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「ぼくとくま」

本作を読もうと思ってくださり、ありがとうございます。

「ぼくと○○」シリーズと銘打って、短編をいくつか書いていこうと思います。

なお、見かけ上は本作が連載作品の一作目、という事になっていますが、短編小説として以前投稿した

「ぼくといぬ」

https://ncode.syosetu.com/n8193es/

が本来シリーズの第一作目になります。

登場人物の一部は前作から引き継ぎになっていますので、未読の方はそちらから読んでいただければ幸いです。

十二月の日照時間は、短い。

まだ五時にもなっていないと言うのに、あたりは既に薄暗くなりかかっている。

ぼくはバス停に立って、駅に向かうバスが来るのを待った。

となりには女子高生が一人。

意識しなければいいとは思うのだけれど、ぼくが十歳以上歳の離れた彼女と並んで立っている画は、何だか不自然な感じがした。

別にそれが気まずいからという訳でもないけれど、早くバスが来ないかなと思っていた。


彼女はわざわざぼくを訪ねてきてくれたのだ。

朝早くに家を出て、新幹線に乗り、在来線を乗り継いで。

片道五時間近くかかる距離を、日帰りで行って帰ろう、と思い立つのは若さ故であるのだろうけれど、彼女なりの計画を持って今回の強行軍に挑んだのであれば、やっぱり最後まで無事に計画を達成させてあげたかった。

彼女が帰るべき場所は、ぼくの故郷でもあるのだけれど、そこまでぼくが同行する事はできない。

ぼくにできる事は、彼女が帰りの新幹線に間に合うよう、駅に向かうバスに乗せてあげる事だけだった。


彼女は強い意志を感じさせる表情で、通りを見つめている。

彼女が今日で何か決心がついた、というのであれば、半日を使ったぼくも報われるというものだ。

彼女はマフラーに顔を埋めてじっと立っている。

ぼくは今日のことを思い返しながらぼんやりしていた。


「わたし、兄がいるんです。先輩とだいたい同じ年齢くらいの」

まっすぐ前を向いたまま、彼女が急に思い出した、とでもいうかのように話し始めた。

ぼくは急にどうしたのだろう、と思いながら「へぇ」と相槌をうった。

彼女はぼくの反応など気にしないそぶりで、そのまま話し続ける。

「それで、その兄が最近になって結婚することになったんです。兄にはもったいないくらいに、綺麗な人と」

急にどうしてそんな話をし始めたのか、ぼくにはよくわからなかったけれど、もう少し彼女なりに話したい事があるのだろうと思い、ぼくは彼女の次の言葉をまった。

バスが来るには、恐らくもう少し時間がかかるだろう。


彼女はそこで、ぼくの方を向いた。

じっと射抜くような目線が、ぼくに向かう。

そんなに改まって、どうしたのだろう。

「その人も、先輩と同じ事を言ってました」

ぼくが言った、何と同じ事なのだろう?

どういうこと?と聞こうとしたところで、目の前の通りを大きなトラックが通り過ぎた。

一瞬、轟音以外何も聞こえなくなる。

振動が身体に伝わる。

彼女の鞄にも振動は伝わり、鞄にかかったストラップ、小さな熊のぬいぐるみが揺れた。



乾燥した空気が、ひんやりと冷たい土曜日の昼下がり。

ぼくは、自分が務める研究所の正門の前に立ってバス停を眺めていた。

待ち合わせの時間にはまだ余裕があったけれど、相手を待たせるのは申し訳なかったし、なによりソワソワしてしまって仕事に手がつかないから、ぼくはずいぶん前からこうやって空を眺めたりして時間をつぶしている。


