♯46 油断
誤字脱字のご報告、評価、感想等つけてくれると嬉しいです>>
反応があると筆者は単純なので、テンションが上がり頑張って書けるで、よろしくお願いします>> ぜひぜひお願い致します>>
『――奏吾様、早く、早く出してください!!』
頭の中に響くその声を聞き、土煙の舞う中で膝立ちになりながら荒い息を整えつつ、奏吾は影空間の入口を開いた。すると影の中から必死の形相のアーニャが飛び出して奏吾へと駆け寄った。
「奏吾様、お怪我は――!」
「大丈夫。サイドBが守ってくれた――」
そう言いつつ奏吾は抜き身のサイドBを杖代わりに粉塵の中で立ち上がる。
「今のは、マジでヤバかった――」
「流石はアダマンタイト製――あの攻撃を受けても刃毀れ一つ無しか。ワーカーさんとルルスさんに感謝だな」
奏吾は手に持つ相棒をしげしげと眺める。その横でアーニャは今にも泣きそうな顔で頭を下げていた。
「申し訳ありません! 奴隷の身でありながら奏吾様をお守りできず――あまつさえお手を煩わせた上、逆に助けて頂くなど――」
「はぁ……。そういう反省は、無し無し! 俺がそういうのは嫌いなのは解ってるでしょ? それよりも、アーニャこそ大丈夫だった? けっこう強めに突き飛ばされてたけど……」
「は、はい――。不意打ちで驚きましたが、かなり手加減していたようでしたし。何より奏吾様が助けて下さいましたから――ありがとうございます」
「そうそう――言われるなら謝罪よりも感謝の方が気分がイイ――ってまずいな。思ったよりも土煙が晴れるのが早い――」
奏吾はそう言いながら、粉塵が薄れていくその中で厳しい視線を上げる。
土煙が晴れていけば、そこはいつもの冒険者の街ハルシャ地下街の夜空が見下ろしている。空の無い筈のこの大迷宮内の天井には、地上の空のように東から太陽のような強烈な光源が昇り西へと沈む。そして夜になれば薄ぼんやりと歪む月光が、地上のそれよりも明るく街を照らし、地上よりも明るい夜が街にやってくる。
そんないつもと変わらぬ夜でありながら、冒険者寮バガボンドだけが一瞬にして様変わりしていた。
半壊――というに生易しいほどに崩壊したバガボンドの建物に、瓦礫が散らばる裏庭。そこにいつものあの月光が土埃が落ち始めた裏庭の奏吾とアーニャの影を映し出し始める。
「逃がしてくれるとは思ってないけど――いったいなんで――」
「わかりません。何故最強の冒険者、アーロン・ガラッドが奏吾様を――」
「やっぱりアーニャもそう思う――?」
「ハイ。もし狙いが私だったら、私はもう死んでます」
アーニャの断言に奏吾はほんの数瞬前の出来事を思い返していた。
突然来訪した最強の冒険者、アーロン・ガラッド。そして何故か彼はとてつもない殺気を迸らせたその時、奏吾は自分の油断に後悔した。
彼が言っていたように、最強の冒険者であるアーロンから見れば奏吾は新人制度が明けたばかりの駆け出しでしかなく、歯牙にもかけない“弱者”の筈である。
故に突然奏吾の部屋へやってくる以上に、奏吾を襲う理由も意味も無い――そう思っていた。
予想も推測もしていなかった。だからこそ“油断”していた。
不意打ちまがいにいきなり襲い掛かって――いや殺しにかかってくるなど、予想斜め上の出来事だ。
だが実際にアーロンは殺意を剥きだしに、奏吾を襲ってきた。明らかな敵意を持って。
完全な油断――。それは致命的な取り返しのつかないものの筈だった。
自分達に向けられた殺気と敵意に奏吾は自分が出遅れた事を理解し、反射的にまず影空間を発動展開させた。
なぜならあの時、奏吾とアーロンの間にはアーニャが立ちはだかっていたからだ。
自分達に向けられた敵意――。奏吾はそれにまず“アーニャの安全の確保”という反応を示したのだ。何か理由があった訳でも無い。いや、正確には理由はあったのだろうが、あくまで無意識で動いたと言った方が正しい。
