」
「マリウス様、一体どうなさったのですか。お話があるのでしたら別室に……」
「うるさい! もう婚約は破棄されたのだ。私の名を呼ぶな!」
「失礼しました。ブラウン男爵令息。ですが――」
「話は終わりだ! 本当に家柄だけが取り柄なのだな! お前のそういう察しが悪く愚鈍なところが嫌いだった」
叫ぶように話すマリウスに、今がどういう状況かすら考えられないのかと頭が痛くなってくる。
私のことを察しが悪いと罵るのなら、今、会場中からの視線を集めている自分はどうなのだろう。
私達が周囲からどんな目で見られているか、気にしないのだろうか。
そう考えて「彼はそういう人だった」と結論づけてしまう私は、仮にも婚約者だったのにあまりに薄情過ぎるかもしれない。
だが、婚約に関わる話は家同士の契約だ。夜会など、誰がいるかもわからないような場でするものではない。
せめて人目のないところに行こうと促したいが、口を挟む前にマリウスは早口でまくしたてる。
「家柄だけは良いんだ。こうして、夜会で婚約者がいなくなったと知らしめてやったんだし、きっと誰かが助けてくれるだろうよ」
「そんな……。なんて酷い……」
顔を伏せる私をマリウスが鼻で笑う。
「前から、私の家を成金だと馬鹿にしていただろう。今だって、本当は嬉しいのではないか?」
「そんなことはありません……!」
「なら残念だったな。私との婚約がなくなって。だが、私はお前などのような地味で陰気な女よりローラのような可愛らしい子が好みなのだ」
そう言ってマリウスはローラ嬢のピンク色の髪の毛を撫でる。対して、地味と言われた私は黒髪だった。
「そうそう、借金は、早く返せよ」
言いたいことだけ言うと、マリウス、いえ、ブラウン男爵子息はローラ嬢を連れて去って行く。
私は呆然とその背を見送った。
そして、会場中の視線を集めていることに気がつき、これ以上失態を見せる前にと、誰かに声をかけられる前にその場を後にした。
もともとこの婚約は、男爵位を授かったばかりで貴族の血筋を欲したブラウン男爵家と、歴史は長いが今は没落貴族に名を連ねているグラント伯爵家の借金を返すために結ばれたものだ。
私がこんな形で婚約を破棄されたうえ、借金もついてくるとなれば、助けてくれる人は居ないだろう。
もともと婚約者を探す時に、借金の返済のための融資をしてくれる人をと探したのだ。
未婚で、建国時から続く伯爵家の令嬢の婚約者。
それなりの価値はあると思うが、婚約破棄という醜聞が付く前であっても、グラント伯爵家の借金が莫大だったことで、ブラウン男爵子息以外の人からの申し込みはなかった。
兄も私と同じ条件で婚約者を探していた。しかし、兄の場合は借金を背負った伯爵家の長男に嫁入りすることになる。
そうなると、嫁ぐ前から相当な苦労が察せられるため、兄は貴族令嬢達から避けられていたようだ。
私に婚約しようと言ってくれる人がいてくれただけ、ありがたいことだった。
グラント伯爵家の借金は、五年前に領地で災害が立て続けに起こったために背負ったものだ。
その年の春。領地で大規模な洪水が起き、両親は有事の際にと準備していた備蓄を全て投じた。
おかげで洪水の被害はなんとか乗り切ることはできたが、不幸は続き、その年の夏には歴史に残る旱魃が起きた。
春の洪水の時点で既に領地にできる限りの支援を行なった伯爵家に、民を飢えさせないためにできることは何もなかった。
王宮にも助けを求めたが、洪水の際に支援をしてもらっており、制度的に間を置かない連続した融資はできないと断られてしまったのだ。
交流のある他の家にも恥を忍んで助けを求めたが、どこも干魃の影響で厳しく、婚約を条件としたブラウン男爵家だけが借金をさせてくれた。
ブラウン男爵子息と成婚していれば、その借金も半分は持参金と相殺させるはずだった。