駅の方から坂道を上ってくるバスが見えた。

待ち合わせの時間にはまだ余裕が有るけれど、彼女が事前に指定してきた電車の時間から推測するに、おそらくこのバスに乗っているはずだ。

道を挟んで反対側のバス停に、バスが止まる。

土曜日だから、研究所の見学にくる人も多い。

ある程度の人数がバスから降りて、彼女はその中に含まれていた。


バスから降りて、周りをきょろきょろと見て、こっちに気付いた彼女は、なんだかほっとしたような表情をして微笑んだ。

おそらく、彼女で間違いないはずだ。

ぼくは今日の来訪者の顔を知らないけれど、彼女の側はぼくの顔を事前に知っているらしかった。

ぼくも、愛想笑い程度には表情を柔らかくして、彼女が道路を渡ってくるのを待つ。

年齢相応に、飛び跳ねるように走ってこっちに向かってくる彼女を眺めながら、ぼくは二週間前に受け取ったメールの事を思い出した。



ひさしぶり、元気にしていますか。

君が今でも活躍していると思うと、天文部の顧問としては嬉しい限りです。

突然のメールで驚かせてしまって申し訳ない。

実は、高校二年生の生徒が、将来の進路のことに関して現役の天文学者である君に会って話が聞きたいと相談してきました。

毎日研究でいそがしいとは思うけれど、天文部の後輩のためを思って協力してもらえないでしょうか?



