カント哲学の私的解釈 人間の思考の限界、ひとは神を考えることはできない
カント哲学の私的解釈です。
カントはもっと色々なことを言っているのでしょうけど。
とりあえず私は、この部分のみをこのように受け取りました。
多分2003年の記
高校時代あたりから、哲学に興味を持った。
しかし、専門的に学んだわけではない。語学は苦手だったので、原文で読むなどということができたわけでもない。
また、邦訳にしても、高校時代に訳が分からないままに新潮文庫版で、ニーチェの「ツアラツストラかく語りき」を読み、
大学入学後「荘子」を、20代の時にヘーゲルの「歴史哲学を読んだ。
それくらいしか記憶に無い。
概ね解説書をざっと読んで、分かったような気持ちになる。それが私の哲学体験だった。
そういう薄い哲学経験であっても、ニーチェや、荘子や、プラトンはすごいことを言っているなあ。
人間の想像力というのはすごい。そういうことは思っていた。
だが、そのすごさがなかなか分からなかったのが、カントだった。
哲学史において、カントは極めて大きな存在であるらしい。
カント以前、カント以後というような言われ方もしている。
しかし、肝心のカントのすごさは分からなかった。
30代になってあるとき
「そうかカントはこういうことを言っていたのか。 それはすごい。たしかにすごい」と思った。
私の理解によればカントはおよそ次のようなことを言っている。
「人間は思考するが、その思考には形式がある。人間が思考するとき、それは時間と空間という形式において、時間と空間という所与の条件の下に人間は思考する」
すなわち、人間という存在は時間と空間の枠内において存在しており、時間と空間を超えたものを思考することはできない、ということだ。
われわれの存在する宇宙は時間と空間によって構成されている。この宇宙の創造者が神であるならば、神は時間と空間を超えた存在である。
ゆえに、われわれ人間は神の存在を証明することはできないし、 神はわれわれにとって不可知なものである。
すなわち、カントは人間の思考の限界、言い換えると哲学の限界を明らかにしたということだ。
史上最高の哲学者は誰か?
今の私は、この問いに対しては「カント」と答える。