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新堂のコールからおよそ十分後、私は焦る気持ちを抑えながらオフィスへと向かっていた。


国際福祉監査機関(IAWA)は、都心から少し外れた郊外のオフィス街に30階建てのビルを丸ごと所有している。市民政府所有の建物だが、周囲の住人に威圧感を与えないようベージュと薄ピンクの中間で彩られており、景観より優しさの押し付けを優先した建築物だ。


その優しさを備えたビル、監査局へと向かう途中で、自動車オートモービルは一般の自動車道から外れて地下駐車場へと続く通路を入っていく。国際福祉監査機関(IAWA)に所属する職員専用の地下駐車場だ。


そのまま地下へと降りること数分。何の指示を出さずとも、自動車はあらかじめ定められた駐車場へと駐車する。駐車場は事前に申請した職員が利用できるよう、PALSに連携して個別に割り振られているためだ。


車が完全に停車したことを確認すると、普段よりもやや乱暴にドアを開けた。開け放ったドアを閉めることなく、そのまま急ぎ足でエレベータへと向かう。


車内で何度見返したかわからない腕時計ウェアラブルの文字盤を睨みながら、カツカツと靴を鳴らして歩く。PALSからはストレス値が正常域を超えていることに対する警告が通知され、24時間以内のメンタルケアの予約か抗不安薬トランキライザーの服用を促される。抗不安剤トランキライザーと言っても、実際に錠剤などを服用するわけではなく、PALSが脳の神経受容体に直接働きかけることで不安を和らげるものだ。


私はPALSの提案を両方とも棄却すると、うるさく喚くPALSを意識の外へと追いやった。


始業開始前だからか、エレベータの到着に時間がかかっていた。私は肩を張って大きく息を吸う。2回ほど深呼吸をすると、幾許いくばくか気持ちが落ち着いた気がした。私が2回目の息を吐き切ったところで、示し合わせたかのように、エレベーターの到着を知らせるベルが鳴った。


地下駐車場なので当たり前だが、エレベーターには誰も載っていない。空のエレベーターのカゴに乗り込んで14階のボタンを押した。浮遊感だけを残し音もなく動き出した籠は、1階のエントランスフロアで一時停止する。正面玄関より入館してきた人たちが籠に乗り込むのを静かに待っていると、その人波に見知った顔を見つけた。前髪を直線に切りそろえたショートカットの金髪少女。実際には少女という年齢ではないが、その身長と童顔のせいで、実年齢よりだいぶ若く見える。私が声をかけるよりもはやく、彼女が――二ノ宮(にのみや)アトが――口を開いた。


「お、リアンちゃんじゃん。おはよおはよ」


「おはよう」


彼女のどこか軽いその挨拶に、私も挨拶を返す。ついでに、職場では主任。と私はアトを嗜めるが、アトは悪びれもせず、まだ職場に入ってないのでセーフ。と口の端を吊り上げて答えた。


インジケータ―が14階を示し、静かにドアが開く。私がフロアへと降りると、それに続くようにアトもエレベーターから降りる。


フロアに降りるとすぐ、行動監査・及び支援課《Behavioral Audit and Support Section》と書かれたプレートが目に入る。14階は行動監査・及び支援課、砕けた言い方をするならば人間観察課(BASS)が入っているフロアであり、曲がりなりにもリアンはその人間観察課の主任である。PALSがセキュリティ・ドアのロックを解除したことを確認してオフィスに入ると、そこにはボストンフレームの眼鏡をかけた神経質そうな男が立っていた。新堂だ。