そうすればこの先十年とかからず、伯爵家は残りの借金も返すことができただろう。
(こうなってしまったのは、私が、彼に気に入られるような行動を取ることができなかったからね……)
いくら見た目が気に入らなくても、そうでなければさすがに婚約破棄までは言い渡されなかっただろう。
今まで、歩み寄ろうと努めてきたつもりだったが、その手はずっと拒絶されてきて。
(どうしたらよかったのかしら……)
考えるけれど、その問いの答えは出なかった。
ブラウン男爵家は、マリウスの祖父が興した家だ。マリウスはその孫に当たる。
彼の家はお金持ちだが、歴史が浅く、平民からの成り上がりと貴族社会で馬鹿にされていた。
グラント伯爵家の窮状に手を差し伸べたことで今は一目置かれていたようだが、それまでは夜会に出ても他の貴族からは相手にされていなかったと聞く。
顔合わせの際、ブラウン男爵一家は横柄な態度で、将来的にうまくやっていけるか不安を感じていた。
結局は、血筋も金で買えるのだという態度を隠さないマリウスとその両親に、私の両親も不安を感じたようで「無理に婚約しなくていい」とさえ言ってくれたが、婚約がなければ借金の話もなかったことになる。
グラント伯爵家のためにと思って、私は婚約を了承した。
(両親になんと言おう)
考えている間に、馬車はグラント伯爵家の屋敷へと到着した。
帰宅するなり、執事からは執務室に向かうよう言われ、言われたとおりに階段を上がっていく。
「お父様、お呼びと伺いました」
「あぁ、帰ったか。この時間に帰るということは、やはり男爵子息から婚約破棄されたのか」
「どうしてそれを」
驚く私に、父は一通の手紙を差しだした。
「お前が出かけてからすぐに、この手紙が届いた」
それは、婚約を一方的に破棄する代わりに、借金の返済を一年待ってやる、という内容だ。
もともと、婚約がなくなれば、ブラウン男爵は借金の即時返済を求めることができるという契約だと聞いている。だがそれを目の前に突きつけられると、目の前が真っ暗になりそうだ。
婚約破棄による違約金で多少は相殺されるが、普通に考えて返済に二十年必要な借金が一年で返せるはずもない。
「一年で全額の返済ですか……。払えなければどうなるのですか?」
「契約書の条件にあるとおり、領地が彼らの物になる」
「そんな……!」
(あんな人達がこれから両親やご先祖様が大切になさってきた領地を治めるというの?)
男爵家は商売で貴族となったため、領地は持たない。けれど、その商売は無慈悲で弱者にも容赦がないと聞く。
そんな人達に領地が渡ればどうなるかは目に見えていた。
「こうなれば、爵位を返上するしかないだろう……先祖に顔向けはできんが、彼らの手に渡ることを考えれば、王家に権利をお返しする方が領民のためになる。ソニア、私達は貴族ではなくなってしまうが、いいだろうか」
父は、爵位よりも領民のことを考えている。
伯爵位を返せば、王家からも返還に際して結構な額の見舞金がもらえる。
それを借金の返済にあてるつもりなのだろう。
「私は構いませんが、お母様や、お兄様は……?」
「皆、納得しているよ」
「でしたら、何も不安はありません」
「そうか。苦労をかけてしまうことになるな……」
「いえ、私が、きちんとマリウス様のお心を繋ぎ止めておけなかったので……」
「ソニアが悪いわけではない。こうして考えてみると、彼らはもともと、うちと縁を繋ぐ気持ちはなかったのだろう」
思い返せば、マリウスとは義務的な交流だけで、デートなどに出かけることはなかった。
こちらから誕生日に何か贈り物をと思っても、貧乏な伯爵家に準備できる物で気に入る物はないからと断られていたし、個人的な交流をと誘っても時間の無駄だと断られていた。
薄々感じていたが、こうして現実に突きつけられると厳しい物がある。
けれど、一ついいこともあった。
