悪魔は甦る
「お〜に〜い〜さ〜ま〜!?」
ああ、本当にまずいかもしれない。まさか帰るのが遅くなっただけで妹をここまで怒らせることになるなんて…
「あはは…ただいまぁ…」
義妹であるクロエの全力ホールドから抜け出す術はない。大人しく降参するのが賢明だろう。
「どうして遅くなったのか、説明してもらいますよ?」
「電車に乗り遅れたんだ、すまない」
「ふーん?ふーん……」
この数秒のシンキングタイムの居心地の悪さは、先程サクラを殺めたときと同じくらいのものだ。
「クロエ、それまでよ。ゼノ、ご飯にしましょう。もうできているわ」
願ってもない助け舟。姉は空気を呼んだようだ。
「分かった。すぐに着替えるよ」
「手伝いましょうか?」
「勘弁してくれ…」
ミリアの世話焼きにも参ったものだ。もう高校生だというのに、まるで小学生の世話をするかのようにあれこれと準備している。それに加えて義姉妹と仲が良いのはいいことだが、同年代との接し方はまだ分からない。特に年下は苦手だ。ここでの暮らしはまだ慣れそうにない。
翌日、また電車に乗って登校する。昨日よりやや寒い。もしかしたら、昨日のことをまだ気にしているからかもしれない。
(悪魔の死体が見つかったらどう思われるんだろうな…警察はあれが悪魔だって気付けるのか、そもそも人型の悪魔と人間の体の構造に違いがあるのかどうか…)
悩んでもどうしようもないが、悩まずにはいられなかった。悪魔を駆除して人を助けた、と誇る気にはならないのだ。
(昨夜はあまり眠れなかったな…学園で居眠りしないといいけど…)
そう言えば学園の授業はどのようなものがあるのだろうか。魔術学園と名乗るからには魔術を教わるのだろうが、正直魔術だけで悪魔と戦えるとは思えない。あの夜、あの悪魔を退けたのは銃だった。どちらかと言えば銃の方を信頼している。法的には対悪魔用に限り民間人でも所持が許可されているが、他国とは比較的に規制が厳しい部類だ。それでもかなり緩くなった方ではあるが…
「ねぇ聞いた?昨日この街で銃撃戦があったんだって!」
「銃撃戦?悪魔絡みかなぁ?」
「多分そう。死体が見つからなかったんだって。発砲音だけは聞こえたらしいんだけど、痕跡が一切残ってなくて…」
「え〜?なんか闇深くない?」
教室に入って早々、そんな会話が聞こえてきた。心当たりがありすぎて胃が痛い。隣の席がまだ来ていないことが、更に拍車をかける。席に座って鞄を置き、ホームルームまで眠っておこう。
(初日から生徒が一人行方不明になるなんて、先生方はどんな反応するんだろうな…)
それから十数分ほど経って、今時古臭いチャイムが鳴って目を覚ました。
「あ、おはようゼノ!良い夢見れた?」
「ん…おはようサク…え…」
「ん?どうしたの?私の顔に何か?」
「い、いやなんでもない…!ちょっと寝ぼけてただけだ」
「そう。今日も楽しみだね!」
(どうしてだ!?どうして生きている!?まるで昨日のことなんて無かったみたいに平然と…!!)
落ち着いて考えよう。まず彼女が生きている理由が分からない。悪魔とて特殊弾を頭や心臓に受ければタダではすまないはずだ。どうして彼女は平然と学園に来ている?
(仕留め損ねたのか…?俺のことはバレてるのか?全て分かっててどうしてここで俺を殺さない?)
特殊弾を6発も撃ち込まれて生きている程強い悪魔なら入学したての生徒をたかが数十人屠って逃げ去るくらいできるはずだ。なぜこの期に及んで生徒として振る舞う?意味が分からない。
「あ、そうだ。今日の放課後…屋上で待ってるから」
チャイムが鳴り終わる寸前で、確かに彼女はそう言った。愛の告白などでは決してないのは火を見るより明らかだ。強いて言うなら憎悪の告白とでも言うべきか。
「…屋上は基本的に空いてないものだと聞いたが」
なんもか反故にできないだろうか、そんな浅はかな思いで聞く。
「鍵くらい壊せるよ。来なかったら…分かるよね?」
「…了解した」
今朝まで、人を殺めてしまったという感覚を覚えていた自分がまるで馬鹿みたいだ。
(全て見透かされてる…どうするべきだ…!?)