本来なら後にアーニャ言っていたように主が奴隷を身を挺して守ろうとするなど、主従関係として完全に矛盾した行為であり、その点では奏吾よりもルチーニの方が“奴隷の扱い方”としては正しいと言わざるい終えない。
しかし奏吾はこのトリニタという世界の人間では無い。別の世界の“常識”の中で十七年間生きてきたのだ。
自分の安全よりも先に、女の子を守る――。それが奏吾の中の常識だった。
だが、展開と同時に奏吾は内心で『クソッ――』と毒づいた。反射的に動いた自分の身体に、奏吾の思考が追いつく。
油断した――出遅れた――。それが奏吾がその時垣間見た“絶望”の入口だった。
奏吾が影空間を出したのは、その中へとアーニャを非難させる為である。しかしどう考えてもその影がアーニャの全身を飲みこむよりも先に、アーロンの凶刃の方が先に彼女に到達するだろう。それに運よく彼女が軽傷でも影空間へと避難できたとしても、いやどちらにしても自分自身がアーロンの攻撃を回避する余裕は無い。
奏吾が死ねば、契約魔術によりアーニャも命を落とす――待っている結果は二人の死だ。
それでも展開した影空間の入口をアーニャの足元へと移動したのはあるか解らない“希望”にすがったからなのか、ほんの刹那の間でも長くアーニャに生きていてほしかったからなのか――。
ザワッ――と、奏吾の魂が騒めいた。前にもこんな――。
しかしその細波は驚愕で塗り替えられる。目の前のアーニャをアーロンは横へと突き飛ばしたのだ。
アーロンならばあれだけ油断していたアーニャを殺す事など造作もない筈だ。その証拠に彼の左手には既にあのバスターソードのような大剣が握られ、鳥肌が立つほどの殺気を奏吾へと向けている。
奏吾はそのアーロンの顔を見て、此処から導き出される答えを一瞬で導き出す。
アーニャを殺す気が無い――つまり狙いは“俺”か――!!
何故奏吾がそうしたのか解らない。だが、アーロンの狙いが自分だけと気付いた瞬間に、奏吾はホッと安心して笑みが零れた。
その顔にアーロンが一瞬たじろぐ。おそらく意味が解らなかったのだろう。今から自分を殺そうとしている相手に向けた笑顔――その笑顔の理由が解らなければ、これほど意味不明で空恐ろしいものは無い。
そしてその一瞬の隙を奏吾は見逃すはずも無い。奏吾は影空間の入口をアーニャいた足元から、アーニャが突き飛ばされた先の壁へと移動。壁に出来た楕円状の影にアーニャは慣性の法則のまま飲まれていく。
その異様な光景と魔術に、再びアーロンの隙が生まれる。
弱者と侮っていたからこそ生まれた――油断。
奏吾は油断から生まれた“絶望”の入口が、油断によって閉じられていくのを感じた。と、同時に手に持っていたサイドBを振り上げる。鞘から抜く間も無い為、鞘のままサイドBの剣閃はアーロンへと奔る。守りから一転――攻勢へと出た奏吾の殺気に、今度はアーロンが反応し、最初に見せたものとは段違いの殺気が奏吾を貫いた。奏吾はすかさずさいどB で攻撃から受けへと回る。奏吾のサイドBとアーロンの大剣がぶつかると、鈍い音と同時にそこから凄まじい衝撃波が発生した。奏吾は押し負け鞘が脆くも砕け、後方へとその衝撃波で吹っ飛ばされる。
奏吾の身体は後方の壁を突き抜け、瓦礫と共に冒険者寮の裏庭へと落とされたのだった。
これが一瞬――とまではいかなくとも十数秒の間に奏吾に起こったのだ。
そして今、奏吾は五体満足で冒険者寮の裏庭に立っている。横にはアーニャも一緒だ。
それは良い。ホントに良かったと奏吾は思った。あの絶望しかないイメージが今でも頭からこびりついて離れず、アーニャに黒歴史を話していたのがかなり昔のように思える――あまりに濃密な時間。実際には一分も経っていないであろうこの時間だけでも、充分に奏吾の精神は消耗していた。
