第六話 怪人のエレジー
怪人とは、秩序を乱し災いをもたらす悪の象徴。
物語に登場する際は決まって悪党として役割を与えられ、その心の中も悪に染まりきっている憎き存在として描かれることが圧倒的に多い。
しかし、全ての怪人がそうである保証はどこにもない。
遊園地での一件以来すっかり求人誌とお友達になってしまった美江は、KTHの丸イスに腰かけながら求人情報を片っ端から読み漁っていた。
「いまいちピンとくる仕事がないわ。しかも、どれも契約社員みたいな非正規雇用の奴ばっかりだし。嫌になっちゃう」
今更語ることでもないかもしれないが、美江には派遣切りに遭い失業したという苦い経験がある。
そんな悲しい理由から正社員にやたらとこだわり、職を探し続けているのだが、どうも巡り合わせが悪い。
既に何社か面接まではこぎつけたのだが、結果は全て撃沈だった。
「だったら、ここでずっと俺の監視役でもやってりゃいいだろ。あれだけの給料もらっておいて、一体何が不満なんだよ」
己の悲運を嘆いていると、耳に入れるのも不愉快な声が飛んできた。
渋々顔を向けると、そこには本来は黒沢の定位置である場所でくつろぐ永山の姿があった。組んだ足を事務机にどっかりと乗せながら、堂々とふんぞり返っている。
「何が不満なのか、ですって? そりゃあ、あんたの存在に決まってるでしょ」
「ほーう。その、目の前に存在している本人に向かってよく言えるな。投てきヒロインの花咲さんよ」
「変なあだ名を増やさないで。プチ火山だけでもムカつくってのに……。で、どうしてあんたは黒沢さんの席でくつろいでるわけ。いつもならバイトでここにいないか、円卓辺りで内職にうつつを抜かしてるかのどっちかのくせに」
「たまにはゆっくり休まないと、過労死しかねないからな。俺だってさ、月に何回かはバイトも内職も控える日を作ってんだよ。無理して身体を壊したら元も子もねえし」
「ふーん、そう。それはわかったわ。で、どうしてあんたごときがその席でくつろいでるわけ?」
「それはな、鬼の居ぬ間に洗濯って奴だ。黒沢さ、どう考えてもしばらくここに顔を出さなそうだろ」
「まあ、確かに」
KTHの主とも言える存在である黒沢はというと、前日から念願の休暇を取って家族旅行に出かけてしまっていた。何でも、今まで休めなかった分を取り返すかの如く連休を本部から強引にむしり取ったとのことで、旅立つ直前には『休みの間くらいは仕事には一切関わりたくない。絶対連絡とかしてこないでね!』と、壊れ気味の口調で言っていた。
余程普段からの疲れを癒したいのか。それとも、妻と子供からの『たまには仕事を忘れて家族サービスしやがれ!』アピールが強過ぎで頭のどこかがぷっつんといってしまったのか。謎といえば謎であった。
……まあ、どう考えても有力なのは後者の方であるのだが。
「でも、あんたが黒沢さんを鬼に例えるなんてね。いつもの馬鹿にしたような態度からは、黒沢さんを恐がっているようには見えなかったんだけど」
「それは言葉のあやってもんだ。今みたいに揚げ足を取られるほど深い意味を込めた覚えはねえんだけど。まあ、しばらくはガーガー言ってくる奴もいないわけだし、ゆっくり休んだ後はのんびりバイトと内職を」
「そうはいかないわよ、永山君」
「?」
話の途中、どこからともなく聞き覚えのない声が割り込んできた。
二人が視線を向けると、そこには小脇にノートパソコンを抱え、グレーのスーツを着こなす女がKTHの入口近くで佇んでいる姿があった。見たところ、歳は四十前後くらい。黒縁眼鏡の奥に光る目はどこか鋭く、冷たい印象を与える。
美江は記憶を可能な限り振り絞ってみたが、彼女が何者なのか全くもって見当がつかなかった。
「あの……えっと?」
「貴女が花咲美江さんね。黒沢さんから話は伺っているわ」
「はあ」
女はどう見ても若くはなさそうなのだが、黒沢のことを敬称つきで呼んだ。絶対にこのタイミングで思うべきことではないだろうが、どうしても気になってしまう。
声が届かないのは承知で、あえて心の中で呟こう。黒沢さん、貴方は一体何歳なのですか。
「ああ、一応自己紹介をしておいた方がいいかしら。私の名前は立花英子。普段はKTHの本部で働いているけど、今回は休暇をとった黒沢さんの職務を代行するためにここに派遣されたの。ほんの少しの間だけれど、よろしく」
「は、はい……」
美江は英子の毅然とした態度に緊張し、つい畏縮してしまった。
いかにもやり手な上司にいそうな、パリッとしたしまりのある雰囲気。比較的砕けた印象が強い黒沢とは、かなり風格が異なる。
「ふーん。貴女が黒沢さんの代役というわけですか。ま、これも何かの縁ですね。よろしくお願いします」
永山はかったるそうに欠伸をしながら、とても目上の相手にするべきとは言えない口調で適当にあいさつをした。
当然それは心証を悪くすることに直結する行為であり、英子の顔つきはみるみるうちに険しくなった。
「永山君。いい加減にそこからどいていただけないかしら」
「あー……ここに座りたいんですか?」
「そんなの聞くまでもないことでしょう。私は、黒沢さんの仕事の代行をしにきたのだから」
「でも、それだったら他の席でも充分に仕事はできますよね? 自分でパソコンまでお持ちになられているようですし」
「貴方が座っているその席には、作業に必要な書類だとかがたくさん備えられているの。私の業務は、貴方の内職と違ってどこでもできるっていうものじゃないの」
「それは嫌味ですか?」
毒を含んだ言葉を耳にするなり、永山の眉がピクリと引きつった。しかし、英子は動じることなく冷淡に切り返す。
「ええ、そうよ。もしかして、今の発言をパワハラだとでも訴えたいわけ? 訴えるのは自由だけど、その時は貴方が行ってきた所業の数々についてしかるべき処置をとらせていただくから。覚悟しておいて」
「わ、わかりましたよ。どけばいいんでしょう」
渋々ながらイスから退くと、悔しそうにしながら英子を睨んだ。永山が屁理屈をこねる前に一方的にねじ伏せられてしまうとはめずらしい。
「最初から素直に応じればいいのよ。……ほら、くだらない話をしているうちに」
英子が事務机にパソコンを置いたのとほぼ同時に、甲高い電子音が流れ始めた。どうやら、こちらの都合もおかまいなしに怪人が出現したらしい。
「情報によると、B区に怪人が現れたらしいわ。永山君、早急に現場に向かってちょうだい」
英子はてきぱきとパソコンを操作しながら、上官だとか司令官だとからしい口調で命令をした。
だが、先程の論戦でへそを曲げたのか、永山は素直に従おうとしない。
「妙に態度が横柄ですねえ。日夜命を懸けて戦うヒーローに対して、それはないんじゃないですか?」
「あら、上司が部下に命令することのどこに問題があるというのかしら。私はKTHの本部に所属する正規社員で、貴方は支部で簡単な契約をかわしているというだけの、いわゆるアルバイト。どちらの立場が上なのかは、明らかよね」
「でも、その権利の弱いアルバイトとやらにやめられて困るのは、KTHの方なんじゃないですか? ヒーローとしての職務をこなせる人材がいなくて困ってるという話は、俺の耳にとっくの昔に入ってきてるんですよ。そんな貴重な人材を粗末に扱って、やめられたらどうしようだとか考えたりしないもんなんですか? 俺はたくさんバイトもしてますし、ここをいつでもやめていいと思ってるんですよ」
来た。伝家の宝刀「ヒーローやめます宣言」がとうとう出た。
この外道ヒーローは、相手の弱みにつけ込んでこの常套手段を必ずと言っていいほど繰り出す。
黒沢なら、これをかまされるなり胃の辺りを押さえて苦しみ始めるところなのだが……。
「あら、貴方こそ、本当はここをやめさせられたら困るんじゃないの?」
「は?」
英子が鋭い切り返しをするなり、永山は一瞬動きを止めた。
どこか動揺しているようにも見えるその様子を見計らってか、英子はさらに追撃をした。
「こっちだってね、人材の教育くらいときちんと推進し始めているわ。もう少し時間をかければ、ヒーローとして使える人材を安定して得ることができる。状況によっては、貴方を切ることも視野に入れることができるわ」
「それは、脅しと判断してよろしいでしょうか」
「脅し? とんでもない。私はただ、事実を話したまでよ。でも、今の言葉の意味を理解できたのであれば、自分がどんな立場に置かれているのかを察するのくらい簡単よね?」
「ぐ……わかりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば」
永山は苦々しく口元を歪めた後、ブツブツと文句を垂れながらKTHから出ていった。
この口の悪い男がここまでコテンパンに言い負かされるというのは、どことなく爽快というか、やはりめずらしい。
「黒沢さんは、どうしてあの程度の男にいつも手を焼いているのかしら。理解しがたいわね」
当の英子はというと、涼しげな様子で頬杖をつくばかりである。
どこまでもクールというか、見かけ通りやり手というかといった感じである。
「さて、それはさておき。花咲さん」
「は、はいっ」
先程まで完全に蚊帳の外であった美江は、急に名を呼ばれてビクッと肩を震わせた。
「そんなに緊張しなくてもいいじゃないの。女同士なんだから。貴女、黒沢さんと話をする時もそんなに神経を張りつめているの?」
「い、いえ。あの人の場合はピリッとした雰囲気を持ち合わせていないので全然」
「まあ、確かにそうかもね。昔から、そういう感じの人だったし」
「あれ、黒沢さんと昔からの仲なんですか」
「ええ。新人時代に仕事のノウハウを教えていただいたことがあってね。だけど、その頃からフレンドリーな苦労人って感じだったわ」
「はあ」
少し前から思っていたことだが、今頃黒沢は旅行先でくしゃみを連発しているに違いない。
「さ、雑談はここまでにしておきましょう。花咲さん、貴女も現場に向かって。ヒーローの監視、しっかりとお願い」
「わかりました。では……」
美江はいつもよりもきびきびとした返事をすると、足早にKTHを後にしようとした。
しかしその足は、階段の前でピタリと止まった。
「どうかしたの。何か忘れ物?」
「いえ、そうではないんですけど。一つ、どうしても気になることがありまして」
「気になること? 私に答えられることであれば答えるわ」
「そ、そうですか」
美江はためらいがちに口をもごもごと動かす。そして、ほんの少し勇気を振り絞って言った。
「さっき、永山に対して『貴方こそ、本当はここをやめさせられたら困るんじゃないの?』って言いましたよね? もしかして、あいつが金に執着してる理由を知ってたりするんですか」
以前から気になっていた、ある意味では究極の謎。どうして永山はあそこまで金に執着してるのか。そして、大量に稼いでいると思われる金は何に使われているのか。奴がヒーローをやめさせられて困る理由を知ることができれば、おのずとその答えに近づけるような気がしたのだが。
「ああ、そのこと? 悪いけど、私は何も知らないわ」
「へ?」
期待外れの返答に、美江は思わず間の抜けた声を発してしまった。
英子はそんなことなど気にも止めず、淡々と語り続けた。
「あれは、話のペースをこちらのものにするために鎌をかけただけよ。だって彼、ヒーローなんて仕事、よっぽどお金が必要でなければやらなそうだもの。おそらく、かなりのわけありなんだろうけど、詳しくはわからないわ」
「そうだったんですか……」
鎌をかけるというのは、何て恐ろしい行為なのだろうか。
先日、美江は遊園地で永山に鎌をかけられたせいで現在彼氏募集中の身分であることが露見してしまったばかりである。それゆえに、これを聞くと何とも言い難い気分にかられてしまったのだった。
「どうしても気になるんだったら、本人に聞いてみることね。さ、早く任務に移って」
「はい……」
英子の終始一貫した冷徹な態度に追い出されるようにして、美江は階段を上がっていった。
数日後、美江はKTHが入っているビルの一階にあるカフェ『夢幻』に足を運んでいた。