もう貴族令嬢として、伯爵家に融資をしてもらうための婚約者を探さなくていいのだ。
それだけでなんだか肩の荷が降りた気がして、私は父に促されて執務室を後にした。
* * *
それから数ヶ月後。
爵位の返還の手続きは無事に終わり、父はグラント伯爵ではなくなり、私も貴族令嬢ではなくなった。
平民になってしまったが、借金もなくなった。
それだけで、家族の笑顔は増えている。
爵位返還による見舞金は、借金を返しても余裕があったようで、父は王都の裕福な家が建ち並ぶ場所に小さな家を買った。
両親はそこで暮らし、兄は実は以前からやってみたかったのだと言って、商売をすると言い残し外国に飛び出した。
私は貴族令嬢時代から手紙の代筆や、刺繍を入れた小物の作成などの内職を続けていたが、平民になってしばらく経ち、暮らしに慣れてきたこともあって働きに出ることにした。
両親は、私に不本意な婚約をさせたことを負い目に思っているようで、家で何もしなくていいと言ってくれる。
だが、さすがにずっと家に籠もりきりでいるのは、私の方が限界だった。
そもそも、もう貴族令嬢ではないので、女性の身で働いても後ろ指を刺されることはない。
貴族令嬢としての経歴を活かすなら家庭教師が適職なのかもしれないけれど、兄みたいに自由に仕事を選んでみたかった。
でも、どうやったら働けるのかわからない。
私はいつも小物を卸しているブティックのオーナーに相談することにした。
「ふぅん、働きに行きたい、ねぇ。お針子になるならうちで雇ってもいいけど?」
「いえ、せっかく色々出来るようになったので、他にもっと出来ることはないか探してみたいのです」
「なら、商業ギルドだね」
「商業ギルドですか?」
「ギルドに登録してる店の求人代行なんかもやってるんだよ。商業ギルドに入るにはそれなりの審査もあるし、真っ当な商売をやっているところが多いから安心だしね」
「安心……」
「元貴族令嬢が働きたいなんて言ったら、悪巧みする奴がいないとも限らないからね。手数料は取られるが、お嬢……ソニアさんにはいいだろうね」
「ありがとうございます。行ってみます」
「それと、ソニアさんの商品はいつでも歓迎だから、もし他のとこに就職して、雇い主の許可が出るようなら、また暇な時に作って持ってきてくれよ」
「ありがとうございます」
いいよと手を振るオーナーに頭を下げ、私はその足で職業ギルドへと向かった。
商業ギルドは大通り沿いにあり、すぐにわかった。
中に入ると、広いホールの向こう側にカウンター形式の窓口が並び、それぞれ受付担当がお客さんに対応している。
受付の職員のさらに向こう側にも机が並んでいて、そちらで職員が忙しく立ち働いている姿が見えた。
順番に並び、自分の番が来るのを待っていると、窓口のうちの一つが慌ただしくなり、人が集まってくるのが目についた。
複数の職員が集まって一人の青年に対応しているが、皆困った表情を浮かべている。
聞こえてくる会話から、その客はおそらくこの国の言葉が話せないようだった。
ギルド職員も、いくつか外国語の種類を変えて話しかけみているようで、その中で隣国の言葉も聞こえた。だが、青年は首を振り、隣国の更に隣の国の言葉を話している。
私は迷ったものの、青年の話す言葉は会話も筆記も学んでいたため、彼らに近づいた。
『お困りですか?』
『そうですね。言葉が通じず困っていました。隣国で通じたので、こちらの国まで足を伸ばしたのですが、見込みが甘かったようです。貴女は?』
青年は金色の髪に、鮮やかな新緑の瞳の整った顔立ちをしていた。
金髪は平民の間ではあまり見かけない。その立ち居振る舞いと服装から、他国でも貴族などの高い地位にあるのかもしれないと思った。
『失礼しました。私はソニアと申します。職員ではありませんが、学んだことがある言葉が聞こえて、お困りのようでしたので何かお手伝いができたらと思って参りました』
