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第七話 皇帝襲来! 外道ヒーローよ、永遠に

 ヒーローとは、弱きを助け悪をくじく正義の象徴。

 物語の最終話などにおいては悪の権化と死闘を繰り広げ、華々しく勝利を収めることにより世界に平和をもたらす英雄として描かれることは語るまでもないお約束となっていたりする。

 しかし、全てのヒーローがそうである保証はどこにもない。


「永山。いつまでこんなところでくつろいでるつもり? 早くKTHに戻らないと」

「そう急かすなよ。人生ってのはな、意外とゆっくり流れていくもんなんだ。だから、ちょいとばかしのんびりしたって」

「それとこれとは話が別でしょ。全く、隙あらばすぐに会話の主題をすり替えようとするんだから」

 ここは某家電量販店。美江は、お試し用に設置されているマッサージチェアから一歩も動こうとしない永山に手を焼いていた。

 現在は先程退治に成功した、どことなくテレビで大活躍中のゆるキャラを彷彿とさせる怪人をKTHに運搬する途中。こんなところで油を売っていてはお叱りを受けること確実なのだが、偶然通りかかった店の壁に『極上の至福を貴方の家に。最新マッサージチェア、お試しサービス中』とある広告を、永山が目ざとく見つけてしまったのが運の尽きだった。

「これくらい、いいじゃねえか。だって、今回の怪人はなかなか手ごわかったしさあ。あのゆるーい見てくれからは想像がつかないような、俊敏でキレッキレの動き。猛スピードのタックルを食らいそうになった時はヒヤヒヤしたぜ。と、いうわけで。その疲れをここで癒そうと」

「ごまかさないで。それに、あの怪人はテレビに出てるゆるキャラによく似てるから、あのまま放っておいたら面倒なことになるわよ。ずっとこのままってわけにはいかないんだから」

 ちなみに、そのキレッキレの動きを見せつけてきた怪人はというと、縄で縛り上げられた状態で荷車に積まれて駐車場に放置されている。今頃は道行く人がそのシュールな光景を見てぎょっとしているに違いない。

「けっ。言葉の切り返しばっかりうまくなりやがって。そんな何の役にも立たない技術より、巷で人気の女子力とかいう奴を身につけた方がいいんじゃねえのか」

「余計なお世話よ。それに、これだってまんざら役に立たない技術ってわけでもないし。少なくとも、とびきり口の悪いあんたとまともに渡り合うのには必要不可欠ね。ほら、お望みの答えが聞けたでしょ。さっさと立ちなさいよ。さもないと、このことを黒沢さんに報告して給料を減らしてもらうわよ」

「とうとう変な脅し文句まで習得しやがったか。……いっそ、あのヒステリックババアにクビを宣告された時にそのまま監視役をやめてればよかったのに」

「何か言った?」

「別に」

 永山は不満を露骨に出しながら、マッサージチェアから渋々腰を浮かせ、美江とともに店を後にした。

 駐車場に向かってみると案の定、怪人を積んだ荷車は黒山の人だかりに囲まれまくっていた。それらをどうにか追い払うと、ようやくKTHへと足を進めることが可能となった。

「ふう、これをKTHに運び終われば今日の仕事は終了かしらね」

 美江は荷車をガラガラと押す永山の横を歩きながら、小さく息をついた。

「どうした、溜め息なんてついて。お前が吐いた息なんて吸引したくないんだけど」

「じゃあ、一生呼吸しなければいいでしょ。人が溜め息をついてるってのに、よくもまあそんな憎まれ口が叩けるわね」

 相変わらずの暴言に、美江はいつものことながら呆れるより他はなかった。

 まあ、永山の影響で自身の口も少々悪くなり始めていることは、自覚しつつも棚に上げているのだが。

「呼吸するなはねえだろ。ふん、ならお前がお望みのお言葉でもかけてやるとするか。急に溜め息なんてついて、どうかしたのか。暗い顔なんかしたらさ、ただでさえ地味な顔が余計に際立つぞ」

「最後の一言がものすっごく余計だったけど、特別に聞き流しておいてあげるわ。あのさ、怪人が町に現れて、そのたびにヒーローが出動して退治する。こんなことが、いつまで続くのかなーって思って」

「は?」

 永山は眉間にしわを寄せると、「何言ってんだ、お前」と言いたそうに表情を歪めた。そして、表情に浮かべた通りのお言葉を、間髪を入れずに口にした。

「何言ってんだ、お前。どこかに頭でもぶつけて脳みその大部分がえぐれちまったのか」

「ここまで表情とコメントが一致してたら、かえって清々しいわね。ま、ある意味では想像以上だったとも言えるけど。私が言いたいのはね、いつまでこの地域に怪人が派遣され続けるのかなってこと。ほら、ヒーローものの特撮ドラマとかだったらさ、最終回とかには悪の親玉みたいなのが直々に地上に降り立って、それをヒーローが見事にやっつけて世界が平和になる! みたいな終わり方をするじゃない。現実も、そろそろそんなことにならないかなーって」

 この地域の雇われヒーローである永山は、これまで多くの怪人を倒し、何だかんだ言いつつも平和の維持に貢献してきた。だからいい加減、部下の失態の数々に業を煮やした親玉が、自ら地球に襲来しちゃったりなんかしちゃったりするのではないのかなあなどと、微妙にドラマチックなことを勝手に妄想してしまったというだけのことであった。

「またドラマチックな妄想が始まったか。あのさあ、この世知辛いご時世の中で、そんな超展開が巻き起こるわけがねえだろ。もしそれが目の前で繰り広げられたところで、雇われ者の俺がどうにかできるとも考えられねえし」

「た、確かに」

 永山のこの発言は、紛れもなく正論の類だろう。この地域に派遣されてきている怪人の親玉は、星の統率者であるだけにきっと凄まじい能力を持っているに違いない。そんな奴が本気で人類に牙を剥こうものなら、各地域の存在するご当地ヒーロー達が寄ってたかって戦いを挑んだところで到底倒せるわけがない。まして、当の親玉がこんな地方都市にふらりと襲来する確率なんてとてつもなく低いだろうし……。

「頼むからさ、あんまり馬鹿なことを言いださないでくれるか。最近何かと働きづめで、疲れが溜まってるんだからさあ。生身で一人、異形の存在と戦い続ける御身にもなって考えてくれよ」

「生身で戦い続けるはめになってるのは、あんたが自分の意志で変身を拒否してるからでしょうが。それに、働きづめなのも、あんたがアホみたいにバイトの掛け持ちなんてしてるからだし。典型的な自業自得って奴でしょ」

「そんな冷たいこと言うなよ。あーあ、何か俗に言う癒しってのが欲しいな。どっかそこらに、オアシスの一つでも落ちてねえかなあ」

「そんなにオアシスに行きたいんだったら、砂漠にでも旅立ったら? あんたがどこに行こうが、誰も止めはしな……ん?」

 馬鹿馬鹿しいと形容するのも面倒な言い争いの途中で、美江は視界に入ったものが気になり足を止めた。

「何だ、いきなり立ち止りやがって。犬の糞でも踏みつけたか」

「……」

 現在の美江の心理状態は、永山の品の欠片もない発言など耳に入らないくらいにかき乱されまくっていた。

「な、な、何あれ」

 これはアレですか。砂漠の話なんか不用意に持ち出したものだから、蜃気楼でも発生してしまったのでしょうか。

 何だか大げさな例えのような気もするが、美江がここまでパニックになるのにはそれ相応の理由があった。

「ほほう、これが地球の景色か。なかなか素晴らしい発展を遂げているではないか」

「左様でございますなあ」

 車道を挟んで向こう側の道に、二組の男が並んでいる。一人は執事を連想させるような格好をしていて、いかにも従者といった雰囲気を醸し出している。だが、その頭は人の物ではなく、額に一角を生やした羊の形をしていた。

 それだけでもぶったまげるには充分であるのだが、その羊みたいな執事の横にいる男の見てくれもまた、強烈極まりないものであった。

 涼やかで切れ長の目。すらりと通った鼻筋。口元もキュッと引き締まっていて、早い話が非の打ちどころもない美形である。額に輝く黄金の角から彼が怪人であることは容易に理解することができたが、理解の範疇を超えていたのはその点ではなかった。

 美形の怪人の服装。それは、テカテカの黒ビキニにヒラヒラとなびく純白のマントという、究極の変態ルックであった。

「変態……紛れもなく変態だわ」

 この美形変態怪人を見て頭が爆発しそうになっているのは美江だけではない。

 派手という説明だけでは済まされないこの二人組を目にして仰天している道行く人たちは吐いて捨てるほどいるのだが、皆関わりたくない一心なのか、頑張って見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。この場合、そのような行動に移す人がほとんどであることは簡単に予測がつくが。

「は? 変態? 何が変態だってい……」

 呆然とする美江が顔を向けている方を確認した永山は、ピクッと眉を引きつらせて動きを止めた。

「永山、あんたも見たのね」

「ああ、見たけど」

「何なの、あいつら」

「見りゃあわかるだろ、あれくらい」

「本当に? 私にはさっぱり」

 あんなわけのわからない連中のことを瞬時に飲み込んでしまうなんて、流石はヒーロー。肝が据わっているというか、その肩書きは伊達ではなかったということか。

 美江が感心していると、永山は怪人達の足元を指差しながらこう口にした。

「ほら、あそこ見てみろよ。あの変な怪人、平然とした顔で千円札を踏みつけていやがる。何てバチ当たりな奴らなんだ。あれは、金に対する冒涜だ。ありえねえだろ!」

 こんな状況下において、この男は一体どこに着目しているのか!