KTHに所属してからというもの、職場から非常に近い距離にあるということもあり、すっかりここの常連となっていた。何故だか客入りの少ない店内のボックス席で一人、安価で美味なコーヒーをすすりながらこの店自慢のケーキを食べる。そんな優雅なひと時を過ごすのが密かな楽しみであったのだが、あることがきっかけで本日の至福のひと時はぶち壊しになってしまっていた。
「何なんだよ、あの暴君ババア。どう考えたって、人使い荒過ぎだろ。なあ花咲、お前もそう思わないか」
「知らないわよ。大体、どうして私があんたの愚痴を聞いてやらなきゃいけないのよ」
耳元でキンキンと響くやかましい声に、美江はうんざりした。
現在手に持っているのは、コーヒーカップではなく携帯電話。英子がKTHにやってきてからというもの、永山は自身の待遇が急激に悪化したと不満を噴出させており、それがピークに達するたびにこうして美江に電話をかけては愚痴をこぼしてくるのだった。
元々耳に入れたくもない声だというのに、こうも頻度が重なると迷惑この上ない。
「いいだろ。お前は俺の監視役なんだからさ。監視のついでに、心のケアくらい受け持てよ」
「それ、もう屁理屈にすらなってないと思うんだけど」
「おいおい。それって、俺に屁理屈を言えって催促してるのか? お前も好きだなあ」
「あんまり馬鹿みたいなことを言わないでくれる。本当に切るわよ」
「わかった、わかった。特別に、俺が悪かったってことにしておいてやるからさ。まだ切るな。こっちはな、まだまだ話し足りないんだ」
永山は一息ついてから、さらにまくし立て始めた。
「全くさ、人が出勤要請をちょっとばかし渋っただけで『収入が減ってもいいわけ?』とか何とか言って脅してきやがるんだ。お陰でバイトがいくつかパーになったし、内職もちっともはかどらねえ」
「それはあんたが悪いんでしょ。バイトとヒーローを掛け持ちしてる奴なんて、他にいないでしょうし」
「言うと思ったよ。でもな、あのババアは異常だぞ。だって、あいつが来てから俺の出動率が格段に跳ね上がってるだろ。そこそこ長いことヒーローをやってるけどな、ここまでこき使われるのは初めてだぜ」
「まあ、確かに」
近頃の異変については、美江も薄々ではあるが感づいていた。
怪人の出現率は、普段はせいぜい数日から一週間に一度程度。しかしここ最近、何故か毎日のように怪人の情報がKTHに入ってくるのである。以前こぼしていた永山の愚痴によると、本部から送られてくる情報の他に、英子が独自の情報網で怪人を発見しているとのことで、それが遠因となっているらしい。
「どんな情報網だか知らねえけどよ、ここまで怪人を見つけ出すっていうのも不自然だよな。この地域にどんだけ怪人たかってんだよって感じだ。もしかして、気がついてないだけで案外身近に怪人がわらわらいるとか? まさかな。ま、怪人をアホみたいに見つけまくっていることに関しては強く文句を言えねえけど。何せ、ヒーローは怪人を倒せば倒すほど給料がもらえるからな。にしても、一番気に入らねえのはあの態度だな。人をあごで使いまくって、ビシバシこき使う感じでさあ。あれは、絶対に結婚できないタイプだな。うん、間違いねえ」
「はいはい」
適当に永山をあしらっていると、青いバンダナで頭をすっぽりと覆った、制服姿の若いウェイターが席に向かって歩いてきた。どうやら、注文していたケーキが運ばれてきたらしい。
「お待たせしました。『ドリームストロベリーショートケーキ』でございます」
「ありがとうございます。ん?」
美江は顔を上げた途端、あることに気がついた。
コーヒーの横に置かれたケーキはそっちのけで、ウェイターのことを困惑しながら見続ける。
「どうかなさいましたか」
「いや、貴方。あんまり見ない顔ですけど……新人ですか?」
「え、あ、はい」
「その制服、あんまり着慣れてないんですか」
「あ……そうですね」
「……えっと。社会の窓が、全開ですよ」
「あっ!」
ウェイターは指摘を受けるなり、顔を赤らめながら社会の窓をあわてて閉めようとした。だが、テンパり過ぎてしまったのか、なかなかうまくいかない。
「いやっ……すすす、すみません。お客様に、大変お見苦しい姿を」
「あの、大丈夫ですから。とにかく落ち着いて下さい」
不器用というか、慌て方が尋常ではないというか。
呆れながらそのさまを見ているうちに、ウェイターはフラフラと足がもつれて転倒してしまった。
「いやっ……あ、うわっ!」
その時、店内のインテリアにバンダナが引っかかり、ウェイターの頭からするっと取れてしまった。
「あー!」
バンダナが取れたのとほぼ同時に、美江は仰天して場を考えずに声を上げてしまった。
露になったウェイターの頭についていたもの。それは、髪の毛の中にちょこんと見えている、銀色に光る角であった。
これが示している真実はただ一つ。彼が、ナーゾノ星人であるということだ。
「あ、あ、貴方って……かっかかか」
いた。すっごく身近に、怪人が潜んでいた。いやいやいや。嘘だろう⁉
気が動転して言葉を詰まらせている美江を目にして、ウェイターは社会の窓を全開にしたまま大慌てでバンダナをつけ直した。
そして、やや黒目がちな瞳を潤ませながら涙声で訴え始めた。
「お願いです! 僕にできることなら何でもしますから、今見たもののことは忘れて下さい!」
「ええっ」
幸か不幸か、現在『夢幻』は閑古鳥が鳴きまくっている状況で、店にいる客は美江だけである。しかも、目の前にいる彼以外の店員は裏の方で作業をしているらしく、周囲には誰もいない。
つまり、実質怪人と二人きりでいるも同然というわけだ。
「僕の角、見たんですよね? さっき、僕を見て『怪人』って言おうとしたんですよね? 周りに正体がばれると、本当に困るんです。だから……」
「あの、私、怪人についての対策を練っている組織であるKTHってところに所属しているので、理由もなしに貴方の存在を黙っているっていうのはちょっと」
もし私を口封じのために襲えばただでは済まないという意味で言いたかっただけなのだが、これは違う方向に力が働いてしまった。
怪人はKTHという単語を聞くなり顔が真っ青になり、ガタガタと震えだしてしまった。
「KTH⁉ 恐ろしいヒーローが所属していて、ナーゾノ星人をボコボコにして星に強制的に送り返すっていう、あのKTHですか! よりによって、そこの職員に正体がばれてしまうなんて……ああ」
あの、このカフェの真下にKTHがあることは知らないのでしょうか。
男らしくなく目から涙をポロポロこぼし出した怪人の姿を見て、美江はツッコミを入れたくなってしまったのだが、明らかにそういう空気ではなさそうなのでぐっとこらえた。
「あの、泣かないで下さい。その……どうして怪人である貴方が地球で働いてるんですか? 何かわけでもあるなら、私に話してみてくれませんか? 事情によっては、色々考慮しますから」
「ほ、本当ですか?」
怪人は、目から鼻やら出た汁のせいですっかりぐしょぐしょになってしまった顔で美江を見つめる。
「本当です。今はとりあえず、仕事に戻って下さい」
「ありがとう……ひっく。ありっ……ありがとうございます。えっぐ……えっぐ」
「だから、いい加減もう泣き止んで下さいってば。これじゃあ、仕事になりませんよ」
これから優雅なひと時を過ごそうと思っていたのに、どうしてこうなった。
大の男をあやすようにして慰めながら、美江は溜め息をついた。
ああ、早くコーヒーをすすりたい。この店のウェイターが怪人であろうがなかろうが、もうどうでもいいから、大好物のショートケーキに舌鼓を打ちたい。表情や行動に合わない心理ばかりが頭に渦巻き続ける。
「あとさあ、あのババアの男女差別すごくないか? 女尊男卑っていうかさあ。俺のことは休みもなしにガンガン使いまくっておいて、お前には『貴女もたまにはゆっくり休んだら? 代わりの者を手配するから』とか言って三日も休暇与えてさ。お陰でこっちは怪人退治の時、変なオヤジにへばりつかれてんだ。これなら、まだ口うるさくてもお前に監視されてる方が……って、さっきから何も言わねえけど、人の話をちゃんと聞いてるんだろうな? 花咲? おい、地味女。プチ火山?おーい」
コーヒーの横に放置された携帯電話からもれてくる声など、もはや耳に届いてはいなかった。
日が沈んで辺りが暗くなった頃、美江は問題の怪人とともに最寄りのハンバーガーチェーン店に入った。
ドリンクを注文してから向かい合って席に着き、改めて話を伺おうとかまえる。
「ええと、まずは」
ぐううう……。
早速質問をしようとした直後、正面に座る怪人から腹の虫の鳴く音が聞こえた。
「えっと。ひょっとして、お腹が空いてるんですか」
「はい。恥ずかしながら……」
怪人は、おどおどとしながら目を伏せる。
なお、彼は頭に帽子を被っているため、周囲に角は見えていない。
「さっきドリンクを注文した時に、何か頼めばよかったのに。食べながらでも、話はできますよ」
「いや、実は。食べ物を頼めるほどの持ち合わせがなくて。さっきドリンクを注文した時に、全財産を使い果たしました」
「え?」
この人、今までどうやって生きてきたのだろう。
ふとそんなことを思った美江だが、彼が嘘を言っているようには思えなかったため、自分の財布を取り出した。
「わかりました。じゃあ、私がおごりますよ」
「え! それは流石に申し訳ないと……」
「いいんです。目の前でずっとお腹を鳴らされたら、話に集中できませんし。これで何か買ってきて下さい」
美江は財布から千円札を取り出し、怪人に手渡した。
すると、彼は感極まったのか再び涙声になり始めた。
「ぼ、僕は異星人だっていうのに、ここまで優しくしていただけるなんて。地球の人達って、温かい方ばかりだ……」
「お願いですから、ここでは絶対に泣かないで下さい。変に注目されちゃいますから」
ここはこぢんまりとした、隠れスポットの『夢幻』とは違う大手のハンバーガーチェーン店。客の数が雲泥の差であることは言わずもがな、注目されるようなことをやらかしてしまうと大ダメージを受けること間違いなしなのである。
怪人がどうにか落ち着き、千円で買えるだけのハンバーガーを買い込んできてから話は再開された。
「で、そろそろ本題に入りますか。えっと……何て呼んだらいいですか」
「僕のことですか? 地球では、桜井と名乗らせていただいています。本名だと、とてもこの地域に溶け込めそうになかったので」
怪人改め桜井は、ハンバーガーをがっつきながらも生真面目に答える。
端から見ると、純朴な好青年といった感じにしか見えないのが不思議だ。
「じゃあ、桜井さん。貴方はどうして、地球の店でバイトなんてしてたんですか。まさかと思いますけど、ナーゾノ星の皇帝の陰謀で、スパイとして派遣されてきたとかじゃないですよね?」
美江はまず、怪人の目論みなどにありそうな、微妙にそれっぽいことを聞いてみた。
これまで騒音事件や試食の独占などといった、セコい悪事ばかりを行うやからばかりを派遣してきた皇帝が、そのような企てを思いつくかどうかは別として。
「そんな、とんでもない。僕みたいな平民なんて、皇帝に謁見することもできないんですよ。皇帝に直々に命令を下されるのは、よほど身分が高い者か、能力に秀でた実力者くらいのものです」
「はあ」
もしかして、過去にこの地域に出現して大暴れしていた奴らは皆、ナーゾノ星ではそこそこ高い地位にいる者ばかりだったというのだろうか。あんなしょうもないことばかりやらかした連中が? 信じられない。
まだ少ししか話を聞き出していないというのに、美江は早くも頭痛に襲われ始めていた。
「大丈夫ですか。何だかつらそうに見えるんですけど」
「気にしないで下さい。大丈夫ですから」
「なら、いいんですけど……。それにしても、ナーゾノ星に皇帝が存在していることまでご存じなんですね。地球の情報収集能力はすごいですね」
「え、いや、まあ」
ヒーローがぶちのめしてきた怪人のうち何人かが、うっかり口を滑らせちゃってましたから全部知ってるんでーす!
