プロローグ
某国立博物館地下階・重要指定資料室
某日 20:36---
その連絡が来たのはひとしきり仕事を終わらせてから1時間程度後だったと記憶している。
馴染みの学芸員からのそれはわくわくしなかったと言えば嘘になるが、正直言って今日は帰らせて欲しかった。
それでも私は快くその誘いを受け、彼女に連れられるままに博物館独特の重厚さと静寂に満ちた空気を舐めながら階段を降りていた。
...こちらです、この。えぇー...はい。
これが?
えぇ。我々の祖先、それと無数の、あまりにも多過ぎる時代錯誤遺物の謎を明かす、その鍵...
結論から先に聞かせてくれ。
我々『エヴァ人』の祖先の正体です。北歴1405年、突如この大陸に現れた彼らは、えぇと...彼らの言葉で言うところのですね、その『異世界転移』という技術を使ってこの世界に現れたのだ、と。
私は流石に耳を疑った。
これまで面白い史料が入る度に電話で呼びつけ、毎度興味深い解説をしてくれた彼女の口から『異世界転生』などという子供の妄想の様な言葉が出て来るとは。
『異世界転移』?何度反芻しても彼女とその言葉は何かが決定的に釣り合わない。
「異世界転移...異世界、というのは今我々がいるこの世界の事か?」
そうです、と彼女は頷き話を続けた。
「事の始まりは西暦2010年代初頭...」
「失礼、何?」
「あ、すみません。〝向こう〟の暦です。こちらでいう北歴1400年代前半を指します」
続けてくれと彼女を促すと、安心したように再び流暢に話し出した。
「当時、その〝向こうの世界〟では若者が相次いで命を落としていました。それもよくある自殺などではなく。トラック...あぁ、向こうの車です...に轢かれたりする、不慮の事故。それが殆どでした」
〝向こうの世界〟そこではこの〝私たちの世界〟を『異世界』と呼んでいるのか。
なんだ〝異〟世界って。じゃあ私は『異世界人』か。
こっちからしたらお前らだって『異世界人』だ。私は腹が立ってきた。
「先程相次いで、という表現をしましたが...一般にその言葉から受ける印象以上の数だと思います」
「まさか100%だとか言わないでくれよ」
「さすがに...しかし、41.33%の死亡者が若者かつ、不慮の事故でした。特に16~18の男性です」
「あまりに異常なその数値に対し、有識者たちは各々の立場から好き勝手な意見を述べ、研究者達はあらゆる調査と実験を行いました」
「それで?結論は」
「死んだ彼らは〝自ら望んで〟この世界での死を選んだのだと...」
「〝この世界での〟死?...さっき自殺ではない、と言っていたはずだが?」
「意識的に望んだわけではありません。
彼らは自覚すら及ばない魂の奥底で死を望んでいたのです。
現実世界に絶望感を抱いて。
その無意識が彼らを自ら死に繋がるような行動へ押しやったのだ...と」
「待ってくれ、どういうことだ...?彼ら、その若者たちは無意識に自分を命に関わる危険な行動に向かわせていた、そういう事か?」
「えぇ、ほんのごく些細なことですが。例えば〝無意識に〟靴紐の結びを緩め、それが原因で階段から落ちて頭を強く打って死亡したり...という話です。そしてそれは彼らの心の奥底の〝死への渇望〟が無意識に紐を緩ませたものなのです」
「それがどう〝異世界転移〟に繋がるんだ」
「〝多元宇宙〟の多世界解釈という考えはご存知ですね?」
「簡単に言ってしまえば、この宇宙全体には我々とは全く違う世界、つまり平行宇宙が存在する...それも可能性の数だけ。そういう話だったはずだ」
「その通りです。学会はその結論に達しました」
「若者は自ら死を望み、そしてそれをきっかけにして、自らが望んだ事で、平行宇宙へ転生したと?」
「いえ...正確には、平行宇宙への扉を〝彼ら自身の無意識下の望み〟が開いたのです。『この世界には絶望しかない、他の世界で生きたい』という望みが。
彼らは死そのものを望んだわけではありません。
〝別の世界での生〟を望んだだけなのです」
「そんな奇跡に奇跡を重ねたような確率が...いや、しかし...本当なのか、それは?」
「ある、と。学会の結論です。とりあえずそれ、読んでください」
彼女に促されるままに手を伸ばし、手に取る前にふと疑問が浮かんだ。
しかし、彼らは何故現実世界に絶望してしまったんだろうね。
私がそう口にすると彼女は笑った。
「そんな疑問が出てくるなら、先生にはきっと一生わかりませんよ」
そんなことはないだろうと少々苛立ったが、彼女のあまりにあっけらかんとした言い方に毒気を抜かれた。
「それはとっても大きな、もしかしたら大きすぎるものだったかもしれないし、案外しょうもないものだったかもしれませんね。
でも、それが彼等にとってそれまでの人生を否定するくらいには深刻で、そこからの人生を拒絶するくらいには重要で、生命を捨ててしまうくらいには、疲れてしまうものだったんですよ」
舞台女優になりきったような語り口調で朗々と長ゼリフを言いあげた彼女は、喉が疲れたのかデスクの珈琲を一気に飲み干した。
「色々質問があるでしょう、先生?続きはこれを読んでいただければお分かりになるからと」
そう言って彼女が指差した書類の束は、一見して100枚を優に超えると察せられた。
「原本では無いですよ、書面にしてコピーしたんです」
うんざりするような見た目のインパクトを誇る資料に、多少予想はしていたものの少々萎えた。これは取り掛かる前に少しリラックスした方が良いな。そう思って気づいた。
「さっき君が飲んだ珈琲、私のだが」
彼女はにっこり笑った。
全ての創作は模倣だ、なんて言いますね。
私は全ての創作は練習だ、と思います。
次、さらに良い作品を書くための練習...この小説だってそうです。