新世界より 第壱話
これにて第一楽章はすべて終わりになります。
次回から第二楽章になりますが、活動報告にも乗せた通り、来週の月曜と水曜はお休みさせてもらいます。
次回、第二楽章の始まりは八月一日を予定しています>>
今後ともRacclimosaをよろしくお願い致します>>
その感覚はまるで水の中にたゆたっているような、そんな感覚だった。
プールの中に沈んでいる。そう昔、父が珍しく連れていってくれたプールのあるテーマパーク。その流れるプールに入った時のような体感だった。
そこで僕はやっと閉じていた瞼が熱く思う程に光が当たっている事に気付き、恐る恐る目を開けた。
そこは不思議な空間だった。
目の前には真っ白な空間が広がっている。時折、波紋のようにその空間が波打ち、虹色の光彩を輝かせる。
とても現実離れした。そんな夢のような視界が、目の前に広がっている。
上も下も、右も左も無い。まるで無重力の空間を漂っている自分。
宇宙空間と違う。水中とも違う。嗚呼、僕は夢を見ているのだとそう思った。
『残念ながらその予想は違うな。今、君が直面しているのは紛れもない現実だ』
不意に声がすると目の前に一人の女性が現れた。いやもしかしたら男性かもしれない。
長い金髪に真っ白な肌から、日本人とは思えない。その顔立ちは端正で西洋画に描かれる天使の様だった。ただ切れ長の目に隠された瞳は黄金で、唇は肌の色に近い白濁色をしている。
衣服もまた真っ白な巻頭衣で、まさに天使……いや神のようにも思える。
『どうやら君は飲み込みが早いようだ。確かに私は人々の言う所、神――名をルーメンという。光を司る者だ』
まるで僕が思っている事が聞えているかのように、彼(もしくは彼女)は答えてくる。
『事実として、君の思考を私は読み取る事が出来ると考えてもらって概ね間違っていないよ。さて、残念ながら思っている以上に今の状況を維持するには時間が無い……そこで、早速だが、君は自分の現状を理解しているかい?』
自らを神と名乗るその彼……に聞かれ、僕は記憶を手繰る。
『君は死に直面していた。もし私が助けに入らねば、こんな光に包まれた場所どころか、死と云う名の闇へと、深く深く落ちていただろう』
そう言われて僕は思い出した。迫る炎、そして落ちてくる天井……そうか僕は事故に、火事に巻き込まれたのだ。
大学に入り、社会勉強と自立の為に始めた進学塾講師のアルバイト。生徒達にも慕われ、彼等にも学問をもっと楽しんでもらいたいと企画した、天体観測。
しかし何故か塾内から火事が起こった。
僕は講師として生徒達の避難誘導に勤め、受付の所で……そう気絶していたんだ。
『だいぶ記憶は戻ってきたみたいだね。そこで君は死ぬはずだった……』
そうだ目を覚ますと、受講生ではない少年が僕の側にいた。とても不思議な格好をしながら――。
歌舞伎の見栄を切るように、片手を天井にもう片手を炎に向けて翳していた。まるで落ちてくる天井と迫りくる炎を留めようとしているかのように……。
「よかった、大丈夫だな。歩けるか? 悪いけど今手一杯なんだ、自分で歩いて逃げてくれるとありがたい」
いったい何が手いっぱいなのだろう? もしかして自分が何か不思議な力で、天井と炎を塞き止めている――とそんな事を考えているのだろうか。まさか、もし本気でそんな風に考えていたとしたなら漫画やアニメーションの見すぎだろう。超能力のような非科学的非現実的な“力”なんて人間はもてやしないのだから。
ただ偶然にも天井の崩落は止まり、火の勢いも弱まっている。
そうか、思わず手を翳したら崩落が止まり火の勢いが弱まったのだ。だから少年は自分が何かの力で止めているのだと勘違いをしているのだ。
この手の錯覚はどうやら彼ほどの年齢にはよくあるらしいと、受講生達から聞いたことがある。思春期にありがちな『中二病』というやつだ。
最初はそれがどんな病気なのか皆目見当もつかなかったが、どうやら一種の精神疾患のようなものらしいと、今は理解している。
僕は漫画やアニメーションを見た事が無いから解らないが、そのようなサブカルチャーを好む思春期の少年には、比較的多い病らしい。
「この道を通って行けば、階段まで行ける。急げ!」
少年が叫んだ。見ると都合よく階下へ降りる階段までの炎が消えていた。
これでこの地獄絵図から生還することができる。
だから僕は言った。
わかった、なら君も一緒だ。と――。
彼は驚いたような顔をしていた。きっと彼はまだ勘違いしているのだろう。しかし今はそんな世迷言を聞いている場合などでは全くない。
彼にはこの窮地を脱した後、カウンセリングを紹介しよう。しかし今は可及的速やかにこの場を離れる事が優先事項だ。
このままでは待っているのは二人とも死という一文字だけだ。
年長者として、自分だけ助かるなんて選択肢は存在しない。どうやら少年はこの塾の受講生では無いようだが、この塾の講師としての責任がある。
無駄にしていい命なんて一つもないのだから。
「阿保か、俺はあんたを救けにきたんだ。いいから早く先に逃げてくれ!」
どうやら彼の病の浸潤は深いようだ。むしろこれは英雄願望というものだろうか?