 永山の金に対する異常な執着心を改めて思い知らされた美江は、もはやツッコミを入れる余力をも失ってしまった。

「ちょっと、そこの貴方達」

「うん?」

 こちら側で脱力ムードが流れ始めた頃、近隣の店舗の店員であると思われる男が怪人達の元へと歩み寄っていた。

「うちの店の前でそんなに騒ぎを起こされては困りますよ。営業妨害で訴えますよ」

 彼の言うように、このような奴らに店の前に立たれては迷惑極まりないに決まっている。現に先程から、周囲に立ち並ぶ店に客が全く入ろうとしていない。

「騒ぎだと。我々が一体何をしたというのだ」

「な、何って……その。ハ、ハロウィンみたいな格好と言いますか、そんな姿で貴方達がうろついているせいで、周りの方が戸惑っているといいますか」

 店員は美形怪人の毅然とした態度に臆されて言葉をオブラートに包んだのだろうが、今のは今のでハロウィンに大変失礼である。

「戸惑う? 何故我々の姿を見た者が、戸惑わなければならぬというのだ」

「え、あ、いや……」

 戸惑わせている。間違いなく、奴は誰も彼をも戸惑わせまくっている。どんなに怪人が気迫を放って相手に脅しをかけようとも、こればかりは変えがたい事実である。

 ただし、怪人が奇妙にもほどがある扮装をしているからといって、むやみやたらと永山に退治するように促すわけにもいかない。今はまだKTHから何の指示もない上に、例の怪人達が善なのか悪なのかすら判断するのが難しいからだ。あの「こんな変な奴ら、見ないことにしておけばよかった」と顔に浮かべている店員を助けてやりたい気もするが、奴らがどぎつい服装で町を練り歩いているという理由だけでこちらから殴りかかるのは、いくら何でも動機としては厳しいものがある。

「お主、我を何者と心得る」

「そ、そう言われましても……」

「ふん、はっきりしない奴だ。まあいい、我の心は母なる海よりも寛大であるからな。はっはっは」

 美形怪人は妙に古風な言い回しでのたまうと、高らかに笑いながら「行くぞ、シープソン」と羊みたいな執事に命じてこの場を立ち去ろうとした。

「あ、ちょっと待って下さいっ」

 まだ話は終わっていない。奴らをこのままにしておいてはいけないと判断したのか、店員は咄嗟に美形怪人の背に手を伸ばした。すると。

「あっ」

 その手がマントに触れたかと思うと、ビリッという音とともに破れてしまった。

 数秒の沈黙の後、美形怪人はゆっくりと店員に顔を向けた。その涼やかだった眼差しに、烈火の如き憤怒の情を宿しながら。

「この無礼者! 我のマントを汚い手で裂くとは、いい根性をしておるではないか!」

「ひいっ……す、す、すみませっ……」

 ただならぬ殺気を放つ美形怪人に気圧された店員は、怯えきった表情でビクリとのけぞった。ここまでの騒ぎになっては道行く人も素通りできなくなり、ぞろぞろと野次馬が集まり始める。

 事態が思わぬ展開に進んだのは、それとほぼ同時だった。

「己の罪深さを、その身をもって思い知るがいい!」

「ぎゃあああーっ!」

 美形怪人が手を真っ直ぐ前に突きだしたかと思うと、指先から拳と同程度の火球が巻き起こり、店員の胸元にぶつかった。炎は瞬く間に燃え広がっていき、脆い地球人の身体をあっという間に包み込んだ。

「こ、こいつ。化け物だ!」

「早く誰か、消火器を持ってこい!」

 非現実な状況を目の当たりにして冷静な判断ができる者などいるわけがなく、辺りはすっかりパニックに陥っていった。

 辺りが騒然とする中で、美形怪人はそれを尻目にフッと嘲笑を口元に湛える。そして最後に、こう言い放った。

「安心しろ、そこらの地球人などに本気を出すほど我は愚かではない。しっかり手加減をさせていただいたから、少しばかり火傷する程度だ。これも貴様が、我を小馬鹿にしたのがいけないのだ。よいか、その胸にたっぷりと刻み込んでおけ。我の名はエンペール。ナーゾノ星に君臨する、第九十九代皇帝であるぞ。はっはっはっは!」

「えっ」

 皇帝⁉ 美形の変態ルック怪人が、あの、ナーゾノ星の皇帝⁉

 想像を絶する一言に、美江は思わず目玉をひん剥いた。

 何故よりにもよってこの地域に皇帝ともあろうものが出没している?

 というか、こいつの目的は一体?

 あとついでに、何でこんな並の不審者を凌駕するような格好で町をうろちょろしているのだ?

 言わずもがな、頭の中では疑問符が大フィーバーを引き起こしていた。

「では行くぞ、シープソン」

「はい、皇帝陛下」

 騒然とする人間達を尻目に、皇帝と執事は雑踏の中をかき分けていく。やがて、彼らの姿は雑踏に溶け込むようにして消えていった。

「こんなことって……」

 しばらくして強引に気を引き締めた美江は、雑念を払うように何度か頭を横に振った。そして、軽く息を吐いてから隣りに目をやった。

「と、とにかく。悪の元凶が姿を現したみたいね。永山、早くKTHに戻ってこのこと……を?」

 いない。先程まですぐ近くにいたはずの永山が、どこにも見当たらない。

 不審に思った美江が辺りをよく見渡すと、奴はとんでもないところにいた。

「……よーし、千円札確保」

 地域を守るヒーローは、いつの間にやら皇帝達がいたはずの場所まで移動し、目ざとく見つけていた千円札を拾い上げてニヤニヤしていた。

「この期に及んで、あの馬鹿は……」

 空気の「く」の字も読もうとしない行動に、美江の怒りは一瞬にして焚きつけられた。燃えたぎる殺気の塊がそろりそろりと永山の元まで近づいていくが、奴は金に夢中で全く気がつかない。

「でも、流石に千円もパクッたらまずいか? でも、これはこれでなかなかないチャンスのような気もするしなあ。ま、大丈夫だよな。これだけ騒いでりゃ、誰もこっちのことなんか見てやしないだろうし……」

「私が見てるわよ。この、金の亡者!」

「いってえ!」

 美江は全力で永山の尻を蹴り上げた後、千円札を届けさせるために警察へ連行した。

 もちろん、この皇帝の引き起こした騒ぎがある程度収束してから、である。


 翌朝。美江がKTHに行ってみると、黒沢が厳しい表情でパソコンに向かっていた。

「黒沢さん、何かいつもよりも大変そうですね」

「そりゃあそうだよ。怪人の存在が世間に大っぴらになりかけて、えらいことになってるんだから。花咲君だって、今朝のニュースくらい目を通したよね」

「ええ、まあ」

 黒沢の言う『今朝のニュース』とは、皇帝が巻き起こした一件のことで間違いないだろう。最近パッとした話題もなかったせいか、朝っぱらからテレビをつけるなりニュースではこのことばかりが取り上げられていたので、嫌でも頭に情報は叩き込まれまくっている。

 あるところでは『火炎の魔術師』などというそれっぽい肩書きで呼ばれてみたり、またあるところでは『狂気の黒ビキニ男』と都市伝説の化け物みたく呼ばれたりと、果たして一晩でいくつの名称が作られたのやら。ただ、世間に怪人という概念がない以上、あの火の玉を飛ばす超能力は何らかのトリックによって発生させられたものであると推測している番組がほとんどであり、怪物説を唱えているのは一部の報道のみである。だが、それよりさらに恐ろしいものがこの世は存在していることが実に厄介なのであった。

「はあ。何で皇帝が手から火を出すところを撮影して動画サイトに投稿しちゃう奴がいるのかなあ。そのせいで、インターネットがお祭り状態になっちゃってるじゃないか。どうにかして、怪人の噂をもみ消さないと。でも、いくら本部の対策部門だけでどうにかできないからって、僕にまで手伝わせなくても」

 そう。スマートフォンやら何やらが普及しまくっている現代において、爆発的に情報が拡散してしまう事態は防ぎようがないのである。

 恐るべし、情報社会。頑張れ、KTHの対策部門の方々。

「それにしてもさ、まさか皇帝がこの地域に姿を見せるなんてね。ナーゾノ星から怪人を次々に派遣してきていた、張本人が」

「そうですね」

 不機嫌そうなしかめっ面を崩さないまま呟く黒沢に、美江は同調するように相槌を打つ。

 これが創作世界の話であれば、諸悪の根源である皇帝にヒーローが立ち向かい、ヒーローを支援する組織が陰ながらサポート。そして最後には地球の危機を救い、感動のフィナーレみたいな展開にでもなるのであろうが……。

「いやー……それにしても遅いなあ。さっきここに来るように、連絡を入れておいたはずなんだけど」

「え?」

 黒沢がさらにボソッと追加した一言に、美江は首をかしげた。それとほぼ同時に、階段の方からドタバタと乱暴な足音が聞こえてきた。

「何なんです、黒沢さん。怪人が出現したわけでもないのに、いきなり俺のことを呼びつけたりなんかして」

 KTHに入ってきたのは、無駄に整った顔立ちを存分に曇らせた永山であった。その格好はと言うと、美江が泣く泣く買わされたピカピカの赤ジャージ姿だった。

 以前までは高校時代から着回していたと考えられるボロジャージを数日に渡って身につけていた永山であったが、最近はよく赤ジャージを着て現れる。確かに値が張っただけあってそこそこ良い代物ではあるのだが、そんなに気に入ってるのだろうか。

「やーっと来てくれたみたいだね。ずいぶん遅かったじゃないか」

 しびれを切らしていたらしい黒沢は、永山に向かって嫌味ったらしく毒づいた。

 これがきっかけとなったのか、二人の視線の間にバチバチと火花が生じた。

「急に呼びつけておいて遅いとのたまうのはいかがなものかと。俺も暇じゃないんでね、さっきまでバイトしてたんですよ。今日はたまたまそれしかバイトが入ってなかったからおとなしくここに来ましたけど、普段だったら多額の特別手当をいただいているところですよ」

「君って奴は……KTHが大変なことになってるっていうのに、お金の話かい。来て早々それはないんじゃないかな」

「いや、ありでしょ。俺にとっては世間に怪人の存在が公になろうが、KTHが秘密組織じゃなくなろうが、知ったことじゃないんで」

「相変わらずヒーローらしさゼロなことを平然と……」

「おや、まだ俺にヒーローらしさとやらを求めることの方が間違っているということにお気づきになられていなかったのですか? 俺よりも長い長ーい月日を生きているにも関わらず、そのようなことも理解しておられなかったとは。いやはや、何のために幾多の戦を乗り越えてきたのやら」

