2. 真夜中の旅立ち
2*
あの後拠点にしている街に帰った僕たちは、数日休みを設けることを決めて解散した。といってもみんな泊っている宿は同じなんだけれど。
僕はとりあえず翌日に部屋の片づけや、旅に必要な諸々の物資を買ったりして日中を過ごした。トウリ君やマーチさんに遊びに誘われたけれど、決意が鈍るといけないからなんとか断った。マーチさんなんかはは「わたしの言うことが聞けないの」なんて怒っていたけれど……。
とにかく、できるだけこっそり準備を整えた僕は、夜になってみんなが寝静まるのを待ち、誰にも見つからないうちに街を発つことにした。
今は日が暮れてからだいたい六時間くらいかな。みんなぐっすり眠っている。
僕は同室のトウリ君とサイ君に起きる気配がないのを確認し、荷物の入った大きなリュックを背負った。
優しいトウリ君のことだ。僕がパーティを抜けるなんて言えば引き留めてくれるかもしれない。でも、もうこれ以上みんなの優しさに甘えてはいけない。命がけの冒険は、仲良しこよしでやっていけるようなものじゃなかったんだ。
だから、誰にも何も言わずに行くのが一番良い。一年以上一緒にやって来たみんなと別れるのは寂しいけど、お別れだ。
僕は今きっと情けない顔をしているんだろうなあ。さあ、後ろ髪を引かれないうちに旅立とう。
机の上にそっと書置きを残した僕は、音をたてないよう気を付けて部屋を出た。忍び足で廊下を渡り、階段を下りて宿の外に出る。
一年間慣れ親しんだ街は夜の闇に包まれている。僕のことを見ている人は誰もいない。
「……今まで、ありがとうございました」
みんなが眠る宿を振り返って、万感の思いで言った。その時だった。
音もなく、宿の扉がすうと開いた。
「――セージ、どこ行くの?」
目を見開く僕の前に姿を現したのは、パーティメンバーのフルルだった。夜の街の中、月明かりを映す銀色の髪は、まるで妖精の燐光のようだ。
彼女はなぜか冒険するときと同じ服装で、リュックを背負って僕に歩み寄ってきた。僕より頭一つ小さな少女はこちらを見上げながらもう一度言った。
「どこに行くの?」
「ふ、フルル、どうして……」
僕はそう呟いていた。
どうして僕が宿を出たことが分かったのか。どうして旅支度を整えているのか。
フルル、君はいったいどういうつもりで……。
困惑する僕をよそに、フルルは僕の手を引いて歩きだす。まるでどこか買い物にでも行くような様子だ。ふんふんと機嫌よさげに鼻歌まで歌っている。
「セージ、この街をでてくつもり。だからわたしも一緒に行くよ。次はどの街に行く?」
抑揚の少ない声でフルルは聞いてくる。
やっぱり、僕がどうしようとしているかばれちゃってる。それについてこようとしてるなんて、一体どういうつもりなの?
僕は足を止めてフルルに向き直る。彼女も僕を見て歩くのをやめる。
「……フルル、僕はパーティを、宿り木の剣を抜けるよ。今日のことでもそうだし、これまでもずっと感じていたんだ。僕はみんなより……冒険者として、劣ってる」
フルルは黙って僕の話を聞いてくれている。少し悲しい気持ちになりながら続けた。
「だからね、いつか……いつか取り返しのつかない失敗をする前に、僕はみんなと離れなくちゃいけない。……さみしいけどね。けど」
フルルはそうじゃない。そう言おうとして、でも言葉を出す前にフルルは言った。
「じゃあ、わたしもいっしょに。わたしはセージがいるから宿り木の剣にいたの。セージがいなくなるならいっしょにいく」
やっぱりフルルは感情に乏しい表情で僕を見つめる。だけど、透き通った緑の瞳は表情なんかより多くのものを僕に伝えているような気がした。
そこまで言ってくれたフルルに胸が熱くなる。僕が今までやってきたことを少しでも評価されているような気がして、本当に嬉しかった。フルルは僕が少し手助けしたことがきっかけになって、一番最後に宿り木の剣に入った少女だ。だからたぶん、うぬぼれでなければ仲は良かったと思う。
でもまさか、僕のことをそんな風に思ってくれていたなんて……!
「フルル、ありがとう……。でも、宿り木の剣にいたほうが絶対に活動しやすいし、少し長い旅になるから大変だよ。そ、それに……」
僕は一瞬言っていいのかと口をつぐむ。けれどフルルまでパーティを抜けると言うのだから、これは避けては通れないことだ。
勇気を出して僕は口にした。
「それに、フルルはトウリ君のことが好きだったんじゃ……。というか、付き合っていたんじゃないの?」
僕の言葉を聞いて、フルルは珍しくきょとんとした顔をする。と思ったら、次の瞬間すっかり白けた表情で僕を見る。
こ、こんな表情だけは分かりやすいよね。
「……セージ、ばか。トウリのこと好きとか、ありえない。というかあの子は…………やっぱり、なんでもない」
「? そ、そうなんだ。でも、休みの日とかにはいつも二人で出かけたりとか……。そ、そういえば、二人で宿のお風呂に入ったりしてなかったっけ……」
そう言ってしまって、僕は思わず顔が赤くなるのを感じる。
そ、そうだよ。一緒にお風呂に入るなんて、恋人じゃなかったらするわけないじゃないか。
まごつく僕を見て、フルルは小馬鹿にしたような目つきになる。口に手を当てながら、ぷくく、といつもの含み笑いをした。
「お風呂は、トウリに無理やり連れてかれただけ。どうでもいい。とにかく、わたしはトウリのこと好きとかじゃない。そうやってすぐ好きな人とか気にするの、セージ童貞っぽい」
「ど、ど……!」
童貞とか言わないでよ! フルル女の子でしょ!
僕は童貞らしく焦りに焦った。それを見てフルルはますますいやらしく笑う。
ああ、やっぱりこの子にはいつもからかわれてばかりだ。でも、それがどこか心地よくもある。もうみんなとは会えないつもりで宿を出たからなおさらなのかも。
結局僕は甘ったれだった。一人で出ていく覚悟を決めたはずなのに、こうしてフルルについてくると言われて喜んでいる。そして、それを心の底では受け入れてしまっている。というか拒絶なんてできるはずもなかった。
だから、勝手に出ていこうとしておいて、僕は厚顔無恥にも言ってしまうのだ。
「……ほんとにいいの? 僕に、ついてきてくれる?」
そんな甘えた言葉にも、フルルは嫌な顔せず答えてくれた。
「とーぜん。置いてかれても、こっそりついてく」
フルルは無表情で、だけどなぜか胸を張る。そして僕は、そんな彼女の言葉を聞いてやっぱり胸が熱くなるのだった。
そうして結局僕の決意はむなしく、誰もいない真っ暗な街道を僕らは二人並んで歩く。一人を覚悟していた旅は、予想外の同行者を迎えて、思っていたより寂しくないものになりそうだ。