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未成年の精神および身体の保護のため、未成年の性行為は固く禁じられている。未成年と成人は当然として、それは未成年同士の場合でも適用される。二十歳になり成人を迎えた男女は、成人式で性教育を受け、そこで初めて性行為を――子孫を残す方法を知ることになる。
しかしながら性行為自体に特別な価値はない。苦痛はないが、別段快楽を享受することもできはしないのだ。性行為が気持ちのいい行為だなんていう話は、太古のポルノによって形成された嘘だなんていうことくらい、成人なら誰でも知っている。少年少女が記憶で感じていた高揚感と悦楽は、未知のモノを前にしたときの純粋な知識欲に対する感情だ。
というのは一般的な社会に対する建前である。
実際のところ、無意味な性行為を制限するためにPALSが性行為中に放出されるドーパミンなどの神経伝達物質、つまり快楽に繋がる伝達を抑制することで、報酬系が働かないようにしているのだが、一般市民がそのことを知ることはない。知る必要もない。
そのため性行為は、基本的には夫婦が子供を産むときにしか行わない。セックスとは、子孫を残すためだけに必要とされる儀式なのだ。
遥か昔には性行為は愛情表現の一種だったとも言われているが、現代においては、性行為に限らず、接吻だろうとハグだろうと、愛情を深め合う行為は儀式に必要はない。なぜなら、恋愛インプラントの普及のおかげで、夫婦はパートナー以外の異性を愛することはできないし、またその必要がないくらいお互いだけを愛することができるからである。
幸福な社会においては、愛は正しく永遠なのだ。
物理的に。
しかし性に関する知識自体、未成年にはアクセス権限がない。そのため、行為そのものを知ることすらないはずなのだが。
「町にあるような古本屋には発禁になった古書や音楽メディア、果てはポルノまで売ってるから。そういうところで偶然見つけちゃったんじゃないかなあ」
そう答えた男は、ウェーブのかかった髪をかき上げてカップを差し出した。果物の密のような強い香りが辺りに立ち込める。さりげない気遣いに感謝しつつ、私は右手でそのカップを受け取った。
「ありがとう、ジェフ。……紅茶ね、ダージリンかしら」
薄い色のついた液体を啜ると、華やかでありながら強い香りが口の中へと広がる。
「正解。主任くらいですね、紅茶の味がわかるのは」
男は冗談めかして肩を竦めると、私の向かいの席に腰を下ろした。穏やかに微笑みを湛えたその表情は"好青年"といった形容がよく似合う。
男の名前はジェフリー・ガブラ。解析課所属で、仕事の早い非常に優秀な職員だ。仕事柄、解析課とはよく顔を合わせるので変に顔なじみになってしまった。
「古本屋……。私は行ったことはないけれど、そんなに気軽に利用できるようなものなの」
「ええ、まあ。別に犯罪に利用されるようなデータを売買しているわけではないですから」
ジェフはカップの縁に口をつける。
「ああいうところに行くのは殆どがマニアなんです。紙の本が欲しい人間、円盤《CD》が欲しい人間。あとは映画テープなんかが欲しい人間が行くところなんですよ」
「円盤や映画テープなんて、何に使うのよ」
私は少し、冗談めかして笑う。
CDやテープの存在は私でも知っている。しかし、それを再生するための専用の機器は、もはやこの世界にはほとんど存在しない。
確認できないコンテンツは、存在しないことと同じだろう。
「確かに、そうかもしれません」
ジェフは顎に手あてて、考え込むような素振りを見せる。
これは彼の癖で、別に何かを考えているわけではない。そういう恰好なのだ。
「インテリアとして好んで収集する好事家もいますから。そういう意味では、何にも使えないけど、欲しい。これも立派な用途になりません?」
ジェフも冗談めかして笑う。まるで誰かがそうなのだと言わんばかりだ。
「それにCDなんかは、意外と中身が見れることもあるんですよ。ただのテキストファイルが保存されている場合なら、PALSを使うと……」
何かに白熱してきたジェフに対して、私ははいはいと相槌を打つ。
適用なところで、話を止める。
「だとしても、検閲されてないメディアを所持するのは違法だわ」
ジェフがカップから紅茶を啜る。ずず、という音が室内に響く。
「規制されすぎた表現で満足するのは、人間には難しいってことなんでしょう。性描写、暴力、不幸、苦痛、争い、嫉妬、欲望、快楽、怒り、恐怖、死――。幾重ものフィルタに濾過された搾り滓じゃ、何の味もしないってことなんでしょうね」
10代の若者、その一番の娯楽がなんだか知ってます、とジェフは問う。
滅私奉公、……ボランティアでしょ。私は答えた。
正解、とジェフは首を振って頷く。僕が子供のころは、音楽はまだ娯楽だった。つまらなさそうに、ジェフは息を吐いた。
本来、人間から好奇心を剥奪するのは難しいんですよ。
今のところは、ですけど。
そうジェフは続けた。
「古本屋の摘発なんかを考えてるんだったら、やめた方がいいですよ。限界まで抑圧された人間の衝動がどこに向かうのか、知らないわけじゃないでしょ」
私の頭に、ある人間の名前が浮かんだ。それは恐らく、ジェフも同じだろう。
「そこまでは考えていないわ。私だって別に――」
私は息を吐いた。紅茶を飲み干し、カップを置く。
「幸福な社会を目指しているわけではないのだから」
ジェフは小さく笑うと、頭を掻く。
「今のは聞かなかったことにしておきます」
私もつられて笑う。飲み干したカップを傾け、底をジェフに向ける。
「私も、何も見なかったことにするわ」
「あれ、気づいてました?」
ジェフが淹れてくれた紅茶は本物の紅茶で、デカフェではない。すなわち、カフェインが入っているものだ。カフェインの摂取は厳しく制限されているので、アフタヌーン・ティーなんかで気軽に摂取してよいものではない。茶葉の入手だって、簡単ではないはずだ。
ジェフが古本屋などの事情に詳しいのは、そういう側面もあるだろう。
「記憶ログの映像化、よろしくね」
「了解。明日には確認できますよ」
それだけ言うと、ジェフはカップを持ち席を立つ。その背中が部屋を出るのを目で追ってから、私も席を立った。
「幸福、ね……」
私の呟きは部屋に小さく反響し、消えた。