「僕は化け物か! 君より年上だからって、戦国時代から生きてるわけじゃないからね」

「ふっ。こんな見え透いた冗談如きにムキになっちゃって。歳をとると考え方が固くなるという通説は本当だったんですねえ」

「またそうやって……うう、胃がっ!」

 勝負あり。軍配は、猛毒の嵐を凄まじい勢いで大量生産した永山に上がった。

 この外道はまだ何かを言おうと口を動かそうとしているが、このままでは話が一生先に進みそうにない。なので仕方なく、美江は嫌々ながらも場を取り持つことにした。

「あの、黒沢さん。胃が痛くなってしまったのはよくわかるんですけど、用があって永山を呼びつけたんでしたらさっさと本題に移った方がいいですよ。ほら、嫌なことはパパッと済ませるに限るってよく言いますし」

「おい、誰が嫌なことだって?」

「うう、そうだね。嫌なことは、パパッと済ませた方がいいよね」

「……ここぞとばかりに、言ってくれますよねえ」

 自身を嫌なこと呼ばわりされた永山は眼光を鋭くさせたが、そんなことなど尻目に黒沢はどうにか立ち直った。

「じゃ、率直に要件だけ伝えるよ。外道く……じゃなかった。永山君には、これからパトロールしてきてほしいんだ」

「は? パトロール? 何でそんな面倒なことを」

「当然、例の皇帝対策に決まってるじゃないか。短時間で集められたなけなしの情報によると、皇帝を名乗ったっていうその怪人は、気まぐれみたいにこの地域で出現と消失を繰り返しているらしいんだ。つまり、奴が現れたっていう情報がこっちに送られてからげど……じゃなくて、永山君に向かってもらったんじゃ、絶対に間に合わないってこと。そこで、げ……コホン。永山君には色々な場所を回ってみてもらいたいわけ」

「さっきから何回人の名前を間違えてるんですか。というかその作戦、めっちゃ行き当たりばったり感が強くないですか?」

「だって正直、行き当たりばったりなのをわかってて提案してるからね。適当にそこらをぐるぐる回ってて、皇帝に出くわしたらラッキー! みたいな。こっちだってね、もうやけのやんぱちなんだよ」

「やけのやんぱちとは、また古い……。こんな効率の悪いこと、本気でやらせようって言うんですか?」

「いや、いいんだよ? パトロールなんて効率の悪いことなんてやらなくったって。でも、その場合。永山君にはここで待機してもらって、連絡が入るなりすぐさまKTシーバーで変身してもらってから転送装置でひとっ飛びしてもらうけど」

「へ、変身?」

 実に聞き心地の悪いワードが耳に届くなり、永山の暴言発射口がピタリと止まった。

「俺の聞き間違いでなければ、今、変身とかおっしゃいました?」

「うん、言ったけど。いや、別に僕はそれでもいいんだよ? ただ、あのダサいヒーロースーツ姿を大衆の前に晒したくないって言ってたのは、どこの誰だったかなあ?」

「う、わ、わかりましたよ。パトロールに行きますよ」

 ヒーローよ、自分がボロクソに非難した作戦をあっさり受け入れるほど変身するのが嫌なのか。

 美江は馬鹿馬鹿しいやりとりにツッコミを入れたくてたまらなくなったのだが、ここで永山のやる気を削ぐようなことをしてはろくなことにならないのは目に見えていたので、あえて黙っておくことにした。

「言っておくけど、僕だってこんな指示を出したくて出してるんじゃないんだからね。怪人について出回ってる情報をもみ消すのに、本部その他もろもろの人員が総動員さえされてなければここまでひどいことには……。はっ! もしかして皇帝は、こうなることを予想してあんな騒動を引き起こしたのか⁉」

「あの、それは流石にないと思いますけど……」

 だが、黒沢が血迷った末に口走った一言については見逃さずにはいられなかった。一体どこの誰が、ヒーローを使って地球の平和を維持する組織が、世間に怪人の情報が出回らないように涙ぐましい努力をちまちまと行っていると考えるというのか。もし皇帝の行動がこの事態を推測して行っていたのだとしたら、奴は確実に人の上を行く天才的な発想の持ち主ということになってしまう。

 ……ただ、あの変態ルックを加味すると、人の斜め上を行く発想を持っている可能性は大いにあるが。

「はあ。何だかずいぶん面倒なことを押しつけられたような気が。ま、命令なら仕方ないですかね。後で特別手当でもふんだくるとして、さっさとパトロールとやらに行ってくるとしますか」

永山は嫌味をふんだんに織り交ぜた言葉を吐き捨てながら、KTHから出ていこうとした。しかしその直後、黒沢が「あ、ちょっとストップ」といきなり呼び止めたものだからガクッとつんのめってしまった。

「何なんですか。人が渋々ながらも行動に移そうとしていたのに」

「いや、このままだと一人で勝手に行っちゃいそうだったからさ。このパトロールには、君の監視役である花咲君にも同行してもらうんだからね」

「えっ!」

 やっぱり、付き合わなくちゃ駄目ですか? 高給をもらっている以上、監視役として非効率な任務に付き合わなくちゃ駄目ですか?

 直接口には出さないものの、美江は訴えるような眼差しで黒沢を見る。しかし。

「いや、別にここで待機しててもいいんだよ。ただ、ここに怪人が現れたっていう情報が入ったらすぐに変身してもらって、永山君の元にひとっ飛びしてもらうけど」

「う……」

 史上最強の脅し文句が飛び出した以上、抵抗する手段は奪われたも当然となった。

「はい、行きます。喜んでパトロールに同行させていただきますとも」

 美江はもちろん、一時の恥をさらすリスクよりも、しばしの苦労を選択した。


 そんなこんなでパトロールをするはめとなった二人は、片っ端から地域を回っていた。

「パトロールとか、怪人を探し当てる手段としてはすっげえ原始的だって思わねえか?」

「まあ、そうよね。そういう気持ちもわからなくもないわ」

 ブツブツと愚痴をこぼすこと、早数時間。色々な区を巡り巡って皇帝を探しているものの、いまだに収穫はゼロである。

 時間の経過で美江は空腹を覚え始め、永山の元から悪かった機嫌はますます斜めになっていく一方と、決して和やかな空気とは言えない状況であった。

「すっかり昼時ね。何かさ、お腹空かない?」

「俺をランチデートにでも誘ってるのか」

「あのさ、どうやったら今の一言だけでそういう考えに行き着くわけ? 一旦パトロールを中断して、適当にご飯でも済まさないかって言ってるのよ」

「ふん。やっぱり誘ってるんじゃねえか。お前が金を出すんだったら、考えてやってもいいぜ」

「何で私があんたの分の食事代を出さなきゃいけないのよ」

「それは、惚れた方の弱みってもんだろ」

「だから、私はあんたのことなんて何とも思ってないってば。自分の食事代くらい、自分で出そうって思わないわけ」

「少なくとも、今回は思わねえな。パトロールさえ押しつけられなかったら、今頃あちこちのスーパーで試食巡りツアーをしてるところだったんだからさあ」

「文句ばっかり垂れててもしょうがないでしょ。筋金入りの守銭奴と一緒だと、気疲れするような話ばっかり聞かされてうんざりしちゃうわ」

「誰が守銭奴だ。自身の将来をきっちりと見据えている倹約家と呼べ」

 KTHにいた頃から薄々感づいてはいたが、本日の永山はいつにも増して虫の居所が悪いらしい。口調が一段ときつい上に、近寄りがたいという形容だけでは済まないくらいに物々しいオーラまで放っている気がしてならない。

「ったく、こうなったのも全部あの変態裸マントのせいだ。もし目の前に現れたら、徹底的にぶちのめしてやるからな!」

 おまけに、右の拳を左の手の平に打ちつけながら、物騒なことを豪語する始末である。

 美江は正直、仕事でなければ永山から離れて歩きたくて仕方がなかった。

「ずいぶんイライラしてるわね。そんなにパトロールを押しつけられたのが不満だったわけ?」

「さっきからごちゃごちゃうるせえな。てめえは少し黙ってられねえのかよ。定期的に口を開かねえと死ぬってか」

「ちょっと声かけただけでそこまで言わなくたって。いくらムカついてるからって、私に当たるのはやめてよね」

「からんできたのはそっちからだろ。俺だってな、お前みたいな何の取り得のない地味女をからかったって何の得にもならないことはよーくわかってるんだよ」

「な、何よそれ! 取り得がないだの地味だの、人のことを好き勝手に」

「あ、悪い悪い。今のはちょっぴり間違ってたな。お前は何の取り得のない地味女なんかじゃない。胸が人よりややでかいのだけが取り得の、小柄で若干地味な女だ」

「へえ、そう……って、余計に腹立つわよ!」

 今までどうにか平静を保っていた美江であったが、これには耐えることができず、感情が爆発してしまった。

 元々犬猿の仲みたいな間柄の二人のことである。こうなれば最後、不毛な口喧嘩が勃発するのは恒例行事に等しかった。

「ただでさえどぎつい悪口を、より具体的にするなんてどんな神経してんのよ。あんたの頭では、そういうことしか考えてないわけ?」

「あのな、俺が常に考えてるのは金のことばかりだ。まだ理解できてなかっ……ん、金? あ、思い出したぞ。昨日、お前のせいで千円を手に入れ損ねたんだった。千円ってのは、なかなかの大金だぜ? さあこの恨み、どうやって晴らしていただこうか」

「話題をそらすにも程ってもんがあるでしょうが! それに、ヒーローのくせして道端に落ちてる金をくすねようとするなんて最低じゃないの」

「お前の言い方だと、ヒーローじゃなかったら落ちてる金をくすねてもいいって言ってるように聞こえるんだけど」

「うるさいわね! 人の揚げ足ばっかり取ってんじゃないわよっ」

 これもある意味毎度のことであるが、ここまで派手に言い争えば徐々に野次馬も集まってくる。

 だが、当人達には周囲のことなど全く見えてはいなかった。

「うるさい? 笑わせてくれるな。誰がどう考えたって、俺よりお前の方がうるさいっての。さっきからキャンキャン吠えやがって。ほら、そろそろおとなしくしましょうねー。ハウス、ハウス!」