……何て、絶対に言えるわけがない。
「とにかく、桜井さんは皇帝とかとは関係なく地球に来たってことですよね」
「その通りです。色々と、事情がありまして」
桜井は、ハンバーガーを口に動かす手を止め、暗い面持ちを作って息をつく。そして、自分が遠路はるばる地球にまでやってきた事情について話し始めた。
「僕には、家族がいます。父と母と、弟と妹が合わせて七人。兄弟達は皆、そろいもそろって育ち盛りで。さっきも言いましたけど、僕の家は平民の家庭ですから、そんなに裕福ではありません。それでも、父と二人で家庭に金を入れている時はどうにか生活できていました。でもある日、父が急病で倒れてしまって……。幸い命は助かりましたが、継続した治療が必要な、働けない身体になってしまいました。僕が当時、地元で働いて得ていた収入だけでは食べていくのも厳しくなり、母が地球で言うとパートみたいなことをして働き始めました。それでも、育ち盛りの兄弟達の食費と、父の治療費で出費がかさんで火の車に……。これではやっていけない。そう思い悩んでいた時、僕はある話を耳にしたんです。地球のお金……特に、日本と呼ばれる国のお金が、ナーゾノ星では大きな価値を持つということです。何でも、上流階級層の中で地球旅行に出かけるのがブームになったらしく、その旅行先の中で一、二を争う人気の日本のお金を、大枚をはたいてでも手に入れたいという方々が増えて、需要が高まったらしくて。それを聞いて、僕は決心したんです。家庭を支えるために、地球で働いて仕送りをしようと。ナーゾノ星人が、地球では怪人と呼ばれて恐れられていることや、地球での仕事がとても大変だということも知っていました。でも、地元で地道に働くよりはうんと早く稼げる。少しでも早く、家族に楽な思いをさせてやれる。それが、僕が地球に来て働いていた理由です」
「……」
やはり彼は、今まで現れた怪人達とは大きく異なる。
美江は戸惑いながら、桜井のことを凝視していた。
悪事うんぬんどころか、家族を養うために出稼ぎに来ていたなんて。持ち合わせがないといったのも多分、家族に少しでも多く稼いだ金を送ろうとしたからなのだろう。それにしても、自身が怪人と認識されるという状態を知っていながら、それでもアウェーな世界に単身で飛び込んだなんて……。あやうく目から、何かがホロリとこぼれてしまうところだった。
「でも、地球って思っていたよりもいいところで安心しました。周りの人はみんな、僕に優しく接してくれますし、仕事でドジを踏んでもフォローしてくれて……あれ、どうかしました?」
「あ、いや、別に」
「そうですか。もし気分が優れないのであれば、無理しないで下さいね」
どこかの誰かをこんな風にじっと見たりなんかしてしまったら、きっと「何、俺のこと見てんだよ。いくら見るのがタダだからって、目の保養にしてんじゃねえよ」などと喧嘩を売ってきそうなものなのだが、桜井は逆にこちらの身を案じてくれた。彼はひょっとして、人としてもかなりできているのではないだろうか。厳密に言うと、人間ではないということを考慮してもなお。
美江の中で、桜井に対する好感度がグッと上昇していった。
「私のことは、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。そっか。そんな理由が……なら、KTHには」
「見つけたぞ」
「!」
何か今、このタイミングで聞こえるべきではない声が耳に飛び込んできたような。
パッと横を向いてみると、窓越しにとんでもないものが目に入った。
「な、なななな……」
白塗りメイクを顔面に施し、派手な格好をしたピエロがこちらを睨んでいる。原型をとどめないレベルの仮装であるが、この鋭い三白眼を持つ奴なんて、間違いなくあいつしかいない……永山だ。
「な、何で」
一体何故、永山がこんなところにいるのだ。それに、何なのだ。この珍妙な出で立ちは。
言いたいことは山ほどあったが、それを口にするよりも先に永山が窓に顔を押しつけながら話し始めた。
「花咲、何でお前が怪人と仲よさげにデートなんかしてんだよ。とうとう仕事に嫌気が差し過ぎて、KTHを裏切ったか」
何ということか、桜井の正体までばれてしまっているではないか。
こうなると、考えられる可能性はただ一つ。KTHが何らかの情報ルートで桜井のことを突き止め、永山に退治をするように命じたのだ。
「嘘でしょ……?」
桜井は全くもって善良な心の持ち主。それなのに、どうして悪事を働く怪人を退治する組織であるKTHに狙われなければならないのか……。
「あの。このピエロさんは」
「桜井さん、早く逃げないと大変なことになるわ。このピエロの正体は、ヒーローなのよ!」
「ええっ」
ヒーローというワードを聞くなり、桜井は目を白黒させなが何度もピエロの方を見た。
「どうにかしないと」
どういう経緯でこのような事態になってしまったのかは気になるところであるが、それを考察している場合ではない。桜井を何とか逃がしてやらないと、故郷の星に強制送還されてしまう。それだけは、絶対に阻止しなければ。
美江は自身がKTHに所属しているという立場を忘れ、強く決心した。
「あいつは、今はすっごくふざけた格好してますけど、ああ見えて鬼みたいに強いんです。逃げないと、どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないですよ」
「ええ、故郷で噂を何度か耳にしたことがあります。でも、どうやって逃げろっていうんです?」
「う……」
派手なピエロが窓に張りついて叫ぶ様子に、店内にいる客は完全に注目しきっている。このまま誰かが通報して永山が警察にでも連行されるまで待ってみるという手段がないわけでもないのだが、それだと事情聴取だとかいう名目で桜井まで連れていかれてしまうかもしれない。そうなれば、彼の正体が地球人でないことが怪人の存在を知らない一般人にばれてもっとややこしいことが巻き起こるという、最悪の事態が待ち受けている可能性も充分に考えられる。
……となるとやはり、永山をまいて逃げるしか道は残されていないようだ。
「あ。そういえばナーゾノ星人って、瞬間移動みたいなことをできるんじゃないでしたっけ。私、何度か怪人が霧になって消えていくのを見たことがあるんですけど」
苦し紛れに思い出したことを、一応といった感じで尋ねてみる。
だが、桜井は困り果てた様子で呟いた。
「確かに、ナーゾノ星人にはそういった能力を持つ者はいますけど、僕にはできません。あれは、一部の優秀な者しか体得できない技なんですよ」
「そんな……」
もはや、万策は尽きたか。
あきらめかけた頃、とうとう永山が「こんな格好で入りたくないんだが……仕方ねえ」などと言いながら店内に足を踏み入れた。これぞまさしく、大ピンチ。
「僕、ヒーローさんに事情を説明してみます。彼だって、話せばきっとわかってくれるはずです」
何を思ったのか、桜井は覚悟を決めたような顔をして徐々に近寄ってくる永山の方へと向き直った。
それを見た美江は仰天し、ブンブンと首を激しく振った。
「無理ですよ、そんなの! このままだと、絶対にボコボコにされちゃいますって。あいつは、金のためなら何でもする外道なんです。もう、言わば鬼畜みたいな奴なんですから。そんな男が、人様の事情に耳を傾けるわけがありません!」
「いや、きっと大丈夫ですよ。きちんと順序を立ててお話すれば、わかってくれるはずです」
「ああ、もう……」
駄目だ。永山にも己のねじ曲がった信念を貫こうとする節があるが、桜井も桜井で頭でっかちな部分があるらしい。
こうなれば、一か八か。うまくいくか自信はないが、賭けに出るしかない。
美江はある行動をとる決意をし、ゴクッと唾を飲み込んだ。
「おい。何をさっきからこそこそと」
恐怖のピエロが、すぐそこまで迫っている。その距離がごくわずかになったのを見計らい、美江はテーブルの上に置かれていた、飲みかけのドリンクを手に取った。
「えいっ!」
「うぎゃあ!」
ドリンクを顔面にぶっかけられるなり、永山はうめき声を上げながらその場にしゃがみ込んだ。
一応飲んでいたドリンクは冷製のものであったため、火傷の心配はないのだが、どうやら思いきり目に入ってしまったらしい。
これはちょっと、まずかっただろうか。そう思いはしたものの、今は気にしてはいられない。
美江は強引な手によって無理矢理作り上げた隙をついて、桜井の腕を掴んだ。
「ほら、今のうちです。行きますよ」
「え、でも……ヒーローさん、苦しんでますよ。このまま放っておいては」
「少しは自分の身の安全のことも考えて下さい! とにかく、行くったら行くんです!」
「はっはい!」
何だか周囲がざわついているような気もするが、そんなことはどうでもいい。とりあえず、この場から逃げ出すことが先決だ。
何が目の前で起きたのかを理解できず、ただただ呆然とするばかりの店内の客達になど目もくれず、二人は店から猛ダッシュで出ていった。
街頭にぼんやりと照らされる薄暗い道に、二人は人目を避けて逃げ込んできていた。
「大丈夫だったんでしょうか。ヒーローさん、顔に飲み物なんてかけられて」
「しっ。見つかったらどうするんですか。あいつをまくまでは、おとなしくしてないと」
現在は物陰に隠れて息をひそめているが、それでも油断できない。
理由はただ一つ。永山が、すぐ近くまで迫ってきているからだ。
「あの野郎。どこに行きやがった」
永山は、ただでさえきつい三白眼をさらにつり上げながら辺りを注意深く見回している。単に眼光が鋭いだけならいつもと変わらないのだが、今回の永山はそれだけの形容では済まされそうになかった。
「あれに捕まったら、絶対にやばいわ。下手したら、殺されるかも……」
顔面にドリンクをぶっかけられたせいで、せっかくの白塗りメイクはデロデロ。服もシミで汚れ、ひどい有様となっている。しかも、よほど怒り狂っているのか、その背中からはおぞましいオーラが放たれているようにさえ見えた。
その姿はまるで、どこかのサイコホラー映画にでも登場しそうな怪物ピエロ。十三日の金曜日に現れるというチェーンソー愛好家や、テレビからぬるりと抜け出てくる髪の長い怨霊などもたちまち怯えて逃げてしまいそうなくらいに恐い。
「相当怒ってますよね、ヒーローさん。やっぱり最初から、話し合いを試みた方がよかったんじゃ」
「だから、それが通用するような奴だったら苦労しないんですってば。あいつは言葉というものを、相手の心をめった打ちにする手段としてしか使わないんですから」
