♯44 黒歴史 ~Prologue~
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「この曲はね――“Dies irae”と言う曲よ――」
彼女と初めて会った時、彼女はそう俺に告げた。
場所は今でも覚えている。懐かしき学童保育だ。
俺は小学校四年生の夏休みを迎える少し前、師父との修行を終えて田舎の分校から転校してきた。
所謂お上りさんというやつよりも、俺が都会へ戻って来た時の衝撃は計り知れないものだった。分校にこそ通っていたものの、授業を受ける以外のほとんどを師父と共に山で過ごしていた俺にとって、何もかもが新鮮で、そして温かい強烈な“光”だった。
帰ってきた当初はその眩しさに目が眩んだ。本当に自分は四年前までこんな世界にいたのか――そう疑いたくて仕方が無かった。
正直、もうそんな幼い頃の記憶なんてもうほとんど無い。
あったのは幽かな母の面影と、今よりも皺が少ない祖母の顔だけだ。
祖母と暮らし始めて、俺の生活が――いや俺の全てが一変した。
修行を強要される事もないし、夕食の食材を獲りにも、水を汲みにいかなくてもよくなった。
冬は寒く、夏は暑い、雨が降れば雨漏りするあの襤褸小屋よりも何万倍も住みやすいアパートで柔らかな布団で寝起きできる。食事も給食以外で温かく味の濃いものが食べられる。日が昇ってすぐに起きなくてもいいし、小学校で同級生と交友を深めても咎められない。
何より祖母がいる。優しく、温かい祖母が一緒にいる。
血の繋がった“家族”がいる――。
俺の世界は一変した。
そして此処が本来俺がいるべき場所らしかった。
しかしそんな場所にすぐに慣れる事が出来る筈も無い。
何もかもが眩しすぎて、ずっと目を開けてられなくて、現実を、この光眩い世界を直視出来なかったからだ。
祖母と暮らし始めて、暖かさを知った。しかしこれが“幸せ”なのだという事を俺はすぐに理解できずにいた。
最初のうち、祖母と離れて小学校へ行くのさえ寂しさが募った。祖母と離れるたびに『また捨てられるのでは』という考えが過って消える事は無かった。
祖母は弁当屋で働きながら、俺をただ独りで養ってくれている。だから帰りも遅く、俺は小学校が終わると祖母が迎えに来るまで学童保育に預けられていた。
小学校の近くにあった教会にある小さな施設だ。
俺は転校して暫くは、小学校の同級生とも、その学童保育に通う者達とも馴染めず、独りで師父から教わった修行を反復していた。
“氣”については隠すように師父からも祖母からも言いつけられていたから、目立たぬように座禅を組んで瞑想による氣のコントロール法ばかり訓練していた。
そして空が暗くなると祖母が迎えに来る。
その時やっと自分が捨てられないのだと何度も気づかされる。
そして家に帰り、一緒に温かい夕食を食べて夜は祖母の胸で泣きながら眠る。
夏休みが始まるまで、そんな風に俺は過ごしていた。
夏休みに入り、俺は学童保育にもいかずにずっと家にいた。家にいる限り捨てられることは無いと思ったからだ。そして家を出ると、また祖母と別れて師父のいる山に行かないといけないと思っていたからだ。だから俺は家でおとなしく修行を繰り返しながら祖母の帰りを待っていた。
他に興味が無かったというよりは、他に何をすればいいのか俺は“知らなかった”のだ。
そんな状況が変わったのが、夏休みに入って二週間程経った頃だ。
その日は祖母が休みの筈だった。
しかし同僚が夏バテで倒れたという事で、代わりに祖母が行くこととなった。
それも翌日に大量の受注があるらしく、その仕込みの為夜が遅くなるらしい。
祖母は何故か俺を学童保育へと連れていった。夏休みだからやっていないと思っていなかったのだが、教会が行っている施設の為、シスターさんなりがいて夏休みでも大丈夫らしかった。と言っても、常に学童保育にいられる筈もなく、どうやら高学年のお兄さんやお姉さんが当番制で結局面倒を見ているのだそうだ。だが、俺はそんな高学年のお兄さんお姉さんどころか、同級生にも心を開いていなかった。転入生としてチヤホヤこそされたものの、同級生たちとはあまりにも今までの生き方が違いすぎる。相手から見れば転入生の俺は動物園のパンダのような存在だったろうが、俺からみれば彼等の方がまったく別の生き物に見えた。
学校にも学童保育にも俺は居場所を見つけられていなかった。俺の居場所はたった一つ、祖母の側だけ――。
そんな俺はその日、また『捨てられる』のではないかという不安を必死に抑えながら、ギャーギャーと騒ぎながら子供達が遊んでいるのに、部屋の隅で瞑想していた。いや、本当は迷走していたのかもしれない。
