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PALSに頼らなくては維持できない社会システムは、既に崩壊していた。


判断を自己の外に追いやってきた人類の末路。人類を維持するためのシステムは、じわじわと人類を絞め殺し、真綿で首を絞めるように、人類は徐々に窒息していった。


それとも、崩壊していたのは人類というシステムの方か。


とはいえ、今更PALSに頼らない生活は送れない。


調べ物ができなくて困る、程度の話ではない。決済も、個人の証明も、生命維持だってあらゆる面で人類は電子に生きている。


人類は原始時代から発展してきた。ただ、今から原始時代には戻れない。


人類は自らの首を絞めるロープを眺めたまま、明日を生きるしかない。


他人への思いやりと他人への優しさ、他人に配慮しすぎた結果が、この世界。


誰も心を痛めることがないように。誰もが嫌な思いをしないように。そう望まれた世界の、成れの果て。


留まることのない優しさは、恐怖、苦痛、嫌悪。人間からあらゆる免疫を奪ってしまった。


人間は、思考という武器を持っていたのに。その武器を捨ててしまった人間は、最も幸福で、最もか弱い存在だった。



「よかったの、紫藤アマネを止めなくて」


そう訊くのは、二ノ宮アト。


彼女の家。汚れも染みもない白い革の、そのソファの上で。


綺麗に脱色された金色が、照明の下でぱらぱらと輝く。


そのきらめきがあまりにも眩しくて。私は少しだけ、ほんの少しだけ、ゆっくりと目を細めた。


「止めるも何も、紫藤アマネはもう死んでいるもの。仮にPALS、或いは脳(brainn)を停止するという話であれば、それこそ論外よ。PALSに依存した社会システムにおいてPALSを停止するという行動は、テロ行為に他ならないわ」


わかっているでしょ、と。私は横目でアトを見る。


アトは、私の目を見ると、にこ、と笑う。そのまま、ゆっくりと体を倒し、私の膝へと頭を乗せた。


「私は、明日も私でいられるのかな」


「さあ。どうかしら。それは自己をどう定義するかによるんじゃない」


私の下で、くす、と笑う。少し意地の悪い答えだったかもしれない。


明日にすべてを忘れて、私という自己をも忘れて生きている私もいるだろう。


もしかしたら、それは昨日だったのかもしれないし、毎日がそうなのかも。


なるほど。


こんな人生を送るなら、さっさと死んで、楽になりたい。そういう気持ちもわからなくはない。


「昨日の私と今日の私が違う、っていうのは、怖いよ」


「そうね」


嫌になっちゃったから、死ぬ。


あまりに短絡的で、チープな救済。



いつの間にか、死のメリットの方が大きくなってしまっただけなのだろう。


人間の生と死によって成り立っていた人生というシステムは、もうじき終わりを迎えてしまう。


見方によっては、もう終わっていたのかもしれないけれど。


人間が人類を運営する時代が終わり。人間は、人類というシステムを構成する要素の一部として、より合理的な存在に運営してもらうことになる。


それだけの話だ。


どうしてこうなってしまったのかと、思わなくもない。


こうなる前に、どうにかできなかったのかとも。


本来、他人が他人を理解することなど不可能であり。


無理して歩み寄るために思いやりがあり、心が触れ合うための優しさだったはずなのに。


『思いやり』や『優しさ』は、いつしか自分を守るために振るう鈍器になってしまっていた。


それすらも全て飲み込んで。本当の意味で、優しい世界になっていったはずだったのに。


他人への思いやりと、自己愛の終着点。


人がひとり生まれてから死ぬまで、PALSが人類を支配し続けたことはない。


誰もわからなかったのだ。100年後の優しい世界がどうなるかなんて。


ただきっと。こうなることは、紫藤アマネにはわかっていた。


死にたがりの彼女なら。


幸福を憎んだ彼女なら。


誰よりも死を望み、それでいて死に恐怖した彼女なら。


私たち人類は、明日からも何事もなかったように生きるだろう。昨日と同じように。明後日も同じように。


ただ、もうそこには生と死の境目は存在しない。それは生を消費するということであり、肉体の寿命が尽きたら終わる。ただそれだけのシステム。


それは死んでもいないけど、生きてもいない。



「仕方なかったのかもね。これは人類の罰」


「罰?」


私の膝に横たわったアトが、私を見上げる。奇麗な金の二つの瞳が、私を映す。


「自分で考えることをやめてしまった。単なる機械に成り下がってしまった。それは例えば、道を走る自動車(オートモービル)と同じ。PALSに支配されるように生きて、幸福であることが全てだと思い込んで生きた。他人へ優しくあることが必ず正しいと思い込んできて、そのツケが回ってきた」


