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私が、普通の人間と違う、かもしれない。ということに気が付いたのは、私が幾つの時だっただろう。
……正確には覚えていない。昔の出来事で、かつ、実体のない気持ち、ただの感情の在り様の話だから。
そうでなくても、私は記憶力が悪いのだ。
#消極的自殺願望
私はこの胸中の感情を、そう名付けることにした。
何かに絶望して死にたいわけではなかった。
かといって、希死念慮と呼ぶにはあまりにも動機がありすぎた。
それは単純に、生きとし生けるものが抱く純粋な好奇心であると思っていたのだ。
私はただ、死んでみたかったし、傷ついてみたかった。
それは単に、思春期に特有の、社会からはみ出してみたいとか、そんな安直な感情ではなかった。……と思いたい。
私はただ。
授業中にペン先をカチカチと鳴らすたび、その先端で目を突きたかったし。
カッターで手首を切れば、本当に血が溢れ出すのかを確かめてみたかった。
食事中は羊の腸を貫くフォークが、私の喉奥を裂くときの感触を知りたかったり。
学校のベランダから飛び降りたら、みんなはどんな顔をするだろうかと想像し。
階段から足を踏み外したら、足の骨が皮膚を突き破って飛び出すかどうかを試したかった。
そしてもし、自動車に跳ね飛ばされたら、私は死ぬのかを知りたかった。
怖い。
………………知りたい。
…………死にたい。
……知りたい。
死にたい。
死にたくはない。
そんな相反する感情の狭間に、私は常に揺れ動いていたのだった。
ただ、皆はそんなことを考えもしない。
生まれたときから私たちを包む、優しい優しい "幸福" のせいで、そんな好奇心は芽から摘み取られているようだった。
考えないどころではない。そもそも、そんな発想をすること自体、思考を巡らすこと自体が、罪なのだとでも言うように。
"幸福"は私たちを盲目にしていたし。
"幸福" は、私たちから、死の概念を奪っていた。
母親の子宮で眠っているときから、私たちは守られていて。
産声を上げるときは科学に。
成長するときは医療に。
そうして今も、世間や風習といったシステムに守られている。
しかしそのシステムも、言ってしまえばPALSの庇護下にあって。
小学校に入学しても、高校を卒業しても。社会へ働きに出たって、何も変わらない。
今、人間が人間を守る側に立つことはない。
人間はいつまで経っても、無知で弱い、大きな赤子のままだ。
PALSをはじめとする医療技術の進歩により、病気は駆逐されたらしい。
事件や事故だって、PALSによる機器管理や行動予測、インプラントによる感情抑制によってほぼ淘汰されたと言われている。
ただ、事件や事故が無くなったといっても、簡単に人は傷つくし。
どれだけ医療技術が発達しても、死そのものの概念がなくなるわけではない。
生の対義語が死であることは、今後も変わらないし。
生がある限り、死からは逃れられないのだ。
しかし、人間はそのことを忘れている。
考えることのできないように、教育されていて。
私はそのことに、言いようのない恐怖を覚える。
或いは、根源的な気持ち悪さを。
私がこの感情あるいは感傷を、初めて社会へと訴えたとき。つまるところ、私の両親へと訴えたとき。
私の両親は深い慈しみを湛えた表情のまま、その実、奇妙なものを見るような目で、私に微笑みかけたことを覚えている。
あの瞳をよく覚えている。
薄気味悪い、優しさと善意。
理解から生まれたものでもなく、無理解から生まれたものでもない。
システムからなる慈愛。
その疑問が私の内から生まれたものだとは、両親は露ほどにも思わなかったのだろう。数日後、私はメンタルケアへと連れていかれた。そこでは、感じる必要のない感情と知る必要のない知識を、幸福という名のオブラートで包むための作業が行われた。両親は、それが私の幸福を取り戻すためだと、信じてやまなかった。
私はそこで、何の意味も価値も持たない、偽りの優しさと愛情を両手から零れるほどに受け、表面上は再び幸福な市民になった。
そういえば、こんな風に日記を書くようになったのも、あのケアを受けてからだ。
曰く思考がまとまり、精神が安定するらしい。
そう考えると、ケアそのものがまるっきり無駄だったというわけでもないのかもしれないが……。ただ、日記という習慣が身についたことを除くと、この気の遠くなるほどに長い"ケア"に価値のあったことは、誰も彼もが皆、周囲の目を気にしているだとか、そんなちっぽけな理由ではなく、本気でこの世界の "幸福" を享受しているらしいことが分かったということくらいだった。
そしてもう一つ。
こちらの方が、私にとっては重要なことだ。
その日、私の自殺願望が形を変えた。
私が、好奇心のままに死を想像するだけでは駄目なのだと知った。
この世界の生者は皆、ただ幸福の奴隷なのだと知って。
人類はいつの間にか、幸福であれと踊らされる、生身の操り人形に成り果ててしまっていたからだった。
私は考える。
死の持つ意味は、ただの不幸な事故ではない。
生の持つ意味は、死までの意味なき旅路ではない。
本来、生と死には意味があったはずなのだ。
誰かが言った。人生とは、生き様ではなく死に様で決まるのだと。
私の生と死にも。
確かに意味があるはずなのだ。
だって、"死" そのものに意味がなくなってしまったら。
死んだ瞬間に、その命の意味がなくなってしまうみたいじゃないか。
幸福でも。
不幸でも。
喜びも。
怒りも。
哀しさも。
楽しさも。
全てを私は知りたかった。
私の感情全てが、私のものでありたかったから。
でも、もう私がそう思うだけでは不十分だったのだ。