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第三話 怪人ライブwithヒーロー

 ヒーローとは、弱きを助け悪をくじく正義の象徴。

 戦いの時にその武勇のさまを世間に見せつけるのはもちろんのことであるが、その他の特殊技能などの点においても人並み外れた頭角を現す、完全無欠の存在として描かれることが時々ある。

 しかし、全てのヒーローがそうである保証はどこにもない。

 

 昨日はシマウマ。その前はヒヨコ。さらにその前はアザラシ。

 これは、なぞなぞなどではない。ここ最近のうちに、ヒーローが退治した怪人達の見かけの姿を端的に説明するとこうなるというだけのことだ。

「どいつもこいつも、ゆるキャラみたいなのばっかりだったわね」

 KTHに設置されている丸イスに腰かけながら、美江は数日の間に起きた出来事を回想していた。

 他の星から地球に襲来し、悪事を働く怪人を生け捕りにして元にいた星へと送り返すことを主な活動としているこのKTHに雇われてから、もうそれなりの日数が経過している。

 美江は地域を救うヒーローの監視役という、あまりにも理解しがたい仕事に最初は戸惑うことも多かったが、最近は慣れてきて徐々にC級SF作品みたいな世界観を受け入れられるようになってきた……と思っていた。

 だが、近頃は出没する怪人の悪事や容貌が変というか、脱力するものばかりで、どうにも気合が入らないのである。

「うちのヒーローもそうだけど、怪人も怪人らしくないような気が……」

 勝手な偏見からすると、怪人というものはそれらしくおぞましい容姿をしていて、世間にそれなりの爪痕を残すような悪事を働き人々から恐れられるというイメージが強い。それがやけに愛らしい容姿であったり、例え容姿の方が当てはまらなかったにしても、働く悪事の内容が食い逃げや試食品の独占というのはおかしいだろう。地域を守る存在でありながら金の亡者であるヒーローの永山もそうだが、そんな怪人達もそれらしくないと言えるように思えてしまったりするのである。

「愛があればー♪ 何もいらないだろうー♪ さあー二人で行こうよー♪」

「……」

 美江が脱力していると、さらに追い打ちをかけるように事務机の方から珍妙なメロディが聞こえてきた。

 メロディの方を向くと、黒沢がデスクワークにいそしみながら真顔で口を小さく動かしていた。

「く、黒沢さん。何なんですか、その歌は」

「え、知らないの。ひねもす三郎の『二人でのたり』だよ。昭和の名曲だけど」

「はあ」

 美江は説明を聞いてもなお、いまいちピンと来なかった。

 こんな変わった曲調の歌、果たして存在していただろうか……?

 しかしめげずに、黒沢は歌についての話を続ける。

「サビだったら、わかるかな。えっと……朝から晩までのたりのたーり♪二人の幸せのたりのたーり♪ ああー永遠にひねもすのたーり♪」

「あ、聞いたことがあるかもしれません。確か」

「確か?」

 少し音が外れていて思い出すのに時間がかかってしまったが、このセンスの欠片もない歌詞から判断すと間違いないだろう。

 美江は楽曲について思い出した情報を、忠実に伝えた。

「私の祖父が昔、酔っぱらった時にノリノリで歌ってました。祖父の青春を大変潤してくれた楽曲だとかで」

「お、おじいさんが? そ、そう……」

 美江から歌に関しての情報を聞くなり、黒沢は急に陰鬱そうな表情をしてうつむいてしまった。

 決してそのつもりはなかったのだが、もしかして祖父というワードが、彼の年齢問題に軽く触れてしまったのだろうか。

「あ、あの。黒沢さん? どうかしましたか」

「そうか……花咲君のおじいさん辺りの年代の方が好きな歌なのか。のたり、のたり……♪」

 黒沢はせっかくの美声を台無しにした、ややフラット気味な音程で歌いながら、気分を紛らわすためか、猛スピードで仕事をこなし始めた。もはや、この状態では何も聞き出すことはできないだろう。