「私たちがしてきたことは、間違ってたのかなあ」


「かもね」


クス、と私は小さく笑った。


「数分後には、私もそこを走る自動車(オートモービル)と変わらない存在になる」


人類というシステムを維持するための一部。最小単位のユニットに。


運転がどうやって自動化を達成したのか。


人的操作の一切を排除したからだ。


自動運転の一番の障害は、簡単なルールすら守ることのできない人間であったのだから。


人間の一切が運転をしなければ、自動運転はあまりにも簡単に成立する。


それでは人類を成立させる一番簡単で、唯一の方法は何か。


簡単だ。


人間が意思を手放すことだ。


個人のわがままを手放すことだ。


人間の運転を、完全に委託すること。


人類の繁殖と存続を、人間よりより効率的で、感情に左右されない存在に託すこと。


それこそが、人類にとってもっとも優しく、幸福な世界。


だれもが感情に左右されず、苦悩せず、人類のために生存する。


ただ、それは死んでいるのと何が違うのだろう。私の思考が、意思が統一された人間は、果たして私と言えるのだろうか。


「それでもね、私はリアンに生きていて欲しいよ。私はリアンに幸福になってほしい」


「その幸福は、表面上の幸福でしかない。そこに私の思想や意志が介在する余地がなければ、死んでいるのと同じことよ」


「少なくとも、生きてはいるよ」


アトは口の端を釣り上げて笑う。私はその金髪を手で梳くと、つられるように微笑んだ。


「貴方が抱いている私への好意も、じきになくなるわ。その感情は、人類の存続の上には必要のない感情だから」


「知ってたんだ。酷い人だなあ」


アトはわざとらしく笑うと、両手で目を覆う。それは照れ隠しなのか、単なるポーズなのか。私には区別がつかなかったけれど。


一泊置いて、アトは口を開く。


「それでも、私はリアンに、生きていて欲しいよ」


私の気持ちがなくなったり、リアンのことを考えられなくなるのは、つらいけど。


その小さな呟きは、聞き取れないんじゃないかというくらい、小さなものだったけど。


「それならいっそ、今。私は私という存在のまま、アトはアトという存在のまま、死んでみる?」


私は真面目な顔を ――できる限りの真面目な表情を―― 作って、彼女に言う。提案をする。


「――駄目だよ。それに、本気でそうは思ってない。でしょ? だって、もし今死のうとしてるのなら、昏睡状態になっちゃうはずだから」


「そうね」


私は笑った。結局こんなことを言っていようと、私は死ぬことが怖いのだ。その結果に待っているものが、死と変わらない結末を迎えたとしても。


「私は、そんなリアンが好き」


そう言い、アトは私の肩に頭を寄せる。


「私は、リアンが好き」


「知ってる」


「もし世界が幸福になったら、一緒に暮らしてくれる?」


「それはわからないわ。私は、私じゃなくなってしまうから」


この期に及んでも、私は首を縦に振れなかった。


それは、他人のプライベートになることを恐れているわけではなく。


彼女に。二ノ宮アトに、嘘を吐きたくなかったからかもしれない。


「ううん。わかるよ。だって私にとっての一番の幸福は、貴方と一緒にいることだから。今までも、これからもずっと」


PALSの指す幸福とは、人類全体のための幸福のことだ。個人の幸福のことではない。


幸福な世界は、人間個人が幸せになれる世界ではない。


そうだとしても。


アトの頬を涙が伝う。


私はその涙を手の甲で拭った。


PALSを操作し、脳(brain)に接続する。これが私にできる、世界への最期の悪あがき。


「きっと」


私はそう言った。


私がアトに応えた、最初で最後の言葉だった。


アトの顎を持ち上げ、その唇にキスをする。


暖かい吐息が、私の唇を濡らした。


アトはその体重を預け、私の胸に倒れこむ。


「私、今日まで幸せだった。きっと、明日からも、死ぬまで」


その頭を抱え、頭をなでる。おやすみ、また明日。




私は、生まれて初めて幸福を知った。


幸福という名ばかりの毒を浴びすぎて、腐り落ちた肺から、息を吐く。


紫藤アマネの言うとおりだ。


この世界は地獄だ。


生きとし生けるものが皆、好意と善意という思想に汚染された地獄。


私は息を吐き切った。


幸福も、何もかも。全て。




世界は一度死に、そして新しく生まれ変わる。



もう一度私が生まれたとき、私はきっと幸福なはずだから。



世界は、幸福なはずだから。



さようなら、私。



さようなら、世界。



また来世。



ふと気が付く。頬を暖かい筋が通ったのがわかった。


その筋は、地面へと延び、地面に温度を残した。




PALSが露城リアン(わたし)をインストールするのがわかる。意識が真っ黒に塗り潰され思考が暗転する。体の支配を失いまどろむように世界が溶けもうそこまできているのがわかる幸福が――




――ありがとう。そして――











それはきっと、私が最後に流した涙だった。




《ログの閲覧:終了》



end_



そこで本ログデータは終了している。



じき、世界は幸福になる。


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