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国際福祉監査機関(IAWA)から徒歩10分。


道路を1本挟んでしまえば、オフィス街特有の堅苦しい雰囲気は鳴りを潜め、高い建物群がその名残を見せるだけとなる。


国際福祉監査機関(IAWA)のビルを含め、この近辺のオフィスビルは地域の景観に配慮したつくりになっているため、もともと威圧感はそれほでもないのだが。


いわゆる郊外、古い言い方をすればベッドタウンと言われる地域だが、この周辺に住むことのできる市民は社会貢献評価値(ソーシャル・アセスメント)が比較的高い市民に限定される。


積極的にボランティアに参加している市民。


多額の寄付を行っている市民。


長年模範的な生活を送ってきた市民。


そして、市民に貢献する仕事に就いている市民などだ。


アトは最後の条件に含まれる。


他愛もない会話を繰り広げながら10分ほど道を歩いていると、目の前に背の高い建物が見えた。


レモン色の、淡い印象の建物だ。


「ここだよ」


そう言って先導するアトの、少し後ろをついていく。


考えてみると、アトが私の家に来ることは何回かあったが、私がアトの家に行くのは初めてだった。


別にアトが私を家に入れないようにしていたわけではない。


私が無意識にセーブしていただけだ。


他人のパーソナル・スペースに踏み入れることに抵抗があるというか。


他人のプライベートに触れることに抵抗があるというか。


いや。他人のプライベートの一部になることが怖かったのかも。


兎にも角にも、私は初めてアトの家に来た。


見た目にも、明らかに単身世帯用の賃貸ではない。


「いいところね」


「でしょ? 気に入ってくれると思った」


何故か、ふふん。と得意げに鼻を鳴らし、こっちだよ、と私の手を引く。


不意に右手の指先を摘ままれ、内心びくりと反応してしまう。


アトに案内されるままエレベーターに乗ると、ボタンを押すまでもなくエレベーターは静かに動き出す。インジケータが数字をカウントするのと連動するように、右手に不規則に圧力がかかる。


5階、6階、7階…。ドアが静かに開くと、目の前には建物の外観と同様にレモン色の廊下。そこには外との隔たりはない。


「着いたよ。リアンはうち来るの、初めてだよね」


本当は、純粋なプライベートで来てほしかったけど。


そう漏らすアトに、私は何も言えずに小さく頷く。アトははにかむと、リアンが初めてのお客さんだよ。と、声を出さずに笑った。


「さ、入って」


「おじゃまします」


アトに連れられ、入り口をくぐる。二人が難なく入れるくらいに広い玄関には、靴が一足だけ。やはり一人暮らしには広い廊下を通ると、リビングに出る。レモン色の壁紙。


正直な話、私は少し、いや。かなり驚いた。


飾りのない机に椅子。冷蔵庫などの生活家電を除けば、必要最低限、一握りの家具しかない。質素な部屋。


質素な部屋、という表現が適切かもわからない。そこは「生活」あるいは「人」をこそげ落とした無個性と言った方が適切かもしれない。そんなことを思った。


よく言えばモデルルームだが、悪く言えばそこは人が生活する部屋ではない。


人となりが全く見えない。


唯一カーテンレールに掛けてある、目を引くビビッドなジャケットのみが、ここはアトの部屋なのだと私に教えてくれた。


「どうしたの?」


目の前の少女は不思議そうに首を傾げる。


「あ、いいえ。なにも。すこし、新鮮だったから」


ちゃんと笑えていたかどうか、私には自信がない。


嘘ではない。本当にただ、少しだけ(・・・・)新鮮だったのだ。


「ここ、リビングだから。なにもないの。リアンが探してるものは、こっちにあるよ」


掌をぱたぱたと折り、部屋の奥に向けて可愛らしく手招きをする。おいでおいでをするアトに対して、私は小さく頷いた。


三人くらいが掛けられる、すこし大きめのソファ。染みも汚れもない白い革が照明を反射して、私は目を細める。


他にはセミダブルのベッドと、天井まで届きそうなシェルフがひとつ。


シェルフの真ん中の棚には、スペースに合わない小さなフォトスタンドが一つだけ。他の棚には、サイズによって分けられた本、雑誌、紙の束、CD、etc……。梱包されたり、ケースに入っているものもあれば、むき出しのまま収められているものもある。