「らしくないのは、怪人とかだけでもないかも」

 歌がサビに入って盛り上がってきて、少し元気が出た様子の黒沢を見ながら美江は溜め息をついた。

 黒沢は特撮物のドラマなどで言うならば、ヒーローに指示を与える上官や司令官に当たるはずである。これまた勝手な偏見かもしれないが、戦隊ヒーローが登場する作品に出てくる上官などは、大体は真面目でお堅い感じであることが多いと思われる。少なくとも、年齢についての話題を出されただけで気分を損ねたり、ヒーローにコテンパンに言い込められて泣きそうになったり、休みをうまく取れないせいで嫁にいびり倒されたりしているイメージなんてみじんもないはずなのだ。もっとも、全国の子供達の夢を壊さないためにドラマなどではそういった描写を避けているという可能性も大いにあるが。

「ん、あっ。本部からだ」

 パソコンから甲高い電子音が流れると、黒沢はピタッと歌唱をやめた。

 どうやら、怪人に関する情報が本部から送られてきたらしい。

「これは、外道君に出勤してもらわないと駄目だな」

 連絡は、怪人の出没についてのものであったようだ。

 それを近くで聞いていた美江は、あまりの『らしくないラッシュ』のせいで「今度の奴は怪人らしい怪人であって欲しい」などと、つい不謹慎なことを願ってしまった。

「永山君。聞こえるかい」

 黒沢は早速、素早いパソコン操作でヒーローに連絡をいれる。

 すると、「はい?」という、いかにもかったるそうなトーンの声が流れてきた。

 永山が連絡手段として使用しているKTシーバーのカメラ部分にテープが貼ってあるせいで、奴の姿がパソコン画面に映し出されないことは重々承知しているが、美江は二人の会話を聞き漏らさないために席を立って近づくことにした。

「今、どこにいるんだい。怪人が出たんだけど」

「今ですかあ? バイト中ですよ。日雇い労働に精を出しているところでしてねえ」

「本当かなあ……?」

 黒沢は怪しみながら、ねちねちとした口調で問いかける。

 この部分だけ切り取って見れば、彼が陰険な上司であるかのように思われかねないが、永山に疑ってかからずにいられないのも無理はない。

 うちのヒーローは、知り得る限りだけでもかなりの回数の嘘をついており、その前科は計り知れない。話を素直に信じてもらえないのも、全て身から出た錆なのだ。

「うたぐり深い人ですねえ、黒沢さんは。性格悪いとか、よく言われません?」

「ははは。もし言われてたとしても、君ほどじゃないから大丈夫。で、そろそろ君がどこにいるのかを答えてくれないかな」

「地球ですね。それだけは、自信を持って間違いないと言えます」

「小学生みたいな、つまらない受け答えはやめようか」

「じゃあ、黒沢さんは俺にもっと面白いことを言えと? 芸人でもない俺に、無茶振りするのはいただけませんねえ」

「そういう意味じゃなくってねえ」

 黒沢は、話し方こそはまだ穏やかであるが、その目つきを段々と険しいものへと変えつつある。

 永山は物事の加減というものを察したのか、次に口に出したのは要望に沿うものであった。

「わかりましたよ。真面目に答えますから。今はですね、Z区の工事現場にいます。もっと細かく住所を言いますと……」

 永山が詳細に自身がいるという場所についての情報を伝えると、黒沢は「ふーん。そう」と冷たく言ってからパソコンを操作した。

 すると、画面にこの地域周辺を簡略化した地図が映し出され、その中で小さな点がポツンと点滅した。

「あ、めずらしい。本当に申告通りの場所にいるなんて」

「はい?」

 パソコンから流れてくる永山の声には、明らかに動揺が入り混じっていた。

 無論、今の言葉に反応を示したのは奴だけではなかった。

「く、黒沢さん。あの、まさか」

 美江は事実を確認するために、パソコンに映る地図によく目を凝らす。

 ……間違いない。地図の中の点と、永山が自己申告した現在位置は完全に一致している。ということは、つまり。

「黒沢さん! KTシーバーにGPS機能を勝手につけたんですか。いつの間に……プライバシーの侵害ですよ!」

 美江と同じ結論に行き着いたらしい永山は、状況を把握するなり声を荒らげて抗議をし始めた。

 だが、黒沢は全く動じることなく真っ暗な画面を冷徹に見据える。

「君が大ぼらを吹きまくるから、こういった処置をとらせてもらったってだけだから。完全に、これは自業自得って奴だよ」

 黒沢の言い分はごもっともである。何せ、相手は金のためなら何でもやりかねない外道なのだから。

「俺をずっと束縛するつもりですか? たまったもんじゃありませんよ。いくらヒーローだからって、プライベートを犠牲にする義務なんてないですよね」

 永山は自分の日頃の行いを棚に上げ、特徴のある声で早口にまくしたてる。

 それを聞く黒沢は、しかめっ面ではあるものの、今のところは冷静だ。

「そういった義務はないけど、全ての発端は君の普段の素行にあるんだからね。品行方正に、なんて高望みは言わない。でもね、君がもう少し人としてマシな奴だったら、こんなことをされないで済んだんだよ。わかる? こうして君と無駄話をしている間にも、怪人による被害が増えてるかもしれないんだからね」