「私は犬じゃないわよ! そもそも、私にキャンキャン言わせてるのはあんたでしょうが。あんたがまともな受け答えを一切しないから」

「まともな受け答えだあ? 俺にそんなもんを求める方が間違ってるとは思わねえのかよ」

「こ、このっ……」

 次から次に飛んでくる暴言に対抗しようと、ありったけの思考回路を巡らせる。

 しかし、脳内に浮かんだ言葉を口にする直前、何者かが美江の肩にポンと手を乗せた。

「お主、やめぬか。争いというものは、何も生み出すことはないのだぞ」

「はい?」

 振り返ってみると、そこには美形の青年の姿があった。涼やかで切れ長の目に、すらりと通った鼻筋。キュッと引き締まった口元。そして、純白のマントに黒ビキニという究極の変態ルック……。

「……って、ええーっ!」

 情報を整理している途中で、美江は仰天のあまり反射的に何歩か後ろに飛びのいてしまった。

 二人の口喧嘩に終止符を打った存在。それは何と、何時間にも渡って探し回っていた皇帝その人であった。よくよく見ると、シープソンだとかいう羊みたいな執事までおまけについている。

「全く。地球人というのは、どうも血の気が多い生き物らしいな。くだらぬことで言い争いおって」

「陛下も以前、マントをほんの少し破られただけで怒り狂われておられたので他人のことを強く言えないような気もいたしますが」

「やかましい! 貴様、主君にたてつく気か!」

「ひっ! す、すみません」

 皇帝は執事からのごもっともな指摘に対し、裁縫道具か何かで一生懸命修復した痕跡のあるマントを翻しながら一喝した。

 喧嘩を止めるためにふらりと現れておいて、自分自身があっさりと理性をすっ飛ばしてしまうとは。こいつにだけは、地球人がどうのこうのとは語られたくないものである。

「ねえ、あいつニュースでやってた奴じゃない?」

「あの、手から火を吹く男? うわっ。本当だ!」

 野次馬達も、目の前の男の正体に勘づき始めたらしい。ある者は驚き、またある者は恐怖心にかられて逃げ惑う。そしてある者は、スマートフォンを片手に呟きを拡散しまくっていた。

「ふーん。てめえが皇帝とかいう奴か。てめえのせいで、どれだけの損害が出ているのかわかってるんだろうな」

 永山はキッと目をつり上げると、皇帝に対し詰め寄っていく。

 こういうところだけは、生まれ持った容姿もあってか、わりと格好がついているようにも感じられる。

「ほほう、損害とは?」

「そりゃあ、決まってるだろ。てめえのせいでな、俺はさんざんバイトに行き損ねたりだの、余計なパトロールだのに貴重な時間を割かれまくってるんだよ。金額にしたらな、半端ない額に換算できるくらいの被害を、この俺に与えてるって言ってるんだよ」

 駄目だこの男。というか、一周回って流石と褒めるべきだろうか。皇帝に詰め寄る動機が地域の平和がどうこうなどではなく、自分がいかほどに損をしたか。今に始まったことではないが、ちっともヒーローらしくない。

 美江が心底呆れていると、今度は皇帝の方が切り返した。

「ほほう、我に物怖じもせずに食らいつく度胸があるとは。お主、何者だ」

「名前を名乗るより、肩書きを言った方がわかりやすいかもな。聞いて驚くなよ。俺はな、この地域の平和を守らされているヒーローって奴だ」

「何? ヒーローだと」

 皇帝は目を見開くと、その端麗なマスクを引きつらせた。

 やはりナーゾノ星ではヒーローは悪評高い存在であるのか、その瞳に並々ならぬ敵意を宿し始めている。

「ああ、そうだよ。で、俺はこれからヒーローとして、てめえに制裁を与えるってわけだ。せいぜい覚悟しておけ」

「ほう、それは面白い。我もちょうど、貴様に用があったところなのだ。本当は、今すぐにとでも行きたいところなのだが」

 皇帝は意味深な発言をすると、周囲をきょろきょろと見回した。そして様子をある程度確認し終えると、すぐに永山の方へと向き直った。

「ここで拳をぶつけ合うようなことになれば、後々面倒なことになるやもしれぬ。では、決戦の地にふさわしい場所へ移動しようではないか」

「は? てめえ何を……うわっ!」

 突如吹き荒れた烈風に永山がひるむと、皇帝の身体から霧のような物質が放たれた。

 風に乗った霧は、美江と永山をあっという間に包み込んでいった。

「な……何なのこれ……ケホッ」

 視界の自由が奪われていき、感覚が徐々に麻痺していく。

 美江の意識は、目の前に広がる世界が真っ白に染め上げられたのと同時に途絶えた。


「う……」

 乾いた風を頬に受け、美江は目を覚ました。

「どこなの、ここは」

 地面に投げ出されていた身体をどうにか起こし、辺りを確認する。

 先程までいた町中から一変し、目の前に広がるのは岩や崖と砂くらいで、人の住んでいる気配は全くない。どうやらここは、どこかの荒地らしい。

「何なの。これじゃあまるで」

「特撮ドラマとかの戦闘シーンとかで使われる、撮影現場みたいだな」

「そうそう。あのゴロゴロした岩辺りに爆薬とかが仕掛けてあってー……って」

 横槍が飛んできた方に視線を向けてみると、そこには眠そうな目を手の甲でこすっている永山の姿があった。

 とんでもない事態に陥っているにも関わらず、大きな欠伸までかましていて緊張感というものが皆無である。

「目が覚めて早々、よくも空気をぶち壊すようなことを言えるわね。普通だったら、『まさかここは、ナーゾノ星?』とか『ここはひょっとして、奴が生み出した異空間?』みたいに思うんじゃないの?」

「また出たな。ドラマの観過ぎだって何回言わせたら気が済むんだよ。俺、昔ここに来たことがあるんだ。確か、何かのエキストラのバイトの時だったかな。俺達が住んでる地域から、そんなに遠くはないところだったと思うけど」

「……」 

 これ、まさかの近距離瞬間移動だったんかい。

 充分すごいことなのだろうけど、何か微妙やないかい。

 美江が心の声にエセ関西弁を交えてしまうほど現実と空想の差に打ちひしがれていると、どこからともなく「ふっふっふ。ようやく気がついたか、ヒーローよ」と、余裕を含んだ声が聞こえてきた。

 顔を向けてみると、そこにあったのはいかにも戦隊ヒーローなどが乗っかっていそうな高い崖で、その上に皇帝とシープソンが立っていた。

「ふん。高いところから失礼しまーすってか?」

「我はそんなつまらぬシャレをかますほど、暇を持て余してはおらぬ」

「シャレがつまらなくて悪かったな。あと、格好つけるためだけに崖にわざわざよじ登ってる時点で、相当な暇人だと思うんだが」

 永山は後手に縛った髪をいじりながら、皇帝に対し適当な受け答えを繰り返す。 これは挑発のための計算なのか。それとも、面倒くさくて何も考えていないだけなのか。

「わはは、そうだ。我を笑わせたければ、もっと面白いシャレをかますのだ。貴様如きのユーモアのセンスで、我の腹筋を崩壊させることなど不可能なのだ」

 駄目だ。永山の適当な発言にも問題はあるが、皇帝は皇帝で頭のネジが変なところについているらしい。

 美江が軽い頭痛を催した頃、シープソンが話の路線を元に戻すため、皇帝に耳打ちをした。

「あの、わたくしが言うのも大変差し出がましいかもしれませぬが、そろそろ本題に入ってはいかがでしょうか」

「うむ、それもそうだな。ヒーローよ、我は貴様に聞きたいことがある」

「キャッシュカードの暗証番号なら、死んでも教えねえぞ」

「永山!」

 ふざけた言動を続ける永山に苛立った美江は、怒号を響き渡らせた。

「やれやれ。人がちょいとばかしふざけたらすぐこれだ」

「あんた、時と場合って言葉を知らないわけ? 少しはタイミングとかを考えなさいよ」

「いや、今のシャレのタイミングはなかなかよかったぞ。ヒーローよ、少し面白かったぞ」

「お、そうか。ありがとうよ」

「陛下!」

 シープソンがダブルボケの漫才みたいになりかけている会話をどうにか制止すると、皇帝は咳払いをし、曲がり倒している話の路線を強引に元に戻した。

「我が聞きたいことは、カードの暗証番号でも、ユーモアのセンスがきいたシャレなどでもない。ヒーローよ、貴様は我が地球に派遣したかわいい部下達をさんざん痛めつけてくれたようだな」

「それが仕事だからな」

「異星人を全て排除するのが仕事というわけか。何と非情なものよ。そのような存在を、我は決して放ってはおけぬ」

「ほっとけない、ねえ。じゃあ、俺をどうしようっていうんだ」

「この我が自ら示してくれよう。貴様が犯してきた、幾多の罪の重さを!」

 皇帝は崖からいきなり飛び降りると、軽やかに地面に降り立ち永山を見据えた。口元に微笑をたたえながら、こう高らかに宣言する。

「ヒーローよ、今日が貴様の最期だ」

「ほう、てめえの方が俺よりよっぽどユーモアのセンスとやらがあるんじゃねえか。今日が俺の最期だなんてさあ。そんなシャレ、なかなか思いついたもんじゃねえよ。その言葉、そっくりそのままお返ししてやるからな」

