憎妖魔《ニクムモノ》の退治屋 ~アメフラシとおっさんとぼく
「うーん、今日はツイテナイなぁー」
小さなオフィスの机に左肘をつき、僕はため息を吐く。このペースだと、きっと今日も残業確定だ。
「山本、そんな深いため息ばっか吐いてると、幸せが逃げていくぞ?」
「いやいや、誰のせいでこの山積みの書類を片付けていると思ってるんですか、近藤さん! これ、全部経費で落ちると思ったら大間違いですからねっ!」
渋山区鳶谷三丁目の電柱破損に、踏切破損。二丁目のブロック塀破損数ヶ所に、サトウの軽自動車大破一台……絶対各方面から怒られる案件の数々。ぼくの幸せがもし逃亡しているなら、きっとこの人が原因だ。
「まぁまぁ、そんな硬いこと言うなって。ま、コーヒーでも飲めや! ほら、頭柔らかくした方がいいぞ」
「もうっ、近藤さん、頭くしゃくしゃしないで下さいよっ」
身長百八十五センチの近藤さんと百五十センチのぼくが並ぶとまるで大人と子供だ。片手にコーヒーカップを持った状態で、この長身で髭面のおっさんは、ぼくの茶髪をくしゃくしゃする。本人曰く、可愛い後輩に対する愛情表現らしいんだが。
「いや、こうするとお前。フローラルな香りがするから落ち着くんだよ。女の子も頭撫でられると落ち着くって言うだろ?」
「いや、ぼく女の子じゃないですから!」
学生時代もよく、女の子っぽいって揶揄われたものだ。髪の毛が跳ねるのは天然なんです。一本伸びるアホ毛が余計そう思わせるみたいで……。
はぁ……――
「だから、ため息つくなって」
「ちょっと外の空気にあたって来ます」
気分転換で、コンビニにでも行って来ようとぼくは二人だけのオフィスを出ようとする。
「待った。今日は空気が冷たい。傘持って行った方がいいぜ。あんまり遠くへ行かない方が……」
「いやいや、めちゃめちゃ晴れてるじゃないですか。そんな遠くまで行きませんからご心配なくっ!」
両頬を膨らませて抵抗した後、ぼくは外へと飛び出した。
東京都渋山区の一角にある小さなオフィスビル。ここに近藤さんはとある事務所を構えている。一見小さな探偵事務所のようにも見えるが、実は警察や国の幹部などから極秘に受ける依頼が多い。
事務所には、近藤さんを含めて六人。普段は二人一組で行動する事が多く、今日残りのメンバーは外で仕事中。近藤さんとぼく山本の凸凹コンビはこうして事務所で留守番という訳。
「はぁ……こんないい天気なのに、雨なんて降る訳ないじゃないか……」
コンビニで、雑誌を立ち読みし、からあげちゃんを二個購入。近藤さんの分も買ってしまうあたり、ぼくもまだまだだなぁーと思う。
「そろそろ帰るか……あ」
コンビニを出て、行き交う人とすれ違う。事務所まで、あと数百メートルというところで、さっきまで晴れていたのに、空から雫が落ちて来た。
「え、本当に降ってきたし!」
ぼくのアホ毛がピンと立っている。こんな時に雨だなんてツイテナイ。向こうの空は青。まるで、この一帯だけ雨によって閉ざされた遮蔽空間のよう。ぼくは事務所があるオフィスビルとは反対方向。雨が降る空間の中央を目指す。
雑居ビルと雑居ビルの間、人気のない路地。通常の眼で見えない薄い膜が張ってある。ぼくが手を翳すと、人一人通れるほどの入口が出来る。
閉鎖されていた空間の中、薄暗い路地の中央にそれは居た。ワンピースを着た女性が雨に濡れた身体もそのままに、壁際に追いやられた状態でガタガタ全身を震わせている。
『ニクイニクイニクイニクイ……ワカイオンナ……喰ウ!』
「だ、だれか……助け……」
雨は滴り落ちている。ビルの間に出来た水溜まりから水が息をするかのように隆起し、人の形を成していた。この社会に潜む闇が異形となって人を喰らわんとしている。ぼくはベルトに忍ばせておいた銀色の専用銃を取り出し、異形の頭へ向けて弾丸を放つ!