「おや、俺との討論を黒沢さんは無駄話であるときちんと認識なさっているのですか。それを自覚しているのであれば、もう少し端的にお話してはいかがです? ……まあ、仕方ありませんか。年寄りは話が長いって、世間でも言われているくらいですし」

「と、年寄りってねえ。僕はまだ、そこまでは……」

 年齢ネタという名の憎まれ口が炸裂すると、黒沢の表情があからさまに歪んだ。

 それをきっかけに話の主導権を握った永山は、さらに一気にたたみかけた。

「ま、そういう俺も話が長くなりそうなので、この辺でやめておいてあげますよ。二十六歳の若さで、年寄りの仲間入りなんてしたくありませんからね。では、仕事はちゃんとさせていただきますから、さっさとKTシーバーに怪人についての情報を送って下さい。あ、そうそう。仕事を中抜けした分の特別手当は後でしっかりいただきますから。以上」

「あっ」

 言葉のマシンガンを一方的に打ち終えると、永山は通信を切ってしまった。

「また勝手に切って……本当にどうしようもない奴だなあ。あうう……」

 黒沢は、胃の辺りを手で押さえながら深い溜め息をついた。

 例えるなら、その姿はろくでもない部下を持ってしまった中間管理職が頭を痛める気の毒なさまによく似ている。

「色々な意味で大丈夫ですか」

 美江は一応心配し、声をかけた。

「色々な意味で、やっぱり駄目だね」

 言わずもがな、即答であった。


「とりあえず、来てみたけど」

 美江は黒沢から指示を受け、KTHから最寄りの駅の近くにある公園へと足を運んでいた。

 ここは公園にしては規模が大きく、よくイベント会場としても用いられることでも有名な場所である。その中心部には、許可さえ取れば誰でも利用できるステージもあったはずだ。

「永山の奴、まだ来てないの? ……それにしても、さっきから聞こえる変な音は何かしら」

 どこからともなく、人を不快にさせるような音が流れてくる。

 美江は公園の敷地に入ってから、ずっと顔をしかめていた。

「ステージの方?」

 現在位置は出入口付近。汚らしい音は、中心部の方から聞こえてきている。しかも、徐々に不愉快な音に悲鳴のようなものまで混じり始めた。

「うわっ! 逃げろ逃げろっ!」

「鼓膜が破れるっ!」

 そう思ったのも束の間。公園の中心部の方から、血相を変えた人々がどっと出入口目がけて走ってきた。

 彼らはそろいもそろって、耳を両手で強く押さえ込んでいる。

「きゃっ! な、何なのっ。ちょっと、すみません!」

 集団の勢いに気圧されて転びそうになったしまった美江だが、どうにか逃げ惑う集団のうちの一人に接触を試みた。

「あの、何かあったんですか」

「何かって言われても。とにかく、ステージの方には絶対に近づくな。うああっ。耳が……」

「あっ。それって……行っちゃった」

 ろくな情報は得られなかったが、ステージの方で何かが起きているということだけは間違いない。

 美江は意を決して、不快な音が聞こえる方へと向かっていった。

「いっ!」

 程なくして、美江は耳を塞いだまま走っていた集団の気持ちを理解することとなった。

 問題となっている場所に辿り着くなり、意識せずとも自然と手が耳の方へと動いていく。

「あ、あいつら……怪人?」

 石造りのステージの上に、奇抜な格好をした三人組がいる。横並びに立っていて、真ん中が女性で両サイドが男性というありがちな構成だ。三人とも頭部に角があることから、怪人であると判断できる。

「何あれ。バンドのつもり?」

 美江はそれなりに距離のある位置から、三人組をじっくり観察した。

 両サイドの男二人は裸にジージャンを羽織っており、はいているズボンにはやたらと鎖がジャラジャラとついていた。右がスキンヘッドで、左が赤く染めた髪をツンツン立てている。エレキギターをかまえて気持ちよさそうにかき鳴らしているが、その旋律は見事なまでにでたらめだ。