『非常にありがたいお申し出です。貴女もお客としていらっしゃったのに申し訳ないですが、通訳をお願いしてもいいですか?』
『もちろんです』
ギルド職員が、非常にありがたいという感謝の視線を向けてくるのを感じながら、彼と話す。
そして、彼の要望を聞いて職員に伝えた。
彼は名をエドモンドといい、隣国のさらに二つ向こうの国から商売のためにこの国に来たそうだ。
しばらく滞在して、持ってきた品を売り、この国の商品を仕入れたいので許可証が欲しいのだと言う。
通訳し、書類の記入を手伝い、ギルド職員の手続きを待つ間に、エドモンドは私をじっと見て言った。
『貴女の時間をかなり奪ってしまいましたね。貴女は何のご用事でいらっしゃったのですか』
『私は仕事を探しにきました』
『なんと! なら、私のもとで通訳として働きませんか?』
『私がですか……?』
『今の手続きが終われば通訳も募集しなければならないと思っていました。ですので、ソニアさんが引き受けてくださると非常に助かります』
『私は通訳として学んできたわけではありませんし、通訳には、専門の訓練を積んだ方を雇われた方が……』
『それも考えました。でもすぐに見つかるかわかりません。ここの職員にも、この言葉が分かる人はいないようですし。それに、困っている私を迷いなく助けてくれた貴女なら信用できます。私はソニアさんがいいのです』
真っ直ぐに見つめられてそんなことを言われてしまうと断りづらい。悩む私にエドモンドは言う。
『貴女が悩んでいるのは報酬についてでしょうか』
そして、胸元から取り出した手帳にさらさらと何かを書き付ける。
そこには、王都で一年、平民が暮らしていけるだけの金額が書いてあった。
『一ヶ月分をこちらでどうでしょうか』
提示された金額に唖然とする私にエドモンドは不安げに言う。
『少なすぎましたか?』
『逆です。私に多すぎます』
『そんなことはありません。私はそれだけ貴女を高く評価していると思ってください』
悩む私に、エドモンドは言う。
『ここでは貴女がいらっしゃったから、言葉の壁を乗り越えることができました。しかし、今後はそういう幸運に恵まれるとは限りません。これから大変困ることになるだろうと憂鬱でした。ですが、貴女がいれば心強い。私を助けると思って、仕事を引き受けてくれませんか?』
『……そう、ですね。やってみます。ですが、報酬はもう少し減らしてくださいね』
『わかりました。でも、状況によっては通訳以外にも仕事を手伝ってもらいたいと思うので、そこは適宜相談しましょう。これから、よろしく』
『よろしくお願いします』
エドモンドの熱意に押され頷くと、エドモンドはとても嬉しそうに微笑む。
そうすると、美しく、整っている代わりに少し冷たそうだった顔が親しみやすく感じる。
私はその笑顔を直視できず、熱くなった頬を気取られないように視線を落とした。
そうしているうちに、職員が帰ってきた。
私を見て笑顔を浮かべるエドモンドと、困惑する私という組み合わせに、職員は不安げに尋ねる。
「ソニア様、何か、問題がございましたか?」
「いえ。エドモンド様に通訳としての仕事を依頼されたところです」
すると、職員は顔を輝かせる。
「それは、私どもからも是非お願いしたいと思っておりました」
「えっ」
「既に話がまとまっていらっしゃるのならば、どうでしょう。ここにこのギルドでの標準的な雇用契約のをお持ちいたしますので、詳細を詰められてはどうでしょうか」
職員の言葉に、エドモンドが尋ねる。
『職員は何といっているんだ?』
『私がエドモンド様の通訳になるという話をしたところ、ギルドが雇用契約の仲介をしようという提案をしてくれています』
『私としては直接雇用でもいいが……、それだと不安もあるか。お願いしようと思うが、ソニアさんはどう思う?』