対悪魔用に作られたのに悪魔を殺しきれなかったじゃないか。もし生きて帰れたら、あの銃を渡した研究所の人間に文句をつけてやる。そう決心した。
憂鬱になりながらも朝のホームルームを迎えた。校舎の説明があるらしい。今日でなければどれほど良かったか。
「よっ、なんか暗い顔してんな」
「蔭尋…そう思うなら何か明るい話をしてくれるか?少し憂鬱な気分なんだ」
「無茶なことを。まぁ明るいかどうかはさておき親睦を深めるってことで、何か趣味とかないか?」
「趣味か…心を落ち着かせたり、集中できることが好きだな。読書とか…勉強は物によるが好きなものは好きだな」
自分で言っていて気がついたのだが、今朝から憂鬱だったのは落ち着き、つまり余裕が無かったからかもしれない。
「意外と真面目なのか?」
「いや?ちょっとワルなことに憧れる時がたまにある。自由に生きてる奴らを見ると羨ましくなるんだ。迷惑をかけてまで生きたいとは思わないが」
自分は自由ではないと時折感じる。復讐に囚われているのではないかと、そう考えるときがあるが、親父のことを忘れ、悪魔に怯えて生きていくよりは囚われたままでいいと思う。しかし、自由気ままに生きてみたいというのも事実だ。外の世界を見たい、いろんな人に会いたい、その想いは紛れもない事実だ。
「お、思ってたより趣味が合いそうだな。俺も、不良ってわけじゃないが真面目なのはなんか性に合わん…ってあれ、趣味の話だったのにいつのまにか人生観の話になってた。口の上手いやつだな」
「すまない。でもあまり趣味と言えるものがないんだ」
「その感じからしてアニメとか見ないだろ?そうだな…ボードゲームとかは?ほら、将棋とかチェスとか…」
「ああ…チェスは結構好きだ」
屋敷では姉に誘われてよくチェスをしていた。頭を使うのでなかなか気に入っている。
「おお!俺も昔からやったことがあるんだ!結構自信あるぞ?」
「また今度対戦しようか。…そろそろ移動みたいだ」
「俺もゼノと一緒に行くよ。お前とは話してて飽きないからな」
目を細くして微笑む蔭尋。式場の前での陰口から、人とはこんなにも冷たいのかと少し身構えてしまったが、蔭尋のように爽やかで優しい奴もいるんだなと思えた。ただし、蔭尋に対して嘘をついてしまった。本当は悪魔を殺すのが趣味だなんて言えるはずもない。
その後はいろんな施設を見て回った。世話になっている研究所の設備よりは劣るが、それでも最先端の技術と言えることに違いはない。ただ、悪魔対策でやたら監視カメラが多かったり、至る所に迎撃用のガンタレットが隠されているらしく、物騒と言わざるを得ないのも事実だ。とはいえ対悪魔の軍事学校も兼ねているのだから当然と言えば当然か。
それだけやっても悪魔に有効とは言えないのが悲しいところだが…
「最後に、配布される武器等についての説明です」
ようやく対悪魔専門校らしい説明を聞ける。どのようなものか、実に興味がある。
「この学園では、高等部より対悪魔用の武器を用いた訓練も行います。その際配布される武器には識別機器が装着されており、規定時間外での使用は厳しく罰せられます。ただし、悪魔と遭遇してしまった場合は例外となります。身の安全を重視してください」
(武器か…もう持ってるからわざわざ欲しいとは思わないけど…)
配られたのは軽い剣と安価な拳銃だった。これでどうやって悪魔と戦うのだろう。そもそも何故悪魔相手に剣なのだろうか。
「銃は牽制用です。悪魔を殺すには魔力を通した剣が必要ですので、最終的に接近する必要があります」
(そういうことか…)
特殊弾なら悪魔を殺せるため、その発想は忘れていた。だがあまりにも危険すぎる。悪魔相手に接近するなど命がいくつあっても足りない。『2人以上で、3メートル以上離れて、4秒以内に、5発以内で仕留める』というのが研究所の人から教わった、悪魔を倒すための心構えだ。そう、銃を用いることが前提なのだ。
「なぁ蔭尋、悪魔を倒すのに剣と魔術を使うのって一般常識なのか?」
「そうだけど?だって銃なんて足止めくらいにしかならないだろ?アイツらすぐ再生するし。むしろ剣2本もった方が良くないか?」