 真ん中の女はボサボサのソバージュヘアーに風変わりな厚化粧。とりわけスタイルがいいわけでもないのに、恥ずかしげもなくピチピチのボディコンスーツを着用している。小指を立ててマイクを持ち、聞くに堪えないひどいしゃがれ声で洋楽らしき歌を熱唱している。

 それらは、美江の目には何かを大きく勘違いしている売れないロックバンドにしか映らなかった。

「本当、ひどいわ。ううっ」

 これ以上、ステージの方には近づけない。

 美江は悶え苦しみながら、手を耳にさらに強く押しつけた。

 怪人バンドが奏でるメロディは、まさに不協和音と形容するのにふさわしいものであった。両サイドのギターが尋常ならざるくらいにド下手くそなのも要因の一つであるが、何よりもボーカルの声がひどい。ギターに負けじと言わんばかりに張り上げられる声は、もはや歌とは呼べない。これではただの絶叫だ。それらの音が絶妙に化学反応を引き起こしあい、周囲一帯に騒音という名の地獄のメロディを響かせている。

「うう、頭が痛くなってきた。おかしくなりそう」

 もうステージの周りには、人っ子一人いやしない。おそらく、怪人バンドの騒音に耐えられず、先程の集団となって逃げだしたのだろう。

「センキュー!」

 ようやく一曲歌い終えたのか、ボーカルの女が腕を頭上に突き上げるポーズをとった。

 本人達は達成感でいっぱいなのかもしれないが、既に鼓膜が限界の美江には安堵の情しかない。

「セイコーさん。今日のセッションはばっちりでしたね」

 スキンヘッドの男が、ボーカルの女に向かって言った。

 どうやら、彼女は『セイコー』という名らしい。

「楽しみですねえ、三日後のライブハウスでの本番。くうう~! 俺達のロック魂で、地球の奴らをしびれさせてやりましょう!」

 今度は赤髪の男が興奮気味に叫ぶ。

 幸か不幸かわからないが、奴らはそろいもそろって声量が異常に大きいので、耳が多少おかしくなっても問題なく話の内容を聞きとれた。

「そうねえ。じゃ、今日はこれくらいにしておきましょうか。あとは、三日後のために体力温存よ。じゃ、これにて解散!」

 セイコーが聞き取りづらいかすれた声で号令をかけると、怪人バンドは段々と黒い霧のようなものへと変化し、そのまま空気に溶けるようにして消え失せてしまった。

「あれ? あれ? あれ?」

 辺りが静寂に包まれると、美江は少々パニックを起こしながらステージへと駆け上がった。

 つい先程まで怪人達がいたはずなのに、すっかり影も形もなくなってしまった。

「う、嘘でしょ」

 ヒーローが登場する前に怪人がいなくなってしまうなんて。果たして、こんな展開があっていいのか。

 美江が一人頭を悩ませていると、背後から足音が聞こえてきた。

「おっ、出たな。怪人プチ火山」

「ちょっと、誰が怪人よ! ……って、あ!」

 特徴的でふてぶてしい声に振り向くと、そこにはボロジャージ姿の永山が立っていた。

 怪人がいなくなってから登場するという失態もあってか、今更感が強烈に漂う。

「あんたねえ、駆けつけるの遅過ぎ。怪人なら、さんざん周囲に迷惑をかけた挙句にどっか行っちゃったわよ」

「おいおい、KTHで俺がどこにいるのか聞かなかったのか。俺のバイト先と、この公園とじゃ、かなり距離があっただろ。タクシー飛ばして間に合わなかったんだ。仕方ねえだろ」