高校時代にぼくが所属していた天文部の顧問、ミボシ先生からメールが届いたのは、実に三年ぶりだった。

ぼくが大学院を卒業し、いまの研究所で研究者として雇ってもらえる事になったと報告した時以来だ。

ミボシ先生は、今でも天文部の顧問を続けているらしい。

いつでも生徒の話を良く聞いてくれる先生にはぼくも本当にお世話になったから、その依頼をすぐに受ける事にした。


ミボシ先生は元気にしているのだろうか。

ぼくが無事に志望大学に合格し、四月から東京に行く事を報告したとき、先生はまるで自分の事のように喜んでくれた。

あの、熊みたいなシルエットの先生が、がっしりとぼくの手を握って、おめでとうと言ってくれた時、ぼくは本当に嬉しかったのを覚えている。


そんな事を思い出しているうちに、彼女はぼくの目の前にたどり着いた。

「先輩、ですよね?」

すこし息を切らせて、彼女が声をかけてきた。

「こんにちは、今日はよろしく。ヤエノさん、だっけ?」

「はい、よろしくおねがいします!」

やっぱり年齢相応の声で彼女は答えた。

急に背筋をピンと伸ばしたものだから、持っていた鞄が揺れて、脇についていた何かが揺れた。

それは、小さな熊のぬいぐるみだった。



研究所の敷地内を並んで歩く。

「今、高校二年生だったよね?文化祭はどうだったの?」

ぼくの記憶が正しければ、文化祭は十月にあったはずだ。

初対面の女子高生とどんな会話をすれば良いのか、ぼくにはよくわからなくて、当たり障りがないだろうと思った話題を振った。

「例年通りですよ。今年は火星をテーマに展示をしました。火星との距離って感じの内容で」

ヤエノさんも緊張しているのか、声色は固い。

「へぇ、面白そうだね」

ぼくとしては精一杯の返事をしたつもりだった。

けれど、やっぱりぼくの話し方もぎこちなかったらしい。

「それ、あんまり思ってないですよね?」

彼女は苦笑しながら、そう言った。


赤道儀室の前までたどり着いて、「この建物は・・・」というような当たり障りのない解説をする。

とはいえ、それがわざわざ遠くまで来た彼女がぼくから聞きたい話なのだろうか、と自分でもよくわからなくなってきた。

別に退屈そう、という訳でもないけれども、特別興味が有る訳でもない、という表情で、彼女は時々相槌をうつ。

「じゃあ、次に行こうか」

ぼくはどんどん先に進む事で、途切れがちになってしまう会話をつなぎ止めようとした。


夏になると木々の葉が生い茂って薄暗いトンネルのようになる小道も、この季節は葉が落ちてすっかり明るくなっている。

研究所の端にある望遠鏡のある塔は、そんな小道を抜けた先にある。

そこはぼくにとってもお気に入りの場所の一つだった。

有名な学者の名前からとった通称で呼ばれるその塔は、見学コースの見所の一つでもある。

「ここは、ぼくもお気に入りの場所なんだ。研究が行き詰まった時とか、気分転換をしたい時にはここによく来るんだ」

「先輩も、仕事で行き詰まったりすること、あるんですか?」

「あるよ。しょっちゅうだね」

「意外です。ミボシ先生から聞いた話だと、何でも完璧にこなす人だと思ってました」

ミボシ先生がぼくのことをどう彼女に説明したのかは分からないけれど、おそらく色々話を盛り過ぎだと思った。

苦笑しながら彼女の方を見ると、本当に意外そう、という表情をしているから、彼女がぼくをからかって言った訳でもないらしい。


「そんなことないよ。仕事でも何でもそうだけれど、うまく行かない事の方が多いんだ」

実際、今取り組んでいる研究は、やや難航している。

当初たてていた仮説ではうまく説明できない観測結果が続いていて、どうして仮説通りにならないのか考えなければならなかった。

いや、仮説は正しいはずで、まだ観測が不十分なのかもしれない。

あるいは、観測システム自体に不具合があったか。


「あの、何か別の事考えてます?」

気がつくとぼくは、彼女をほったらかして仕事の事を考えていたらしい。

ヤエノさんに声をかけられて、現実に引き戻された。

今日は案内役だというのに、とぼくは狼狽した。

「あ、ああ、ごめんね。つい、仕事の事を考えていて」

ぼくの狼狽する様は、女子高生からみるとおかしかったらしい。

「先輩って、思っていたより面白いんですね」

少し楽しそうに笑った後、彼女は言った。


それで、ヤエノさんは少し打ち解けてくれたらしい。

研究棟の方にむかう道を戻りながら、彼女は自分から話してくれるようになった。

「先輩が作ったっていう天球儀の話は、今でも時々話題になるんですよ。それで、わたし達もそれに敵うものをって、地球と火星の軌道を再現する模型を作ったんです」

「ああ、それで火星との距離、なのね?」

「はい、ちょうど七月に火星が地球に最接近した、って話題にもなりましたし。火星まで運行する宇宙船があったらどのくらいで往復できるのか?ってのも男子の間で盛り上がってました」

やっぱり、自分の好きなものの話をしている時の人間が、一番輝いていると思う。

第一印象では想像できなかったくらいに、彼女はよく話した。

何かを熱弁しようとする時に、軽く握った拳をぶんぶんとふりながら話すのは、やっぱり年齢相応に可愛らしいと思う。

「でも、やっぱり先輩が作った天球儀が一番だと、わたしは思うんです」

一通り話した後、もう一度目を輝かせて彼女は言った。


ヤエノさんが言っていた天球儀を作ったのは、高校二年生の時だった。

天球儀は、一般的には文字通り天体や星座の位置を空に見立てた球体の上に再現する模型の事をさす。

天球儀はそれぞれの星座の位置や見える方角を再現しているので、それを持って夜空を見上げればどちらの方角にどの星座があるのか分かるし、逆に自分が見ている星座をたよりに自分がどちらの方角を見ているのかも分かる、という仕組みになっている。


とはいえ、夜空を見上げると見事に星座を形作り並んでいるように見える星々も、実際の宇宙で律儀に横一列に並んでいる訳ではない。

地球から非常に遠い星もあれば、比較的近くにある星もある。

例えば、オリオン座のベテルギウスは地球から約642光年離れたところにあるが、リゲルは約862光年離れている。

オリオン座の全ての星が数百光年離れているのか、というとそうでもなくて、タビトと呼ばれる星は地球からわずかに26光年ほどしか離れていない。

地上から空を見上げて「平面」としてとらえれば綺麗に並んでいるように見える星々も、「立体空間」としての宇宙としてとらえれば、てんでばらばらの位置に分布している事が分かる。


これをうまく再現してみたい、というのがもともとの出発点だった。

まずは模型の中心に、地球に見立てた球体を設置する。

日時は文化祭の最終日の夜と設定して、その時間に校舎から夜空を見上げた時の星座の位置を確認しておく。

その上で、地球からの距離を2光年あたり1mmの縮尺で再現できるように、主要な恒星を模型上で再現して配置してゆく。

地球との間をワイヤーでつないで距離が直感的に分かるようにして、それぞれの星座ごとに恒星を再現した球体を色分けして、といろいろこだわるうちに、他の部員達も興味を持って手伝ってくれるようになった。

本当は十二星座ぐらいで完成にしようと思っていたけれど、他の部員達とあれもこれもと付け加えているうちに、天球儀というより不格好な毬栗のような模型になっていった。

とはいえ、作っている最中はそれに夢中だったし、文化祭のメイン展示物にする、と決まってからはますます模型作りばかりにのめり込むようになっていた。


多分、ぼくが高校時代でいちばん打ち込んだものの一つだったと思う。

別にこの模型を完成させる事が自分の人生の何かになるとは思ってもいなかったし、実際何かになったという訳でもないのだけれど、あの頃は模型を作っている時が一番楽しかった。