確かに正義は尊い。人を救うという事は素晴らしい事だ。
そこには僕もおおいに同感する。
しかし、彼は“現実を見ていない”このままでは無駄死になってしまう。
そんな事は僕が、僕の正義が許さない!
「駄目だ! 命を無駄にすることは僕が許さない。だから君も一緒に来るんだ!」
少年が蹴ってくるが、僕はその足を掴むと勢いよく引っ張った。
「バッ、バカ――」
いや、これでいいのだ。無理にでも彼を連れていく。きっと後で少年も感謝してくれるはずだ。どうも礼節に欠ける少年だが、命を助けられて感謝しない程心無い人間などいない筈だ。体勢を崩す少年。その瞬間、
「しまった――」
少年の声と共に目の前に炎が迫り、天井が落ちてくる――絶望的な光景が視界を満たし、僕の記憶はそこで終わっていた。
あの少年は――、
『残念ながら、助けられたのは君だけだ』
自称神はそう告げた。
何てことだ。もしあの少年が年長者を敬い、僕の言い分を聞く耳を持っていれば助かっていたというのに。最終的に偶然止まっていた炎と天井は時間の限界を迎えたのだろう。
助けられた筈の命を助けられなかった。それが口惜しく思う。
『……君のその勇気ある行動。そして正しき判断、そう正義の志を見て、私は君が思わず君を助けてしまった。もう一人を救えなかった事は本当に申し訳ない』
自称神……ルーメンはそう言って頭を下げた。
あれはどうしようも無かった事だというのに、ルーメンは謝っている。彼は何も悪くないのに。このルーメンという人物は決して悪い人物では無いと思った。
そして自分は命を助けられたというのに、まだ感謝の言葉を発していない事に気付く。なんと無礼な事だろう。
「いえ、気にしないで下さい。あれは仕方がなかった。むしろ僕を助けてくれて……ありがとうございます」
『いや、問題は此処からなんだ。君はそのカガク? とやらを信奉しているらしいから、信じる事は出来ないかもしれないが、私は間違いなく神だ。それも君の住んでいた世界とは違う世界。そうだな『異世界』と言った方がいいかもしれない。その異世界の神だ』
異世界。異なった世界という事だろうか。つまり地球では無いという事か? 所謂パラレルワールドというモノだろうか。そんなオカルティズムのような事……と言いたいところだが、目の前の現状はとても現実とは思えない。どうせなら自分は夢を見ているのだと理解した方が自然だ。
しかし何故だろう。触覚が視覚が聴覚が嗅覚が味覚が、そして何より自分の感情が、目の前にある現状が現実だと訴えている。
『君には申し訳ないが咄嗟の事とは言え、君を助けるために君自身を私の管理する世界へと招いてしまったのだ。本来ならすぐにでも元の世界に戻したい所だが、今は難しい』
「何故ですか?」
『私の管理する世界、つまり君から見た『異世界』は今、悪しき魔王によって人々が蹂躙されつつある。その為か、魔王が崇拝する闇の神、デネブレの創った大迷宮によって私の力は抑えられ弱まっている。君をこの世界に招き入れるだけで精一杯だった』
ルーメンはそう言うと悔しそうに顔を歪めた。
魔王、闇の神……これでは本当に御伽噺や童話のファンタジーの世界ではないか。幼い頃はそのような本も読んではいたが……。
『そこで君にお願いがある。君の世界の人間は私の世界の人間よりも身体的に強く、そして何より君には人を思いやり、困難に突き進む勇気と、善悪を見定める知識……なにより真っ直ぐな正義の心を持っている。それこそ私が司る光のように真っ直ぐな』