「仕方ないって、それは……」

 永山が悪びれる様子もなく弁解した直後、KTシーバーから着信音が流れた。

「また黒沢か」

 不機嫌そうにしながらも、永山は画面に触れて着信に出た。

「永山君。怪人の方はどうなったんだい」

「いや、逃げられたってわけじゃないんですけどね、俺が到着する前にどっかにずらかりやがったみたいでして。現場にいたのは、残念なことに地味なプチ火山だけで」

「さっきから何なのよ、プチ火山って! 勝手に変なあだ名つけないでよ!」

 美江は不名誉なあだ名に憤慨し、ステージで大暴れしていた怪人達に負けないくらいの大声を上げる。それを見た永山は、意地悪そうにニヤニヤと笑った。

「つまり、その。もしかして、怪人に出会うことすらなかったってこと?」

 怒鳴り声に驚きつつも、黒沢は困惑した様子で事の次第を確かめる。

「そういうことですね。今回はちゃんとバイトを中抜けしてヒーローらしく駆けつけたんですから、文句は一切受け付けませんからね」

 本来は責められるべき立場にあるくせに、永山の口振りは何故だか偉そうだ。

「あのね、ヒーローとバイトを掛け持ちしてるって時点で全然ヒーローらしくないから。そもそも、バイトをしないでずっとKTHにとどまっていれば、どこに行くにしたって充分間に合うんだよ。転送装置を使えば、怪人が現れた場所までひとっ飛びできることくらい知ってるよね」

 すみません。それ、初耳なんですけど。

 美江は、心の中でツッコミを入れた。

 転送装置というのは、怪人を本部に送る際に使用しているものとおそらく同一のものだろう。あれには、本来の用途以外の使用方法があったのか。

 ……待てよ、そんな便利な機能があるのに、どうして私には使うかどうかを尋ねてくれたことがないのだ?

「KTHにずっととどまる? 馬鹿なこと言わないで下さいよ。怪人がそこまで頻繁に出没するってわけでもないのに、どうして時間をドブに捨てるような真似をしなくちゃいけないんですか。地域の平和如きのために、俺のバイトタイムを犠牲にする気なんて毛頭もありませんから」

「ご、如きって。地域の平和を、如きって……」

 雇われ者であるとはいえ、とてもヒーローがするとは思えない外道発言に黒沢は絶句した。

 そんな様子などはおかまいなしに、永山はさらに続ける。

「あと、転送装置はどういう理由があっても使いませんからね。あれ、着地場所は細かく指定できるみたいですけど、ひとっ飛びするなり空中に投げ出されるじゃないですか。極端に高い位置から落とされるってことはないって話ですけど、下手をしたら、着地の衝撃で身体の骨が折れますよ。怪人は丈夫にできてますから、本部の硬ーい床に投げ出されても平気なんでしょうけど」

 先程抱いた疑問は、あっさり解決してしまった。

 確かに、現場に転送装置で飛ばされるたびに空中に放り出されてはたまったものではない。馬鹿みたいな身体能力を持ったヒーローならともかくとして、凡人である美江が装置でぶっ飛ばされるようなことになれば、確実に怪我をするだろう。

「永山君の場合は、変身してから転送されればいい話じゃないか。あのスーツを着ている間は、身体の耐久力が飛躍的に上がるんだから。君の前に雇っていたヒーローは、ずっとそうやって現場に駆けつけてたんだからさあ」

「だから、変身は嫌だって言ってるじゃないですか。あんな恐ろしくダサいスーツを着るくらいでしたら、ヒーローやめますから。あのスーツ、機能性はともかくとして、デザインが根本的にトチ狂っているじゃないですか。あれを仕立てた人は、一体どういう美的センスをしているんですか。はっきり言って、あれを着て怪人を倒すよりも、ふんどし一丁で町内マラソンに出場する方がずっとマシです」

「僕にスーツのデザインのことを言われても困るよ。あれは、本部のスーツ開発部が担当してやってるんだからさ。八つ当たりにみたいに僕に苦情をぶつけて、何になるって言うんだい」