 ヒーローと皇帝。相反する二人の間で、他者をも寄せつけぬ気迫がぶつかり合う。それは今までの間の抜けたやりとりを全て帳消しにするほど、凄まじいものであった。

「ひいっ……へ、陛下。待って下され。わ、わたくしはまだ、地に足をつけられておりませぬーっ」

 そんな中、シープソンがひーひー言いながら、へっぴり腰で崖をちょびっとずつ降りている。

 しかし、せっかく作り上げられたシリアスな雰囲気が破壊されるのも何だかもったいない気がしたので、美江はあえて哀れな羊を黙殺することにした。


「もう少し気張りなさいよ、永山……」

 あれから数分。美江はヒーローと皇帝の死闘を、少し離れた岩の陰から見届けていた。

 それは端から見ているだけの者にとっても、固唾をのまずにはいられないほどの戦いであった。

「我が故郷で流れていた噂は伊達ではなかったか。地球人如きが、ここまでやるとはな」

「へっ。てめえも皇帝だとかいうクソ偉そうな肩書きを持ってるだけあるじゃねえか。今まで俺にやられてきた怪人の中で、一番かもしれねえ」

 皇帝が繰り出す突きを的確に見切る永山。それをかわした後に放った回し蹴りをいともたやすくよける皇帝。これぞまさしく一進一退の、白熱した肉弾戦。最終決戦として、申し分ないのではないだろうか……。

「そういえば黒沢さん。全然出てくれないわね。大変なことになってるっていうのに」

 美江は戦いのことを気にしつつ、携帯電話を眺めながら首をかしげた。

 先程から、皇帝と遭遇してそのまま戦うはめになったということを連絡するために電話をかけ続けているのだが、どういうわけか全くつながらない。アンテナは立っているので圏外ではないはずなのだが、ひょっとして単に、着信に気づいていないのだろうか。

「怪人の情報をもみ消すのに集中してたら気づかなくても仕方ないかも。それにしても、いつまで続けるつもりなのかしら。永山も、変身すればいいのに……」

 美江は崖の真ん中辺りで腕をプルプルさせているシープソンを極力視界に入れないようにしながら呟いた。

 二人の身体能力はほぼ互角なのか、なかなか決着がつきそうにない。ただ、互いの攻撃によるダメージが蓄積し始めているのか、少しずつ息が上がってきている。しかし、ほとんど条件が同じに見える両者であるが、現在の状況で不利なのは永山だ。何故なら皇帝には、地球人には備わっていない火球を放つ特殊能力があるからだ。今のところはタイマンで戦っているというプライドからなのか、自分の能力のことをさっぱり忘れているからなのかは定かではないが、火球を生み出そうとする気配すら見せない。でもここで、皇帝が永山に向かって火球を浴びせれば……。

 せめて恥を捨てて変身して肉体の耐久力さえ上げてくれれば、こんな余計な心配なんてしなくても済むというのに。

「しぶといんだよ。おらあっ!」

「ぐっ」

 永山のキックが脇腹に命中し、皇帝は顔を歪めながら数歩後退した。

 あんな人間離れをした威力の攻撃を受けては、怪人といえども苦しまずにはいられないだろう。

 だが、皇帝はすぐに表情を元に戻し、どういうわけか微笑まで浮かべ始めた。

「やるではないか、ヒーローよ。貴様の強さ、想像を遥かに超えておったわ。久々に、本気を出してみようか」

「本気? てめえ何言って……がはっ!」

 皇帝は瞳を怪しく光らせると、目にも止まらぬ速さで永山に接近し、その頬を強く殴りつけた。

 屈強なはずのヒーローは、無残な格好で硬い地面に転がった。

「く……ゲホッ」

 永山は口から血を垂らしながら、よろよろと立ち上がる。皇帝はそれを、強者の余裕をにじませながら眺めていた。

「貴様、その程度の力で我に勝てると思っていたのか。我は王家の中で一番の武力を誇る、言わばナーゾノ星最強の存在。脆い地球人如きに敗れるわけがなかろう」

「うう……てめえが最強であろうがなかろうが……知ったことか。例えてめえがナーゾノ星とやらで最強だったとしても、どうせ所詮は井の中の蛙って奴だ」

 永山の悪態に対し、もう少しで地に足がつけられそうな状態にあるシープソンが「な、何を言う。へ、へ、陛下は井の中の蛙などでは」だの「ナ、ナ、ナーゾノ星の王位は、武術大会により決められるのです。その中で勝ち残った陛下はすなわち」だのと皇帝に対するフォローやら補足やらをしているのだが、完膚なきまでに無視された。

「ほう、我の拳をまともに受けてまだ減らず口を叩けるのか。しかし、もう立っているのもつらいだろう。今、楽にしてやろう」

 皇帝は再び拳をかまえ、瞳を怪しく光らせた……が。

「……あ、殴るよりも、火球を放った方が早く楽にしてやれるか。我には火球を放つ能力が備わっていることを、すっかり忘れておった。でも、ここでわざわざ能力を放つというのももったいない気が」

 こいつ、ガチで自分の能力のことを忘れてたのか。

 震える羊が相手にされなくてもなお、結局深刻な雰囲気は見事にぶち壊された。

「でも、このままじゃ」

 皇帝が間の抜けたことを言いながら何やら迷っているため隙が生まれているが、それでも永山の劣勢は変わらない。

 もしこれが創作の世界の話であるのならば、ここで勇敢な助っ人が現れてヒーローの窮地を救い、共闘をして悪を滅ぼすという展開にでもなるのだろう。だが、生憎これは現実世界の話。そんなご都合主義的に物事が運ぶわけがない。

「永山……」

 それでも美江は岩の陰から身を乗り出し、奇跡が起こってくれるように祈った。ヒーローが皇帝に追い込まれるところを、監視役として遠くから見守ることしかできない自分の無力さを呪いながら。

 確かに永山は、金に汚くて猛毒を次々に吐き散らす外道だ。声の聞き心地も悪いし、度々任務もサボる。それでも、理由や動機はともかくとして、地域の平和を命がけで守ってきたヒーローであることには変わりない。ヒーローが最後に、皇帝に敗れるなんてことがあってたまるものか。

「このままでは生殺しも同然か。では、そろそろ行くとしよう。やはり、最後は華々しく決めるとしよう」

 皇帝はとうとう力を込め、炎をまとった指先を永山の方に向けた。

 もはやこれまでか。そう思った瞬間。

「ふう、やっと地に足をつけられ……」

「うわあっ。ちょ、ちょ、ちょーっ!」

「メ⁉」

 しばらく振りに地上に降り立ったシープソンが安堵したかと思うと、どこからかこの場に似つかわしくないバイクの爆音が流れてきた。

「よけて、よけて、よけてーっ!」

「メエエエエーッ! ! !」

 シープソンの元に大型のバイクが猛スピードで突っ込み、哀れな羊みたいな執事はそのまま、とてつもない勢いですっ飛んでいき……。

「メギャアアアアアー!」

「うおおおおーっ!」

 ドスッという、聞くだけでも非常に痛々しい鈍い音を立てながら、皇帝の背中に直撃した。

「ぐ……ぐうう……」

 これには皇帝も参ったのか、歯を食いしばりながら目を見開いたかと思うと、グラりとバランスを崩した。そして。

「あ」

 衝撃で気が緩んだのか、皇帝の手によって作られた火球がその指先から離れた。だが、シープソンがぶつかってきたことで照準に大きくずれが生じた。

「し、しまった……!」

「えっ」

 燃え盛る火球が向かったのは、岩の近くで立ちすくむ美江の元だった。

「よけろ、花咲!」

「あ……あ……」

 よけろと言われても、いくら距離があるとはいえ、高速で迫ってくる火球に対し凡人が即座に反応できるわけがない。足がすくんで、動かすことができない。

 頭が真っ白になり、呆然と立ち尽くす美江に火球が迫る。その時、失われた正気を引き戻すような、やかましい声色が耳に届いた。

「くそっ……〇〇八‐三一五!」

 これは何かの番号か? 今まで、一度も聞いたことがないような……。

 状況を整理する間もなく、まばゆい光が辺りをカッと照らす。眩しさのあまり目を閉じたのと同時に、美江の身体に強い衝撃が走った。

「きゃあっ!」

 投げ出されるようにして地面に接触し、わずかながら傷は負ってしまったらしい。しかし、どういうわけかはわからないが、火球の直撃だけは避けられたようだ。

「く、苦し……」

 それはいいのだが、この締めつけられるような苦しさは一体。

 目をそっと開けてみてようやく、美江は自分が何者かの胸に顔をうずめていることに気がついた。

「え、ちょ、ええっ!」

「嫌がってんじゃねえよ。ったく、俺が助けてやらなかったら今頃、てめえは丸焼きになってるところだったんだぞ。少しは感謝するんだな」

「か、感謝って……あ」

 圧迫から解放されてから見上げてみると、そこには頬に痣を作った永山の顔があった。

 奴が殴りつけられた際に転がっていた場所から身をひそめていた岩の近くまで、それなりに距離があったはず。それなのに、何故こいつがここに。

 当然の如く湧いて出る疑問であったが、それは永山の全身がどんなことになっているのかを把握することによって何となく察することができた。

「……」

 ピカピカの赤ジャージに身を包んだヒーローは、どこに行ってしまったのか。

 いつもは後手にまとめられている髪は下ろされ、頭部には孫悟空だとかがつけていそうな金色の輪っかが輝きを放っている。上半身はピッチピチの生地で作られた青いタンクトップで、下半身もまたそれに負けず劣らずのピッチピチ具合の黒タイツを身につけており、背中には短いマントが情けない感じでなびいていた。ピンクのブーツでとどめかと思いきや、腰には目に悪い虹色のベルトをつけ、そのバックルにはおっさんの馬鹿笑いのような謎の模様まで刻まれている。

 永山のこの奇妙という語だけでは表現しきれない服装をしている理由。そんなもの、これしか考えられない。

「こ、これが噂のヒ……ヒーロー……スー……」

 でも、まさか。ここまでの代物であったとは。い、いけない。この場面において、あのリアクションだけは絶対にやってはいけないと頭の中ではわかっている。だけど、だけれども……。

「ぷっ!」

 許せ、永山。後で慰謝料とやらを請求されてもいいから、今回ばかりは許してくれ!