「はあ」
どこまで人がいいのかは知らないが、桜井は永山の外道っぷりを信じられないでいるらしい。あのサイコピエロを目の当たりにしているのだから、いい加減察しがついてもいいようにも思えるのだが。
「それにしても、早くどっかに行かないかしら」
息を殺して気配を消し、永山がいずこへを去るのをじっと待つ。
しばらく膠着状態が続いたが、とうとう終止符が打たれる時が来た。
「はっ……はっくしょん!」
「!」
しーんと静寂に包まれていた空間に、桜井のくしゃみが豪快に響き渡った。
「桜井さん!」
「あっ……」
これはまずい。そう思った時には、もう時既に遅し。
薄暗い中でギラリと光る永山の目が、美江達が潜む物陰に向けられた。
「そこか!」
「うわあっ!」
そして、足早にこちらに向かって歩み寄り、あっという間に桜井を闇から引きずり出してしまった。
「さっきの怪人だな。ずいぶんと手間をかけさせやがって」
「ひっ……」
恐怖のピエロは、鬼をも超える形相を作りながら桜井の胸ぐらを掴む。これでは、どちらが怪人なのかわかったものではない。
このままだと、桜井が本当に殺される。
背筋がゾッと凍りつきそうになった美江は、あわてて物陰から飛び出した。
「永山、落ち着いて。この人は、悪い怪人じゃ……」
「あ? 何か用か、裏切り者。いくらKTHをやめたいからって、クビになるためにわざわざ怪人の肩を持つっていうのは最悪じゃねえのか」
「今回ばかりは何を言われても仕方ないと思うわ。でも、お願い。これには深い事情が」
「深い事情だあ? んなこと知るかよ。俺はな、誰が何と言おうとヒーローとして怪人を退治して連行するまでだ。己の給料のためにな!」
また金か。やはりこいつに、まともな情緒なんてものはなかったか。
美江はこの後の展開を脳内でちらつかせて落胆したが、その直後、誰もが予想しえなかった事態が発生した。
「ぼ、暴力はやめて下さい。苦しいです。離して下さいっ」
「は? てめえ何言って……ん?」
桜井は苦しそうにしながら、自身の胸ぐらを力強く掴む永山の手を握った。そして。
「いててててて!」
手首付近を不意にくいっとひねり上げたかと思うと、生じた隙を逃がさずに永山から距離を置いた。その動きには一切無駄がなく、非の打ちどころはない。
「この野郎……何しやがるっ」
永山はやられっぱなしではいられないのか、すかさず反撃を試みて拳を素早く突きだす。
だが、超展開とでも表現すべき流れはまだ終わっていなかった。
「ちょっと話を」
「なっ」
桜井は繰り出されたパンチを鮮やかにかわし。
「聞いて下さいってば!」
「うわあああっ!」
体勢を整えた後、プロの柔道家もびっくりしそうなレベルの一本背負いを永山にぶちかました。
「あっ……がっ……」
永山も、まさか自分がこのタイミングで投げ技をかけられるとは思っていなかったのだろう。受け身を取り損ねたらしく、アスファルトの地面に叩きつけられて言葉にならない声をもらしている。
誰がこの状況下で予測できるというのだろう。ここで、どこからどう見ても純朴そうな好青年にしか見えない桜井が、抜群の戦いのセンスを発揮するだなんて。
少なくとも、無駄に強いヒーローがあっさりとのめされてしまったのを口をあんぐりと開けながら見ている美江には、全然想像がついていなかった。
「あ……やっちゃった。ど、ど、どうしよう……」
その驚くべき戦闘力とは裏腹に、桜井は己がやらかしてしまったことに対してオロオロするばかりであった。多分彼も、相手を傷つけるつもりはなく、ただ身を守ろうとしてうっかり反射で動いてしまったというだけなのだろう。
……だが、桜井よ。あんた、いくら何でも強過ぎなんじゃないか。今まで悪事を働いてヒーローに葬られていった怪人達にも、ここまで腕が立つ奴はいなかったぞ。
「と、と、とりあえず救急車を呼んだ方が……いや、ここは警察とやらに自首すべき? いやいや、その前にこの人を介抱しないと。アイシングとか、アイシングとか、アイシングとかをしないと!」
「落ち着いて下さい。こんな奴にアイシングなんてしてやる必要なんてないですから」
すっかりパニックに陥ってしまった桜井を、美江はどうにかなだめようと試みた。
何としてでも、ヒーローが伸びているうちに彼を逃がさなければ、確実に面倒なことになる。どうにかしなければ。
「ほら、今のうちに逃げて下さい。こんなチャンス、二度とありませんよ」
「で、で、でも……不可抗力とはいえ、怪我をさせてしまったみたいですし。やっぱり、ここは責任を」
「そんなことを気にしてる場合じゃないんですよ。こいつのことは私が何とかしますから」
「だけど……」
「だけどもクソもない! さっさとどっか行け!」
「はっはい!」
美江が腹の底から一喝すると、桜井は一目散に走り去っていった。
「ふう……」
これで何とか、彼を救うことはできただろうか。
しかし、ほっとしたのも束の間。次なる関門が、美江の前に立ち塞がろうとしていた。
「てめえ……」
「うっ」
背後から、人生で一度も感じたことがないような殺気が漂ってくる。できることなら永遠に振り向きたくないのだが、そんなことが許されるわけがない。
観念した美江は、肩をビクビク震わせながら、ゆっくりと後方に目をやった……。
「サガリ二人前。あー。あと、大ジョッキのビール一杯。それと、豚トロとレバー。あとついでに、石焼きビビンバも追加」
「はあ……」
ここは某焼肉店。現在美江は、永山と向かい合って席に着き、どんよりとしていた。
「私が悪かったのは認めるけど」
異常な殺気に振り向いてから、美江は世にもおぞましい永山ピエロからありとあらゆる暴言を吐き倒されてしまった。その内容については、もう慣れっこになりつつあるせいか、そこまで心にダメージを負うことはなかった。問題は永山の怒りがそれだけでは収まりきらなかったところにあった。
『本当、何考えてんだよてめえは。人のバイトの貸し衣装はボロボロにするわ、顔のメイクまでぐちゃぐちゃにしていらねえ恥までかかせるわ。当然、クリーニング代は払わせるとして、それ以外にはどんな形で誠意を示してもらおうかなあ。まさか、ごめんなさーい! てへぺろ。で済まそうだなんて思ってねえよなあ。ん? ん? ん?』
とまあ、このような感じで責め立てられた結果、全てのことを水に流すという条件の元で現在の状況に至るのである。
ちなみに、永山は既にピエロルックではなく、ピカピカのこじゃれた赤ジャージを身につけている。無論、それも美江が『慰謝料』の名目で購入させられた代物だ。
「どんだけ食べるのよ。一人でこんなにたくさん……ああ、もう」
永山の前には、空になった皿が高層ビルの如く山積みになっている。細身のくせに、これほど食らいつくすなんて反則だろう。
店に入ってからウーロン茶一杯でねばっている美江は、やせ細っていく自分の財布を想像して溜め息をついた。
「いやーうまいな。焼肉とか酒とか、自分で金出して食ったり飲んだりなんてしねえからな。じゃあ、そろそろ」
「お会計?」
「なわけねえだろ。そろそろ、お前が必死こいてあの怪人をかばってた理由を聞かせてもらおうと思ってな。どうせくだらない話なんだろうけど、酒のつまみくらいにはなるかなあと。おい、そこの店員。ハイボール追加な」
「……」
こいつ、食べる量もすごいが、飲酒量も半端ではない。普通の人間なら既にぶっ倒れてもおかしくない量を摂取しているというのに、ケロッとしていやがる。身体能力だけではなく、肝臓まで化け物クラスではないか。
「どうした。まーた俺に見とれてやがるのか」
「違うわよ。大体、向かい合って席についてるんだから、嫌でもあんたが視界に入るのは当たり前のことじゃないの。わかったわよ、話すから。お話すればいいんでしょ」
美江はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる永山にうんざりしながら、渋々話を始めた。
「あの桜井さんって人はね、皇帝の手によって派遣された、悪事を働く怪人とは違うの」
「は? 皇帝って誰だよ」
しかし、永山の爆弾発言のせいで話の腰はあっという間にへし折られてしまった。
「あんた、ヒーローのくせに皇帝のこと知らないわけ?」
「知らないっていうか、覚えてねえ」
「はあ……。皇帝っていうのは、ナーゾノ星の統率者のことでしょ。いつだかに、怪人が出た時に口滑らせてしゃべってたでしょ」
「そういえば、そうだった気がするなあ」
「全く、頼りないったらありゃしない。で、話を戻すけど。とにかくあの人は、怪人とは思えないくらいいい人なのよ。地球に来た理由が、家族のために出稼ぎをするため。ご両親と幼い兄弟の生活を支えるために、たった一人で故郷から離れた遠い星へ。こんな美談、滅多にお目にかかれないわよ」
「どうでもいいけど、お前が語るとやけに安っぽい話に聞こえるな」
「悪かったわね。でも、私が言いたいことくらいは伝わったでしょ。あの人には、退治されるいわれなんてこれっぽっちもないの。だから、今回は見逃がしてあげて」
「……」
永山は手に持ったジョッキをテーブルに置き、眉をひそめたまま動きを止めた。
「どうしたの、急に」
「別に……」
そうは言いつつも、明らかに何かを言いたがっているように見えて仕方がない。
まあ、永山のことだ。真面目そうな顔をしていたってどうせ、ろくな話はしないだろう。
美江はそう思ったものの、妙に気にかかったため、一応掘り下げてみることにした。
「何よ、その煮え切らない感じの態度は。らしくないわね」
「……あのさ。何で俺が金にやたらと執着してるのか、聞きたくないか」
「は?」
いや、確かに以前から気にはなっていることではあるが、何故このタイミングでそんなことを。あまりにも、唐突過ぎやしないだろうか。
「酔ってる?」
「全然。で、聞きたいのか。聞きたくないのか」
「そりゃあ、まあ。聞きたいけど」
「なら、お望み通り話してやるとするか。今は気分がいいから、特別にタダにしておいてやるから感謝しろよ」
永山はいつになく真剣な面持ちを作ると、美江のことをじっと見据えた。そして、網の上に置かれた肉が焦げ始めたことになど気にも止めずにゆっくりと語り始めた。
「俺はな、ガキの頃に親父とお袋を亡くしたんだ。交通事故で、一遍にな。それからはずっと、歳の離れた姉貴が親代わりだった」
「えっ……」