あのディノとの決闘以上の疲労感――。しかしこれで終わる訳無いと奏吾は確信していた。
見あげた視線の先で二つの影が動くのを奏吾は視線の端に捉えた。その二つの影は、崩壊した建物の中で爆心地のように特に被害が酷い場所だ。
つい先程まで自分が寝泊りしていた部屋――そこにいる二つの影は、造作も無いように飛び降りると奏吾達の方へと向かってくる。
一つは大剣を、もう一つは槍を持って――。
「逃がしては――くれないよな。狙いは俺みたいだし」
アーニャを突き飛ばし、俺の魔術に驚きを見せたアーロンの姿に、少しでも何かの冗談か――それとも新手の新人いびりかと邪推したが、それが大きな間違いだったと奏吾は確信している。
最強の冒険者アーロン・ガラッドは、俺を間違いなく殺そうとしている。
それは建物を余波だけで崩壊させるほどの先程の攻撃と、その時にみせた殺気が物語っている。
さきほど自分とアーニャが生き延びれたのは、ただ運が良かっただけ。相手に自分以上の油断があった――。ただそれだけ。
「奏吾様、私が時間を稼ぎます! だから早く――」
「冗談言わないのアーニャ。それに逃げられる筈ない――だろう?」
奏吾はそう距離が近づき、顔が視認できるほどまでになった大剣を持つ影に投げかけた。
「思いのほか余裕だな小僧――」
アーロン・ガラッドは威風堂々とそう返す。
「余裕なもんか、今もちょっと気を抜けば足がガクガク震えそうなんだから。鳥肌も立ちっぱなしだし――」
「そうか――ところで先程のあの魔術――はなんだ?」
「答えたら見逃してくれるってなら言うけど――」
「冗談は嫌いなのだかな――」
「ならせめてその理由を教えて頂けませんかね――先輩? なんで、”俺“を殺そうとする」
奏吾はそうそれまでと同じように軽口を叩くように言ったが、目つきは鋭かった。
「アンタの狙いが“俺”なのはよく解った――。だけど最強の冒険者に命を狙われる理由も、恨まれる筋合いも無い筈なんだけどな――」
奏吾の事は殺すつもりでありながら、アーニャには出来るだけ手を出さないようにしていたのは奏吾にも解っている。そしてその行動から、奏吾としては考えたくない最悪の予測もまた容易になり立ってしまうのだ。
何故なら、アーニャを出来るだけ無傷で欲しており、奏吾を殺したいほど憎んでいる相手ならば奏吾にも心当たりがあったからだ。
「赤い――蜥蜴人族」
アーロンは静かにそう呟いた。
奏吾は自分の最悪の予感が的中してしまった事に愕然とする。
赤い蜥蜴人族の奴隷――ディノ。その主こそあのルチーニ・キノック。
つまり逃げ出す前にあの最低の『奴隷潰し』はよりにもよって『最強の冒険者』に奏吾暗殺を依頼したということだ。
「最強の冒険者がそこまで墜ちましたか!」
アーニャがそう怒声を上げて再びアーロンの目の前に立ちはだかった。手にはいつの間に持ちだしたのか彼女の黄金の杖――グロース・タクトが握られており、その矛先がアーロンへと向けられる。
「主を救う為に立ちはだかる――流石は奴隷か。しかしお前には用は無い。邪魔をするというなら――」
「オレガアイテヲスル」
そう言って前へ出てきたのは二メートルを有に超える巨体。蒼黒い肌に額からは二本の角が生え、右頬には魔紋が怪しく光る――アーロンに付き従う魔族、キーリが、アーニャに槍の矛先を向ける。アーニャは一歩後ずさり、杖を握る手を強く握り直す。
「キーリ、殺すなよ。俺達の目標はあの小僧だけだ――」
「ワカッタ」
アーニャは生唾を飲みこんだ。目の前の魔族は、その佇まいだけで充分に手練れだと解る程隙が無かった。位階制度大Ⅱ位の自分をもってしても、一対一で勝てるかどうか判断がつかない。