新堂は私たちを視界に捉えると、右手の中指でメガネのブリッジをくい、と持ち上げる。


「おはようございます、主任。……と二ノ宮」


「おはよう。……本当にね」


私が含みのあるようにそう言うと、新堂はバツの悪そうな顔をした。そんな私たちの顔を見比べ、アトは口を開けて笑う。


「アハッ、そういうことか。またやったな新堂」


「うるさいぞ二ノ宮。君だって人のことをとやかく言えた立場ではないだろう」


仕事中毒ワーカホリックを指摘された新堂は、引き攣った笑みでアトに返事を返す。新堂が言っているのは、アトの外見(ファッション)のことだろう。生まれつきならともかく、室内灯を爛々と反射して輝くその髪は、アト自らの手によって脱色(ブリーチ)されたものだ。髪にしろ服装にしろ、派手で他人の目を引く装いは、攻撃的な印象を他人に与える。市民に奉仕する職務に就く我々がそんな恰好を好んでするというのは、世間体的にはよろしくないことなのだ。


現に、アトはこれまでに幾度もの服装改善命令を受けている。しかしながら、命令がアトの恰好に反映されたことは一度もないのだが。


「うるせ。いいんだよ。文句言わせないためにここにいるんだから」


アトが、べっ、と新堂に舌を出した。その舌の中央では銀片が輝き、その装身具ピアスの存在を主張する。行為にか、それとも格好にか、新堂はやれやれと頭を振った。


こんな光景は日常茶飯事だ。二人の挨拶が終わったのを見計らって、私は本題を切り出した。


「ところで新堂、クラッキングの話だけど」


「ああ、そうでした。これを」


何の話。と首を傾げるアトをよそに、私は新堂から差し出されたタブレットを受け取る。そこには、市民の名前が一覧でずらりと並んでいた。凄まじい人数だ。年齢、性別、職業がばらばらで関連性がない。


「これが全員、(brain)にアクセスを?」


私が訪ねると、新堂はいいえと答え、タブレット表面に指をスライドさせる。


「これは全員、何者かにより経由地として利用された可能性のあるユーザーです」


先ほどのユーザーリストから、全員の物理的な位置関係がタブレット上に点として表示される。PALSによって取得された当時の位置情報だ。複数箇所を始点として線が引かれ、線は周囲の点を複雑に経由して監査局へと辿り着いた。


新堂は小さく咳ばらいをすると、説明を始めた。


「主任もご存じの通り、PALSによる(brain)へのアクセスは別に珍しいものではありません。PALSの個人設定カスタム・データのバックアップや個人情報パーソナル・ログは脳《brain》の大規模サーバ群に保管されていますから。ただ、こんなアクセスの仕方は異常なんです。通常PALSが(brain)にアクセスする際には、特定のプロキシサーバを経由しますから」


「まるで個人を特定してほしくないみたいじゃん」


アトの呟きに、新堂はこくりと頷いた。


「一般的な市民であれば、自分が特定されることを嫌う理由がありません。それに、意図的に(brain)にアクセスする理由もないですし」


市民には知られていないが、PALSのパックアップとログを保管する(brain)には、個人の視覚ビデオデータや記憶ログまでもが保管されている。PALSで追跡できる位置情報だけでなく、いつ何を見て、どんなことを考え、どんな感情を抱いたかまでもが詳細に記録されているというわけだ。我々国際福祉監査機関(IAWA)はそのデータを閲覧・分析して仕事にあたっている。人間の、個人を犯して脳の中まで観察する。それが人間観察課(BASS)と称される所以である。


(brain)が悪用されれば、世界に混乱どころではない騒ぎを引き起こすことも可能だろう。


「それで、現状何か問題は?」


私が尋ねると、新堂はいいえと首を横に振った。


「今のところは何も。アクセスログ自体も、(brain)に到達した時点で消失しています」

アクセスが弾かれたのかな、とさして興味もなさそうにアトが呟く。私も新堂も、侵入者クラッカーの意図が掴めずに曖昧に頷く。


「仮にアクセスが弾かれたのであれば、職員わたしたち個人情報パーソナル・ログにでもアクセスしようとしたのかしら」


職務内容における守秘義務の観点から、国際福祉監査機関(IAWA)に所属する職員の個人情報は、本人を除いて特殊な許可が下りた場合を除いてアクセスすることができない。これは別に国際福祉監査機関(IAWA)の職員に限らず、公的機関に勤務する大抵の職員にも同じことが言える。