そんな話、今まで一度たりとも聞いたことがない。もしかしてこの男、とんでもない生い立ちを背負っているのか。
「家賃の安いアパートに二人で住んでる間、姉貴は必死に働いて俺を養ってくれた。最初こそ親戚に頼って暮らしていたが、これ以上迷惑はかけられないとか言ってな。朝も夜中も、ずっと働きづめさ。一回『俺もバイトしようか?』って言ったことがあったが『努は学業に専念なさい。学生時代は楽しまないとね』なーんて返されちまった。自分は途中で学校やめて、仕事に就いたくせにさ」
「……」
「しばらくして、そんな姉貴にもようやく恋人って奴ができた。確か、俺が高校生に入ってすぐくらいの頃だ。職場で知り合った恋人ってのが、またいい人でさ。その人が俺の義理の兄貴になるのにはそんなに時間はかからなかった。二人の結婚が決まった時、姉貴達は俺にも一緒に暮らそうって声をかけてくれたんだが、それは断った。姉貴はそれまでの間、血のにじむような苦労を重ねてきた。だから、いい加減自分の幸せのことも考えて欲しかったってわけだ。しばらくして、姉貴夫婦に子供が出来て、幸福の絶頂って時が来た。だがな、その生まれた子供には……先天性の病気があった」
「病気?」
「ああ。その病気ってのがまた厄介でさ。継続的な治療が必要な上に、その費用ってのが馬鹿にならないんだ。姉貴夫婦の収入だけじゃ、どうしようもならないくらいにな。だが、それを聞いてから俺は思ったんだ。今度は俺が、姉貴を支えてならねえと。今まで受けてきた恩を、返してやらねえとってな。そう誓ってから、俺は進学も就職もせずに死に物狂いで金を稼ぐ金の亡者って奴になった」
「そんな理由で……でも、どうして就職しなかったのよ。お金を稼ぐんだったら」
「だって、就職なんてしたら副業ができないだろ? それに、手っ取り早く稼ぐには効率悪いしさ。だから、このヒーローって職に巡り合った時には天職だって思ったよ。色々な要素を加味してな。そういうわけで、俺はどんな事情を持っている怪人が相手だったとしても、退治するように言われた以上命令に従う。給料が歩合制である以上、その方針は曲げられねえ。ま、そんなわけだ。お前が怪人を見逃がしてくれって言ってきても受け入れられねえ。それについては、あきらめてくれ」
「そんな……」
ただの外道ヒーローだと思っていた永山が、このような事情を抱えていただなんて。
本日二度目となるお涙ちょうだいなお話に、美江は目を見張ったまま固まるばかりであった。
静寂に包まれた空間の中に、網の上で焼け焦げる肉の音だけがむなしく響き渡る。しかし、この湿っぽい雰囲気は、まもなくぶち壊されることとなった。
「ぷっ……くっくっく」
突然永山は、プルプルと肩を震わせながらうつむきだした。しかも、ニヤリとした口元からは声までもらしている。
いや、まさかこいつ。
美江の胸に嫌な予感がよぎった直後。永山はケラケラと笑い転げ始めた。
「くはははは! 何しんみりしてやがんだよ。こんな絵にかいたような美談、嘘っぱちに決まってるだろうが!」
「はあ⁉」
多少そんなオチじゃないかなあと思っていたものの、やはり腹立たしいものは腹立たしい。
この時点で暴れ出しそうなくらい激昂していた美江であったが、永山の爆弾発言はまだまだ止まらない。
「俺の親父とお袋はな、殺したって死なないくらいピンピンしてやがるし、姉貴は実在してるが、実物はいい歳して行き遅れてる年増女だからな。俺が金に執着してるのはな、単に稼げるうちに稼いでおいて、一生遊べるくらいの金を貯めたら隠居して優雅に暮らそうって目論んでるってだけさ。それなのに、あんな即興で作ったでっちあげをコロッと信じて……はっははは!」
「そ、それは……」
今の話を不覚にも信じてしまったのは、永山の様子がとても芝居には見えなかったからだ。嘘っぱちの長話に付き合わされた挙句、目頭が熱くなってしまった分の時間を返せ。
「ははーん。その顔は、俺のでっちあげで無駄にした分の時間を返せって顔だな。だがな、安心しろ。俺はな、お前の時間をドブに捨てるためにこんな虫唾の走るような話をくっちゃべったんじゃねえんだよ」
「え?」
こんな意地の悪いくだりに、何らかの意図があっただと?
美江はいまいち信用できなかったが、聞くだけ聞いてみることにした。
「それ、どういうこと?」
「まあ、そうあせるなって。この黒焦げの肉をやるから、少しは冷静になれ」
「いらないわよ! 責任もって自分で処理しなさいよ」
「へいへい。……うん、こりゃあ完全に炭だなあ」
永山は網から黒焦げの肉をかっさらい、強引に口に放り込んでからさらに続けた。
「お前さ、俺のでっちあげ話を本気で信じたろ」
「それ、馬鹿にして言ってる?」
「馬鹿にするんだったら、もっと徹底的にこき下ろしてるぞ。これは、何の悪意もなく質問してるだけだ。だから、お前も悪意を抜きにして答えろ」
「……ん、まあ。そりゃあ、信じたわよ」
「だろうな。お前って奴は、よくも悪くも単純だもんな」
「やっぱり、馬鹿にしてるでしょ」
「してねえって言ってるだろ。つまり、俺が言おうとしてることはだな。お前は、人の話を鵜呑みにし過ぎなんだよ。あの怪人が嘘をついてる可能性だとか、少しは考えなかったのか」
「えっ……」
美江は永山の言うように、桜井の言葉をほんの少しも疑わずに聞き入れていた。だがそれは、彼が嘘をついているようには見えなかったからであって……。
(あれ?)
そういえば、永山のでっちあげ美談を聞いていた時にも同じような感想を抱いたような。
しかし、それは永山が嘘をつくのがうまいというだけの話に過ぎないだろう。桜井は、それとは違う。彼を面と向かって話した時間はごくわずかであるが、伝わってきた人柄は本物だ。決して、悪い人なんかではない。
「か、考えなかったに決まってるでしょ。だって……」
「いい奴に見えたからか?」
「うっ」
どうしてこの男は、さっきからこちらの思考を読むようなことばかりを言ってくるのだ。
そうは思ったものの、美江は返す言葉もなく、ぐうの音を上げることも出来なかった。
「やっぱりな。だから、お前は単純だって言ってるんだよ。世の中にはな、羊みたいな顔をした怪物だってうじゃうじゃいるんだぞ。しかも、さっきの奴は怪人なんだろ? いくらいい奴そうに見えたところで、実際何を考えてるのかわかったもんじゃねえだろうが。それを、ありがちな美談を語られただけでコロッと信じやがって。警戒心がないにもほどがあるってもんだろうが。もしお前に何かがあったらさ……その。俺が黒沢とかにああだこうだ言われかねないんだからさ。お前は監視役なんだから、少しはしっかりしてくれ」
「ま、まあ……」
永山の言い分にも、めずらしく一理あるかもしれない。確かに、この地域に仇を成す怪人の話を素直に聞き入れ過ぎてしまったことについては、KTHに所属するものとして浅はかだったかもしれない。それでも……。
「私は……あんたが何と言おうと、桜井さんを信じたいわ。怪人だって、みんながみんな悪い奴だとは限らないでしょ。それに、あれは絶対に演技なんかじゃなかった。あんたの嘘は見抜けなかったけど、それだけはわかるわ。あんたが何と言おうとも、私はあの人のこと信じるから。明日立花さんに掛け合って、彼を退治しないように説得してみせるから」
「ほーう」
永山は目を細めて、後ろ手に縛っている髪を指先でいじる。そして、フッと口元に笑みをたたえた。
「お前がそうしたいんだったら、そうすりゃあいいさ。だがな、俺の見立てが正しかったらあのババアは……」
何かを言いかけたかと思うと「いや、やっぱ何でもねえわ」と中途半端な形で打ち切ってしまった。
「何よ、そこまで言っておいて。最後まで話してみなさいよ」
「いや、確信がないことを軽々しく言ったらろくなことにならねえからやめとく。さーてと、真面目な話はここまでだ。じゃ、小腹も空いてきたことだし……おい、店員。特上カルビ三人前追加」
「ま、待ってよ。せめて、食べるんだったらせめて上までにしておいてよ!」
永山の底なしの胃袋は、しばらくその後も猛威を振るい続けた。
それから数十分後。焼肉店のサービスであるアメをわし掴みにし去っていく永山を背にしながら、美江は会計で提示された金額を見て腰を抜かしたのだった。
翌日。美江はKTHに行き、パソコンに向かって作業をしている英子に声をかけた。
「あの……」
「あら、花咲さん。まだ休暇中のはずなのに、どうかしたの」
「少し、お話がありまして。大丈夫でしょうか」
「ええ。かまわないわ」
英子は顔を上げると、美江の方へと向き直った。
「昨日、永山が取り逃がしたことになっている怪人のことなんですけど」
「ああ、そのことね。その怪人、なかなか手強かったらしいわね。貴女の代わりに派遣してもらった監視役が情けないことに、永山君にまかれてしまったらしくてね。詳しいことは私の方にも回ってきてないのよ。やっぱり監視役は、花咲さんでないと務まらないわね」
「え、あ、いや」
どうやら英子は、先日の一件についてはよく把握していないらしい。
永山の性格を考えると、何もかもを洗いざらい告げ口されていてもおかしくはないと思ったのだが、焼肉と新品ジャージで全て水に流すという約束はギリギリ守ってくれていたようだ。
しかし、このままでは桜井についての交渉に持っていくのは難しい。
美江は悩んだ末、ところどころをぼかしながら切り出してみることにした。
「その、昨日の一件についてなんですけど。私、実は昨日、その場に居合わせてたんです」
「あら、そうだったの。永山君からは、特に貴女のことは聞かなかったんだけれど。ま、どうせだったらその怪人について詳しく聞かせていただけないかしら。今後の対策にの参考にするためにね」
「参考……ですか。でしたら、お話させていただきます。立花さん。昨日現れたというその怪人を、退治の対象にするのをやめていただけますか」
「な、何を言い出すの。いきなり」
英子の眼鏡の奥に潜む目が、キッとつり上がった。
「確かにいきなりだったかもしれませんが、お願いですから言い分を聞いて下さい。あの怪人は、この地域に現れては悪事を働いてきた奴らのは違うんですよ。彼は、自分の家族を支えるために……だから」
「だから、何だっていうの?」
「えっ……」
ナイフのように鋭い声に遮られ、美江は戸惑いの表情を見せた。
英子はそんな様子を尻目に、話の主導権をさっと奪い取ってしまった。