一つ一つのパーツを組み合わせるとき、恒星との距離を考えて配置を組み替えているとき、定期テストの事だったり、進路の事だったり、あるいは自分自身の将来の事だったり、そんな事は全部忘れてひたすら作業に没頭していた。



ぼくらの展示は、文化祭で思っていた以上に反響があった。

生徒だけでなく、参加してくれた父兄も含めて、展示を興味深そうに見てくれた。

ぼくが展示物の傍に立って案内をしていた時に、いくつか質問をしていく天体観測好きな大人もいた。

模型だけでなく、その他の展示物も含めて、例年以上に完成度が高い、と卒業生の先輩が言った時には、思わず現役部員全員で顔をほころばせた。

部員全員が一丸になって準備をした展示だったから、その年の文化祭における、文化部系部門の最優秀展示賞をもらえた事は、すごく嬉しかった。


けれども、ぼくにとって一番嬉しかったのは、友人達が見に来てくれた事だった。

その時には既に校内で有名なカップルになっていた二人は、昼過ぎぐらいにやってきた。

「へぇ、やっぱり君は面白い事を考えつくんだね」

所属しているテニス部は喫茶店をやっていたらしく、その制服姿で遊びにきてくれた彼女は、面白そうに模型を見ていた。

「お前、昔からこういう模型とかプラモデルとか作るのが好きだったものな」

あまりこの手のイベントには真面目に参加しなさそうな友人も、恋人と一緒だからか楽しそうにしている。

そんな楽しそうにしている二人を見ているとぼくも楽しくなってしまって、通常以上に熱心に説明をしてしまった。

遠目から見ていた他の部員達は苦笑していたらしい。


「へぇ、こっちには十二星座が並んでるんだ?面白いねー」

「手が込んでるなぁ。ミホは何座だっけ?」

ぼくが一通り説明を終えると、二人はやっぱり楽しそうに模型に夢中になってくれた。

ぼくはぼくの狙い通りに楽しんでくれている二人を見てやっぱり嬉しくなって、フルに教えてあげた。

「ほら、そうやって星座を知りたくなるだろうって、こっちに誕生日と十二星座の関係をまとめた表があるんだ。これを見て彼女さんの星座を探してあげて」

その表を作ったのはその時の部長だったけれど、女性らしい観点の粋な演出だと思った。

その部長曰く、

「もしもカップルがこれを見ていて、男の方が彼女さんから『あたしの星座を探して』っていわれた時に困るでしょ?

