♭2 幕間~アーニャの笑顔~
奏吾がアーニャと共にサーストン商会を出た後、ワーカーは応接室でアクアムを問い詰めていた。
「アクアムさん……あんたあれはどういう事だ?」
「あぁ、あれは驚いた。まさか儂の契約魔法に干渉してくるなんて……さすがはアーニャ・ネイキッド。という所か」
「そんな事を聞きたいんじゃない。何故、アーニャをソーゴに押し付けた!」
ワーカーの口調には怒気が大いに含まれていた。
「押し付けたとは穏やかじゃないな」
アクアムはそう言いながら葉巻を取り出すと火をつける。
「そうだろうが! ルチーニの事件の発端は、ルチーニが“アーニャ”を見染めた所為だ。おそらくルチーニの奴はまだ諦めてないだろう。なのに、その発端たるアーニャをソーゴに押し付けて、命を狙ってくださいと言わんばかりじゃないか!」
ワーカーの握りこぶしは固く握られている。今にもアクアムに襲いかかりそうだった。
「むしろこうは考えられないか? アーニャはこの街でも五指に入る大Ⅱ位の冒険者だ。彼女が側にいればソーゴ君の安全は守られると――まぁ、彼の言っていた通りキノックが何かしてきても、彼ほどの強い冒険者なら問題ないのかもしれんがな」
「ふざけるな! ソーゴは俺達の命の恩人だ。感謝こそすれ、わざわざ危機に陥れるような事をするのは何故だと聞いてるんだ! オレはアンタを信じてる。いや信じていた。これからも出来れば信じていたい……だからこそ、何故こんな事をしたのか理由を聞きたい」
「言っただろう……これは『アーニャの意思』だ」
「だから……」
「いいから聞け――ワーク……」
アクアムはそう言うと溜息と共に煙を吐き出した。
「儂がアーニャと知り合ったのは三年前のゾーマンへの遠行の時だ。その時魔獣に襲われていた。それを先日のソーゴ君のように助けてくれたのがアーニャだ。その時点で彼女は大二位の冒険者だった。そして今回みたいに儂は助けてくれた礼をしようと、彼女に尋ねた。その時、彼女の三つ頼みを聞く代わりに、儂の奴隷となり、そして専属護衛としてウチに来ることへとなった」
「頼みを聞く代わりに奴隷に――なんだそりゃ?」
「普通おかしいと思うよな。儂もそう思った。だが命の恩人の頼みだ。聞くしかなかった。今もその選択は間違ってなかったと思ってる。娘も彼女によく懐いているからな」
「その頼みってのは――」
「一つ、自分をヘルブストへ連れていって暫く衣食住を約束する事。これのためなら奴隷になって護衛をしてくれると――。二つ、ヘルブストの勇者召喚についてできるだけ調べてほしいと――、此処数年王都への行商が増えたのはその所為だ。そして三つ目――その時が来たら――自分が探している『ある人物』が現れたら、自分をその人の奴隷として売ってくれと――」
「自分を奴隷に――? ちょっと待て、という事はその『ある人』ってのがソーゴだって言うのか?」
「らしい――一昨日、襲撃の後に告げられた。儂もまさか彼女の探し人が本当に現れるとは思っていなかった。それに――彼女が探しているのは“勇者”だと思っていたからな。儂はこの三年間、彼女の恩に報いるため動いてきた。まぁ、派閥の問題もあったから、こちらにせよ、必要な事ではあったが。だから今回はソーゴ君への謝礼というより、アーニャの頼みを聞いたに過ぎない。今度こそソーゴ君への礼を考えなくてはな」
「という事は、ソーゴが勇者――」
「いや違うだろう。ここ数年、ノーヴェンでは勇者召喚の儀式の準備をしていたらしい。そして先日、王都に行った際には、その召喚が近日中だと言っていた。実際その勇者の修行や世話の為に奴隷を用意してもらうかもしれないので準備しておけと、王族からの根回しがあった。しかし召喚されるのは王都でも、ましてやこのハルシャでも無い。ノーヴェン――大聖堂だ。勇者がここに召喚される訳がない」
「でも、そのアーニャの話しの流れで言えば――いや、そもそもがおかしいのか……」
「ん、どういう意味だ?」
