閑話1. セージのいない朝
閑話1*
セージとフルルが宿を出てからしばらく。太陽が昇って明るくなり、宿の外は活動を始めた人の声で賑やかになり始める。
けれどそれとは対照的に、セージがいなくなった宿屋の一室は冷え切った空気に包まれていた。
マーチの部屋に集まった三人が、暗い顔を突き合わせる。
「……マーチさん、これ」
トウリが差し出した紙切れを、マーチは気が重そうに受け取る。読みたくないという思いが、のろのろとした動作に表れていた。それでもトウリにほの暗い眼差しを向けられては読まずに返すわけにもいかない。
今朝、マーチが目覚めてすぐはいつも通りだった。隣のベッドのフルルがいなかったけれど、フルルはよく気分でふらふらと立ち歩いているから、それほど気にも留めていなかった。
けれどそれから少しして、重たい空気を纏ったトウリがマーチの部屋に来た。そして言ったのだ。
「セージくんがいなくなった」と。
だから、マーチはセージが残したという手紙を読みたくない。そこに書いてあることは予想できるし、セージがいなくなったということを自分の目でたしかめたくなかった。
けれど、マーチは受け取った紙をゆっくりと開く。そうするしかない。
マーチは手紙の文章に目を通す。
「――僕がいるとみんなに迷惑がかかります。だから、宿り木の剣を抜けることにしました。今まで本当にありがとう。これからのみんなの活躍を祈っています――」
読み上げた言葉は、思っていた通りのものだった。これを話すセージの表情まではっきりと想像できる。気弱で、申し訳なさそうに、すこし悲しそうな笑みを浮かべるセージの顔が――
マーチは気付けば怒鳴っていた。
「――なんで! なんにも、言わずに……!」
トウリとサイがぴくりと反応する。マーチは構わず怒りをあらわにする。
「……こ、こんな手紙まで残して! 勝手にいなくなるなんて信じられないわ!」
マーチの口からはとめどなく言葉が吐き出される。
ずっと一緒にやってきたのに。ちょっときつく言ったくらいで、相談もなく去ってしまうなんて。たしかにすこし言い過ぎたかもと反省していたけれど、それでもなにも言わずにいなくなるなんて、それはあんまりだ。
マーチは荒れ狂う感情のままに、セージへの怒りを吐き出し続ける。トウリはしばらく黙って聞いていたけれど、やがておもむろに顔を上げてマーチに視線を合わせる。
「……そうやって怒ってるけど、そもそもの原因はマーチさんじゃないか」
ぼそりと呟いた言葉は、しっかりとマーチの耳に入る。
「な、なによ! あれくらいのことでパーティを抜けるなんて、セージは大げさ過ぎるのよ! き、きっと放っておいたらそのうち帰ってくるわ!」
条件反射のように噛みついたマーチに、トウリは暗い眼差しを返した。
「もし。もしもセージくんが帰ってこなかったら……そのときは君を許さないからね」
「は、はあ? なんであんたが私を許す許さないの話になるのよ。意味分からないわ!」
「ボクは、このパーティのリーダーとして言ってるんだ」
「なによそれ。そんなの、あんたがセージのことをひいきしてるだけじゃない!」
「ち、ちがう!」
「違わないわよ! だいたいあんたは――」
感情的になっていたところへ否定的なことを言われ、マーチは思わず強く言い返してしまう。トウリも大人しく言われるがままになることはなく、そのまま二人は言い争いを始めた。
結局二人の喧嘩は呆れたサイが止めに入るまで続き、部屋にはいっそう重苦しい空気が満ちる。
また黙り込んでしまったみんなに、マーチはすこし躊躇いがちに告げた。
「とりあえず、今日は予定通り依頼に行きましょう。……セージだって、途中で思い直して帰ってくるかもしれないわ」
「……分かった」
トウリは平坦な声で答える。それから何も言わずにのそのそと部屋を出ていった。自分の部屋に戻って依頼の準備をするのだろう。
マーチは部屋に残ったサイへ視線を向ける。
「……なによ。あんたもさっさと戻って用意しなさいよ」
サイはその言葉に頷く。そうしてしばらくマーチの顔を見つめ、口を開く。
「セージが戻ってきたら……いや、なんでもない」
途中で言葉を止め、サイも自分の部屋に戻っていった。サイの背中を見送ったマーチは、音を立てて閉まった扉をじっと見つめる。
「……なによ、二人して」
唇を尖らせるマーチは、苛立ちをぶつけるように荒々しく立ち上がる。そうして自分も依頼の準備を始めた。
マーチが怒りを向けているのは、いなくなったセージか、自分を責めるような態度のトウリとサイか。それとも、素直になれない自分自身か。
それぞれが言葉にならない感情を抱えたまま、二人仲間の欠けた宿り木の剣は今日も依頼へ向かう。