つまり、そのことを知らない人間の犯行か。


或いは知っていてアクセスしようとしたのか。元が辿れないように(brain)にアクセスしようという発想自体、市民から出てくるとは考えにくい。


そこまで考えて、私は軽く頭を振った。結論を急ぐと碌なことにならないのは、どんなことにも共通して言えることだ。私は新堂のタブレットをデスクの端にやると、天板に指を滑らせPALSを起動した。



>play

check logdata["久佐アズサ".log , #2xx8-10-02 09:**:**]



「主任?」


「お、やる気だねえ」


訝しそうに目を細める新堂とは対照的に、アトの口角が上がった。


あ、と何かを察し止めに入ろうとする新堂を、アトが腕を上げて制止する。


「駄目じゃんか。お仕事の邪魔しちゃ」


「二ノ宮、お前な……」



新堂とアトが何やら言い争っているような声が聞こえる。しかし、その光景はすぐさま希薄になっていき、二人の声もフェードアウトしていく。視界が揺らぎ、目に入る映像がぐちゃぐちゃに歪む。


様々な色と音が混ざりあい、ノイズのように流れていく。混ざり合った映像の一点をじっと見つめていると、徐々にピントが合い、情報として形を得ていくのがわかる。


無意識のうちに瞬きの回数が増え、瞼を閉じるたびシーンが入れ替わる。断続的に流れる映像は、まるでフレームレートの小さい映画作品のようだ。


高速でシャッターを切るように、現像された映像が次々に網膜に映る。一秒あたりに映し出される枚数が増えることで、映像がより滑らかになっていく。色相のズレが補完され、彩度と明度がキャリブレーションされる。映像だけではない、ホワイトノイズのようなBGMは鳴りを潜め、意味のある言葉が投げかけられる。誰かが私を呼んでいる。包丁の音、フライパンで何かを焼く音も。私の鼻腔を、小麦が焼ける香りがくすぐる。パンの匂いだ。情報は時間とともに質感を持ち始める。


背後で音がして、振り返る。どうやら妻が皿を落としたらしい。私は慌ててキッチンに駆け寄ると、照れくさそうにはにかむ妻を見た。皿は割れてないし、怪我もしていないらしい。よかった。


私はほっと胸を撫でおろす。妻が、驚かせてごめんなさいと頭を下げるが、そんなことは最初から気にしていない。妻が無事でよかった。


妻が心配なので、一応PALSに診察してもらう。異常はないようだが、あの皿を見るたびに今の出来事を思い出すのは妻が辛いだろう。皿は後で処分した方がいいかもしれない。


そんなことを考えていると、娘がリビングに降りてきた。娘も先ほどの音を聞きつけたのだろう。


母親を心配できるとてもやさしい娘だ。ただ、黄色のブラウスはいただけない。少し目にキツイ色だ、ご近所さんが嫌な思いをしないよう、違う服に着替えさせなければ。


娘は私の顔を見ると、おはようございます、と頭を下げた。私はそれにおはよう、と返す。朝の挨拶が終わると、娘はキッチンにいる妻を見た。その目が驚愕に開かれる。お母さん、大丈夫。と、小走りで駆け寄った。大丈夫よ、と妻は答えるが、娘はおろおろとしていた。しまった、優しい娘にこんな光景を見せてはいけなかったかもしれない。私は猛省する。娘は優しい子なのだ。こうなることはわかっていたではないか。


そこで私は主任、と呼ぶ声に気が付いく。主任?