手数料を取られるが、エドモンドは他国の人間だし、ないとは思うが、何かトラブルになった際には、ギルドの仲介があったほうがいいかもしれないと、私は頷いた。
『お願いしたいです』
『では、そのように』
そうして、私の就職はあっさりと決まった。
* * *
それから、私はめまぐるしく忙しい日々を送った。
たくさんの商談に連れて行かれ、何人もの人と話をした。
大口の契約をあっさりと結ぶ彼の姿に驚きながら、その仕事を手伝った。
エドモンドは勉強熱心で、商談が落ち着いてくると、この国の言葉の勉強も始めた。
私も、もちろん、その手伝いをすることになり、別途手当をもらっている。
しかし、日中はあまり時間がないため、昼食や終業後の時間に彼の勉強に付き合うことになった。
すると、週のほとんどの日も夕食を共にするようになり、休日にも出かけないかと誘われるようになった。
気が付くと、私は、仕事ができ、誠実で、私を対等なパートナーとして扱ってくれるエドモンドのことを好きになってしまっていた。
彼は、どう思っているのだろう。
知り合いのいないこの国で、唯一話ができる私だから誘ってくれているのだろうと、自分に言い聞かせるのだけれど、それでも向けられる笑顔や眼差しに、どうしても期待してしまう。
そうするうちに、彼がこの国に馴れ、他の商人の伝手から貴族からも夜会の招待状が届くようになった。
初めのうちはエドモンドも断っていたが、商人相手の商談が一段落したある日、私に「夜会に行ってみようと思う」と相談された。
私のドレスは、エドモンドが準備してくれるようだ。
礼儀作法についても相談を受けたが、それは父にお願いすることになった。
流石に男性用のマナーは詳しいことはわからない。
もう一つ、懸念があった。
貴族の夜会に顔を出すとなると、私の経歴も話しておかなければならない。
婚約破棄され、平民となった私の存在が彼の商売を邪魔してしまうかもしれないし、むしろ、私は同行しない方がいいだろう。
エドモンドに、私が婚約を破棄されるような人間であると伝えるのは怖かったが、私は彼が仕事に真剣に向き合う姿を間近で見てきている。
その妨げはできないと、私は終業後、時間を取ってもらうことにした。
『お時間を取っていただき、ありがとうございます』
『いいよ。ソニアのためなら、どんなに忙しくたって時間は取れる。それで話ってなんだい?』
『貴族の夜会に今度出席されるとのことなのですが、私では同行できません。今からでも商業ギルドに別の方を探してもらってください』
『なぜ? 理由を聞いても、いいだろうか……?』
驚いたようにエドモンドは新緑の瞳を丸くしている。
彼の期待を裏切ってしまったような居心地の悪さを感じながら、私は口を開いた。
『私は、元は伯爵家の娘でした。五年前に領地を襲った災害で、家には多額の借金があり、その借金を返すために男爵家の嫡男と婚約していたのです。ですが、婚約者からは夜会で婚約を破棄され、借金を返すあてがなくなり、父は爵位を返上することで借金を返しました。今までお伝えせずに申し訳ありません』
『謝る必要はないよ……つらい思いをしたんだね。では、あの日商業ギルドにいたのは?』
『あの日は、平民になったことで、何か仕事を探そうと、商業ギルドに行ったのです』
『何か深い事情があるのだろうと思っていたが、そんな理由があったなんて――。ソニアはこの国の伯爵令嬢だったのだね』
『元、です。婚約破棄をされて、まだ一年も経っていません。社交界では私のことを覚えている人もいるでしょう。なので、私が同行すれば、エドモンド様のお仕事の邪魔をしてしまうかと』
『そんなことはない。いくつか、言いたいことはあるが、まずは一番大事なことを。私には、ソニアが必要だ』
『えぇ……?』
言葉が通じないのだ。通訳は必要だろう。だがそれにしては「一番大事なこと」というのは大袈裟すぎないだろうか。