「貴女は監視役として優秀な人材だと思っていたけど、幻滅したわ。いい? 怪人は、この世界に仇をもたらす存在なのよ。それなのに、何を言われたのかは知らないけれど、あの怪人は悪い奴じゃないから退治するのはやめろですって? 笑わせないで。ああ、いいことを思い出したわ。貴女、ここをやめたいんですってね。話には聞いてるわ。だったら、この際ちょうどいいかもしれないわね。花咲美江さん。本日づけで貴女を解雇するわ」
「……!」
解雇? あの程度の進言をしただけで、KTHを解雇するというのか。
英子が繰り出した暴挙に、美江は呆然とするより他はなかった。
「そ、そんな。どうして」
「貴女がKTHに所属するのにふさわしくない人材だと判断したからよ。怪人に肩入れしかねない人なんて、ここに置いておけるわけがないでしょう? ほら、早くここから出ていって。黒沢さんには、私の方から連絡を入れておくから」
「そ、それは」
「早く出ていって。さもないと、怪人の協力者として本部に通報するわよ」
「……はい。わかりました」
英子は腕を組んだまま眼鏡の奥に光る目つきを険しくし、美江を睨みつけた。
その眼光は、美江がKTHを後ろ髪引かれるような思いで立ち去るまで続いた。
「要するに、クビってことか」
美江はカフェ『夢幻』のボックス席で一人、遠い目をしながらコーヒーをすすっていた。
「よく考えれば、私の言い出したことはおかしかったのかもしれない。だけど、立花さんがあんな人だって思いもしなかった」
最初に出会った印象ではやり手のキャリアウーマンといった感じの英子であったが、怪人を擁護するような発言を聞くなりあそこまで豹変してしまうとは。永山が使っていた『暴君ババア』とまでは言わないものの、たった一回の進言でクビを飛ばすという暴挙に出るだなんて。とりあえず、普通の思考を持った上役が下す判断ではないことは間違いない。
「立花さんって、そこまでして世界平和に貢献したいのかしら。すごくクールに見えて、心の中では『絶対正義』の四文字が胸の中で燃え盛っているとか。でも、そんな感じじゃなかったわね。まるで、怪人そのものに恨みを持っているような……まさか、立花さんは」
過去に、怪人からとてもひどい目に遭わされたとか。
考えた末に美江がひねり出した推論がこれだった。
「そうでもないと、怪人をあそこまで目の敵にするなんて思えないわ。きっとそうだわ。そうに違いないわ」
きっと英子は、過去に怪人によって何かしらの被害を受けたのだろう。それこそ、心に深い闇を抱えてしまうほどの、とてもつらい思いを。そうであるならば、彼女の身の上にも同情すべき点は充分にあるだろう。だからといって、善良な怪人である桜井に矛先を向けるというのはお門違いというものだ。
「せめて、桜井さんは守らないと。連絡先を聞いておけばよかった……」
「あの、お客様。注文の品をお持ちしました」
「あっ!」
コーヒーの他にケーキを注文していたことを忘れていた美江は、店員に声をかけられるなり飛び上がりそうになってしまった。
顔を向けてみると、そこには心配そうな表情を作ったウェイトレスが立っていた。
「気分がよろしくないように見えましたが、大丈夫ですか」
「あ、はい。全然。あの、一つお尋ねしたいことがあるんですが大丈夫ですか」
「はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ……えっと。今日ここに、桜井さんっていう店員さんは出勤してますか」
「はい?」
ここぞとばかりに探りを入れた美江であったが、ウェイトレスは困惑しながら首をかしげていた。
「あの……当店の桜井に、何か御用でも」
「あ、いや、その。昨日接客していただいた時に……その。彼が私物と思われる……えーっと、そう。ボールペン。ボールペンをですね、テーブルに置き忘れていったんですよ。それを、自分のものと間違えてうっかり持ち帰ってしまって。だから……お返ししたいなーっと」
咄嗟に嘘をついた美江であったが、話し方も内容も見事にグダグダであった。
やはり、即興で他人を納得させられるような話をでっちあげるには、どこぞの外道のようにある種の才能を持ち合わせていないといけないらしい。
「はあ。でしたら、私の方から彼にお渡ししましょうか」
「い、いえいえ! 悪いのは、私ですから。直接お詫びをしたいんです」
「そうですか。しかし、桜井は今日は非番でして。やはり、私の方から」
「いえいえいえっ! それは大丈夫です。また日を改めますから。お引き止めしてすみませんでした。色々と、ありがとうございました!」
「は……はあ。では、ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスは色々言いたそうにしながらも、これ以上関わりたくないからか、足早に歩いていった。
「絶対に、変な人だって思われたわね。しばらくここには、顔を出さない方がいいかも。それにしても、非番か……」
下手にKTHに見つかり、ビル内がパニックに陥るよりはマシなのかもしれない。しかし、桜井に接触する機会が得られないというのは非常に厳しい。これでは彼に、いまだにKTHに狙われ続けているという事実を伝えることができない。
「桜井さん、無事だといいんだけど……ん?」
運ばれてきたケーキに手をつけようとすると、携帯電話から着信音が流れ出した。
「誰かしら……あっ!」
画面を確認するなり、美江はつい声を上げてしまった。
電話をかけてきた相手。それは何と、永山だった。
「まだ愚痴でもこぼす気? 私、もう監視役じゃないんだけど……もしもし」
「お、花咲。監視役のご解任、おめでとうございまーす!」
「……」
いきなり先制攻撃を食らい、美江は顔面をピシッと凝固させた。
そのまま黙って電話を切ろうとしたが、永山が悪びれることなく「切るな、切るな」とほざいたため、すんでのところでとどまった。
「何よ。私がクビになったこと、もう知ってるわけ?」
「まあな。あのババアが律儀にもわざわざ連絡をよこしてきたもんだからさ。……ある情報と抱き合わせで、だけどな」
「ある情報って?」
「昨日の怪人のことだよ。桜井とかいう、俺を容赦なくぶん投げやがったあいつだ。そいつがD区の商店街にいるから、さっさと退治してこいだとよ」
「えっ!」
どういう情報網なのか、KTHはまたも桜井の居場所を特定してしまったらしい。
いや、KTHではなく英子が特定したと考えるべきだろう。先程の掛け合いから判断するに、悪事を働いていない怪人の居場所を特定しているのは、独自の情報網を持っている英子だと考えた方が辻褄が合うからだ。多分、この仮説は正しいと思って差し障りはないだろう。KTHが悪事を働いていない怪人についての情報をよこしてきたことは、今までに一度たりともなかったのだから。
それにしても、英子をここまで怪人退治に駆り立てるものは何なのだろう。ここまでくると、彼女が怪人に対して並々ならぬ憎悪を抱いているようにさえ思えてくる。彼女の過去に、一体何が……。
「コラ。通話中にボーっとしてんじゃねえよ」
「え、あ、ごめん」
耳に強烈に響く声で怒鳴られてしまった美江は、否応なしに現実に引き戻された。
そして思考を切り替え、尋ねるべきことを尋ねることにした。
「で、どうしてそれを私に連絡してきたのよ。私がKTHをクビになったこと、知ってたわけでしょ」
「なーんだ。お前が愛しの桜井をたいそう気にかけているようだったから慈善行為のつもりで教えてやったのに、素っ気ねえな。案外責任感とか、そういうのってねえんだな」
「そういうわけじゃないわよ、失礼ね。それに、桜井さんの肩を持ってるのはそういう不純な理由とかじゃないから。ま、あんたに口喧嘩をふっかけても体力の無駄になるだけだからやめておくけど。私が聞きたいのは、どうしてあんたが私に電話をかけてきて、わざわざそのことを伝えようって思ったのかってこと。だって、あんたは自分の利益のためにしか時間を割かない奴でしょ? それなのに、監視役を解任されて何の利用価値もなくなった私に連絡を取る必要なんてないわけじゃない」
「何気に人のことをボロクソに言ってくれたな。今は時間がねえから、つべこべ言うのはお預けにしといてやるけどよ。俺はな、お前にはこの桜井騒動を最後まで見届ける義務があると思ったんだよ。自分が心から信じ切っている怪人が、どんな末路を辿ることになるのか。知る権利くらいあるってもんだろ?」
「な……永山」
こいつ、たまにはいいことを言うではないか。ひょっとして、こちらが思っているほど永山は、悪い奴ではなかったというのだろうか。それとも、桜井から一本背負いをかまされた時にでも頭をぶつけて思考回路がちょいとばかしずれてしまったのか。
「あんたってさ、意外と」
「……ていうのは建前で、ここでお前に恩を売っておいたら、後々役に立つかもしれないって思ってさあ。これはいわゆる、未来への投資って奴だ。あわよくば、また焼肉にありつけるかもしれないし……。損得勘定もなしに、他人のために時間を使う人間がこの世に存在するもんか。あっはははは! そもそも、人間の原動力というものはなあ……」
「あ、あんたって人は」
前言撤回。というか、前思考撤回。この男はやはり、外道の中の外道だった。
急激に心が冷え切った美江は、聞いてもいないのに損得に関する自論を語り始めた永山に対し、下手な谷底よりも深い溜め息をついてから電話を切った。
『夢幻』を後にした美江は、D区の商店街で桜井のことを探し回っていた。
「無事だといいんだけど」
あの時は情に流されて通話を切ってしまったが、永山が意味深長な言い回しをしていたことを思い出してから後悔していた。
桜井がどんな末路を辿ることになるのか見届けろ。動機はともかくとして、永山はそのような旨のことを言ってきたわけだ。
それはつまり、桜井が今まで地域に出没した怪人どもと同じように退治されるさまをこの目に焼きつけろということなのだろうか。それとも、何か別の意図が……。
いくら考えてみたところで、現時点では答えを導き出すことはできなかった。
「あっ!」
しばらく一帯をさまよっていると、潰れかけの居酒屋の近くでティッシュ配りをしている桜井の姿が目に飛び込んできた。いたってシンプルな制服らしきものを身につけており、頭にはそれとセットであると思われる帽子を被っている。持っているかごの中がポケットティッシュで山盛りであることから察するに、慣れない仕事に四苦八苦しているようだ。
「桜井さん!」
「あ、貴女は昨日の……!」
