09話-フレイア・スヴァルトリング王女陛下
「まぁ、可愛くなって! リエさんお似合いですよ!」
大輪の薔薇のような笑顔の王女陛下が中庭の白い椅子に座っていました。
私はメイドさんに連行されてロボットのようにここまで歩いてきました。
正直帰る道がわかりません。
進むしか無かったのです。
「お着替え、ありがとうございました……それと、申し訳有りませんでした」
言葉遣いが難しいです。
ですが
誠意だけでも伝わればと思い、私は必死に頭を下げました。
「リエさんはお仕事をちゃんと終わらせたんですよ、胸を張ってくださいな」
「は、はい……ありがとう……ございます」
手紙を運ぶという子供のお使いでお仕事を終わらせたと言われても困ってしまいます。
ですが、その子供のお使いすらきちんと出来なかった自分に腹がたちます。
「さぁ、座ってください」
まな板の上の鯉でした。
私は言われるがまま王女陛下の前にちょこんと座ります。
シンシアさんが何やら美術品のようなカップを持ってきて、茶色い飲み物を入れてくれました。
まさかこれを飲めと言うのでしょうか。
このカップを手に持って、口をつけて飲めと言うのでしょうか。
恐る恐る顔を近づけると紅茶のいい香りがします。
私は震える手を押さえ、こぼさないよう、落とさないように口を少しだけつけて頂きました。
「……おいしい」
自然と口からそんなセリフが出てしまいました。
ダージリンの味と薔薇の香りが強烈に脳へと染み込んできます。
「ふふっ……ほんとリエさんはナザックが言っていた通りですね」
「ナ、ナザックさんが……」
あの優男、王女陛下に私の何を伝えたのでしょうか。
場合によってはナザックさんをお掃除の対象にしなければなりません。
「まだ子供で、感情がちょっとアレだけど、素直過ぎる。魔力が強すぎる。元素魔法と神聖魔法が使える。特別審議官の要件は満たしています。と」
「……」
いま褒められたのでしょうか? 貶されたのでしょうか?
王女陛下なので、貶されも構わないのですが。
「ねぇ、リエさんのお話聞かせてもらっていい?」
「つまらないと思いますが……はい」
上官の命令には「はい」とだけ答えればいいという映画のセリフが頭を過りました。
そうは言っても私には王女陛下が満足するような話なんてできる生活を送っていません。
なので仕方なく私は孤児院でのことや、ロイさんの家にお世話になったこと、それから毎日のゴミ掃除の様子をなるべくちゃんと話しました。
何度も、どう伝えればいいのかわからなくて詰まることもありましたが、王女陛下は最後までじっと私の話を聞いてくれました。
結局十五分ぐらいでしょうか。
ナザックさんと出会うところで私の話は終わりました。
それが私の毎日で、私の十五年という人生です。
先程から相槌を打ってくれていた王女陛下が静かになりました。
気になってそっと顔を上げると、両目に涙を貯めていたのです。
「リエさん! 明日から毎朝お城まで来てください!」
「――っ!?」
王女陛下がとんでもないことを言い出しました。
毎朝ここに来る?