「貴方に苦情を言って何になるか? 金にならないのは確かですかね。うーん、憂さ晴らしくらいにはなってますよ」

「憂さ晴らしって……」

 永山の猛毒を含んだ一撃を食らうと、黒沢は口元を小刻みに震わせながら固まってしまった。

 どうやら、新たに言葉を継ぐ気力すら湧いてこなくなってしまったらしい。

「とりあえず、経費としてタクシー代はきっちりと請求させていただきますからね。今度領収書を持ってKTHに行きますから、よろしくお願いいたしますね。以上」

 永山は一方的に通信を切ると、勝利の笑みを浮かべた。

「よく次から次へと人を不愉快にさせる言葉ばかり思いつくわね。その才能に感心するわ」

 美江は軽蔑の眼差しを向けながら、精一杯の皮肉を言った。

「褒めてくれてありがとよ。ところでさ、お前は怪人のことを見たのか」

 突然、永山は束ねている後ろ髪をいじりながら尋ねてきた。

 数分前にしていた、人を嘲るような笑みとは打って変わって、今は真顔を作っている。

「え、ま、まあ」

「その怪人、どんな奴だった」

「どんな奴って……勘違いした馬鹿っぽいバンドみたいな三人組だったわよ。好き放題に地獄のメロディを奏でたら、満足して消えちゃったわ」

「ふーん。今度はいつ、どこに現れるとかほざいてなかったか。ほら、この前のトカゲジジイみたいにさあ」

「……」

 ちょっと待て。こいつにしては、任務に対してやけに真面目過ぎやしないか。

 話の途中で、何かを察した美江は警戒して黙り込んだ。

「どうした。いくらタダだからって、ここぞとばかりに俺の顔を拝み続けるってのはどうかと思うぞ」

「あんたの顔なんてこれっぽっちも拝んでないから。単に、その、あんたにしては仕事熱心だなって思って。どうせ、そういう時って」

 美江は一瞬ためらうように口をもごもごと動かす。

 そして、ボソッと小声で呟いた。

「ヒーローとしてじゃなくて、特別手当が目的で頑張ってるんだろうなーって」

「ん? 何だ、そんなことか。くっくくく……」

 それを聞くなり、永山は表情を緩めて笑い始めた。

「な、何がおかしいっていうのよ」

「何がって、くくく……そんな当たり前のことを聞くためにわざわざこんなに溜めたと思うと馬鹿馬鹿しくってさあ」

「ば、馬鹿馬鹿しいってそんな!」

 目の前のヒーローの性格は大体理解できてはいる。だが、馬鹿馬鹿しいというのはあんまりだろう。

 今の発言のせいで積もり積もった怒りに火がつき、美江の顔はあっという間に紅潮した。

「あんたさ、仮にもヒーローでしょ。それなのに、いっつもお金、お金、お金って。ヒーローっていうのはさ、人の模範になるような立派な存在なわけでしょ。多少でも、そういう自覚とかないわけ? どこのヒーローがお金のために地域の平和を守るっていうのよ。ちゃんちゃらおかしいにもほどがあるわよ!」

 火山が噴火でもするかのように溜まっていたうっぷんを吐き出すと、美江は軽く息を切らしながら永山を睨みつけた。 

 だが、奴は一切動じず舌打ちをしてから反撃を開始した。

「前にも言わなかったか。無料奉仕はボランティア団体くらいしか行わないものだと思えって。俺はな、慈善だとか思いやりだとかいう、上っ面だけの言葉は大嫌いなんだよ。大体さあ、前々から思ってたことなんだが、お前はヒーローって存在に甘いイメージを抱き過ぎなんだ。考えてもみろよ。現実世界に、何の見返りもなしに他人に善意を施す奴なんているか? いないだろ。だから、特撮ドラマだとかで、人間の夢と理想としてそういったコッテコテのイメージの中だけにしかいないヒーロー像って奴がはびこりやがるんだ。そんな理想像を、現実世界に生きている俺に求める方が間違ってんだよ。俺のことをどう思おうが自由だがな、お前の中のヒーロー像を押しつけるのはやめろよな」

「そこまで言わなくたって……」

 屁理屈とも正論とも受け取れるような発言をぶちかまされ、美江は何も言い返すことができないままうつむいてしまった。

 弱きを助け悪をくじく正義の象徴であるヒーロー。それはあくまでも人々の夢、理想としてだけで輝くものであって、現実に求めるのは押しつけがましいことなのだろうか。

「ふん、やっと黙ったか。あーあ、無駄なおしゃべりのせいで変に時間を食っちまったな。さーてと、バイトに戻るとするか」

 永山は言うだけ言うと、大欠伸をしながら出入口の方へとさっさと歩いていった。

「あ……」

 怪人達は、三日後にどこかのライブハウスに現れる。

 横道にそれる前にされた質問の答えが今更になって浮かんだ美江であったが、もやもやとした気持ちが邪魔をして口に出す気にはなれなかった。

 