美江が険しい顔つきで駆け寄ってくるのを見るなり、桜井はすっとんきょうな声を上げて目を丸くした。
「どうしてここがわかったんですか」
「いや、それは……。そんなことより、何でティッシュ配りなんてやってるんですか! あれだけ危ない目に遭ったっていうのに、白昼堂々と出歩くなんて」
「だって、バイトのシフトが入ってたものですから。少しでも多く稼ごうとバイトを掛け持ちしたのがいけなかったのかもしれないんですけど、仕事に穴をあけて周りの方々に迷惑をかけるわけにもいかないなあと思いまして。あ、どうせなら一個どうぞ」
「……ありがとうございます」
貴方って人は、自分の身の安全よりも周囲に迷惑をかけるまいという心情を優先したというのですか。
美江は渡されたティッシュを握りしめながら、よく言えば出来過ぎていると表現できる心持ちによって催した頭痛に耐えた。
「……貴方らしいといえば貴方らしいのかもしれませんね。でも、ここにいるとちょっと。早く、ここから離れましょう」
「え? そう言われても、まだティッシュを配り終えてないんですけど。職務を放棄して、持ち場を離れるというのは」
「ああ、もう」
いい人なのはいい。一般的な良識を持っているということも、大変喜ばしいことである。だが、世の中にはケースバイケースという言葉があるのですよ。それなのに、貴方って人は。
美江が桜井の融通の利かなさに悩んでいると、どこからともなく「やっぱり来たな」という憎たらしい声が飛んできた。
振り向いてみると、いつの間にやら新品の赤ジャージを着こなした永山が仁王立ちをしていた。
「うわっ……もしかして、昨日のピエロさん? あわわっ。け、怪我とかなかったですか? 大丈夫でしたか」
桜井は一瞬怯えたような動作を見せたが、数秒もしないうちにそれを永山の身を案じるものに変えてしまった。
ここまでの領域に達すると、もはや語ることは何もない。
美江は桜井の言動や行動について思考を働かせることをとうとう放棄した。
「は? 怪我? いきなりバーンと投げられて、地面に叩きつけられて傷一つ負わない人間がいるわけねえだろ。服を着てるから見えないだろうが、背中は痣だらけなんだよ」
永山は眼光を鋭くすると、早足で桜井との距離を詰めた。そして、急に桜井の胸ぐらをわし掴みにすると、彼の身体が宙に浮くほどぐっと持ち上げてしまった。
「うっ……」
「ちょ、ちょっと何するのよ!」
のど元を圧迫された桜井は、苦しそうに顔を歪ませる。
美江はどうにか永山を止めようとするが、それはみじんも聞き入れられることはなかった。
「やっぱりあんた、桜井さんを倒そうとしてるの? そんなのあんまりよ。仮にもヒーローだってのに、何が善で何が悪なのかすらも区別がつかないっていうの?」
「……」
「お金のためなら何だってするの? あんたさ、本当は気づいてたんでしょ。立花さんの怪人退治に対する執着が、行き過ぎてるってことに。だから、焼肉屋であんなことを言ったんでしょ」
「……」
「それなのに、どうして。何か言いなさいよ。何か答えなさいよ。永山!」
「桜井。お前さ、地球でがっぽり稼ぎたいんだったな」
「?」
永山はニヤリと微笑むと、急に手に込める力を緩めた。
圧迫からようやく解放された桜井は、ケホケホとむせながら顔を上げた。
「え……は、はい。がっぽりとはいかないまでも、故郷で待つ家族のために仕送りをしたいので」
「その目的のためには、何でもやる覚悟はできてるのか」
「人様に迷惑をかけること以外でしたら、何でも」
「ふーん、そうか。だったら……」
永山は再び微笑を浮かべると、手首につけているKTシーバーの液晶画面をとてつもない速さで連打し始めた。
数十秒後、KTシーバーから「何だい! 休暇中には連絡を入れるなって言っただろ!」という半ば怒り狂ったトーンの美声が聞こえてきた。
「ま、まさか」
美江が液晶画面を横からのぞいてみると、そこには仏頂面でこちらを睨む黒沢が映っていた。
休暇中にに呼び出しを食らったせいで修羅の如き殺気を放っているが、その出で立ちというのがハイビスカスが刺さったジュースを片手に派手なアロハシャツという完全なるハワイアンルックであったため、恐ろしさよりも滑稽さが強調されてしまっている。
……それにしても、何故このタイミングで黒沢に連絡を?
「お、ようやく呼び出しに応じて下さいましたか。黒沢さん、楽しんでます?」
「ああ、楽しんでたよ。さっきまではね。君のせいで、ものの見事にバカンスタイムはぶち壊しになっ」
「博之さん。いつまで部屋にこもってるのよ!」
「……とまあ、そういうわけだよ」
今、KTシーバーから流れてきた声は、おそらく黒沢の嫁のものだろう。下の名前で怒鳴られるなり、ビクッと震え上がった様子から容易に察しがつく。
「まあ、黒沢さんの複雑な家庭事情はさておき。仕事熱心な貴方様のことでございますですから、きっと自分の時間を犠牲にしてでも出て下さると思っておりました次第でございますよ」
「反吐が出るくらい変な敬語で、調子のいいことをいったって駄目だから。はあ……仕事を忘れきれずに、旅先にノートパソコンなんて持ってきたのが運の尽きだった。家族サービス中にピーヒャラピーヒャラ鳴られたりなんかしたら、出ないわけにはいかないもんなあ」
「そんなにピーヒャラが嫌なんでしたら、着信音を変えてはいかがです? ほら、今時のアイドルの歌にでも」
「こっちが言ってるのは、音色の問題じゃないんだよ!」
「じゃあ、音が鳴るのが嫌というわけですか。それなら、バイブ機能でもつければ」
「ノートパソコンに、そんな機能があるわけないだろ! こっちはね、あれほど休暇中には連絡を入れるなって念を押したことを守ってもらえなかったことについて咎めているわけだよ」
「何だか、いつもより興奮なさってません? 黒沢さんも見かけによらず歳なんですから、少しは血圧を下げて」
「僕の健康状態に気を遣うくらいだったら、最初から怒らせるな!」
何が何だかわからないが、明らかに話が横道にそれている。
見かねた美江が脇腹を肘で小突いてやると、永山は軽く咳払いをしてから本題に移った。
「さて、おたわむれはここまでにしておいてと。黒沢さん、KTHって人材不足に年中無休であえいでるんでしたよね?」
「は? あ、ああ。そうだけど。こんな特異な仕事だしね。ヒーローも、監視役も、その他の事務係も、みんな足りてないね。それこそ、猫の手も借りたいって奴かな」
「ほほーう。それはいいことを聞きました。では、こんなのを雇ってみるというのはいかがです?」
「わわっ」
え、何? この展開。
永山はKTシーバーのカメラ部分に貼ってあるテープをはがすと、桜井を自身の元へ強引に引き寄せた。
「え? そのいかにも好青年って感じの人は? 印象だけならものすごくいい人そうだし、こちらとしては大歓迎だけ……」
「こいつの正体、こんなんですけれども」
「えーっ!」
だから、何なのこの展開は。
帽子がひったくられて桜井の頭に光る角が露になるなり、黒沢は目をむいてひっくり返りそうになってしまった。
この珍妙なやりとりに道行く人がちらちらとこちらを見てくるが、誰もが眉をひそめながら素知らぬフリをして通り過ぎていく。おそらく、見るからに面倒そうなやからに関わりたくないのだろう。それは変に目立つよりは遥かにマシなのであるが、周囲からそのように見られていると思うと物悲しい。
「き、君は、怪人をKTHで雇えって言うのかい? 怪人対策本部という名のつくところで、怪人に働けだなんて……。そんなの前例がないんだけど」
驚かれても、無理もない話である。もし永山のめちゃめちゃな提案が実現したら、直接的にしろ間接的にしろ、怪人が怪人を倒すということに力を尽くすという構図が出来上がってしまうのだ。
「あのですね、前例というのは倣うためにあるのではなく作るためにあるんですよ。それに、さっき猫の手も借りたいとか言ったじゃないですか。怪人の手でしたら、猫の手よりは確実に役に立ちますよ」
「役に立つとか、立たないとかの問題じゃなくて。君はさ、彼に金のために仲間を退治する手助けをしろっていうのかい。それは酷というか、何というか」
「何を言ってるんですか。人間が罪を犯した時、それを裁くのは人間じゃないですか。それとこれと、どこが違うっていうんです?」
「また理に適っているような、適っていないような微妙なことを。いいかい? このような特殊ケースというものは」
「永山君。いつまで油を売ってるわけ?」
黒沢が何かを話そうとした直後、冷淡な声がそれを遮った。
一同が視線を向けると、そこにはKTHにいるはずの英子が突っ立っていた。
「おやおや、立花さん。どうしてこんなところにいらっしゃるんです?」
「貴方が監視役を縄でぐるぐる巻きにして、任務の遂行を妨げたりなんかしたからよ。だから、私が自ら赴くことになったのよ。はあ。こんな馬鹿みたいな不祥事、他の地域じゃありえないわ」
どうりでこの場に、永山の現監視役がいないわけだ。
永山が目的のためなら手段を選ばない男だということを思い出した美江は、妙に納得してしまった。
「もし、今すぐにその怪人を倒すというのであれば、この不祥事をなかったことにしてあげないこともないわよ。さあヒーローさん。さっさと貴方に課せられた使命を果たしてちょうだい。その異質な存在を、さっさと葬って」
英子は意志をかたくなに曲げず、命令口調を崩さない。
世間に害を与えることのない怪人まで、徹底的に排除しようとする。ここまでくると、異常の域に達しているのではないだろうか。
「異質な存在……。やっぱり、僕みたいな異質の存在が、地球にいてはいけないのでしょうか」
桜井が、うつむきながらポツリと呟いた。
その口調は何とも悲しげで、黒目がちの瞳は微かに憂いを帯びている。
「そうですよね。地球人から見たら、宇宙人である僕は化け物も同然なんですから。いくら迷惑をかけないように過ごしたところで、いるだけで恐怖を与えてしまう」
「桜井さん……」
一体、彼が何をしたというのだ。怪人であるというだけでこのような扱いを受けなければならないのか。こんなの、理不尽過ぎる。
溜まりに溜まった憤りに耐え切れなくなった美江が口を開こうとしたのとほぼ同時に、先に言葉を発したのは永山であった。
「さっきから聞いてりゃ、ふざけたことばっかほざきやがって。俺もよく外道とか何とか言われるが、てめえはマジでそれ以下じゃねえか。自分の感情だけで物事を適当に判断しやがって。いい加減にしろよな、このヒステリックババアが」