 腹をくくった美江は、必死に強張らせていた顔面の筋肉を緩め、ありのままの感情をさらけ出した。

「きゃっはははは! はっはっ……ひっく。ぎゃっ、ぎゃっははははは!」

「てめえ、命の恩人に対して笑い転げるってどんな神経してるんだよ! ふざけんな! ! !」

 自身の恥の権化に等しい出で立ちを馬鹿にされまくった永山は、頬の痣が目立たなくなるほど顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。

 普段は理不尽な怒り方が多い奴ではあるが、今回ばかりは憤慨しても仕方ない。

「だ、だ、だって。え? 何でお猿さんがつけてるような輪っかなんて頭につけてるの? タンクトップのサイズがピチピチなの? バックルに変なおっさんの満開の笑顔が描いてあるの? 靴もよりによってピンクなの? でもって、黒タイツの股間がもっこ……ぷっ。む、無理。やっぱ我慢できない。きゃはははは!」

「俺に聞くな! そんなこと、これをデザインしたクソ野郎にしかわかんねえよ。くう……これも全部、あいつのせいだ。あいつが余計なことさえしなけりゃ、こんな格好……」

 永山は尋常ならざる殺気を放ちながら、いつもの数十倍は恐ろしい眼光を怪人達の方に向けた。

 突然現れたバイクにはねられるという、どこかデジャブを覚える悲劇に見舞われたシープソンは鼻血を垂らしながら失神したままだが、皇帝は膝をついたままこちらを見据えていた。

「何だこの野郎。てめえまで俺を馬鹿にしようってか。誰のせいでこんなことになってるのか、わかってるんだろうな」

「……」

 指をパキポキと鳴らしながら威圧する永山に対し、皇帝は沈黙を貫く。

 一触即発の気配が再来したかと思ったが、ここで崖の方から「うーん……」という、非常にのんきな声が聞こえてきた。どうやら、例のどこからか湧いてきた暴走バイクのライダーが意識を取り戻したらしい。

「うー……スピードを出し過ぎちゃったかなあ。バイクを運転するの、久し振りだったし。あーあ、こりゃあレンタルショップに修理費を払わないと駄目だなあ」

 ちょっと待て。数分前は半狂乱じみた口調だったため気がつかなかったが、ひょっとしてこの美声は。

 美江は笑うのをピタッとやめ、おそるおそる確かめる。

 ライダーがヘルメットを脱ぐと、その下にはとてつもなく見慣れた顔があった。

「いやー。歳も歳だし、無茶だったかな。いてて、後で念のために病院行っておこう」

 ライダーの正体は、KTHにいるはずの黒沢だった。

 何で貴方がここにいるのでしょうか? 

 美江がそう尋ねる前に、口を開いたのは永山であった。

「こんなところで何やってんですか、黒沢さん」

「え、あ、永山君? それは……ぶっ! ぶわっははは!」

「……貴方まで俺のことを笑いますか。今の俺を怒らせることほど、命知らずな行為はないと思いますけどねえ」

 やはりこのスーツには、人を笑いのツボに突き落とすという恐ろしい効果が備わっているらしい。

「あえてもう一度聞きます。どうして貴方が、この辺ぴな荒地まで来ていらっしゃるんです? いつもなら、俺が戦っている間もKTHのレザー製のイスに座ってのほほんとふんぞり返っているというのに」

「だ、だ、だって。怪人の情報をもみ消す傍らでパトロールをしている永山君と花咲君の動きをパソコンで確認していたら……ぷぷっ。急に瞬間移動とかしだすんだもの。これはもしや、皇帝との決戦が巻き起こっているんじゃ? って直感してさ。これは見届けた方がいいかなと思ってバイクを借りてここまできたらこんなことに……ぷーっ!」

「まだ笑いますか。何かもう、怒りを通り越して殺意が芽生えてきたんですけど」

 永山から、何やらどす黒いオーラのようなものがにじみ出てきているような気がする。宣言通り、奴の心のブレーキは崩壊寸前のようだ。

「おい、ヒーローよ。ちょっといいか」

 ここで何を思ったか、今まで黙りっぱなしだった皇帝が険しい表情のまま語りかけた。

 ある意味では怪人を超越した存在になりつつある永山は、頬を引きつらせながらそちらに目をやった。

「あ? そろそろ戦いの続きでもおっぱじめようってか? 言っておくが、今の俺はさっきまでの俺とは違うからな。このスーツはな、見てくれこそこんなだが、性能だけは確かなんだ。地球最高峰の技術力で徹底的に強化された俺に、ついて来られるかなあ」

 この、誰にも真似できないような残酷な笑み。間違いない。永山は、溜まりに溜まったストレスを皇帝にぶつけることで発散しようとしている。ああ、何と恐ろしいことか。過去に聞いた話が本当だとすれば、このふざけたデザインのヒーロースーツには身体能力を飛躍的に上昇させる能力があるはず。元から備わっている化け物並みの強さにそれが加わり、さらに怒りが入り混じった状態の永山と戦ったら、相手が怪人だとしても色々な意味でまずいのではないだろうか。

「さあ、どうした。早くかかって来いよ。最強の皇帝様とやらが、ご当地ヒーロー如きに怖気づいたんじゃねえだろうな」

 永山はお得意の挑発を披露するが、皇帝は眉一つ動かさないまま静止している。

 果たしてこの男は、何を企んでいるのか……。

 緊張が走る中、皇帝はとうとう行動に移した。

「なっ!」

 皇帝は瞳を怪しく光らせたかと思うと、目測だけでもかなり遠いことが推察できる距離を一瞬にして詰め、永山の手を力強く握りしめた。

「は、離せ! 何する気だっ」

 どれほどの馬鹿力なのかはわからないが、ヒーロースーツを着用している永山が振り払えないでいる。皇帝の実力というものは、地球最高峰の技術をもってしてもかなわないくらいに強大なものなのだろうか。

「ええい、おとなしくせぬか。我は貴様……いや、お主に話があるのだ」

「はあ? さっきから、さんざん拳で語り合っただろうが。これからその続きを」

「つまらぬシャレはいらぬと言っているだろう。これは、ナーゾノ星と地球の関係性に大きく関わることなのだ」

 皆の予想と反し、皇帝には桁違いの戦闘力を振るう意志は全くないようである。これには誰もが、困惑するより他はなかった。

「ナーゾノ星と地球がどうしたって? 敵意を向けてくる相手に対しては、敵意で返す。そうなるのが世の常ってもんだろ。怪人をバカスカ送り込んできて地球の平和を乱しまくっておいて、今更話なんて」

「待て。今、我々が地球の平和を乱しただとか言わなかったか。そんなことをした覚えはないぞ」

「ふざけんな。あれだけわけのわかんねえやからをよこしてきたくせに」

「わけのわからんやからとは、失礼な。我は、この星の高い文明を至極評価しておる。配下の中から優秀な者を抜粋し、交流を持つことが可能かどうかを判断するために地球について下調べさせたことはあったが、危害を加えようとした覚えはないぞ」

「……は?」

 気のせいだろうか。話が段々と、わけのわからない方向に進んでいっているような感じがするのだが。

 まさかのカミングアウトのせいで一同の目が点になっている中、皇帝はそんなことをなど気にも止めずになおも語った。

「しかし、地球人というのはどういう民族性をしておるのだ。部下達の話によれば、町に姿を見せただけで疎まれ、挙句の果てにはヒーローを名乗る者に一方的に痛めつけられて星に送り返されてきたというではないか。それを聞いてから、部下達が不憫で不憫で」

「いや、あの……ちょっといいか」

「?」

 皇帝の意味不明かつ理解不能の演説を、永山が遮った。そして、奴にしてはだいぶマイルドな口調でゆっくり順を追って尋ね始めた。

「今までこっちに来てた奴らは、てめえに何かかんかを命令されてたってわけか」

「ああ、そうとも」

「あのな、少し前にこの地域のスーパーに試食を食い荒らすジジイが出たことがあるんだが、そいつには何をしろって命令してたんだ」

「ジジイ? ああ、ひげを生やした側近のことか。奴には、地球の食文化について調査をするように命じておったはず。食文化は国と国……いや、星と星との間をもつなぐ素晴らしい力を持っておるからな。外交の際にも、重要な鍵となる可能性も秘めていると我は睨んでおる」

「……。じゃあ、耳障りな音楽をギャンギャンかき鳴らしまくっていた、うるせえ三馬鹿は何だったんだ」

「彼らは我が星では有名な音楽バンド。彼らの音楽を受け入れてもらえるかを判断されるかどうかをみて、地球とナーゾノ星の芸術に対する感性に共通点があるかどうかを判断しようと考えておったのだ。星々の間で芸術性が違うとはいえ、まさか三人そろってボロボロになって帰ってくるとは思わなかった」

「……。じゃあ、地球のブサ……ゴホン。女をさらって、ナーゾノ星に連れ去ろうとした奴は」

「いや、あれはだな……その。調査から戻った部下達の話によると、地球のおなごには美しい者が多いという話であったから、親衛の一人に選りすぐったおなごを説得して、了承を得た上でナーゾノ星に連れてこいと命じたのだ。ほら、地球には国際結婚などというものがあるそうではないか。我もそれにあやかり、そろそろ他の星から妃をと。我が選んだ親衛に美的センスというものが欠落していたという点は認めよう。あの後奴が任務に失敗した罪滅ぼしにと持ち込んできた縁談の相手が、その、口に出すべきではない感じの者達ばかりだったからな」

「……。じゃあ、俺を狙って片っ端からヒーローショーを襲っていた筋肉馬鹿は」

「あれは、度重なるヒーローからの地球調査の妨害行為の報告に耐えかね、ヒーローを懲らしめてくるように我が精鋭屈指の猛者を派遣したのだ。だが、あれほど頭の方が弱かったとは。関係のない者を巻き込んだという点に関しては、謝罪しておかねばならぬな」

「……。じゃあ、結構前に現れた、食い逃げを繰り返してたチンピラみたいな野郎は」

「ん? 食い逃げを繰り返したチンピラ? そんな者、我は知らぬぞ。勝手に地球に遊びに行ったはぐれ者ではないのか」

「…………」

 な、何てひどいオチなのか。

 皇帝の口から語られた真実を聞いた美江は、愕然とするより他はなかった。

 ナーゾノ星から送り込まれてきた怪人達のほとんどに、地球人に対する悪意がなかったということはよくわかった。しかし、そんな馬鹿馬鹿しい事情で派遣されてきた怪人を倒すために、今までヒーローは日夜戦い続けていたというのか。ああ、報われない。地球侵略がどうとか、世界征服がどうとかいう大規模な野望が裏に見え隠れする展開というのは、やはり現実においては夢物語だったのか。