 いまいちもやもやとした気持ちが晴れないまま、あっという間に三日が経過した。

「ヒーローに甘い期待を抱き過ぎ、か」

 溜め息交じりに呟きながら、陰鬱な表情を浮かべる。

 気分の悪さくらい時が解決してくれるだろうと思っていたが、どうしてもスッキリしない。

「で、あいつはどこにいるのかしら」

 美江は現在、先日に訪れた公園からほど近いところにあるライブハウスに来ていた。

 無論、プライベートとしてではなく仕事の一環としてだ。

 三日前に永山との口論を終えた後、美江はKTHに戻り、公園で得た情報を細かく黒沢に報告していた。その時、黒沢からこのような指示を受けたのである。

『また怪人が出現した時にヒーローが間に合わないなんてことがあったら困るしなあ……そうだ、花咲君。悪いけど三日後、外道君にずっと張りついていてくれないかな。で、僕が彼に怪人の情報を送ったら、すぐさま現場に駆けつけるように説得して。大丈夫、外道君の居場所だったらGPS機能で簡単にわかるから。居場所は随時携帯電話に送るからさ。よろしく!』

 それに従ってここまで来たわけだが、指示された場所が何故だかライブハウスだったというわけである。どういう偶然か、怪人達が姿を現すと宣言していた場所と一致していたのだ。

 だが、一口にライブハウスといっても、この地域には何か所かそういった場所があると美江は聞いたことがあった。

 まさか、ここに出没する確率は……多分、低いだろう。

「でも、よりによって……ねえ?」

 このライブハウスは規模が小さく、座る場所すらない。あるのは実質の立ち席と、いかにも使い古しといった感じのステージ。客はいるにはいるが、かなりまばらである。

 怪人達の目的が多くの人に演奏を聞かせることにあるのであれば、もっとほかの場所を選ぶはずだ。さらに駄目押しするならば、ヒーローがいる場所に都合よく怪人が現れるようなことがそう何度も起きるなんて考えられない。いや、現実世界においてご都合主義的な展開が起きてばかりでたまるか。

「で、永山はどこ?」

 美江は気を取り直して、辺りを見回す。

 暗い配色の壁に囲まれた空間の中に、ずいぶんとウキウキとした少人数の客達。心なしか、女性の比率の方が高い印象だ。若い男性の姿もちらほら見えるが、永山はそこには混じっていない。

「そもそも、どうしてあいつがこんなところに。音楽にお金を使う奴とは思えないんだけど」

 このライブハウスの本日の入場料は千円。美江は経費で落としてもらうつもりであるが、永山がここに客として訪れたのならば、奴も入場料を支払わなければならないはずだ。

 あの金の亡者が、音楽をしばしの間堪能するためだけに金を払うなんて考えにくい。奴が予想に反して余程の音楽好きであるとすれば、話は別であるが。

「妥当な線で考えるんだったら、ここのスタッフとしてバイトしてるとか? でも、それらしい人も全く見ないし」

 ブツブツ言っているうちに、照明が落とされて辺りが真っ暗になった。

 ステージだけがピンポイントで照らされ、周囲の注目が集まる。

「ヘーイ! レディース&ジェントルメン。盛り上がってるかーい!」

 ステージの上手から、蛍光色のジャケットを着込んだ時代錯誤風の男が歩いて進行を始めた。

 とてもそういう感じには見えないのだが、おそらくここのライブハウスの司会者なのだろう。

「イエーイ!」

「ヒュー!」

 まばらな客達が、司会者に向かって異常な熱気で返事をする。

 こういった場に全くといっていいほど慣れていない美江には、彼らの心情はさっぱり理解できそうになかった。

「本日素敵な音楽を俺達の熱いハートに響かせてくれるのは、あの『ジミー&リューブラザーズ』だ! 最高のサポートメンバーを引きつれて、ヒートなミュージックをここに刻んでくれるぜ!」

 あのジミー&リューブラザーズって言われても、そんな名前なんて聞いたことないし。しかも、熱い音楽をどうやってステージに刻み込むというのだ。

 ああ、もう帰りたい。許されることなら、仕事をほっぽり出して今すぐ家に帰りたい。

 この場のノリについていけないと思った美江は、どんよりとした心地にとらわれてしまった。

「では、『ジミー&リューブラザーズ』。カモーン!」

 司会者は大げさな素振りをしながらステージの下手にはけていき、代わりに上手から四人組の男が上がってきた。

「ふーん。これがジミー&リューブラ……って、ええっ!」

 彼らがステージの中心に立ち、スポットライトを浴びてその姿をはっきり見せるなり、美江は仰天してひっくり返りそうになってしまった。

 先程の心の声にもあったように、美江はジミー&リューブラザーズなどという、いかにもマイナーそうなバンドなんて見たことも聞いたこともない。

 だが、その中に嫌というほど見覚えのある顔があったのだ。

「な、な、永山っ!」

 前列に並んだ男二人の右斜め後ろに、エレキギターを持った永山が立っていた。

 いつもは後手に束ねている髪を下ろし、上は黒の革ジャンに白のタンクトップ。下はタイトなズボンにこじゃれた革靴という、普段のボロジャージスタイルからは想像がつかないような、本物のミュージシャンを連想させる格好をしているが間違いない。その証拠に、手首には身につけている衣服とは不釣り合いなKTシーバーが巻かれている。