怪訝な表情を浮かべる私に、エドモンドは首を振る。
『あぁ、この言い方では伝わらないな』
エドモンドは立ち上がると、机を回り込み、私の側にやってくる。
『最初は、もちろん、ソニアの通訳が必要だと思っていた。でも、一緒に過ごし、仕事を手伝ってもらっているうちに、公私関係なくソニアにずっと側に居て欲しいと思うようになっていた。突然こんなことを言われて困るかもしれないが、私は、ソニアと結婚したい』
私を見つめる緑の瞳は真剣な色を宿していて、私はエドモンドの言葉が本心からのものなのだと感じた。
でも、彼の立ち居振る舞いから、きっと彼は故郷でも身分がある人のはずなのだと思う。
そんな人が個人の感情だけで、結婚相手を選ぶだろうか。
それも、遠く離れた国の平民を。
エドモンドが私と同じ気持ちでいてくれたことは嬉しいのに、素直にその言葉を受け取れない。
『……故郷にご婚約者はいらっしゃらないのですか?』
『いない。私には兄がいて、婚約者は作らずとも許される立場だった。それに仕事の方が面白くて、今まで婚約者はいなかった。将来的には、私の国についてきて欲しい。よかったら、ご家族も一緒に』
『ですが、私は平民で……』
『そこも、気にしない。急には、返事は難しいと思う。まずは、私の気持ちを知っておいて欲しかったんだ。これからは、毎日口説いていくから』
『えっ、いえ、業務時間中は、だめです』
『そうか。だが、それもそうだな。でも、業務時間が終わればいいんだな』
そう言って微笑むエドモンドに私は絶句するしかない。
そんな私に、エドモンドは残念そうに時計を見る。
『もうこんな時間だ。そろそろ君の家に行かなくてはいけない。続きは、明日にしよう』
父からマナーを学んでいる関係で、今日の夕食は私の家にエドモンドを招いている。
馬車の中では少し気まずい思いをしたけれど、エドモンドは『続きは明日』と言った通りいつも通りの様子だ。
こっそり、正面に座るエドモンドを見ると、彼は薄く微笑んでみせる。
私が、婚約破棄され、借金が元で爵位を返上した貴族の娘であると知っても、全く気にした様子がない。
そんなエドモンドの態度に、私は戸惑いながらもどこか安堵していた。
宣言通り、翌日から、エドモンドの態度は少し甘くなった。
ふとした時に熱の籠もった瞳で見つめられていたり、話題が、今日の天気や、お昼に食べたいものといったたわいのないものだけではなく、子供の頃の思い出やこれからどういう風に生きていきたいかみたいな話を少しずつするようになったり。
そんな時間が私は嫌ではなかった。
そうするうちに、夜会にも出席する機会が巡ってきた。
けれど当初考えていたような嫌な思いをすることはなく、周りの態度は案外あっさりとしたものだった。
私が元婚約者に夜会で婚約破棄されたことは周知のことだが、父が爵位を返上し借金を全て返したこともまた、知られている。
外国の方の通訳として出入りする私を、爵位を失い働かなければならなくなった令嬢として見る人もいたが、令嬢時代に身に付けた知識で身を立てる方法を探した才女として扱ってくれる人もいた。
それに、エドモンドに連れまわされ、いくつもの緊迫した商談の場に身を置いた後では、夜会で向けられる視線くらいでは動揺しなくなっていた。
元婚約者と鉢合わせすることも覚悟していたが、そちらも、会うことはなかった。
私との婚約破棄で信用を失い、違約金を払ったと言え、最初に取り決めた契約を途中で解除するような家とは長く取引はできないと、今度は彼らが他の貴族と結んだ契約を次々に解除されていると聞く。
今は、大変な事態になっているようだ。
なので、会いたくない人に会うこともなく、私はエドモンドのサポートだけを考えて夜会に出ることができていた。
そうして、何度目かの夜会に出たある日。