誕生日までは覚えていても星座まで覚えている男なんてなかなかいないだろうからね」

とのことだった。

彼女の思惑通り、目の前のカップルはお互いの十二星座を見つけて、楽しそうにしている。


「ねぇ、こっちにあるのが北極星?」

十二星座での話題が一段落したところで、ミホがぼくに聞いてきた。

「そう、その赤く塗ってあるのが北極星だよ」

「この辺りの星が赤く塗られているから、北極星もこぐま座の一部だったんだ?」

「北極星は、こぐま座のちょうど尻尾の先端だよ」

「あれ?熊の尻尾ってどんなだったけ?」

正直、ぼくもとっさにいわれて熊の尻尾がどうだったかすぐには思い出せなかった。

どうだったかな、と思いながらフルの方を見た。

「熊に尻尾なんてあったっけ?」

フルもちょっと考えてとぼけたように言った。

「あったよ、あった。どんな尻尾だったかはすぐに思い出せないけど」

ちょっとムキになって、かるくフルの肩をはたいたミホと、それでもやっぱりとぼけた様子のフルは、端から見ていてもやっぱりお似合いの二人だった。

ぼくとしては、ぼくが作った模型の前で二人が楽しそうにしてくれた事が、何よりも一番嬉しかった。


「普段ぼくたちが飲んでいるコーヒーぐらいしかないんだけど、ごめんね」

インスタントコーヒーを入れたマグカップをヤエノさんに差し出すと、彼女はそれを両手で包み込むように受け取った。

進路について簡単に話しをしながら、一通り施設内を歩き回ったのでちょっと疲れたのかもしれない。

研究棟の近くまで来た時に、同僚が研究室に入って行くのが見えて、ちょうど鍵も空いているだろうから、という事で休憩がてら使わせてもらう事にしたのだ。

同僚は、ずいぶん若い同行者をつれてぼくが現れた事に最初は驚いたようだったけれど、ぼくが事情を話すと快く研究室の応接スペースを使わせてくれた。


春になると研究棟の近くの桜が綺麗だとか、そんな当たり障りのない世間話が一段落したところで、ヤエノさんは「もう一つ聞きたい事があるんです」と改まって聞いてきた。

「もちろんどうぞ」

「先輩は、高校を卒業して東京に出てくるとき、寂しくなかったんですか?」

改めて彼女を見ると、真剣な表情でぼくの答えを待っている。

じっと射抜くような目線でまっすぐにぼくをとらえながら。

「どうだったかなぁ。でも、自分の選んだ事だったからねぇ」

ぼくは目線をそらし、わざとゆっくりと答えながら、少し昔の事を思い出していた。



ぼくが故郷を出発して東京に向かう日、わざわざ駅のホームまで見送りにきてくれたのはミホだった。

ぼくは嬉しかったけれど、なんだか恥ずかしくもあって、彼女が見送りを申し出てくれたとき、最初は断った。

「三年間同じクラスだったんだから、見送りくらいさせてよ」

彼女はかたくなにそう言って、結局ぼくは彼女に見送ってもらう事になった。

意外と頑固なんだなと、不思議に思ったのを今でも覚えている。


ぼくと同じように東京に行く事になっていたフルは、途中で名古屋の親戚のところに寄ると言って、前日に出発していた。

「君たちが東京に行っちゃって、友達がいなくなっちゃったじゃない。二人ともひどいよ」

駅のホームでベンチに座りながら、電車を待っている時に、ミホは唇を尖らせてそう言った。

「ご、ごめん。」

その時の彼女の表情を見ていると、何だかとても申し訳のないような気がして、ぼくはうつむいた。

「でも、仕方ないよね。君のやりたい事だもん。頑張って、いつでも応援してるから」

その声はどこか無理して明るく振る舞っているような気がしたけれど、もう一度彼女の顔を見た時にはいつもの明るい笑顔に戻っていたから、それはきっと本心で言ってくれた言葉だったと思う。


東京行きの新幹線は、間もなく到着した。

ぼくは新幹線の中で退屈しないようにと持っていた文庫本と、わずかばかりの荷物、それから新幹線の中でおなかがすいたら食べるようにと彼女が買ってくれたお菓子を持って、立ち上がった。

「いよいよだね」

彼女も続けて立ち上がった。

乗車口の前に並んだ列の最後尾に並んで、扉が開くのを待った。

扉が開いて、乗客が順番に乗り込んでゆく。

ぼくは列車に乗り込んで、振り返った。

ホームに立ったままのミホは、やっぱり微笑んだまま、ぼくを見送ってくれていた。

「三年間、ミホと同じクラスで楽しかった。ありがとう」

それ以上の事はうまく言えなくて、やっと絞り出した声でぼくはそう言った。

発車のベルが鳴った。

とたんにベル以外の音は何も聞こえなくなる。

彼女の口が何か言おうと動いたような気がした。

「元気でいてね」

ぼくの言葉が彼女に届いたのかどうか、ぼくには分からなかったけれど、彼女の口も同じ事を言ったような気がした。



「あの、また何か別の事考えてます?」

気がつくと、ヤエノさんはあきれたような顔でぼくを見ていた。

「あぁ、ごめん、ちょっと色々思い出していて」

「先輩って、何か考えているとすぐに周りが見えなくなるんですね」

唇を尖らせてぼくを非難するヤエノさんの表情は、いつか見た誰かの表情にどこか似ていた。

「うん、よく言われるよ」

ぼくはすっかりぬるくなったコーヒーを一口飲んで、彼女の問いに答える事にした。


「それで、『東京に出る時、寂しくなかったのか?』だったよね?