私は主任ではないし、この家には私と妻と一人娘の三人しかいないはずだ。


再び、主任、と呼ぶ声がする。いや、家の中からではない。この声は――。


新堂の声だ。


ハッ、と我に返る。


ぜいぜいと肩で息をする私の肉体に、意識が帰ってくる。


目のまわりの筋肉がぴくぴくと痙攣する。頬を伝い顎から垂れる汗を手の甲で拭った。


輻輳と調節がうまく働いていないのか、現実の距離感がうまく掴めない。強い眩暈を感じて、私は椅子に倒れこんだ。


PALSが本日何度目かの警告を発しているが、すべて無視をする。


後でまとめて通知を見ないといけない。そう思うと、それだけで少しうんざりした気分になる。


どさっ、と椅子の背もたれに強い衝撃を感じて、背後を振り返ると。


「ふふ、お疲れ様」


椅子の背もたれに肘をついて、にこにこと笑うご機嫌のアト。対して呆れた様子の新堂は、早死にしますよ、とため息を吐いた。


「……貴方には言われたくないわ」


心当たりがあるからだろう。む、と新堂は口をつぐむ。何がおかしいのか、アトはけらけらと笑っていた。


それで、と私は言葉を続ける。


「適当にひとり覗いてみたけど、特に不審な点はなかったわ」


他人の記憶ログを覗くのは、良い気分はしない。それは別に、他人の生活を勝手に覗き見することに対しての罪悪感などではない。必ずと言っていいほど、あの混じりけ無しの善意・・優しさ(・・・)を見てしまうからだ。


先ほどの人物の心からの優しさを思い出し、怖気が走る。


腕をさすりながら深く呼吸をすると、眩暈と嫌悪感が少しだけ和らいだ気がした。


他人の記憶ログを閲覧するということは、他人の人生をそのまま追体験するということだ。見たもの聞いたもの、触覚からその時の感情まで。生きた人間がそのまま完全に別人になるということに近い。


まともな人間がこんな行為を何度も行えば、確実に精神が摩耗する。そのため、記憶ログを確認する際には記憶を映像化ダビングするのが通常のやり方だ。ただ、記憶ログから映像や音声を抽出するのには時間がかかるため、直接記憶ログを再生するのが方法としては手っ取り早いのも事実である。


好き好んでやりたくはないが。


「家族思いの、ただの市民よ」


それだけ言うと、指をスライドさせ次の市民をピックアップする。


その瞬間、新堂が私の手首を掴んだ。


「主任、流石に見過ごせません。全員分の確認でもするおつもりですか」


「あと一人だけよ。それで問題がなければ、あとは解析課に回して映像化ダビングしてもらうわ」


「でしたら、私か二ノ宮が――」


「私は嫌だ。絶対」


珍しく、アトが強い拒絶を示す。普段からは考えられないほど低い声に、周囲の空間が底冷えしたような気さえした。


「二ノ宮――」


「だから私がやるって。慣れてる人間の方がいいでしょ」


そう言い放つと、新堂の腕を払いログを再生する。


「危険だと感じたら、無理やり止めますからね」


「信頼してるわ」



>play

check logdata["比奈アスカ".log , #2xx8-10-02 09:**:**]



ノイズの中に感じたのは高揚。そして悦楽。


獣のような激しい息遣いに、全身が疲労を訴える。


それでも肉体が止まることはない。全身をばねのようにしならせ、運動を続ける。


ギシギシギシ。


スプリングを鳴らし、体が揺れる。


血液が全身を循環し、脳に酸素を供給する。体温が上がり、汗で髪が額に張り付く。


苦痛に筋肉が悲鳴を上げ、たまらず喉の奥から掠れた声が漏れた。


これは――



「ハァ……」


私は瞼を覆うように手を添えると、大きく息を吐いた。


それは、ログの閲覧に伴うガンガンと鳴るような頭痛や、眩暈のせいでも勿論あったが、それ以上に記憶ログの内容のせいでもあった。


「何を見たの」


心配した表情で、私の顔を覗き込むアト。私は、大したことではないというように、ゆるやかに頭を振った。


「このデータ、青少年課に持っていって」


「……何があったんです」


不審げに尋ねる新堂に、ひらひらと手を振って答える。


私は再び大きく息を吐くと、額に手を当て椅子の背もたれに倒れこんだ。


「……未成年同士の性行為セックス


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