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虚弱なヤクザの駆け込み寺  作者: 菅井群青
第二部
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組長陥落の時



 美英は朝から院の玄関のドアを開け放ち掃除をしている。緑のデッキブラシでゴシゴシと磨く姿は楽しそうだ。


「美英ちゃん、バケツの水変えとくね」


「あ、先輩ありがとうございます!」


 幸は久し振りに美英に会えて嬉しかった。

 鍼灸学校が一緒だったが人学年違えば交流はほとんど無かった。偶然校外の鍼の勉強会で知り合った。その頃から気が合い親交を深めてきたが、学校卒業後に美英が地元に帰って開業したのでそこからはなかなか会うことができず、手紙のやり取りが多かった。



 キレイになった玄関を乾燥させるためドアを開けっ放しにする。

 しばらくして舎弟の一人が院を覗き変わりないか確認すると廊下の奥へと消えていった。


「監視ですか?」


「ううん、護衛なのよ」


「愛されてますねぇ、いい! ステキ!」


 美英の言葉に以前あった事件のことを幸は言えずそのまま優しく微笑んだ。


「あ、あ! そうそう……ステーキソース買うの忘れてた! 美英ちゃん、ちょっとお留守番しててね」


「え? あ、はい……一時間後に私出かけますからねー!」


 まさか自分の発言からステーキソースの買い忘れにつながったとは美英も思わない。


 今日は鍼の勉強会がある。美英の上京の目的はこの勉強会に参加することだった。

 使った掃除道具を片付けていると組長と光田が現れた。手にはケーキの箱らしきものがある。


「おう、後輩ちゃん……ケーキ食うか?」


 組長が嬉しそうに微笑む。

 院の中に先生の姿が居ないと組長は顔色を変える。美英が先程買い出しに向かったことを伝える。


「光田、後を追え……万が一ってこともある」


「了解です……」


 光田はそのまま院のドアを開け駆け出した。

 その背中を組長は鋭い目で見ていた。


「何か……まずいことでも起こりました?」


「いや、以前俺のせいで先生が危険な目にあった事があってな……」


「危険なんですか!? そんな……」


「いや、今は大丈夫だ。今はヤクザに人気すぎて危ないんだ……先生は女神として崇められているんだ。捕まると厄介だ」


「随分と神々しいですね……」


 心配そうに外を見る組長を見て美英は幸が深く愛されていることを感じた。とても大切に思われている。見ているこちらまで胸がポカポカと温かくなる。


「いつ、恋をしたんですか?先輩に……」


「先生に? あー……ぎっくり腰で立てなくなってすぐ──いや、秘密だ」


美英は残念そうな顔をした。組長はあの日のことを思い出していた──。





 治療が終わり鍼が全て抜かれた。

 組長は大きくため息をつく。シャツを羽織り腰を左右に動かすと朝の痛みが消えていた。


『先生、ここで治療してもらって良くなったけどよ、また次の日になれば元に戻っちまうんだ……すぐに治らないのか?』


 幸は困ったように笑った。


『組長さんは縫うほどの大怪我した事がありますか?』


『もちろんある。腕んところにな……』


 腕をめくると十五センチほどの縫合の痕が見える。昔誤ってガラスで切ってしまった。


『そのキズ、神経に近いところにあるんですけど、たまに重かったりちょっと当たっただけでトゲが刺さったように痛みませんか?』


『あぁ……あるかもな』


 幸はうつ伏せになっている組長の背骨を撫でた。その刺激で組長は少しゾクっとした。背中を触れられることに慣れていない。


『それと同じキズがこの腰にあります。ぎっくり腰は筋肉が切れるから軽い肉離れみたいなもんですよ……古傷は弱いんです。何回も傷めていれば尚更です……』


『んじゃ……治んないのか』


『いえ……私がいます』


 先生が即答した。その声に迷いなどないようで力強かった。


『傷める前に治療すれば軽い程度で済みます。傷めたのならすぐ治療すれば早く回復します。そうして自分の体と向き合っていけばいいんです』


……カッコいい。これをあの女先生が言ったのか?


 組長は体を起こすと幸の方を見た。

 幸は組長と目が合うとふわりと笑った。優しい笑みだった。無理やり専属にして院に軟禁させられているとは思えないほどやさしい瞳で組長を見つめる。


『頼りないかも知れませんが、私がここにいますから、頑張ってお仕事してください、ね?』


 ドクン


 突然心臓が痛くなった。

 胸元を見ると何も刺さっていない。なんだ? 心臓発作か?


胸を叩くと先生が心配して俺の背中を撫でる。


『どうしました? 苦しいんですか?』


至近距離に先生が近づくともっと胸が痛くなった。先生の石鹸の香りでめまいがした。


『く……大丈夫だ。何もない──』


慌てて立ち上がりベッドのカーテンを開ける。

雑誌を見ていた町田が俺の方を見るなりその雑誌を床に落とす。


『く、組長……どうされましたか……その顔』


『ああん? なんだ?』


組長は待合に置いてある鏡を覗く。


……な、なんだ……コレ……。



 そこには染められたように顔を赤らめた俺がいた。首まで真っ赤に染まり瞳も揺らいでいる。


 そのまま逃げるように院を出た。

 町田が嬉しそうにその後ろを付いてきていたが、途中で堪えられないのか声を出して笑い出した。


『なんだ……』


『組長……先生に惚れましたね、完全に』


 コレが恋?

 恋などした事がないが、先生を思うと体が熱くなり、もどかしくなり、胸が痛くなる……これが、恋なのか?


 恋


 言葉にすると一気に顔が赤くなる。それを見ていた町田が大きく頷く。町田は優しく、そして楽しそうに微笑んだ。


『組長は先生が好きになっちゃったんですよ、きっと』




 あの日のことを思い出していると院のドアが開いた。


「あ、ごめんなさい! ちょっと買い物したくて……通行人の人に話しかけられちゃって」


「いや、先生。あれヤクザです。また先生が勃起! 前立腺ね!って大きい声で連呼してたから、おばあちゃんフリーズしてましたよ……」


 どうやら光田を送って正解だったようだ。


 組長は立ち上がると慌てて帰ってきた幸を抱きしめた。背中に手を回し髪を撫でる。


「組長……?」


「……おかえり……」


 組長の穏やかな声に幸は思わずにやけてしまう。美英はそんな二人を微笑ましく見守っていた。


「いやーいいな……恋したくなっちゃったな……」


 美英がうっとりとした瞳で呟く。


「美英ちゃん、いい人いないの?」


「いないですよ! あぁ……恋がしたい!」


 羨ましそうな美英を横目に組長が悪そうな笑みを浮かべる。


「いい兆候だな、前戯は完璧だな……あとはあいつがぶち込めば……」


「お膳立ての間違いでしょ……頭の中の辞書、性欲に漬け込んでます?」


 幸はため息をつく。組長はクククと笑い耳打ちした。


「先生のことばっか考えてっからだよ……」


幸の顔が真っ赤になるのを見て美英が呟く。


「あー、恋したい……ほんまに」

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