つまり、私に毎日死ねと仰るのでしょうか。
そんなことを朝から毎日やっていてはゴミ掃除が出来ないじゃないですか。
「何事も慣れです! 毎朝審議所で公務がありますので、迎えに来てください!」
迎えに来ると言っても審議所は隣の建物です。
ですが、やはり一国の王女様ともなると一瞬でも一人では出歩けないのでしょうか。
そう思うと、私は自由でとても贅沢に生きているんだなと思います。
「わ、わかりました」
解っていても、解っていなくてもそう答える以外、私には出来ません。
これで毎朝のルーチンに『お城まで王女陛下を迎えに行く』というトンデモナイお使いが増えてしまいました。
毎朝というのが何時なのかわかりませんが、お姫様がお仕事をするのです。
きっと日も昇らないうちから働かれているのでしょう。
明日から夜のお掃除を少しだけ手を抜いて頑張ることにしました。
この日は、結局ロイさんのお話をしたり、ゴミ掃除中に見つけた変なものの話を必死にしました。
帰るころには王女陛下とは普通にお話をできるようになっていました。
――普通と言っても『気絶せずに』という前置きが付きますが。
「そうだ、リエさん差し上げたいものが……シンシア」
「はい、こちらに」
そう言って手渡されたのは、髪を止めるようなピン。
オレンジ色の花があしらわれたとても可愛いものでした。
それと同じような、少し薄いオレンジ色をしたリボンでした。
「おつけしますね」
シンシアさんが私の背後に回り込み尻尾を掴まれました。
「ひゃぅんっ!?」
突然だったので変な声が出てしまいました。
私は慌てて口を抑えましたが王女陛下はクスクスと笑っておりました。
「あっ……」
尻尾の付け根にオレンジ色のリボンが結ばていました。
そして前髪を少し上げてヘアピンをつけてもらいました。
「まぁお似合いです。とっても可愛いですよリエさん」
王女陛下がぱちぱちと手を叩いて喜んでくれました。
実用性皆無のものを身に付けたことが無いので、どのように似合っているか想像が出来ません。
まるで着せかえ人形になったような気分でしたが、心が暖かくなりました。
ですが、私がこういうものを身につけても良いのでしょうか。
汚さないようにしようと思うと、尻尾が常にピンと上を向いてS字のようになっています。
もし汚してしまったらどうすればいいのでしょうか。
私にはこの命で弁償する以外の術をもっていません。
「あっ、念の為言っておきますが、それはリエさんに差し上げた物です。汚しても壊しても私にはもう関係ありませんから、気にしちゃだめですよ? あっ、でも使えなくなっちゃったら新しいのを用意しますね」
頂いたもの……下肢されたものである以上、これから王女陛下を迎えに来る時は身につけてここまで来なければなりません。
高く上げたままの尻尾が疲れそうです。
私が着ていた濡れた服は綺麗に乾かして畳んで紙の袋に入れた状態で渡されました。
とても同じ服とは思えないほど綺麗になっていました。
どうすればこんなに綺麗になるのでしょうか。
しかも何やらいい匂いがします。
「リエ様、中に石鹸と洗剤を入れておきました。匂いがお気に入りだったようですので、ぜひお使いください」
つまりこの石鹸で毎朝ゴシゴシと身体を綺麗にして、綺麗に洗った服を着て、王女陛下に頂いたリボンと髪留めをつけて毎朝お城に来なければならないのですね。
寝る時間がほとんど無くなりそうですが、これもお仕事です。
私を信用して任された以上、頑張るしかなさそうです。
いえ、頑張るなんて不確かな考えではいけません。
完遂するしかありません。
「リエさん、リエさん」
「……? 王女陛下、なんでしょうか?」
「私の名前知ってます?」
これで帰れると安心していたところに、何やら不穏なクイズを出されました。
王女陛下の名前?
この国に住んでいて知らない人が居るとでも思っているのでしょうか?
もしくは何かの試験でしょうか?
「フレイア・スヴァルトリング王女陛下です」
「はい、よく出来ましたぁ~。ではリエさん? 私は誰ですか?」
「え……ですので、フレイア・スヴァルトリング王女陛下です」
王女陛下はどうなされたのでしょうか。
まさかご自分のお名前がわからなくなってしまう病気とかにかかってしまったのでしょうか。
「ぶぶー違いまーす」
「……」
間違えてしまいました。
一言一句同じ言葉を繰り返したのですが、最初は正解して二度目は不正解でした。
王女陛下の顔を見ると目が座っていました。
やばいです。
最後の最後で『これで家に帰れる』と安心していたところで、選択肢をミスってしまいました。
「こっ、ころすのでしたら……心臓がいいです……首は……痛いので……ひぅ……」
「……リエさん? 私は貴方の上司です。特別審議官長です。貴方は特別審議官です。つまり私の部下です。同じ会社で働く仲間です。ここまではいいですか?」
「はっ、はひ……」
両頬を左右にムニッと引っ張られているので「はい」と答えられませんでした。
このまま頬を引きちぎられてしまうのでしょうか。
想像しただけでとんでもなく痛そうです。
自分では唯一マシだと思っていた顔でした。
お風呂場の鏡でもっと自分顔を目に焼き付けておくべきでした。
「……私の名前は?」
「ふへいひゃへんはへふ」
「さん。です。」
3? 三?