「その人から離れろ!」
頭に空洞が出来た異形の塊が一瞬揺らぐが、孔はすぐに水で塞がってしまう。やはり憎悪核を狙わないと駄目か。
「た、助けて……」
「大丈夫です。逃げて下さい!」
女の人が逃げようとする方向へ異形が水で出来た腕を伸ばすが、弾丸を放って伸びた腕を消滅させる。邪魔が入った事に苛立つ異形はぼくへ向き直り、腕を触手のようにうねらせ威圧する。
『ケッカイ……ヤブル……ドウヤッタ?』
「ぼくは君ら雨降妖のような憎妖魔専門の退治屋だよ。結界くらい破れるさ」
『オンナ……オマエデモイイ……ニクイ……喰ウ!』
「いやいや、ぼく女じゃないしっ!」
腕を四本へ増やし、触手のように伸ばす雨降妖。生前憎しみ、苦しみ、涙を流した者達の魂が集まり、人の形を成した憎妖魔の一種。うねる触手を回避しつつ、憎妖魔専用の妖銃より弾丸を放つが、触手に弾かれてしまう。
『オンナ……ツカマエタ……!』
「くっ、しまっ!」
触手に絡め取られ、宙に浮くぼくの身体。身体を締め上げられ、衣服が引き裂かれていく。これは不味いな……どうしよう……。ちゃんと忠告守っておくべきだったかな……。
『オマエヲ……喰ウ……イタダキマス』
「ちょっと待ってってば……ぼくなんか食べても美味しくないからさ……」
半分涙目になりながら、訴えるぼく。雨降妖が自身の欲望を満たさんと残った触手でぼくのお尻と胸を撫でたところで、ぼくの身体が突然軽くなる。気づくとぼくは、よく知る人物の左腕に抱き抱えられていた!
「……近藤……さん」
「だからあんまり遠くに行くなっつったろ!」
抱き抱えたぼくをそっと下ろす近藤さん。
「助けに来てくれたんですか?」
「あまりにお前が遅いからな。それにこいつが反応したからな」
右手に握られた刀が妖しく淡い紅紫色の光を放っている。近藤さんの持つ刀が憎しみに反応している証拠だ。
『ツギカラツギニ……ナニモノダ……』
触手は近藤さんが右手に持つ刀により、既に全て斬り落とされている。雨降妖が再生しようとするも、斬り口から再生されることはなく、異形は何が起きたのか分からずに激昂する。
『ドウナッテル……』
「こいつがお前の憎しみを喰ったんだよ。お前の腕は、もう二度と再生しないぜ?」
妖しく光る刀身。すると、異形は怒りに任せて巨大化し、近藤さんもぼくも全てを呑み込もうと押し寄せるが……。
『オマエラスベテホロボス!』
「終わりだよ。喰らえ――妖刀、村雨!」
三メートルはある雨降妖の上を取り、両手に握った刀を一閃、真っ直ぐ振り下ろす近藤さん。真っ二つとなる憎妖魔は、そのままムラサメに取り込まれていく。
「魂よ、浄化せよ!」
天上へ向けた刀身より一筋の光が伸び、結界が消失すると共に雲が晴れていく。憎妖魔の魂が浄化された瞬間だ。
「はぁ……やっぱぼく、ツイテナイですね」
「そうでもないだろ? お前が居なかったらあの女性は死んでいた。それに、俺が助けに来ただろ?」
刀を納めた近藤さんがニヤリと笑う。
「まぁ、助けに来てくれた事は感謝しますけど……」
「それに、ほら、今日はツイテるかもしれねーぜ?」
雲の切れ間に架かる七色の橋。ひとつの憎しみが浄化され、空には希望の虹が架かっていた。
「あんまし深く考えすぎるな」
「……そうですね」
近藤さんがぼくの頭をくしゃくしゃする。近藤さんの手は温かかった。肩の力が抜け、自然と笑みが零れていた。
社会の闇に潜む憎妖魔専門の退治屋。頼れる先輩、近藤嵐と山本恵海の日常は続いていく。
「近藤さん……また電柱折れてるじゃないですか……」
「やべ、さっき力加減間違えて、結界突き破っちまったらしい……」
こんばんはです。当作品は、バティもの企画で書いた短編になります。せっかくだったのでこちら小説家になろう様にも投稿してみました。テーマは、おっさん×ショタですね。
面白いと思っていただけたなら、評価、感想いただけると今後の創作活動の励みとなりますので、よろしくお願いします!