 特撮ドラマ好きが聞いたら発狂しそうな、怪人達の地球に襲来する理由のせいで場の空気は既に荒れ放題であるが、こんなのはまだ序の口であった。

「まあ、そんなことはどうでもいいことだ。我がお主に話したいことというのは、そのことではないのだから」

 いや、よくないから。それ、全然どうでもよくないことだから。

 美江が心の中でツッコミを入れている間にも、皇帝のマイペースっぷりに歯止めがかかることはなく、永山の拳を握ったまま話し続ける。ただ、その手つきはどことなく柔らかなものに変わりつつあった。

「我は部下達の失態を情けなく思い、文化の調査を兼ねて自らヒーローに制裁を与えるために地球へ降り立ったのだ。でも、そんなことはもう、どうでもよくなってしまった」

「な、何だよその目は。気色悪い」

 永山は何を感じ取ったのか、己の拳を握る手を振り払おうと必死になる。だが、相手の力が尋常ではないためか、距離をとることすら叶わない。

「人の話を最後まで聞かぬか。本来ならば、かわいい部下達に甚大な危害を加えたお主を許すわけにはいかぬ。しかしだな、我が提示する条件を飲むというのであれば、全てを水に流そう」

 え、何? この展開。ひょっとしてこの男、妃がどうとか言っていたくせに……まさかの両刀なのか?

「い、いや、待ってくれ。お、俺は絶対に嫌だからな」

 美江と同じ結論に行き着いたのか、永山は顔面蒼白になりながら激しく首を横に振った。

 何だかものすごく気の毒な感じもするのだが、一人の男の貞操を犠牲にするだけで星と星との間に生まれつつある確執が消え去ってくれるのであれば、安いものだろう。

「永山君、これは地球とナーゾノ星のためだ。ぜひとも皇帝さんの条件を飲んでやってね」

 黒沢も駄目押しとばかりに、爽やかな笑顔でむごいことを平然と言い放つ。

 それのせいもあって、永山の抵抗はますます強まるばかりであった。

「嫌だって言ってるでしょうが! 俺には、そんな趣味はないんですよ」

「え、でも、オカマバーで働いていたことがあるんだよね?」

「とっくにやめましたよ! それにあれは、あくまでも仕事ですから」

「これだって、仕事みたいなもんだと思うけどなあ」

「でも、嫌なものは嫌なんです。こればかりは、本当に嫌なんです!」

 間の抜けたヒーロースーツに「嫌なんです!」の連発が相乗効果を発揮し、永山は大変情けない状態になっている。その姿に、皆が理想とするヒーローの面影というものは全く見られない。

「ヒーローよ、さっきから何やらわけのわからぬことを抜かしてばかりいるが、何がそんなに嫌なのだ」

「てめえがに決まってるだろうが! 本当、マジで勘弁してくれよ」

 落雷などにも勝る怒鳴り方に、皇帝はビクッと肩を震わせた。そして、今度はやや伏し目がちになりながら悲しそうに呟く。

「そうか、やはり我は受け入れてはもらえないというわけか。いくら故郷で最高権力者として崇められていたとしても、ここでは一介の異星人。やはり難しい話だったか」

「いや、異星人だからというか……それ以前の問題というかさあ」

 下手に刺激しては、地球人では対抗できない強さを発揮して辺りに被害を与えかねない。だからといって、ソフトな言葉づかいで慰めようものならそれはそれで地獄を見る。どうすればいいのかわからなくなったらしい永山は、対処にひどく苦しんでいるようだった。

「あのな、本当あんたがどこの星出身かとかはどうでもいいんだ。それよりも大きな壁が二人の前に立ちはだかっているとでも言うべきなのかなあ」

「では、我に何かが足りないということなのか。容姿か? 身体能力か? それとも、何やら特別な試験でも受けなければいけないのか」

「いや、試験っていうほどのものでもなくて……ん、試験?」

 このタイミングで耳に飛び込んでくるのは確実におかしい単語が耳に入るなり、永山は眉をつり上げた。

「試験って何だ、試験って」

「お主、地球人のくせに試験も知らぬのか」

「いや、試験ってものをよーく知ってるからここで会話を止めたんだけどな」

「何故だ。会話を止めぬ方が、スムーズに事が運ぶだろう。やはり容姿は最低でもお主程度には整っていなければなるまいな。身体能力は、充分過ぎるほどにあると自負しておるのだが。うむう、やはり適正検査なども突破せねばならぬのだろうな……」

「ま、待て。さっきから何の話をしてるんだよ」

 おかしい。この流れは、おかしいにも程がある。

 皇帝の滅裂な言動に振り回され、聞いている誰もが混乱の渦に否応なしに引き込まれる。

 そんな時、皇帝が真顔でこぼした一言がバラバラだったパズルのピースを一気にはめ込むことにつながることとなった。

「我はお主と同じ、地球のヒーローになりたいのだ。しかしそれは、叶わぬ夢であったか」

「……ええええーっ⁉」

 ただしその一言は、新たな問題を信じられない速さで発生させてくれたのだが。


「我の出番はまだか。こんなに暇では、身体がうずいて仕方がない」

「落ち着けよ。ヒーローなんか、暇な方がいいんだからさ」

 ここはKTH。現在は丸イスに腰かけた永山が、呆れ顔でナーゾノ星皇帝……いや、元・皇帝をなだめているところであった。

 ちなみに、今の元・皇帝は、見た者全てを絶句させる悩殺変態ビキニスタイルではなく、別の格好をしている。それは、永山が決戦の時に見せたヒーロースーツの、カラーリングが派手なバージョンのものであった。

「あの、陛下。本当にナーゾノ星に戻られる気はないのですか。今ならまだ」

「黙れ! 我はもう、この地に生きると決めたのだ。帰りたければ、貴様だけ勝手に帰れ!」

「メエッ!」

 元・皇帝からの一喝に、シープソンは怯えきって壁際まですっ飛んでしまった。

「どうしてこうなっちゃったのかしらねえ……」

 美江は冷たい眼差しでそのやりとりを見ながら、円卓に肘をつきつつ溜め息をついた。

 これまでの経緯をサラッと振り返ると、振り返った数だけ何度でも脱力してしまう。皇帝がヒーローになることを志願した理由は、何と永山が変身した際に身につけたヒーロースーツに一目惚れしてしまったからなのだそうだ。あの変態ルックが大変お気に入りのお召し物だったことを考えると、ダサいスーツに惚れ込んでしまうような美的センスを持っていてもおかしくないという解釈ができなくもないが、なかなか厳しいものがある。

 元・皇帝がヒーローになりたがった理由に関するフォローを頑張って入れるとすれば、彼はスーツを着たいというだけでヒーローになりたがったわけではないとのことである。フォローと名を打ちつつこちらも充分脱力必至の理由なのだが、地球を実際に自分の目で見て回ったことで、地球の文化などの至ることにどっぷりはまってしまったのだとか。そんなことの積み重ねで故郷での最高権力者という地位を捨てるなんて、偉い人が考えることは、凡人には一生かかっても理解できそうにない。

「わたくしはあくまでも、貴方様の忠実な執事。置いて帰るなんてことができるわけないでしょう。しかし、いくら地球がお気に召したからとはいえ、故郷をお捨てにならなくても。先日来た使者の報告によりますと、次代の皇帝の地位争いで、ナーゾノ星は大いに揉めているとか」

「ほほう、そうか。それはさぞかし、皇帝になりたいと望む者達が躍起になっていることだろう。つまり、次の皇帝の座は志が高いものが射とめる確率が高い。すなわち、その者に星を任せられると思えば、故郷の心配はしなくてもよいということだな」

「メエェ……」

 羊みたいな執事、実に哀れなり。

「やっぱり、彼らを雇ったのは失敗だったかなあ」

 黒沢がいつものようにパソコンを操作しながら、異星人達のやりとりを眺めつつぼやいた。

 元・皇帝は最初、永山に直談判をしてヒーローにしてもらおうと試みていたが、実際に彼をヒーローとして採用したのはもちろん黒沢である。何でも、以前に超がつくほどのお人好しの怪人である桜井がKTHに雇われたという前例があったため、駄目元で本部に彼を雇ってもいいかと指示を仰いだところ、あっさりOKサインが出てしまったらしい。いくら人材不足のヒーロー職とはいえ、すんなりと悪の親玉みたいな奴を受け入れてしまうとは。果たして、本当にこれでいいのだろうか。

「安心して下され、黒沢殿。我は必ず、ヒーローとして輝かしい活躍を収めてみせますぞ。この最高のスーツと、我の類まれな素質が手を組めばもはやこの地域……いや、地球が危機にさらされることはないと思っていただいてもかまわぬ。はっはっは」

「そ、そう。あの、最高のスーツね。はははは……」

 きっと黒沢は、KTHに厄介者を増やす一因となったヒーロースーツを張り倒したくて仕方がないに違いない。何せ彼だって自分の意志で元・皇帝を雇おうとしたのではなく、永山に「権限があるのはあっち」とパスをされた後にしつこく元・皇帝に言い寄られたことで根負けし、口利きをしてやるはめになったのだから。

「ところで黒沢さん。ここにやる気満々のルーキーがいるんですから、俺までKTHに留まっている必要はないんじゃないですか? おまけに、新人教育にまで付き合わされて。勘弁していただきたいんですけど」

 永山が不満気に苦情を言うと、黒沢もまた比例するように不機嫌になる。

 元・皇帝とシープソンのやりとりも見飽きたが、美江にとってはこの二人が決まったように行うこのくだりも、充分うんざりするものだった。

「あのね、どの世界においても、先輩が後輩に指導をするのは当然のことだろう。そこのところはきちんとわかっているんだろうね」

「わかってますよ。でも、新人教育がろくに給料に加算されないことが不満なんですよ。そうですねえ、新人教育に特別手当をつけて下さるのであればやる気を出してもいいのですが。あと、この間俺の貞操を生贄に捧げようとした分の慰謝料を追加して下さればめちゃめちゃやる気出しますけど」