これが二ノ宮アトという人間の、プライベート。


私は部屋を軽く眺めた後、すごいわね、とだけ小さく呟いた。


アトは照れくさそうに笑うと、シェルフに近づき、フォトスタンドを手に取った。その縁を指でなぞりながら、見て、と写真を私に差し出す。


「これ、懐かしいでしょ。私がBASSに配属になったときの写真」


てっきりデジタルのフォトスタンドだと思っていたが、アトの手に収まったそれは、木製のアナログのフォトスタンドだった。現像された、たった一枚の写真だけが挟まっている。


そこには薄い笑顔を浮かべた私と、満面の笑みを浮かべたアトが映っていた。


アトがBASSに配属された年。新規でBASSに配属されたのはアト一人だけだったので、記念かなにかで撮ったもの、だと思う。


私がほとんど覚えていないものを、アトは大切に飾ってくれていることに、少しだけ罪悪感を覚える。


「あとは、これ。なんとなくわかると思うけど、全部紫藤アマネに関するものだよ。リアンちゃんが探してるのは、これでしょ」


手にしたスタンドを元の位置に戻すと、棚の他の部分をぐるっと指さす。


「探してるもの、どんなのかわかる?」


そう問いかけるアトに対して、私は顎に手を当て、考える。


「紫藤アマネの日記、アトは全部読んだことあるのよね」


「持ってるもの全部、という意味なら全部読んだことあるよ。ただ、紫藤アマネの日記って結構バラバラで、現存してないものも多いんだよね」


例えばと。慣れた手つきで棚から一冊の紙束を取り出し、ペラペラとページをめくって見せる。


開いたページのタイトルは、03012359。


「これなんかは、PALSの必要性と、それが社会に与える影響なんかをつらつらと書いてる。日付とかは正確にはわからないけど、PALS技術者になってからの日記だって言われてる」


日記を私に手渡すと、今度は別の棚から背表紙のついた本を二冊取り出した。


「これは晩年の頃の日記だって言われてる。エッセイとして販売されてて、昔は誰でも買えたやつだね。背表紙が黒い方は発禁になっちゃったやつで、ライトブルーの方は絶版になってるけど……、探せばまだ手に入るかも。PALSに頼り切った社会制度の問題点と、その世界に対する個人的な見解なんかが書かれてる。黒い方では、優しい世界に対する批判的な意見が多くて、問題視されて削除されちゃったんだ。それで青い背表紙のやつが代わりに出版された」


結局、青い方も絶版になっちゃったんだけどね。アトは寂しそうに笑った。


その二冊の本を私の手の上、紙の日記の上に重ねて置き、アトは私の目を見る。


下から覗き込むように。


「ほかにも日記はいくつかあるけど、何を探してるの? それとも全部読む?」

私は黒い日記を数ページ、ぱらぱらと捲る。


タイトルは、11062359。


「できればもっと古いものがいいのだけど。……例えば、そう。紫藤アマネがまだ子どもの時の日記とか、技術者になる前の日記が」


今度はアトが顎に手を当て、考える番だった。


首を小さく傾け、うんうんと唸る。


「流石にそんなに古いものは見たことも聞いたこともないなあ。存在するかどうかもわからないし、紫藤アマネがPALSに携わる前には脳(brain)もなかったから」


オンライン・コンテンツとして公開してなければ、紙媒体(デッド・メディア)と変わらないし。


私も、本当にあると思っていたわけではない。ただ、何か手掛かりになるものがあればと思っただけだ。


「ほかに、何か変わったものはある?」


「インタビュー記事が掲載された雑誌なんかは、デジタルデータでも、紙の雑誌でも持ってるけど。あとは……」


何かを気にするように、ううん、と首を捻るアトに、私は声をかける。


「なんでもいいの」


「あとは一応、肉声データがあるよ」


「肉声データ?」


ビデオやラジオ、インタビュー内容の録画データだろうか。


「ううん。そういうのじゃなくて、本当にただの声のデータ。紫藤アマネの声自体は、別に映像が現存しているし、聞くことはできるけど。本人が数秒だけ何かを話している音声を記録したメディアがあるんだ」


