クリエーターとの……①
放課後、僕は美術室に来ていた。
美術部の部長『桜台隆弘』(さくらだい たかひろ)先輩に呼ばれたからだ。三年の桜台先輩とは同じ中学出身で、中学時代にバスケット部で大変お世話になった先輩だ。
と言うか、人見知りで内向的な性格の僕が曲がりなりにも三年間運動部のバスケ部でやって来れたのは、一年生の時に出会った先輩のおかげと言って過言ではない。
入部してすぐに、何をやっても失敗ばかりの僕を上級生はもとより同級生も見下し、相手にしてくれなくなった時のことだ。
(やっぱり、運動部なんて僕には無理だったんだ)
そう思って、退部しようとしていた僕を引き止めてくれたのが桜台先輩だった。
『和地お前、部活辞めるのか?』
『…………』
『別に止めやしないけどさ』
『…………』
『ただ、他の部へ逃げてもおんなじだと思うな、俺』
なんて嫌味なことを言う人だと、その時の僕は思った。
『人間ってのは個人差があるのさ。最初から上手く出来る奴もいれば、ずっとやっても上手く出来ない奴もいる』
でも気にするな、と桜台先輩は言った。
『中学3年間の部活動の意義は勝ち負けなんかじゃない、続けることに意義があると俺は思ってる』
桜台先輩は3年間ずっと補欠で、一度もコートに立ったことはなかった。でも、マネージャー的な仕事を黙々とこなし、顧問の先生や3年の先輩から一目置かれていた。
新入部員の中には陰で馬鹿にする奴もいたけど、僕は先輩が嫌いではなかった。
『ま、最終的に折り合いをつけるのは自分自身だけどな』
結局、僕は先輩の説得を受け入れ、退部するのを止めた。本当のところは退部して後ろ指差されるのが怖かったのもある。
けど、そんな僕を先輩は見捨てず、先輩が部を卒業するまでずっと面倒を見てくれた。
付きっ切りで練習を手伝ってくれたり、他の部員との関係を取り持ってくれたりもした。
おかげで、部活内で何とか自分の居場所を見つけることが出来、徐々自分自身も変っていくことができた。
口に出しては言わないけど、今の自分があるのは先輩のおかげだと密かに思っている。
その先輩から『和地に頼みがあるから、放課後に部室に来て欲しい』と言われれば、最優先で美術室に向かうのは当然のことだ。
「悪いな、忙しいのに」
笑って出迎えてくれた先輩は一人ではなかった。
見知らぬ大人しそうな眼鏡をかけた生徒を連れ立っている。
美術部員だろうか?
「ああ、こっちは2年の新津だ」
「そうですか、1年の和地です。よろしくお願いします。僕、桜台先輩の中学の後輩なんです」
自己紹介すると相手は、「2年の『新津 真』(しんづ まこと)です」とだけ言うと黙り込んだ。
悪い人ではなさそうだけど、少しとっつきにくい印象を受ける。
「それで、僕に頼みって何ですか?」
「ああ、頼みごとがあるのは俺じゃないんだ」
桜台先輩は視線を新津先輩に向ける。
「こいつ、自主制作アニメを作りたいんだそうだ」
僕は眼を丸くして新津先輩を見つめた。
「桜台さん、間違ってます。作りたいのではなく、すでに作成中です。何度も説明したじゃないですか」
「そうだったか? そりゃ悪かった」
新津先輩の桜台先輩への物言いに少しむっとして僕は尋ねた。
「あの、新津先輩も美術部なんですよね?」
それにしては部の先輩に対する態度に思えなかった。
「いや、こいつは弓道部なんだ。直接のつながりはない」
「え?」
弓道部員が自主制作アニメ?
別に悪くないけど、違和感を覚える。
僕の訝しげな表情を察して新津先輩が理由を教えてくれた。
「僕はそんなに絵が上手くないから。それに作りたいのはアニメーションで。シナリオや音楽……絵だけが重要なファクターじゃない」
絵だけに囚われず総合的な立場でアニメを作りたいってことなのだろうか。
確かに、今のアニメ監督にはアニメーター出身でない監督も多く存在する。元々は制作進行だったり演出家だったり、絵が得意な人ばかりじゃない。
でも……。
「でも、そうであっても自主制作なら絵が上手な方がいいんじゃないですか?」
僕の問いに新津先輩は頷く。
「だから、桜台さんに相談に乗ってもらっている」
「いやいや、新津君は自分で言うほど下手じゃないよ。むしろ、かなり上手いレベルさ。背景を見せてもらったけど、ぜひ美術部に入って欲しいくらいだ」
桜台先輩が手放しで褒めるなんて珍しい。それほど新津先輩は凄いのだろう。
少しだけ嫉妬する。
「で、その新津先輩が僕なんかに何の用でしょうか?」
自分でも子どもっぽくて厭になる。
けど、一度口に出た言葉は戻らない。