「あの時、ヘビーベアに襲われ、ドープスの襲撃に遭った時。オレ達は、サイドB全員でヘビーベアに応じた。総力戦じゃなきゃ足止めも出来ないって事実もあるが、何よりアクアムさんの隣にはアーニャがいた。だからオレ達はアクアムさんの護衛に人数も割かず、全員でヘビーベアに向かった。アーニャ一人いれば、護衛としては充分だからな。
でも……その後、ドープス達が現れた。最初は警戒していたからこそ手を出さなかったんだろう。相手が目の前にいる全員なのか、それとも伏兵がいるのか……でもその後、ソーゴが現れてから、まずソーゴを警戒すべきだし、それにもし助けてくれた味方だと解っても、手伝って四五人倒すぐらいならアーニャなら出来たはずだ。それどころか、話しによると一人の盗賊が途中、アクアムさん達の方へ矛先を変えたって言ってたよな。アーニャならコッチに向かってくるその前に――」
「倒していたか――。結局ソーゴ君が気絶させたが、なら何故あの時アーニャは動かなかった? 違うな“動けなかった”――それは――」
その時応接室の外でドタドタと走ってくる音がした。そしてバーンッと扉が開け放たれた。
現れたのは少女だった。年の頃は成人より少し前。十二、三歳と言ったところか、思いのほか高級そうな服に、アーニャのようなショートのカットよく似合う少女だった。
少女は部屋を見回すと開口一番「アーニャは!?」と叫んだ。
「アーニャは? まさか本当にアーニャを売っちゃったの? なんで、なんでそんな酷いことするのパパ!」
そう言って少女はアクアムに詰め寄った。その目には濡れたモノが光っている。
「ユナ、言ったろう――、それがアーニャの望みだ。パパとアーニャとの約束だったからだ」
「嘘よ、嘘! パパが儲けるために、アーニャを売るためにそんな嘘つくのよ!」
「アーニャもそう言ってただろう!」
「パパが言わせたんでしょう!」
ユナと呼ばれた少女はそう言うと今にも吹き出しそうな涙を、必死に堪えていた。
そこへまた一人応接室へと訪問者がやって来た。アクアムと同じぐらいの女性だった。こちらも比較的良い服を着ている。
だがその顔は酷く疲れている様子だった。
「あなた御免なさい。何度いっても行くって聞かなくて――」
「ブラス――いいんだ。どっちにしろ家に帰ればこうなってた」
「ママ、ママ酷いの。パパが酷いの。アーニャを売っちゃった。パパがアーニャを売っちゃった――、私にはアーニャしかいなかったのに。友達はアーニャしかいなかったのに」
ユナはそう言うと、遂に堪え切れなくなったのかブラスのスカートにしがみ付き、火がついたように泣きだした。
「アクアムさんもも大変だな――」
ワーカーが肩を竦めながら、アクアムに向かって言う。
「お前も娘が生まれればわかるよ――」
「息子かもしれないだろう?」
「そうだったらそうだったで『冒険者になる』ってお前を悩ませるさ」
「そうかな?」
「お前の息子だ、決まってるだろう――」
アクアムがそう言うと、ワーカーは一つ溜息をしてそれからユナへと近づいていった。腰を屈めユナの視線に合わせると、それからユナに優しく声をかける。
「ユナ――。パパはアーニャを売ってない。でもアーニャは自分から彼の所へ行ったんだ」
ワーカーの言葉に、ユナはゆっくりとワーカーを見る。
「アーニャは自分からその人の所に行ったの?」
「そうだ――」
「アーニャは私の事嫌いになったの? だから私の前からいなくなったの?」
「それは違う――。でもきっと大切な理由があったんだ。アーニャにとって。アーニャはその為にゾーマンからわざわざヘルブストまでやって来たんだ。アーニャを連れていったその人に会うために」
「でも、アーニャはその人の“どれい”になったんでしょう? もう会えないんでしょう?」
「そんな事はないさ。そいつは、ソーゴは凄くいい奴だ。きっとアーニャと会う事を咎めたりなんかしない。パパも、おじさんもそいつに助けられたんだ。もしそいつがいなかったら、一昨日パパもおじさんもそしてアーニャももしかしたら帰ってこれなかったかもしれない。みんな死んでしまっていたかもしれない」