「は……はあ⁉」
いつにも増して強烈な一撃をぶちかまされた英子の顔から、理知的な雰囲気が見事に吹き飛ぶ。もはやその中には、やり手のキャリアウーマンの面影はどこにも見受けられない。
「貴方まで、怪人の肩を持つというわけ? 怪人を倒すのが仕事の、ヒーローのくせに。ふざけるのも大概にしなさい」
「ふざけてるのはあんたの方だろうが。全く、ここまで重症だと何も言う気になれねえな。あんたの命令に従う気は毛頭もないとだけ、最後に宣言させてもらうけどな」
「こ……この……。貴方も解雇するわ。今すぐヒーローという肩書きを捨てて、どこへなりとも消え失せなさい。本部に連絡して、早いところ他のヒーローを」
「立花君、そこまでにしておこうか」
「えっ……」
KTシーバーから、先程まで黙りっぱなしだった黒沢の声が流れた。
てっきり隙を見計らって通信を切ったものと思っていたのだが、しっかり話を聞いていたらしい。
「永山君。KTシーバーを立花君の方に向けてくれないかな」
「へいへい。俺だって、たまには空気くらい読みますよ」
永山が渋々といった感じで指示に従うと、黒沢は画面越しに英子のことを見据えた。その顔つきは真剣そのもので、いつもの明るい雰囲気は見受けられない。
「く、黒沢さん。どうして」
「さっきから通信がつながりっぱなしで、嫌でも話が耳に入ってきたものだからね。何だかさ、君が新人の頃に色々と指導していた身としては非常に情けないよ。KTHはあくまでも悪事を働く怪人に対策をうつための組織であって、怪人というだけで誰彼かまわず退治をするのが目的ではないことはよくわかってるはずだよね。昔から優秀だった、君だったら」
「う……」
「きっと、僕にはわからないようなつらい目に遭わされるだとかして、怪人という存在そのものに恨みを持ってしまったんだよね。じゃないと、君ほどの人がここまでの暴挙に出るとは思えない。そうなんだよね」
「うう……」
永山に対してはあれだけ強気だった英子が、黒沢の説教によって心が揺るぎだしている。
流石はKTH支部の主。たまには威厳というものを見せてくれる。
「よかったらさ、その理由を話してみてくれないかな。どうにかしてあげることまではできないかもしれないけど、立花君のつらい気持ちを、組織の先輩として共有してあげることはできるからさ。自分の気持ちを言葉にして吐き出せば、楽になれるよ」
「く……黒沢さん。だけど……」
「いいんだよ、別に。さ、ゆっくりでいいから。ね?」
「私……私……!」
英子は眼鏡の奥にある目から涙を流し、ヒックヒックとしゃっくりをし始めた。
彼女の心の底には、どんな闇が潜んでいるというのか。一同は、固唾をのんで耳を傾けた。
「私は、愛していたのにっ……。彼が、彼が私を裏切ったからっ……」
……。
「やっぱり、地球の女じゃ満足できないとか言い出してっ……。一方的に、私を……。ヒック。私は、今の地位も何もかも捨てて、ナーゾノ星についていくつもりだったのに……」
…………。
「ああ、ケンジ! どうして私を捨てて、あんな、若さだけが取り柄の女なんかと一緒になったのよ! 末代まで……ナーゾノ星が滅びるまで、呪ってやるんだからー!」
………………。
「えええええーっ!」
え、その、つまり。この一連の騒動は、アラフォー女の失恋による恨みによって引き起こされたというのか。これはひどい。いや、ひどいという形容だけで果たして片付けていいものなのだろうか。
美江は衝撃の果てにパニックになり、その心情を「えええええーっ!」という絶叫でしか表現できずにいた。
だが、このくだらないオチに度肝を抜かれたのは美江だけではない。KTシーバーに映る黒沢は放心状態になってしまったのかずっと固まってしまっているし、あの永山ですら毒を吐くのを忘れて呆然としている。しかし……。
「そ、そんなつらい経験をなさっていただなんて……うう。軽々しく気持ちがわかるだとか、安易なことは言えませんけど、僕は心から同情します……ぐすっ」
本来はブチ切れて暴れ回ってもいいくらいの立場にいる桜井はもらい泣きをし、配る予定だったポケットティッシュの一つを使って鼻をかみだした。
桜井よ、あんたもう神だよ。あんたみたいな心を持った人、地球のどこを探したって存在してやしないよ。
ひたすら泣きじゃくるアラフォー女と、それを見て絶句する一同。でもってそれを見てみるフリをして通り過ぎていく周囲の方々。
ツッコミ不在の中では、このような皮肉を口にする者すらいないのだった。
一連の騒動に収拾がついてから、美江は近くにあったラーメン屋に足を運んでいた。
何故かというと、先程のアホみたいな話を長々と聞かされたせいでどっと疲れてしまい、腹が空いてしまったのである。
「何というか、本当にひどかったわね。私はてっきり、怪人に身内を傷つけられたとか、それくらい重い事情があってあんなことをしたんだと思ってたんだけど。で……」
カウンター席で味噌ラーメンを口に運びながら、ちらりと隣りに目線を向ける。
そこには、天高く盛られた超特盛ラーメンにむさぼりつく永山の姿があった。
「何であんたまで、ここにいるのかしらねえ」
「仕方ねえだろ、腹減ったんだからさ。ここの店、この超特盛ラーメンを残さず食い切ったら食事代がタダになるっていうしさあ」
「昨日、あれだけ焼肉を食べておいて胃もたれとかしてないわけ? あんたさ、ヒーローよりもフードファイターの方が向いてるんじゃないの」
「んなこたあねえよ。しかも、フードファイターになったりなんかしたらさ、大食い関係の店が全部出入り禁止になっちまうだろ。それに、俺の胃はあっちの世界で通用するほど強靭じゃねえの」
「さあ、どうだか」
美江はレンゲでスープを飲みながら、軽く息をつく。
ハフハフと声をもらしながらラーメンに食らいつく永山を見てから、再び話し始めた。
「桜井さん、黒沢さんの計らいで定職に就けそうね。彼、正義感も強いみたいでKTHに所属することに抵抗を感じていなかったみたいだし」
「どうでもいいよ、んなこと」
あの後桜井は、KTシーバーを通した簡単な面接の結果、正式にKTHに所属することが決まった。
ただ、いい人過ぎるという性質上、ヒーローに肩入れしそうなため監視役には向かないと判断され、本部の方で事務などの補佐をすることになったとのことである。
ちなみに、様々な暴挙を繰り広げた英子の処遇は、本部で行われる会議によって決められるらしい。ただ、彼女がKTHで下した美江に対する処分などはその場で全てなかったことにされた。
「ま、私のクビも無事に撤回されたことだし、これからも監視役として仕事を頑張らせてもらうとするわ」
「あ? お前、監視役をやめたいだとかあれほど文句を垂れてたくせに、頑張りたいとはどういう風の吹き回しだ」
「深い意味はないわよ。ただ、ほんのちょっぴりだけあんたのことを見直したというか」
「はあ? うえっ。ゲホゲホッ」
永山は不意に呟かれた一言に動揺したのか、激しく咳込んだ。傍らにあったコップを引っ掴み、注がれていた水を一気に飲み干す。
「ど、どうした。ラーメンの熱気にやられて、頭がゆで上がったのか」
「違うわよ。だってさ……その。あんたさ、全部計算に入れて行動したんでしょ。桜井さんが、助かるように」
これはあくまでも想像でしかないのだが、美江はどうしてもこのように考えずにはいられなかった。
まず、監視役をとっ捕まえて縄で縛り上げ、英子が現場に来るように仕向ける。その後KTHから送られた場所に行き、桜井の真意を確かめる。そして、黒沢に連絡を入れて交渉。そして、英子が来るまで話を引き延ばして……。
「ふん。お前って奴は、どうしてもヒーローって存在を正義の象徴に仕立て上げたいんだな。悪いが、俺はそんなことに労力を割くような感性なんか持ち合わせてねえよ。俺はな、ただあの監視役が邪魔でうっとおしいから縛り上げて、桜井に関してはお前にやったように、今のうちに恩を売っておいて後々美味しい思いをするためにKTHに入ることを勧めた。でもって、黒沢と無駄話をしている間に偶然ババアが来ちまった。それだけのことだよ」
永山が平然とした態度で語りながら、超特盛ラーメンをさらにがっついた。
それでも美江は、疑いの眼差しを向けるのをやめようとしない。
「本当かしら? 私、嘘を見抜くのには結構自信があるんだけど」
「俺に今までさんざんだまされてきたくせによく言うな。特に、あんなでっち上げの美談まで信じておいて。偉そうに」
「そうなのよね。微妙な嘘はともかくとして、あんな大それた嘘っぱちなら簡単に見破れるはずなのに。おかしいのよ。……ねえ、まさかと思うんだけどさ。あの時話してくれたあんたの生い立ちって、実は本当のことなんじゃないの?」
「ゲホッ! な、何を言い出すんだてめえは! 急に寝ぼけたこと抜かしやがって。いいか? 俺はなあ」
「お客さん。あと三分で完食しないと、食事代一万円だよ」
「はあ?」
核心に触れる前に、ラーメン屋の店主が無情な一言を放った。
それを聞いた永山は、目の色を変えて顔をガバッと上げた。
「お、おい。このラーメンチャレンジには、時間制限があったのか」
「当たり前じゃないですか。ほら、メニューにもちゃんと」
店主はメニューを取り出し、ある部分を指で示す。そこには、豆粒よりも小さな文字で超特盛ラーメンの完食までの時間制限について書かれていた。
「うわっ。お、俺としたことが。腹が減ってたもんだから見落としちまった……最悪だ!」
永山は半分近く残っているラーメンを、焦りながら口に突っ込み始めた。
「あらあら。怪人退治よりも、激しい戦いを繰り広げていらっしゃるようね。ヒーローさん」
「うっせーな! 大体、てめえが俺にうだうだ語らせたからこんなことになっちまったんだろうが!」
「それは責任転嫁って奴よ。これは、メニューの記載を見逃がしたあんたが百パーセント悪いわ」
「何だと! いいか? そもそも」
「お客さん、あと二分」
「ゲホッ!」
「馬鹿じゃないの?」
美江は必死にラーメンと死闘を繰り広げる永山を横目で見ながら、自分のラーメンを食べ終えた。
「本当、こんな奴がヒーローとは思えないわ。ラーメン相手に苦戦する大の男が……ぷぷっ」
そして、あまりにも馬鹿馬鹿しい光景に我慢しきれなくなり、周囲の目を気にすることなく心の底から大笑いした。
永山君の生い立ちや、今回このような行動をとった理由については、
読者様に判断を委ねたいと思います。