(再生?特殊弾しか使ってこなかったからそんなこと気が付かなかったぞ…)
「あ、あぁ…!そ、そうだな…」
改めて、『あの研究所』の凄さを実感したかもしれない。あそこだけは対悪魔技術が他より進んでいるようだ。それはさておき、当の悪魔本人はどんな気持ちでこの説明を聞いているのかとサクラの方を確認した。
「……」
…ニコニコとしている。人類が悪魔対策をできていないことを嘲っているのだろうか。本当にいけ好かないやつだ。自分を殺すような技術が無くて、内心ではほくそ笑んでいるのだろう。
「どうしたゼノ?」
「…なんでもない」
「そうか。俺一回銃を撃ってみたかったんだよな〜。ゲームとかアニメとかでバンバン撃ってんのみると憧れるんだよな。いや不謹慎なのは分かってるけどさ」
「…悪魔に向ける時は最高に気分が良いけど、到底人に向けられるものじゃないよ」
「ゼノ…?」
「なんてな。ただカッコつけただけだ」
「なんだよ〜、お前が言うとそれっぽいんだから焦るぜ」
(憧れる、か…)
確かに最初は憧れに近い感情だった。あの時自分を助けてくれたのは銃を持ったデビルシーカーだった。きっとそのときからだろう、悪魔を殺すには銃しかないと思った…いや、盲信していたのは。実際それで殺してきたのだからあながち間違ってはいないが。
「基本的に、授業の時間外ではロックがかかっています。今は一時的に解除してありますが、あまり弄らないように。暴発しても責任はとりませんよ。それと、人に向けてもロックがかかります。その場合は学園から厳重な処罰が下りますのでくれぐれも人に向けないように」
試しにマガジンを抜いてみる。当然弾は入っていない。特別妙な機構が追加されているようには見えないが、別にプロというわけではないので正確なことは分からない。生徒が互いに向けないようにはしているようだが、本当に機能するのだろうか。
いかにも現代風な銃だが重量はある。あまり好かない。拳銃ならばもっと軽いものが好みだ。どうせ威力は弾丸に依存するのだから、本体は軽い方がいい。流石に銃口から使用弾薬の口径を推測するレベルには至っていない、というか可能なのだろうか。どうしても懐のオーダーメイドの相棒と比べてしまう。おそらく授業以外では埃を被ることになるだろう。…剣よりはマシかもしれないが。
学園の2日目はやや疑問の残る形で終わった…いや、そういえばサクラに呼び出されているのだった。おおよそ検討はつくため行きたくないが、最悪のケースを考えなくてはならないため行かなければならない。
「じゃあなカゲ。また明日」
「お、あだ名呼びとは嬉しいじゃねぇか。普通はヒロって呼ばれるんだけどな。まぁいい。じゃあなゼノ、また明日」
夕暮れの教室、念のため最後まで残って蔭尋を見送った後、屋上へと向かう。彼とはかなり打ち解けることができたと思う。社交的な人物で見た目通り爽やかな男子だ。きっと女子からの人気もあるだろう。そう思うと、周囲からしたら容姿の時点でかなり異様な自分が学園生活に馴染めるのか不安になってくる。実際、容姿だけでなく生い立ちも経歴も普通ではないのだ。
白い頭髪に左右で色の違う瞳、外国人の名前なのに日本生まれの日本育ち、幼少期からつい半年前までほとんど屋敷と病院、研究所以外に外を出たことがなく、両親もいない。まだ2日目とはいえ関わりづらいのも当然か。
「はぁ…行くか…」
誰も見ていないことを確認し、屋上への階段を登る。ご丁寧にも二重に鍵がかけられているようだが、既に開けられており、冷たい風が入ってくる。
「来てやったぞ」
ストレスを吐き出すようにそう言った。今日一日、もしかしたら不意打ちで殺しに来るかもしれないと内心身構えていたので精神への負荷は相当なものだった。
「アハ♡待ってたよ」
やはりと言うべきか、すでにサクラがいた。桃色の髪を風になびかせ、正に小悪魔的な口調だが立ち振る舞いはどこか優雅さを感じさせる。『あの悪魔』のようで無性に腹が立つ。
「話ってなんだ?まぁ予想はできてるが」
サクラがこちらを向く。一瞬口角を釣り上げたあと、ゆっくりと口を開いた。
「単刀直入に言うね。…私と付き合って」
「………は?」