怖い女
最近ヤクザの皆さん方の様子がおかしい。
例の警察官の一件以来見張りがつかない時間もあったのだが、ここ数日は逆に院の前に数人いてまるで借金の督促にあっているような気分になる。
労をねぎらおうとお茶を出しに行くと慌てたように「先生を一歩も外に出さないように言われてますので」と言われてしまう始末だ。ここにきて軟禁から監禁へのレベルアップはどういう事なんだろうか。
町田も光田もここ数日顔を見せない。メールをしてみても、ものの数分で返信があるから忙しすぎて来れないという事じゃないようだ。もちろん組長もここ三日姿を現していない。
(なによ……毎日来るって言ってたのに)
なんだか急にぽっかり胸が開いてしまったようだ。何か怒らせるような事をしてしまったのだろうか……。
ガッシャーン!
何かが突然割れるような音がする。慌てて奥の部屋を覗くが何も変わりはない。続いて倉庫に入ると窓ガラスが割れてコンクリートに一面細かいガラスが飛び散っている。家の住人がいる中、白昼堂々の犯行に唖然となる。急いで入口の外にいる舎弟たちに知らせようと振り返ると急に倉庫のドアがバタンと閉められる──。
ドアにもたれかかり腕を組んでいたのは派手な格好をした若い女だった。目が痛くなるほどのパッションピンクのワンピースを着ている。首のネックレスの金色のチェーンが女の谷間に入り込んでいる。唇のピンクのグロスが光りすぎて思わずそこばかりに目がいく。
「はじめまして、ごめんね……割っちゃって」
悪びれもなく微笑む女に鳥肌が立つ。この状況でなぜ笑えるのか……。手に持つタオルは恐らく侵入の時に使った石を包んでいた物だろう。
「安心して泥棒じゃないから。あなたに会いたくて来たの」
何という怖いセリフだろう。それならば泥棒の方が数倍良かった。ゆっくりと後ずさりすると女がヒールを鳴らしあっという間に幸との距離を無くす。
「あんた、司の女でしょ? そうなんでしょ?」
「つ、司……?──イッ!?」
幸の反応が癪に障ったのか突然女が幸の頰を張った。パァンという大きな音とともに目の前の色彩が薄れ周りに星が飛んだ。痛くはない、ただ目の前がちらつくだけだ。
「しらばっくれないで、ネタは上がってんの……あんたのせいで司は私を抱かない、それどころか会ってもくれなくなった……あんたみたいなちんちくりんになんで私が負けるわけ!?」
女が感極まり再び手を振り上げる。
パァン!
もう一度幸の頰を叩く。今回は酷く痛みを感じた。人生で平手打ちなどされたこともない。しかも二度連続……。
ひどい、お父さんにも打たれたことも無いのに!的なセリフが一瞬脳裏をかすめたがもう一発食らう可能性があるので黙っておく。
大きく溜息をつき幸は女を睨みつける。
「窓を破る、家宅侵入、平手打ち……どう見てもあんたの方が悪さは勝ってるわね」
幸は久し振りに頭に来た。
よくわからないが自分が振られた腹いせに乗り込んできたらしいが、こちとらそんな男なんて知らないし迷惑な話だ。
幸の人が変わったようなドスの効いた声に女の表情が変わる。
「な、何よ! あんたのせいで──」
「黙んなさい! いい? 抱かないのはその相手が本気で好きだからよ。そんな事も分からずに一方的に恨んで突っ走って……振られて当然でしょうが」
幸の剣幕に女は黙り込む。俯き瞬きを繰り返していた。
さすがに言いすぎたか……失恋したての女性に言っていい言葉ではなかったかもしれない。
ガシッ
突然幸の手を取る。キラキラ鬼のような爪に腕を掴まれ思わず喰われるかと思いヒヤリとする。
女は涙を溜めこちらに縋るように見つめる。
へ? いや……なんで?
思わず丁重に掴まれた手を払おうとするが女の握力は半端ない。女の目は怒りの目からなぜか心酔モードに切り替わっている。どちらにしても怖すぎる。ってか付けまつげ盛りすぎじゃない?
「なんか、感動で泣きそうだわ。あんた……いえ、姐さん……本当にごめんなさい。さすが司の選んだ女ね」
いや人違いです。司なんて──
ん? なんか聞き覚えがあるかもしれない……あ。
「あ、もしかして司って──」
「……俺だ」
いつのまにか倉庫のドアが開けられていた。組長と町田の姿が見える。三日ぶりに見る姿に自然と笑みがこぼれる。
「先生、俺が司だよ」
そういえば随分前にそんな痴話話をしていたような気がする。すっかり組長で統一されていて忘れていた。じゃあ、この女の好きな相手って組長?んで、司の女って……私のことか!?
「お前本当に探し出すとはな……いい加減にしろ。俺は女は殴らねぇが、限度ってもんがある」
組長は幸と女の間に入ると幸を片手で抱きしめる。女は町田と光田に腕を取られて拘束された。「離して!」というたびに胸が左右に揺れ町田が目のやり場に困っていた。
二人の話を聞いていると……どうやら幸のところに通うのを自粛して万が一に備えて警備を増やしていたらしい。理由がはっきりして幸はようやくホッとした。
(……ん? ホッとしたの? なんでだろう)
いつのまにか幸の前に組長が立ってこちらを見下ろしている。突然組長が頭を下げた。
「すみませんでした、先生。こんなことに巻き込んじまって……言えば怖がらせると思って、黙ってて申し訳なかった」
組長ほどの人が頭を下げることなど滅多にないことだろう。現に町田と光田が驚いた様子で見つめている。小さく「怖くないわよ失礼ね」という女の声が聞こえたがスルーした。
「大丈夫です! 驚いたけど、何もされなかったしいい子みたいで話せば分かってくれて──」
組長は眉間にしわを寄せると幸の頰を包む。そこには先ほどの手形とネイルチップで頰がミミズ腫れになっていた。幸は自分の頰が腫れていることに気付いていない。こんな目に遭っても叩いた女を庇おうとする幸が愛おしかった。
そっと頰を撫でると組長は何度も「ごめん」と言った。幸は頰に当てられた手をそっと包むと「大丈夫です」と言って笑った。
「あ、司──って名前だったの忘れてて……最初誰の、事か、と?……」
「……うあ……」
組長がしょぼんとしているので話を変えようと名前の話を振ってみた。が、しかし組長の顔を見ると瞬きを繰りかえし真っ赤な顔して口元を押さえている。幸を見る目は潤んでいる……。一体どうしたのだろう。
「不意打ち……だな」
「念願だったですもんね……呼ばれた感じっていうのがミソっすね」
町田と光田がうんうんと感慨深そうに頷く。
「やだ、赤くなって可愛い!」とはしゃいだ女の声が聞こえた気がする。
固まる私達を置いてみんな院から出て行ったことに組長が気付くのはもうしばらく後のこと。