真っ直ぐな光――。
『勝手に招いておきながら、申し訳ないと思う。しかし魔王を倒し人々を救い大迷宮を攻略してくれないだろうか? 正義の勇者として……』
ルーメンはそう言って頭を下げた。
『魔王が倒れ世界が平和になり、大迷宮が攻略され闇の神の力が弱まれば、私の力も戻るだろう。そうすれば君を元の世界に戻すことも可能だ。勿論……そのまま送り出すなんて無理は言わない。細やかながら祝福を与えよう』
そう言うとルーメンの掌から三つの光球が現れた。まるで本当に魔法のようだ。
その光球はスゥーっと浮くと、僕の方へ飛んできて胸の中へと吸い込まれていった。
その瞬間、頭の中が破裂したような痛みと、指の先まで突き抜ける全身が張り裂けそうな痛み、そして体の中に異物が入ったような違和感を覚えた。
だがそれは一瞬の出来事で、まるで勘違いだったかのようにすぐに何の痛みも違和感も無くなっていた。
『今、君に与えたのは三つの祝福。私が管理する世界の言葉ならどんな言葉も通じる『世界言語理解』。私が管理する世界の人間達が使える魔術が使えるようになる『魔力の器』。そして最後に君の相棒となり君を守護する盾となる『守護霊の卵』だ』
何故だかは解らない。しかしルーメンの言うことが本当だと実感していた。今まで自分の知りえなかった言語知識が頭に溢れ、自分の知らない何かの力を全身に感じ、自分ではない何かの存在の胎動をこの体内に感じる。
全て嘘では無い。
このルーメンという“神”は誠実にそして真摯に僕に頼んでいるのだ。
僕の命を助けてくれた神が、そして彼の愛する世界の人々が助けを求めている。
「解りました。勇者として、あなたの世界を救いましょう!」
僕はそう宣言した。宣言したからには必ず成し遂げる。此処へ来る前のような失態は二度としない。そう心に誓う。
『よろしく頼む……あぁ、闇の神の干渉か。もう時間が無い。君を私を信じてくれている者達の所へ導く。彼等を頼ると良いだろう。そして願わくば彼等を救ってあげてくれ』
ルーメンがそう言うと、段々と視界が消えていく。まるで光が段々強くなっていくように……目が眩む……。
『……そして大迷宮を攻略する事を切に望んでいるよ……』
最後にルーメンが嗤ったように見えた。
声がして目を開けると、そこは教会のような場所だった。其処には何人もの人間がいた。服装からみるに西洋の宗教の礼服のようにみえる服装の者ばかりだった。
祭司や牧師のような……。
『よこそ“勇者様”!!』
こうして僕、新界創史は勇者となった。
予告
異世界に来てから二ヶ月の月日が経った。
段々と異世界トリニタに、そして冒険者の街ハルシャに馴染んで来た久遠奏吾。
アーニャ・ネイキッドという仲間と共に、遂に迷宮オオハルシャ二階層へと挑む。
しかしそんな二人に次々と困難が襲い掛かる。
平和なビヨンド家を襲う混乱。
時期を間違えてやってくる『異世界モノ』ではお馴染のテンプレ。
新たな仲間。
そして奏吾の目の前に立ちはだかる最強という名の壁――。
涙の日々が遂に始まる。
奏吾は求める。
異世界に来た意味、そして理由。
『異世界来る前からチート持ち ~ Racclimosa ~』
第二楽章 最強の冒険者編
♯26 大迷宮
八月一日、午前六時より連載再開。