0章 0話-RE;SET-
口々に流行りの“アレ”のことを話す。その薬を飲めば寝たままの状態で此方側に戻ってこられなくなるという。一体、誰がそんな噂を流したのだろうか。
女子学生A:「アレって本当のことなのかな?」
女子学生B:「嘘、嘘。あんなのただの噂話でしょ?」
どうして……こんなことになってしまったのだろう。大学を後にして彼女のもとへと駆けつける。大事な、大切な彼女……今は言葉さえ此方にかけてはくれない。もちろん、笑顔すら見せてもくれない。病院に向けて歩くがまるで足が鉛になったかのように動かない。ゆっくり、ゆっくりと歩を進める。気がつけば病院までやってきていた。
恭介:「……美沙。」
大切な、かけがえのない彼女に声をかける。今まで……俺は彼女の為に頑張ってきたというのに……こんなことになるなんてあんまりじゃないか。椅子に腰をかけて彼女の顔を見る。穏やかにずっと目を閉じたまま……あれから1年の月日が経ったというのにずっとこのままだというのだろうか。脚だって普通に動かせるようになって……これからだという時にこんな仕打ちはあんまりだ。
恭介:「今日も天気が良いね。」
返事はない。ずっと眠ったまま……昏睡状態というのか。ある日、突然意識不明になってこの状態になってしまった。医者が調べたところ特に身体の異常は見られないと。だけど、彼女の部屋の引き出しの中から見慣れない薬品が見つかったそうだ。巷で流行っているルートという薬。どうして彼女はこんな薬に手を出してしまったのだろうか。彼女の手を強く握り締めて覚醒を促すが……その手はピクリとも動かない。
恭介:「……。」
本当に嘘みたいだ、こんな風になる前は普通に喋りながら笑ったりして……ため息ばかりが自分の口から出てくる。飲んで昏睡状態になるだけの薬なんて……どうして妹に限ってそんなものを服用してしまったのか?ちゃんと自分が兄らしいことをしてやれなかったから?それとも自分の不幸、持病が嫌になってしまったのか?いくら考えても答えは出ない。自分は彼女の兄であって、彼女自身ではない。彼女がどんな風な気持ちで、どんな風に生きてきたのか……目の前で見てきたつもりだった。兄として考える以上に彼女自身にとって辛い人生だったのかもしれない。もう楽になりたくなったのかもしれない。
恭介:「教えてくれよ……お前を失ったら俺はどうやって生きていけば良い?」
美沙:「……。」
妹は答えない。ずっと目を閉じて、穏やかに寝息もなく眠っている。何も食事もとらず痩せこけた四肢。こんな風になる前は兄の自分が言うのもなんだが、とても綺麗で美しかった妹。贔屓目かもしれないけど、もう少し大きくなったらどんな彼氏を連れてくるのだろうと嫉妬すらしていた。それほど彼女のことを大切に想っていた。家族と言っても父も母も失踪してしまっていて、彼女と2人きりの生活を送っていた。彼らの遺産があったから2人で生活を送っても困ることは無かった。だから余計に家族は彼女だけだと思っていたし、妹のことは何よりも大切に感じていた。だから……自分の恋愛ごとだっておろそかにしていたのに……だけど、報われずにこんな風になってしまうなんて……。
恭介:「美沙……まだ眠り足りないのか?そろそろ話し相手が居ないと、俺は寂しいよ。」
涙が流れそうだがぐっと堪える。自分は美沙の兄貴なのだ。だから、泣いてはいけない。少しでも前向きに考えよう。もっと勉強して、このルートという薬に対抗する。いつか必ず妹を現実世界に引き戻そう。そう、決意する。そう……何度も決意した筈なのに……。
担当医:『この“ルート”という薬……良くわからないというのが現状です。』
恭介:『良くわからないって……どういうことですか?』
その言葉に医者は首を横に振るばかりだ。
担当医:『これを薬だと言っている意味が良くわからない。高槻さん、これは……薬じゃなくてただの添加物だけで構成されている無意味な錠剤です。』
薬の約9割が添加物。よくそんな話を聞いたことがあるだろう。この薬は全て添加物のみで構成されているらしい。だから、美沙が昏睡状態になったのはこの薬のせいじゃないというのだ。だけど、確かに一錠だけ服用した形跡があった。でも、医者はこれによる昏睡ではないと判断を下した。では一体……何が起きたというのか。
担当医:『これを服用したとしても、妹さんはこんな風になりません。添加物だから完全に無害という訳ではありませんが、身体に及ぼす影響はほぼゼロと言っていい。』
でも、これしか考えられない。だって……昨日まで普通に話していた。普通に笑っていた。普通に生活していた……。
だから……自分で本当になんとか出来るか不安なのだ。ひょっとすると医者になる為に努力をしても無駄なのかもしれないとすら思う。じゃあ、どうすれば良い?家に帰ってからずっと思考に耽っている。良い答えなんて思い浮かばない。それもその筈、現在の医療ではこの薬がただの添加物としか認識されていないのだから……。
恭介:「……!」
突如、携帯の着信が鳴り響いて驚いた。珍しい……幼馴染の隆一から電話だ。
隆一:「あぁ、もしもし。俺だけどさ……あの調べていた薬のことについて、妙な噂があるんだけど……今、話しても大丈夫か?」
妹がこんなことになって隆一に相談した。すると、彼は色々と調べてくれていたらしい。
恭介:「……そんなことって有り得るのか?」
隆一:「良くわからないけどさ……自分の一番やり直したい過去に戻れるって。」
隆一の言っていることが良く理解出来なかった。あんな薬にそんな力があるなんて眉唾モノだ。現に医者に渡して成分を調べてもらったばかりだったから。こんなものを服用したところで何も起きないのは目に見えて……いるのに。
隆一:「まぁ、噂だよ。あくまで噂な……。」
恭介:「それじゃあ、昏睡状態になるのはどういう意味なんだ?」
隆一:「過去に戻っているってことじゃないのか?タイムリープ的な?俺も確かめた訳じゃないからよくわからないし、そんなおっかない薬なんて試す勇気ないしさ。」
その言葉にハッとした。試す勇気なんてない。そうか……この薬の成分を知っている。それなら、無害というなら……。
隆一:「おい……もしもし?恭介、なんか変な事企んでいるんじゃ?」
そんな心配の声を無視して俺は通話を切った。そうか……それなら試せば良いじゃないか。この薬が本物かどうか……本当に戻りたいあの時へ……。
恭介:「美沙……真礼……俺は……。」
覚悟を決めて、冷蔵庫に入れていたペットボトルの水をコップに注いだ。携帯が再び鳴り響く。たぶん、隆一が心配になって電話をかけてきたのだろう。
恭介:「……どうやってやり直したら良いかわからないけどさ。こんな悲惨な状況になるのなら……いっそのこと最初から……。」
神にでも祈るような気分。覚悟を決めて錠剤を一錠取り出し、それを飲み下した。結局何も変化は無いように思えた……が、急な眠気に襲われて……俺はそのまま意識を失った。