ワーカーの言葉にユナはビクッと身体を震わせる。
「パパ――」
ユナはゆっくりとアクアムを見つめる。
自分の家族、そしてなにより大好きなパパが、もしかしたら死んでしまっていたかもしれない。それを思うと――。
アクアムは葉巻を一度吸うと、灰皿に押し付ける。それからゆっくり話し始めた。
「本当だ。もしそのソーゴ君がいなければ、みんな死んでいたかもしれない。でもそれだけじゃアーニャを他所に渡したりしないよ。アーニャはユナにとってもパパやママにとっても大切な家族だからね。それでもパパがソーゴ君にアーニャを預けたのは……違うな託したのは、何よりもアーニャがそれを望んでいたからだ」
「アーニャが?」
「そうだよ、おじさんも見てた。むしろパパはアーニャを渡さないように頑張ってた。アーニャが行きたがっていても、悪い人かもしれない。アーニャを大切にしないかもしれない。だからソーゴがアーニャを大切に出来る好い人なのか、ずっと探っていた。それこそ自分の命を賭けてね――あの自分の首を礼にするってのはそう言うことだろう? アクアムさん」
ワーカーの鋭い視線がアクアムを突き刺す。
「パパ――」
「あなた――」
妻と娘からも不安な瞳を向けられ、遂にアクアムは両手を上げた。
「そうだ、その通りだ。ユナの言う通り、儂もアーニャには出ていってほしくなかった。ユナが懐いていたのもあるが、彼女はもう儂等の家族だ。ソーゴ君がどれだけいい子だと解っていても、どこかに不安が残っていた。そうしたら、アーニャが言ったんだよ。もし、彼が私の探してるその人だとしたら、きっとこう言うでしょうって『派閥なんて関係ない。自分はアクアムさんの味方で、そう思っていて、もしそれで失敗したならそれは自分の責任だって』」
「おい、それって――ソーゴがさっき言ってた」
「流石に笑ったよ。彼女を止めるのは無理だと解った。何より最後のアーニャの顔が物語っていた。本当に心の底から嬉しそうだった。彼こそ、ソーゴ君こそアーニャが求めていた人だ」
ユナはワーカーを見た。ワーカーは何も聞かずに頷いた。
「あぁ、アーニャは本当に嬉しそうに笑っていたよ」
ユナは寂しかった。姉のように慕い、自分と友達だと言ってくれたアーニャが去ってしまったことに。自分を置いて行ってしまった事に。
でもどこかホッともしていた。ユナの知るアーニャは、いつもどこか辛そうで哀しそうで、必死な顔をしていた。どこか焦っているように見えた。
彼女の見せる笑顔は、いつもどこか嘘の笑顔だった。
「そっか、アーニャ笑ってたんだ。わかった――なら、いい。我慢する」
ブラスがユナの頭を優しく撫でる。ユナはそんなブラスに、そしてアクアムに涙を溜めたまま精一杯の笑顔を見せた。
両親もそれに笑顔で答える。
たった三年とはいえ、家族のように一緒に暮らしていたのだ。
状況が違うとはいえ、家族がいなくなるというのを、ワーカーも体験している。しかしワーカーの知るそれとは違い、永遠の別れと言う訳では無い。
それがどこか羨ましくも思えた。
「そうだユナちゃん。ソーゴは週に一回おじさんの家にに遊びに来るんだ。きっと今度からはアーニャも連れてくるだろう。その時にユナちゃんもウチに来たらいいよ」
「ユナも行っていいの?」
「勿論、何よりもし会いたくなったら自分から会いに行けばいい。二人は冒険者寮のバガボンドにいる。別に遠くに行った訳じゃないからな」
「ちょ、ちょっと待て。ソーゴ君はバガボンドに住んでるのか?」
驚いたのはアクアムだった。
「あぁ、オレも驚いたよ。あのアーロンが魔族連れてきて大量の退寮者出して――奏吾はそれを知った上で入寮したらしい。それも魔族に会ったらしいが、特になんにも思わなかったってよ。ホントにアイツは――」
何者なんだ――と、ワーカーは最後の言葉は口に出さず、飲み込んだのだった。