今日はエドモンドが特に話をしたいと言っていた貴族との話がうまくまとまり、エドモンドの機嫌はとても良い。
『少しテラスに出ないか?』
少し緊張した様子のエドモンドに、私は何か特別な物を感じて頷いた。
『今日、あの貴族との話がうまくいったのも、ソニアと、ご両親のおかげだ。ありがとう』
『私は何も。あの方に気に入られたのは、エドモンド様の努力の結果です』
『ソニアのそういうところも、とても好きだ』
エドモンドからの「好き」という言葉に、頬に熱が集まる。
けれどすぐに、その熱は引くことになった。
『あの貴族との契約が今日話した通りに結ばれたら、私は一度、故郷に帰らなければならない。だから、そろそろ返事を聞かせて欲しいんだ』
真剣な色を浮かべた緑色の瞳が私を見つめている。
『ソニア、私と結婚してください。貴女の故郷からは引き離してしまうけれど、どうか私の手を取って欲しい』
私もエドモンドから彼の故郷の言葉を学んでいるけれど、結婚でこの国を離れるとなると、もしかしたら二度と戻ることはないかもしれない。
それでも、ここで彼の求婚を断ってしまえば、私は残りの人生を一生後悔しながら過ごすことになるだろう。
『……喜んで。私も、お慕いしています』
覚悟と共にその言葉を口に出すと、エドモンドに抱き締められる。
『ありがとう。私は今、世界で一番、幸せだ』
『ふふ、私もです』
そうして、抱き締められたままの状態で、言いにくそうにエドモンドが言う。
『怒らないで聞いて欲しいんだが』
『なんですか?』
『その。実は、私は薄くだが祖国の王家の血を引いているんだ』
いつになく歯切れが悪いエドモンドの言葉に、私は固まった。
じわじわと言われた内容を理解して、思わず疑問をぶつける。
『聞いていません。そのような方が、どうして、自国を離れてこんな遠くの国をふらふらしているんですか』
『継承権も下から数えた方が早い。我が家は公爵家だが、兄が継ぐ。だから、私は好きにしていいと言われていた。だが、国に帰って結婚となれば、余っている侯爵位を継ぐことになるだろう。だまし討ちのようになってすまない』
『なんで黙っていたのですか?』
『ソニアに、私に関係ないことで求婚を断られたくなかった』
その言葉は、私の性格をよく理解しているもので、私は勢いを削がれる。
『……関係、なくは、ないと思います』
『では言い直そう。私自身を見て、結論を出して欲しかったんだ』
そう言われれば、返す言葉はない。
私だって、婚約破棄されたことを引きずっていた。
納得した私に、エドモンドは続ける。
『ソニアの両親には、ある程度事情は話していて。ソニアが求婚を受けてくれたら一緒に来てくれるという風に話がついている』
しかも、求婚を断れるのが怖いと言いながら、外堀を埋めに来ているではないか。
『知らないところで、話を進めていたのですね』
思った以上に不機嫌に聞こえる声が出てしまった。
『絶対に、ソニアを逃したくなかった。こんな私を許してくれる?』
切なげな声で乞われ、私は少し考えたあとに頷いた。
だって、私も、彼のことを諦めることはできそうになかったから。
一年後。
私はエドモンドの国で、花嫁姿を両親に見せ、彼に嫁いだ。
彼の両親は、一生独身だと思っていたエドモンドに私が嫁ぐことを賛成してくれて、何一つ問題なく、結婚式までスムーズに進み、兄も見に来てくれて、とても素晴らしい結婚式となった。
本日(1/10)原作を担当した漫画が収録されたコミックアンソロジーが配信されます。
そちらの方も、よろしければどうぞよろしくお願いいたします。
タイトル「あやかし様へ嫁入りいたします~永久に愛されて幸せです~」アンソロジーコミック(笠倉出版社)
https://x.com/niu_kasakura/status/1877658140591714361?s=46&t=tlSwe55-Y0GyFwB5I-us4A