そしてこれは、アーニャにとって最悪の誤算だった。
『アーロン一人でも厄介なのに――』
アーニャは舌打ちしながら、同時に身構える。
このままでは奏吾に加勢ができない。そして冒険者としての勘が、自分の誇る自慢の主、奏吾であろうと、一対一ではアーロンに勝てないと知らせている。
せめて自分と二対一であったならば――。
「アーニャ。そいつは任せていいか?」
不安の中で大好きな主の声が耳に届く。
「奏吾様、でも――」
「いいから集中しろ――相手は足止めとはいえ、本気でないと無理な相手だ」
そこでアーニャは奏吾の顔から、完全に余裕が無くなっている事に気付く。
「それにアーニャが人質にされたら、流石に分が悪すぎる。勝てとは言わない――から、命令だ負けるな!」
奏吾からの命令――。奴隷の主でありながら、奏吾が命令を下す事は珍しい。それこそアーニャの“お願い”よりも。どうも人に命令をするのが苦手なお人好しの主。その主からの久しぶりの命令に、アーニャは息を飲む。そして、思考のスイッチを変えた。
余裕は無い――しかし、あの主は何かを思いついたようだ。流石は吾が主。ならば、自分は足手まといにならないように――命令を遵守するだけ。
「畏まりました――!」
アーニャの目つきが鋭く――冒険者のそれとなる。大Ⅱ位の冒険者アーニャ・ネイキッドの顔に。
「ネイキッドを人質に? 俺を愚弄するとは余裕だな坊主――」
アーロンは不機嫌そうにそう呟いた。
「アイツの差し金で動いてんだ。それぐらい考えたっておかしくは無ぇだろ。こんな事なら、本気であの時殺しておけばよかったと思うよ――」
「あまり調子にのるなよ餓鬼が――!」
そのアーロンの言葉には明らかに怒気を含まれていた。最強の冒険者が、新人に感情的になっている。
「ネイキッドがいないこの状況で――、お前ひとりで何ができる?」
アーロンはそう言うと、大剣をかまえた。
先程奏吾に向けたものと同じ、圧倒的なプレッシャー。
「最強の冒険者相手に、一対一なんてそんな無茶は俺だってしないさ――」
奏吾はそう言うと氣を――いや、魔力を練り上げ始める。その異様な気配に警戒するかのような目を向けた。
「先程の面妖な魔術か――」
「アンタの要望に応えようと思ってな――なぁ、影炎!」
ニァア――。
その声の方へとアーロンが視線を送る。すると其処には赤い二つの光が爛々と輝いていた。
その光は素早い動きで奏吾の足元までやってくると、アーロンに向かって威嚇をし始めた。
成獣とは思えない小柄な体躯。真っ黒な体毛に特徴的な真っ赤な瞳と二股に別れた尾――。
「猫――?」
拍子抜けしたようなアーロンの声。だが、その顔は次の瞬間には緊張へと変わる。
奏吾の足元に魔方陣が浮かび上がったのをその目に捉えたからだ。
「なっ――!」
アーロンの驚きの声は、同時に奏吾の詠唱によってかき消される。
『我を守護するモノよ、吾を司るモノよ、その真なる姿を現わせ。我は闇に非ず、吾は光に非ず――闇の中に光あり、光の中には――“影”がある』
奏吾の詠唱に合わせ魔方陣は光を段々と強く、影炎からは黒い焔が燃え上がり始める。それはいつも奏吾が使う方術とは違う呪文。“氣”を使う方術では無く、“魔力”を使うこの世界の魔術の詠唱――。
黒い焔が大きく燃え上がる。火柱のように、脇に立つ奏吾よりも大きく、大きく――。
『吾は請う、影を司りし守護霊よ吾が前に来たれ――』
魔方陣の光が一瞬、眩いばかりの閃光を放った。
―― 轟 ――
魔方陣が消え光が収まった其処に、もう可愛らしい猫の姿は何処にも無かった。
いるのは奏吾と、黒い焔の体毛を揺らめかせ、二股の長い尾に炎のように真赤な瞳の持った、巨大な虎の姿だ。
「さぁ、行くぞ影炎――」
主の命に、影炎は再び、轟――と咆哮を上げた。