私に何か罰を与えるのでしたらはっきりと伝えてほしいです。
三というのは、仏の顔も三度までというやつでしょうか。
初めてお会いした時に気絶してしまいました。
二度目はお手紙をべちょべちょにしてしまいました。
三度目は……お名前クイズに失敗してしまいました。
これで三度……何度思い出しても三度失敗してしまっていました。
「はぁ……こういう言い方は好きでは有りませんが、仕方ないですね。リエさん、私のことを今後、公務以外の場所で『王女陛下』と呼ぶのは禁止します」
そう言って王女陛下は私の頬から手を離しました。
確かに、王女陛下という呼び方は今思うととんでもなく失礼でした。
四度目です……。
「失礼いたしました。フレイア・スヴァルトリング王女陛下」
フルネームでお呼びするのは口を噛んでしまいそうですが、命令とあらば仕方ありません。
仕方ないどころか『王女陛下』とお呼びしている時点で不敬でした。
「……陛下? リエ様? 私はどちらに対して突っ込めばよろしいでしょうか?」
シンシアさんが耐えかねたように間に入ってきました。
私はその言葉に衝撃を受けました。
この世界で「突っ込む」という概念があるとは15年も生きてて初めて知りました。
さすがお城の人たちです。最先端です。
最後にびっくり知識を知れて良かったです。
「シンシア……この子どうしたらいいの?」
「はっきりと申し上げたほうがよろしいかと……陛下……お顔が真っ赤ですよ」
「あっ、赤くありませんっ!」
いえ、フレイア・スヴァルトリング王女陛下のお顔は熱があるように真っ赤になっていました。
ついでに私の頬も引っ張られて真っ赤になっていると思います。
「~~っ。 はぁぁ~…リエさん? 私のことは『フレイアさん』って呼んでください。『フレイア』でも構いませんよ? 私16ですのでほとんど同級生のようですし」
「……ひぅっ……そ、そんな、そんなこと」
そんなこと舌を引き抜かれても言えません。
フレイア・スヴァルトリング王女陛下を『さん』付でお呼びするなど、『今スグ私を殺せ』と言っているのと同義です。
この国で二番目に偉い人です。
対する私はただのゴミ掃除です。
これは自分や他のゴミ掃除の人への差別ではありません。
区別です。
身分の違いというのはそういうものなのです。
前代未聞の『お願い』に私はどうすればいいか解らず、カチンコチンになってしまいます。
違いました。
足だけはぶるぶると震えてしまい、床につかないように持ち上げたままの尻尾は別の意味でぷるぷるしています。
「私はリエって呼びます。リエは私のことは『フレイア』って呼んでください」
「ふ……ふれいあ……さん」
指をビシッと立ててもう一度同じことを言われ、私は言われるがまま恐る恐る口にしてしまいました。
「ふふっ、まぁそれでいいわ。じゃぁ明日からよろしくねリエ」
最初にお会いしたときと同じように、薔薇のように眩しい笑顔になった王女陛下が……フレイアさんが「じゃぁよろしくね!」と残し、メイドのマーガレットさんに連れられてお城へと戻っていきました。
「リエ様……?」
「ひぅ……ふゅっ…………」
ギリギリで保っていた私の精神はそこでプツンと切れました。
遠ざかる意識の中、マーガレットさんがシンシアさんを大声で呼び戻しているのを微かに聞きいた気がしました。
次話は明日8時頃公開予定ですっ
お気に召していただけましたらブクマとか評価よろしくお願いしますっ!