衝撃的な合唱が学童保育の部屋中に大音量で響き渡ったのはそんな時だ。
その合唱はまるで魔王でも出迎えるかのように何度も同じ言葉を繰り返し、確実に不安と恐怖とを煽る。まるで人に脅かす為だけに計算されたかのようなそのメロディーに、俺だけでなく他の子供達も一瞬、静寂をよぎなくされた。
「なんだろう――」
音楽などほとんど聞いた事が無い俺が曲目など解るはずも無い。
いや、この時の俺はクラシックとアニソンの違いすら判らなかっただろう。
だがその曲の旋律は、まさに戦慄するほど脳裏にこびりつく。
「うわぁあゃぁあああああ!!」
驚いたのか、それとも怖くなったのか、低学年の子供が突然泣き始めた。それを聞きつけ高学年のお姉さんがオーディオのところまで行ってボリュームを下げた。
「ちょっと、聞くのは勝手だけど。他の子達もいるんだから音量には注意してよね!」
その高学年のお姉さんは、オーディオ機器の前であぐらをかいて鎮座していた少年に向かってそう叱責する。
そういえば、この学童保育に来るようになって二ヶ月近くなるがその少年の顔に見覚えは無かった。新顔だろうか? 黒い短髪に切れ長の目に鼻は高く、日本人離れしたその顔立ちはよくも悪くも目立ち、一度でも見ていれば覚えていない筈は無い。
それと同時に俺はその少年に妙な違和感を覚える。
なんであの子は部屋の中にいるのだろう――と。
今日は天気に恵まれており、外で遊んでいる子供がほとんどだ。特に男子は……。実際、俺の同級生は外の近くの公園で今頃サッカーに興じている筈だ。
部屋で籠っているのは自前のゲームを持ち込んだ者と女子の一部……そして俺みたいなはみ出し者だけだ。
そしてその少年はどちらかといえば“外で遊ぶ”のを好むタイプに思えた。半そで短パンからの伸びる剥きだしの肌は夏の日差しの所為か健康的に少々日焼けしている。右手首にはサッカーの少年倶楽部に入ってるという例の同級生も着けていた紐で編んだブレスレットをしている。
年齢も俺と同じくらい――なら、あの同級生について行ってサッカーをしている方が似つかわしく思えるのに、何故かこの少年は部屋にいるのだろう。
俺がそんな疑問を抱いているのを余所に、お姉さんは少年が叱責にも無反応で、イライラしているようだった。
「それにこの学童保育はみんなのものなの! 音楽流すんならもっと相応しい――そう小さい子も聞けるような楽しいのにしなさいよ。こんな怖いだけの歌――」
「この曲はね――“Dies irae”と言う曲よ――」
鈴のような音がなったかと思うと、少年はスクッと立ち上がった。
少年――いや、ここまで来たら誤魔化すのは止そう。その少年に見える少女は、お姉さんに向かって微笑みかける。
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲のレクイエム……そのセクエンツィアの一つ……」
少女はそう不敵に笑う。
「れ、れくいえ、せくえん……? なによそれ!」
「モーツァルトよ、モーツァルト。それぐらいは解るでしょう? 私、まだここの小学校に行ったことないから解らないけど、音楽室に絵くらい飾ってないの?」
「し、知ってるわよ――だからそれが――」
「そのモーツァルトが、死者を弔うための曲、鎮魂歌として作曲した曲の一つが、今の曲なの。結局、未完で弟子が完成させたんだけど……それは別にいいの。問題はこの曲がミサ曲だって事――」
「ミサ曲――?」
「教会で使われる曲の事。この学童保育は一応教会の施設の一つなんでしょう? あんたの言う、楽しい曲――きっと今流行りのポップスとかアニソンとかなんだろうけど、それとミサ曲でもある『怒りの日』と……どっちが相応しいと思う?」
「――!?」
「それに五月蠅い餓鬼の騒音よりは、少なくともマシだと思うけど――先輩?」
少女はそう言うとお姉さんをまさしく“鼻で笑った”。同時にお姉さんが沸騰したように顔を真っ赤にし、パンッ――と乾いた音がしたかと思うと、お姉さんは涙目で少女の頬を叩いていた。
「バカじゃないの? なにかっこつけて――ヒッ」
お姉さんがまくしたてようとして、途中で言葉を止める。少女が凄い目でお姉さんを睨み付けていた。冷たく、冷たく――ドライアイスのように冷えた視線。
人を、他人を――自分に害成す“敵”と認定した時の獣の眼光。
すると少女はトコトコとその場を離れると、文房具置き場から“ハサミ”を手に取った。
「なに、するの――!?」
そう言ったのはお姉さんでは無く、彼女だ。
「なんのつもり――アンタ――」
そう少女の獣の眼は、お姉さんでなく俺へと向いた。
