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私はサンドイッチを齧りながら車のシートに乗り込むと、空いてる方の手でスクリーンを操作する。
我ながら行儀が悪い。
運転席、……という表現が正確かはわからないけれど、運転席。その座席前方のフロントガラスには、職場への到着予定時刻、予定している交通ルート、そして想定される事故の発生率が表示される。
周辺地図が浮かび上がり、あみだくじの最適解を探すように道の上から青色のラインが引かれていく。
線はやがて目的地、露城リアンの職場である"国際福祉監査機関"の支部局へと辿り着くと、いくつかの数字の羅列と、注意書きをポップアップした。
[Notice!]
本ルートは、10-02 09:26:46 現時点における交通状況より、自動的に選択されました。
到着予定時刻は 10-02 09:54:00 ±00:01:30
提示ルートにおける事故発生率は [0.0021...%] です。
上記のルートを承諾しますか。
>[Y/N] ?
続けて、このルートを選択した際のリスクに関する説明文が浮かび上がる。
これはもはや一種の儀式のようなもので、ナビゲーションを行う会社として、市民の幸福に対し最大の考慮の元にサービスを提供していますという、単なる意思表示にすぎない。
自動車――この場合での自動車は本当の意味での自動運転車なので、教科書に出てくるような自動車とは意味合いは異なるが――自動車備え付けのナビゲーション・ソフトウェアによるルート探索や、それに起因した事故に関しては、すべて製造者が責任を持つという意思表示だ。
当然と言えば当然なのだが、だからと言って、消費者やいち市民の幸福を害するようなことがあってはならない。
幸福は社会の義務なのだから。
そのため、会社側は『我々は市民の幸福のため最善を尽くして、目的地まで貴方を送り届けます。しかしながら100%の安全を保障することができませんので、リスクを限りなく抑えることに尽力しています』というメッセージをあらかじめ提示するのだ。
そして私たち利用者は、その ”気遣い” に満足して、同意の上でサービスを受けるのである。
言ってしまえば、もはや形骸化してしまったものであって。
書いてあることは『同意の上、次へのボタンをクリックしてください』となんら変わりはない。
……これは死語なので、ごく一部の変わり者にしか伝わらないだろうが。
> yes_
私はスクリーンを操作して、提示ルートに承諾の意思を伝える。
事故に関するデータをご覧になりたい方は次のファイルにアクセスしてください、という親切心を端に追いやって、私はリスクを承認した。
私の意思表示を受け取るとすぐ、車外の景色は緩やかに流れ始める。
車が走行状態に入ったのを確認すると、私はシートに体を預けて残りの朝食を口に放った。
車内モニタのチャンネルをパブリック・ショウに変更すると、浅葱色のスーツを着た司会者が、朝のニュースを報道している姿が映った。
紹介されるニュースは、やれ公園の花が奇麗だの、若者のボランティア参加率が何%増加しただの、何のために報道しているのかわからないニュースばかりだ。悲惨なニュースは決して流れない。世界は幸福なので当たり前だ。
仮に万が一、幸福を脅かすような痛ましい事件が起こっていたとしても、ニュースで報道されることはない。そのために私のような、国際福祉監査機関の局員が存在する。
IAWA ―― [International Agency for Welfare Audit《国際福祉監査機関》] ――
元々は、国連の外部組織のひとつに過ぎなかった。国民の幸福を保証するという側面においては、世界保健機関の外部組織であり、またPALSを扱う側面からは国際電気通信連合の外部組織という立場でもあったのだが、人類の幸福を何より優先するという思想に基づき、国連NGOのような形で独立した組織だ。
我々、国際福祉監査機関《IAWA》の仕事は非常に単純で、市民と国民と人類の、唯一の義務である幸福が破綻しないよう見守り続けること。言い換えるなら、幸福という軸を中心に回るこの世界のシステムが崩壊しないよう、人類の監視と管理を行う仕事である。
そのためであれば、ニュースの検閲くらいは平然と行うというわけだ。
市民のストレス要因となるような映像や音声が流れないよう検分することも、国際福祉監査機関の仕事の一環である。
もっとも、好き好んでそんな映像を流そうとする輩は、優しさと思いやりに溢れた幸福な世界には存在しないのだが。
保温容器からコーヒーを啜り、次のサンドイッチへと手を伸ばす。
私は意識を、思考からパブリック・ショウへと戻した。
司会者も、横に並ぶコメンテータも、皆表情には笑顔の仮面が張り付いている。似たような表情で同じような体系のマネキンが幸福を着飾っている映像は、もうずいぶんと見慣れたものだ。
『先ほどの発言の中に、特定の方の気分を害するような、不適切な内容があったことをお詫びして申し上げます。大変、申し訳ありませんでした』
どんな言葉で誰が傷つくかなど、わかったものではない。馬鹿馬鹿しい話だとは思うけれど、悲惨なニュースが流れなくなって久しい社会では、ちょっとした言葉の棘が、傷として深く突き刺さる。
一度上がってしまった水準を落とすことは難しい。
配慮の上には、更なる配慮を。
ストレスの敷居が下がれば下がるほど、心の防御力は弱っていく。
ふと、頭を下げる司会者の浅黄色のスーツと自分の深青色のジャケットを見比べて、笑ってしまう。
見たものに安心感を与えるための浅黄色のスーツも、相対したものに落ち着きを印象付ける深青色のジャケットも。憂慮の体現に他ならない。
私も似たようなものだ。
昔、それこそ世界にPALSが普及する以前の時代では、スーツの色は黒が主流だったらしい。
黒は死を連想するため、スーツはおろか普段着にも黒を選ぶ市民は少ない。
今となっては考えられない話だが、通勤列車という概念がまだ存在していた時代にあっては、黒一色のスーツの集団が、狭い車内にすし詰め状態で職場へと輸送されていたのだという。
それはさぞかし異常な光景だったに違いない。
そういう意味では、黒いスーツに対してある種の嫌悪感を抱くのは、今も昔もさして変わっていないのではないかとさえ思えるけれど。
そんな、意味のないことをぼんやりと考えていると、PALSのプライベート・チャンネルにコールが入った。
咀嚼もそこそこに、麦のスポンジを珈琲で流し込む。
[calling!]