「君は一体いくらむしり取ろうとしているんだい。まあ、その、ね。勘違いだったとはいえ、生贄の件に関してだけは丁重に謝らせていただくけど」

「黒沢殿、生贄の件とは」

「貴方は知らなくてもいいことです」

 元・皇帝からの質問をはぐらかしていると、室内に甲高い電子音が流れてきた。

 本人に事実を伝えるわけにもいかないため、黒沢は神がかったタイミングでの怪人出没の知らせに「よしっ!」と不謹慎な声をもらしながらパソコンを操作した。

「出たね、怪人。場所はA区の自然公園。何か奇声を上げながら叫んで暴れているんだって」

 元・皇帝からの指示がなくなったこともあり、地球で悪事を働いていると認識されていた怪人の多くを占めていたナーゾノ星人の出没情報こそ激減したが、広い宇宙には数えきれないくらいの星がたくさんある。つまり怪人と呼ばれる異星人達は度々地球にお邪魔してくるわけで、奴らが地球にはびこる以上、ヒーローはまだまだ必要とされているわけなのである。

「と、いうことで皆さん。早速この装置で現場に」

「うむ、やっと我の出番が来たというわけか。いざ、世を乱す狼藉者の元へ!」

「ああ、お待ち下され。陛下ーっ!」

「……」

 元・皇帝は黒沢の指示を最後まで聞かず、目にも止まらぬ速さでKTHから飛び出していってしまった。

 ただでさえ人間の身体能力を遥かに超えているというのに、お気に召したというだけでヒーロースーツを常時身につけているのである。それに食らいつくのは、鉄砲玉と徒競走をして一位を獲得するのと同じか、それ以上の難易度であるに決まっている。立場上実質の監視役みたいになっているとはいえ、シープソンがかわいそう過ぎる。

「あのままだと彼、町中で不審者と間違われそうで心配なんだけど。いや、でも、職務質問を受ける前に走って逃げられそうだし大丈夫かな? じゃあ、永山君。君は変身をして転送装置に」

「お断りします。俺は今から、ぼちぼち現場に向かいますから。ほら、花咲も行くぞ。高給もらってる分、ちゃんと仕事しろよな」

「はいはい、わかってるわよ」

 このままだと変身を強いられるのが完全に目に見えている。

 永山の言いぐさに引っかかることも多々あるのだが、美江はぐっとこらえてKTHを後にした。


 外に出てみると、柔らかな日差しがキラキラと降り注いでいた。

 青く澄んだ空を見ているうちに美江は心が和み、怪人が出没したことをつい忘れそうになってしまった。

「こんなにのどかなのに、同じ空の下で怪人が暴れているなんてね。何か、嘘みたい」

「くだらねえこと抜かしてるんじゃねえよ。さっきからボーっと空なんか見やがって。上に顔を向けてたら、そのうち鳥の糞が直撃するぞ」

「あんたって、夢もロマンもない奴よね」

 ヒーローのくせにという言葉は、あえて飲み込んでおくことにした。ヒーローだからって、現実主義者ではいけないという規則はどこにも存在していないと一刀両断されるのがオチだとよくわかっているからだった。

「ロマンはねえけど、夢ならあるぜ。今のうちにがっぽり稼いでおいて、将来は楽隠居するという」

「どこまでも卑しいっていうか、金と欲にまみれてるわね。もうちょっと他のことに脳みそを使えばいいのに」

「他のことって、例えば? 愛とか、恋とかか?」

「あんたの口から、そんな言葉が出てくるなんてね。びっくりだわ」

「お前の思考に合わせてわざと言ったんだよ。自分で言っておいてアレだが、吐き気がしてきた」

 永山はわざとらしくえずいた後、人をからかうようにケラケラと笑い始めた。

 これくらいのレベルのことにはすっかり慣れっこである美江はわりと冷静だったのだが、ふと話の流れとは関係のないことが脳裏に浮かんだ。

「どうした。気持ち悪くなったんだったら、俺からなるべく離れたところで吐けよ」

「さっきから吐く吐くうるさいわね。あのさ、一つ聞きたいことがあるんだけど。いい?」

「何だよ、いきなり改まって。どうせ、たいした話でもないくせに」

「確かに、たいした話じゃないんだけどさ」

 言い出しにくそうに口をもごもごさせていると、永山が「時間の無駄だ、早くしろ」とでも言わんばかりに舌打ちをした。

 少々腹は立ったものの、美江はためらいがちに切り出した。

「どうしてあの時、私を助けてくれたの」

「は?」

「ほら、皇帝と荒地で戦った時のこと。あんた、あれだけ変身するのを嫌がってたのに」

 元・皇帝の手から放たれた火球が飛んできた時、美江は身動き一つとることができなかった。もしあそこで永山の助けが入らなければ、今頃どうなっていたことか。

 燃え盛る火球から、恥をさらしてまで救ってくれた永山。決して良好とは言えない仲であるだけに、その真意を読み取ることが出来ずにいた。

「あー。そのことか。お前ならとっくに、俺が何であんなことをしたのかくらいわかってると思ってたんだけどな」

 永山は淡白な口調で答えながら、美江のことをじっと見下ろした。

「な、何よ。私の顔に、何かついてるわけ」

 長いこと見つめられ続けた美江は、つい喧嘩腰になりながら呟いた。

 永山は中身こそはアレだが、見てくれだけは本当によくできている。そんな奴に長いこと見つめられていると、どうも胸がざわついて仕方ない。

「本当にわかってねえのか」

「え、ええ」

「何だかんだで結構長く、一緒にいるってのにか?」

「そ、そうだけど」

 もしかしてこれは、ドラマの最終回とかでよくある奴なのか。そんな急展開が、自分の身に降りかかろうとでもいうのか。

(いや、でも私、永山のことなんてどうも思っていないし……。いきなりこんな流れになったって)

 様々な想像の末におどおどする美江のことを、永山は変わらず真剣な表情を保ったまま見つめる。

 そして数秒後、とうとう閉ざしていた口を開いた。

「そりゃあもちろん、借りを作っておいて後々役立てるために決まってるだろ。命を救ってやった恩人ともなれば、誰だって恩義を感じずにはいられないはずだからな。毎度のことだってのに、まだ理解できねえのかよ」

「……!」

 やっぱりこいつ、最低だ。こんな最低男に対し、ほんの少しでも心がかき乱されてしまっただなんて。これはもう、末代までの恥に値する愚行だ!

 美江の中で何かがガシャンと音を立てて壊れ、どこかの糸がブチブチッとちぎれた。

「あんたねえ! どこまで心根が腐ってるのよ。人の命を救うことに対して、損得勘定を働かせたってわけ?」

「それの何がいけないっていうんだよ。打算的に動いて得をするのは、人間の特権ってもんだろ」

「へえ、そう。じゃあさ、道端で見るからにお金がなさそうな人が道端で苦しんでいるとして、そういう場合はお礼に期待できないから助けないっていうのね」

「いや、それは助けるに決まってるだろ。そういう奴を見捨てたところを誰かに見られたりなんかしたら、悪評を流されて生きづらくなるからな」

「信じられない。そういう視点でしか物事を見ていないなような奴がヒーローだなんて。情けないったらありゃしないわ」

「まだ言うか。ヒーローは正義の存在っていう概念なんざ、どっかにかなぐり捨てとけ。少なくとも、俺の監視をやってる間はな」

 永山は強い口調で言い切ると、美江から顔をそむけて足早に歩き始めた。

 美江は自分の前を行く背中に目がけて飛び蹴りの一つでもぶち込みたくなったが、ここは暴力行為に訴えず、我慢してついていくことにした。

「大体、あんたって本当に外道よね。仮にも地域の平和を守るっていう使命を背負ってるのに、ほんの少しでも人のためになることを進んでやろうっていう気持ちは湧いてこないわけ?」

「湧かねえなあ。俺の中に湧き出るのは、とめどない金銭欲だけだ」

「どこまでも腐ってるわね。救いようがないわ」

「誰もお前に救ってほしいだなんて思ってねえから。そんなに俺にうんざりしてるんだったら、監視役なんてやめてどこへなりとも行っちまえ」

「いーや、やめない。だって、私が監視役をやめたら、あんたは絶対今以上に好き勝手にやらかすもの。地域の平和のために、全力であんたのことを監視し続けてやるんだから。それが私に課せられた使命みたいなものだもの」

「……俺に告られるって勘違いした奴が、偉そうによく言うぜ」

「何か言った?」

「別に。ただ、プチ火山の噴火が一秒でも早く収まるようにお祈りしてただけだ」

「また言ったわね。プチ火山はやめろって、何度も言ってるでしょ!」

「プチ火山にプチ火山って言って何が悪い。てめえをプチ火山って呼ぶなっていうのは、リンゴに対してリンゴって呼ぶなって言ってるようなもんなんだよ」

「リンゴは天地がひっくり返ったってリンゴであることに変わりはないんだから、リンゴって呼んだって何の支障もないでしょ。百歩譲ってプチはいいわよ。でも、女の子に対して火山はあんまりだと思わない? あの、ドカーンといく火山なのよ。わかってる?」

「勝手に人がつけたあだ名を分解してんじゃねえよ。プ・チ・か・ざ・ん・ちゃん!」

「またさらに悪化させてくれたわね。ちゃん付けにされても、余計にムカつくだけなんだから! あんたって奴は全く……」

 怪人の元へと向かう足は止めない二人であるが、ヒートアップしていく舌戦もまたとどまることを知らない。

 平和うんぬんはともかくとして、地域にささやかな静けさが戻ってくるのはまだまだ先の話になりそうである。

最後までご愛読いただき、本当にありがとうございました。

気が向けばそのうち番外編か、続編を書くかもしれません。

あとがきは、読み飛ばしても支障はありません。

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