俺は彼女がハサミを手にした瞬間に彼女とお姉さんの間に割って入って彼女に立ち塞がる。俺にはこれから彼女が何をしようとしているのか簡単に予想ができたし、そしてだからこそ、彼女を止めることにした。この学童保育で問題が起これば、祖母が困る――。たぶん動機はそれだけ――の筈だった。
「退いてくれない?」
「退いたらそのハサミで、なにする気?」
「やられたからやり返す。それだけ」
「やりすぎ――」
「一発は一発でしょう――?」
彼女はそう言ってお姉さんに笑いかける――。
「まさか自分からやっといて、やり返されないとか思ってないでしょう? そんな理不尽、あるわけないよねぇ、先輩?」
お姉さんの血の気が引いていくのが俺にもわかる。足はガクガクと震えていた。彼女はそれを見て嬉しそうに――。
「だからアンタも怪我したくなかったら退きなよ」
「それは嫌だ――」
「じゃぁ、アンタも――」
彼女がハサミを振り翳して――、とは言っても師父の元で四年物間俺だ。ど素人の小学生の攻撃なんか、まさに赤子の手を捻るように対処可能で、あっさりとハサミを持った右手を取ると彼女の背中へとひねり上げ動きを封じる。
「離しなさいよ――!」
彼女はそれでももがくのだが、大人ならいざしらず小学生なら女の子がそう簡単に抜け出せるはずもない。
「ちょっ、離しなさいよ! なに、アンタもアイツの味方なの? そうよね、同じ学童に通うオトモダチだもんね!」
「いや、俺は二か月前に来たばかりだし。自分がこの学童に馴染んでるとは思ってないよ。むしろ浮いてるから、アンタがあの人を刺そうが本当はどうでもいいんだ」
「なら、離しなさいよ――。なに? それとも正義の味方面でもするつもり?」
「正義の味方――? そんなつもりはないんだけど、でもこのままキミが負けるのを見てるのはなんとなく嫌だ」
「私が、負ける――?」
「口げんかの最中に、あの人は手を出した。その時点であの人は負けを認めたようなもんだ。もうアンタは勝ってる――」
正直、彼女とお姉さんのどちらが正しいのかなんて俺には解らなかった。実際会話の内容も――特に彼女が言っていたレクイエムだとかもさっぱりだ。
でも、確かに彼女は勝った。
相手が何も言い返せず――今で言えば論破したとでも言うのか。小学生の論理など穴だらけで、今考えれば彼女が正しいとはとても思えないのだけれど。でもお姉さんは彼女の言葉に反論が出来ず、そして衝動に任せて手を出した。
その時の俺は彼女がお姉さんに勝ったのだと、そんな気がしていた。
「でも、ソレであの人をケガさせたらキミが悪くなる。その時はキミの負けだ」
「なら、やられたままにしろっていうの――?」
彼女は俺を睨み付けた。まるで手負いの獣のような――いや、先程よりも若干熱を感じる。
よく見れば少々涙目になっている気もする。
「いや、キミは勝ったんだ。さっきみたいに自信満々で『鼻で嗤ってやればいいんじゃない?』」
俺がそう言うと彼女はキョトンとして、切れ長の目を真ん丸に見開いた。そして急に脱力し抗う事をやめ――ハサミを床に落とした。
「離して――もう何もしないから」
さっきまでの殺気が、ウソのように消えていた。
俺も大人しく手を離す。そして彼女から二、三歩離れると――ポトッと音がした。
音のした床を見ると、そこには彼女が右手首に付けていた紐のブレスレットが切れて落ちていた。
それを確認した瞬間。彼女の目に殺気が戻った。俺の心中も一気に乱気流へと突入する。
たぶんブレスレットが壊れたのは、俺が彼女の手首を捻り上げた時だろう。つまり不可抗力とはいえ俺が壊したのだ。
――しまった――
その時俺が咄嗟にとった行動は、謝罪を告げるのでも狼狽するのでもなく――身構える事だった。さっきまで凶器を持って人を傷つけようと殺気立ってた彼女だ。
その彼女の所持品を壊してしまった。なら、次にその殺気が向けられる相手は決まっている。
俺だ――。
ハサミはまだ彼女の足元に転がっている。
何が起きてもいいように。何が起こってもいいように。
山で獣と対峙した時のように、俺は臨戦態勢へと移る。
だが、何も起こらなかった。彼女はただただ落ちたそのブレスレットを見つめている。
一瞬だけ宿ったあの殺気も消え――いや、風化してしまったかのようで、憑き物が落ちたような顔をしている。
その、あまりに無防備な表情に俺は毒気を抜かれてしまって数秒、呆けてしまっていた。
なんというかその彼女の顔に、儚げで今にも砂塵となって消えてしまいそうなその美しい顔に見惚れてしまっていた。
結果、それが俺の油断だった。
気を抜いたその瞬間――、彼女は俺の手を掴むと、
「ちょっと来て――!」
と言って、腰を抜かしたお姉さんや泣きわめく子供達を置きざりにして、俺を部屋から連れ出した。