内容はほぼ意味のない言葉だったり呟きだったりで、価値があるかはわからないんだけど。


当時は何でもかんでも集めてたから、これも集めたコレクションの一部なんだよね。


これなんだけど、とアトは棚から何かを抜き取った。


アトの手には、白い円盤。


黒い字で、「紫藤アマネ 肉声1」とだけ書かれている。


「聴くなら再生するよ。再生するのに特別な機械がいるから、少し待ってて」


円盤を私に手渡すと、引き戸の収納の扉を開ける。なんとなく見てはいけない気がして、私は顔ごと目を背けた。


別に、ソーシャルエンジニアリングを気にしたわけではなく。


私は思考をリセットするように首を振ると、手にしたそれを眺める。円盤の穴に指を通し、ぐるぐると回す。不思議な装置だ。


これだけのサイズにもかかわらず、容量はせいぜい数から数十ギガバイト。


私は何の気なしに、PALSを起動する。



>play

check mediafile["all".* , #2***-**-** **:**:**]


[Searching(検索中)……]


[warning!(警告)]



指定のファイルが見つかりません。


見つからない理由:ファイルが存在しないか、あなたに権限がありません。


あるいは検索範囲が広すぎるために検索を中断しました。


検索を続行する場合には、コマンドオプションを選択してください。



「アト?」


「ごめん、もうちょっと待って。再生機は見つかったんだけど、電源が……」


「この音声、いつ頃録音されたものかわかる?」


想定外の質問だったのか、アトはこちらを振り返り、人差し指を顎に当てる。


「うん? 声の感じからすると若い頃のような気はするんだけど、よくわからないんだよね。そも、いつ何の目的で録音されたものかもよくわからないし」


「それもそうよね……」


アトはうんうんと小さく頷いたあと、再び再生機器の捜索へと戻っていった。


虱潰しに、年代の指定を変更し、再生を繰り返す。


しかし、PALSから返ってくる返答は決まったものばかりだ。



指定のファイルが見つかりません。


指定のファイルが見つかりません。


指定のファイルが見つかりません。



やはり専用の再生機器でないとダメなのか。


試行回数が二桁に到達しそうになったとき、アトがやや大ぶりの楕円形の装置を手に戻ってきた。


「リアン、お待たせ。これにCDを入れると……、って。何やってるの」


「ありがとう、アト。PALSでCDを再生できないかと思って試していたのだけど、うまくいかないみたい」


アトは、ああ、と相槌を打つと、納得したように首を縦に振った。


「だからいつ頃のものって聞いてたんだ。私もPALSで再生しようとしたことあるけど、メディアファイル自体見つけられなかったんだよね」


これ売ってるところ探すのに苦労したなあ、と。手にした楕円形の機械をぱしぱしと叩く。


アトは手にしたそれを床に置くと、機械上部のスイッチを押す。機械上部が薄く開き、円盤型の読み取り口が出現した。


「そういえば……」


ジェフが言っていた。


CDにはテキストファイルが保存されている場合があると。



>play


check mediafile["all".txt , #2***-**-** **:**:**]


ファイルが存在しないか――



「やっぱり駄目ね」


私は小さく笑うと、アトにCDを渡す。CDが機械にセットされ、蓋をして再生ボタンを押す。


じじじじ、という虫の鳴くような音の後に、スピーカーから何かの音が漏れ始めた。



あー。あー。


声、入ってるのかな。これは。


気恥ずかしいな、これは。


まあいいか。


どうせただの日記なんだ。誰が見るでもなし。



かち、という音と共に、再生が終わる。


「ね、こんな感じなの」


アトは、あはは、と声を出して笑う。


子どもみたいで、可愛らしいよね。などと。


私もそれには同意見だが、自分が同じことをされたらと思うと素直には笑えなかった。


私は今、現在進行形で実行しているわけだが。


いくらプライバシーが悪徳とはいえ。


自分が幼い頃に日記をつけていなかったことに感謝していると、アトがつんつんと、私の肩を叩く。


「次のも聞く?」


私の返事を聞く前にCDを交換し、機械にセットする。


再生ボタンを押すと、再び音声がスピーカーから再生された。



よくもまあ。続けているものだ。日記なんてもの。


寝る前に記録する習慣がついてしまった。


いつも24時前だ。


そのうち、日記もまとめておかなければ。



そこで私は、はたと気が付く。


日記のタイトルが、日付ではなく。


そして――。


私は再びPALSを起動すると、「紫藤アマネ 肉声1」を再生する。


私は再生する。



>play

check logdata["紫藤アマネ".log , #timestamp:0000-01-01 23:59:59]



紫藤アマネの記憶を。


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