正直に言えば、多少は寂しかったよ。

地元には仲の良い友達もいたし、家族とも離れなければならなかったからね。

もちろん、ぼくが自分で望んで選んだ結果でもあるから、そんな事ばかりも言っていられないのだけど。

ただ、それだけじゃなくて、確かに遠く離れてしまったけれど、それで離れてしまった大切な人たちとの関係がなかった事になんてならないって思っていたんだ。

ちょっと大げさな言い方かもしれないけれど、物理的な距離がどんなに離れても、会えなくなってしまったとしても、一緒に過ごした時間がずっと昔の事になってしまったとしても、だからといってその人達がこの世界からいなくなってしまう訳ではないよね?

きっとその人達は世界のどこかで頑張っているのだろうし、ぼくがその人達を思い出すように、その人達もまたぼくを思い出してくれているかもしれない。

そもそも、その人達と過ごした時間があるから今のぼくがあるのだし、ぼくがそうやってその人達を信じている限り、その人達との関係がなかった事になんてならない。

だからこそ、ぼくもそれを励みに頑張れるんだよ。

そう思えるようになったのは、確かにこっちにきてしばらく経ってからだったかもしれないけど、だから、思っていたほど寂しくはなかったよ」


ヤエノさんは、ぽかんとした表情でぼくを見ていた。

ぼくはしまったと思う。

ぼくは何か話をするときに、極端に抽象的な話し方をしてしまうクセがある。

きっと、彼女にもぼくの真意は伝わらなかったのかもしれない。

「いや、ごめんね、分かりにくくて」

「いえ、分かりにくかったとか、そんなんじゃないんです。でも、先輩に話を聞けて良かったです」

彼女が何をもって納得してくれたのかは分からなかったけれど、納得してくれたのなら良かったと思った。


時計を見るとだいぶ時間が経っていた。

そろそろ、彼女を送ってあげなければならない時間だった。


「わたし、兄がいるんです。先輩とだいたい同じ年齢くらいの」

帰りのバスを待つバス停でまっすぐ前を向いたまま、彼女が話し始めた。

ぼくは急にどうしたのだろう、と思いながら「へぇ」と相槌をうった。

彼女はぼくの反応など気にしないそぶりで、そのまま話し続ける。

「それで、その兄が最近になって結婚することになったんです。兄にはもったいないくらいに、綺麗な人と」

彼女はそこで、ぼくの方を向いた。

じっと射抜くような目線が、ぼくに向かう。

「その人も、先輩と同じ事を言ってました」

ぼくが言った、何と同じ事なのだろう?

どういうこと?と聞こうとしたところで、目の前の通りを大きなトラックが通り過ぎた。


トラックが通り過ぎて静かになったところで、また彼女は話し始めた。

「思い出の人がどんなに遠くなってしまっても、その人との時間がなかった事になる訳じゃないから、大丈夫って」

ヤエノさんは、もう一度道路の方を向いた。

その、儚げに見えて、その奥にある芯の強さを感じさせる横顔の雰囲気は、誰かに似ているような気がした。

「わたしが東京の大学に行きたいって話をしたとき、一番応援してくれたのがその人でした。

せっかく家族になれるのに、すぐ離れてしまうことが申し訳ないような気がしてたんですけど、すごく応援してくれて。

それで、その人がこの熊のぬいぐるみをくれたんです」



ヤエノさんを乗せたバスは、ぼくを残して走り出した。

窓の向こうで、彼女が軽く会釈する。

本当に数時間くらいしか一緒にいなかった彼女だけれど、彼女と話をする事が出来て、良かったと思う。

彼女にとっても、意義のある時間になってくれたのなら良いと思う。


今日は雲がないから、きっと星が綺麗に見えるに違いない。

遠く遠くはなれていても、例え何百光年はなれていても、見えている星は必ずそこに存在する。

今、地上に届く光が、数百年前の光なのだとしても、それこそその星が輝いていたなによりの証だ。

その光を信じられるからこそ、ぼくはぼくのまま道に迷わずに進んで行ける。

ヤエノさんが最終的にどんな人生を歩むのかぼくには分からないけれど、彼女の願いが叶えばよいなと、願わずにはいられなかった。


完全にバスが見えなくなるのを確かめてから、ぼくは一度研究室に戻る事にした。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

こんな感じで、もう少し「ぼくと○○」シリーズは続きますので、よろしければ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

今のところ次回のタイトルは「ぼくとからす」になる予定です。


投稿ペースは遅いかもしれませんが。

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