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私は確信した。
近い将来、人類は死ぬ。
環境汚染でも、災害でも、戦争でもなく、人類は死ぬ。
他人への思いやりと他人への優しさ、他人に配慮しすぎた世界が、人を殺す。
誰も心を痛めることがないように。誰もが嫌な思いをしないように。そう望まれた世界の、成れの果て。
痛覚がなくなくなると、怪我をしていようが、体がどんなに危機的状況に陥っていようが、生物はそれに気が付かないのだという。
怪我をしないように、不快な思いをしないように。その究極の思いやりが、人類から痛覚を奪ってしまった。
人類は自らの首を絞めるロープに気が付かないまま、たったの数十年で窒息し、朦朧とした視界で世界を眺めるしかなくなってしまっていた。
世界をよくしようという留まることのない優しさは、恐怖、苦痛、嫌悪。人間からあらゆる免疫を奪ってしまった。葦のようにか弱い人間は、思考が唯一の武器だったのに。その武器を捨ててしまった人類は、最も幸福で、最もか弱い存在になった。
「おめでとう」
私は声を大にして言いたい。
自殺者は年々増加している。
私がまだぎりぎり純粋な学生であったころ、あのときにもクラスメイトが死んだ。
ただ、もう世界はあの頃と同じではいられない。
それだけのことだ。
死因のトップは相も変わらず自殺だ。けれども、それは病気や事故の死亡率が下がったから、相対的にトップになったわけではない。
人類が死を選び始めている。
優しさに疲れた人間も、優しさに耐えられなくなった人間も。
死を知らない人間は、死に対する恐怖は抱けない。世界に存在しないものに対して、感情は抱けない。
死という言葉は存在しても、実態が存在しなければ、それはないのと同じことだ。
神様と同じだ。あるけどない。そんなあやふやな存在。実際はそんなことないというのに。
耐えうるストレスの閾値が最底辺になった人間が、いとも簡単に死を望むのは当然のことだ。昔から、詰まった人間のゆく先は、自死と相場が決まっているのだから。
優しさという殻でつつまれた心に生まれた感情は、内側に向けるしかなくなってしまった。他人は悪くないのだから。世界のすべてが優しさなのだから。全てが幸福な世界で幸福になれない人間は、その人間が悪いのだから。
行き場を失った心は、自身を傷つけるしかなくなった。
現代において死は、最も手軽な救済措置になってしまった。
どんなシステムであっても、人がひとり生まれてから死ぬまで、そのシステムが存続することは非常に稀だ。
優しさが人類を支配し続けたことはない。
優しい世界で生き続けた人間がどうなるかなんて、経験した人間はいない。
だから私は、選ばなくてはならない。
人類の死か。人間の死か。
私が守らなくてはならない。