CALLER:新堂ツカサ
フロントガラスのディスプレイに表示された名前に、私は思わず眉をしかめる。
鼓膜に余分な音が入らないよう右耳の耳珠を薬指で抑え、チャンネルを開く。自動車のスピーカーからではなく、PALSを用いて耳小骨経由で音声を受け取るためだ。
「……もしもし」
「ああ、おはようございます、主任。……お時間頂いても?」
カタカタというスクリーンを指で叩く硬質な音と、神経質そうな声が耳元に響く。
私は相手に聞こえないように、ふう。と小さく息を吐くと、先を促した。
「どうぞ、ちょうど朝食を終えたところ」
「おっと、タイミングが悪かったですかね。……いや、よかったのかな?」
意識的なのか、それとも無意識なのかは知らないが、そんな自問のあとにバタン、という音が響いた。
おそらく、自動車のドアが閉まった音だろう。
私は自分の予想が間違ってなかったことを確信し、今度は相手にも聞こえるようにため息を吐いた。
スクリーンのタップ音の代わりに、カツカツという規則正しい音を鳴らしながら、新堂は話を続ける。
「実は主任に見てもらいたいものがございまして」
「それは一刻を争うものなのかしら……。時間外労働が必要なものなの……」
仕事中毒な新堂のことだ、どうせ朝早くから仕事をしていたのだろう。
始業時間まで自宅、或いは社外で。
プライベート・チャンネルへのコールだったのである程度想像はついていたが……。
ドサッと音を立て、私は座席に体重を預けた。普段より体が重く感じるのは、気のせいではないだろう。
業務連絡に使用されるパブリック・チャンネルは、就業時間から始業時間までは使用できない決まりになっている。
それはもちろん、残業のような時間外労働を禁止するためだ。
仕事熱心なのはよいことだが、それは規定の業務時間内の労働でなら、という話である。始業時間前、後。時間外の業務は健康を害する。
つまり幸福を損なう行為であり、市民の義務に反している。
新堂の上司という立場的には、私は彼を諫めなければならないのだった。
「あの、新堂。貴方が職務に対して人一倍熱心なのは、私もよく知っているけれど、規定時間外の業務は……」
「ああ、そうですね。確かにそうです。それではこれは、仕事というよりプライベートな内容でして」
「はあ、職場から……」
新堂が現在どこにいるかは、彼のPALSが教えてくれる。PALSの連絡先リストから新堂ツカサを選択すれば、彼がつい今、国際福祉監査機関が所有するオフィスビル――通称、監査局に入ったことを知ることができた。
昔は、プライバシー、つまり私生活などの事柄をみだりに公開されない保障や権利、という概念があったと聞くが、幸福な社会にはそんなものは存在しない。他人に居場所を詮索されて困る人間など存在しないからだ。むしろ、自分の情報を開示しないことは、何かやましいことがあるからだと批判的に捉えられることの方が多い。
よって容易に新堂が業務時間外に職場にいることを確認し、どうしたものかと頭を悩ます。
業務時間程度で彼を罰するつもりはこれっぽちもないが、一応こちらにも体というものがあるのだ。
特にこういう社会では。
「後で時間外業務の申請書を出しておきなさい。あと、今後はこういうことはできる限り控えること。……仕事中毒は病気扱いで治療対象だから」
それは新堂も理解しているのだろう。わかりました、と私の忠告を形では聞き入れる。
それで、見てほしいものって何。と私が続きを促すと、新堂は少しの沈黙の後。重々しく、少なくとも私にはそう感じられるように口を開いた。
「脳への不審なアクセス履歴が。監査局内へのクラッキングの可能性があります」