「あいつ、バンドなんてやってたわけ? 嘘でしょ」

 そんな話、一度たりとも聞いた覚えがない。

 ……もとい、永山に対する興味・関心が一切なかったので、立ち入ったことを尋ねたことがなかった。

「今日は一段と盛り上がっていこうぜ!」

 前列で目立つ男のうち、右側の方の男が鼓舞するように叫んだ。

 この二人のうち、どちらかがジミーでどちらかがリューなのだろうか。よく見ると顔立ちが似ているので、もしかすると本物の兄弟なのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

「行くぜ、まずは一曲目! 俺達の代表曲『太陽と月のカンケイ』を聞いてくれ!」

 左にいる方の男が叫ぶと、その斜め後ろに立っているパッとしない感じの男がキーボードの演奏を始めた。それに合わせて永山がギターをかき鳴らすと、客達はさらに熱狂し始めた。

「う、うまい……」

 歌はよく似た声質をした前列の二人が、人並程度の歌唱力で「俺達は近いようで遠くて触れ合えない」だの「ああ、僕は君に照らされるだけの哀れな月なのさ」だのとダサい上に臭い歌詞を恥ずかしげもなくハモるといった感じであるが、後ろのバックバンドの演奏が抜きんでている。特に、永山のギターが別格だ。

 その様は、普段の外道っぷりからは想像がつかないくらいに……悔しいくらいに、格好がついている。

「キャー!」

「こっち向いてー!」

 女性客のほとんどは、メインであるはずのボーカル二人はそっちのけで、永山にばかり注目している。重度の者に至っては、歌を完全に無視して携帯電話で永山の写真を撮りまくっている始末だ。

 ……仮にも歌手のライブだというのに、いいのか? これで。

「にしても、あんな奴でも運動神経以外にすごいものってあるのね」

 美江は周囲の状況に呆れかえりつつも、色々と考えていた。

 特撮物のヒーローというのは、大体は何でもかんでも器用にこなす完全無欠の存在として描かれている。ひょっとすると、永山は欠陥まみれの性格以外の点においてはその条件をちゃっかり満たしているのだろうか。

 ……それに対し、世の中の不条理というものを感じてしまうのはいけないことだろうか。

「あんたら、邪魔だよ。そこをどきな!」

「?」

 曲が終盤に差しかかり、会場がヒートアップしきっていたその時だった。

 入口のドアがバンっ! と音を立てながら勢いよく開き、中に闖入者どもがどっと流れ込んできた。

 客やステージ上のミュージシャン達は、ざわめきつつ一斉にそちらの方へと注目を向けた。

「……」

 しかし、どういうわけか永山だけはがむしゃらにギターを弾き続けたままそちらに見向きもしない。

「あ……!」

 美江は乱入してきたやからを確認するなり、口をポカンと開けて固まってしまった。

 ライブ中に入ってきたのは、紛れもなくあの怪人バンドの三人組であった。ヒーローがいる場所に怪人の方からひょっこりと姿を見せるなんて。本当にこんなことになるとは。ご都合主義的な展開は、もう勘弁していただきたいと思っていたのに。

「こっからはあたい達の時間だよ。地球のボーヤ達は、さっさとそこから降りな」

 リーダー格であるセイコーが聞き苦しいしゃがれ声で言うと、ボーカルの二人は実に不愉快そうな顔をしながら歌うのをピタりとやめた。

 キーボード担当の男は、その雰囲気に臆してしまったらしく一人オロオロするばかりだ。

 空気が張りつめた狭い空間の中に、永山が空気を読まずに弾き続けるギターの音色だけが鳴り響く。

「は? 何だお前ら」

「今は俺達の時間だ。さっさと失せろ」

 ボーカルの二人は相次いで言いながら、怪人バンドを睨みつける。

 それに合わせ、客達は帰れコールやブーイングを邪魔者達に浴びせ始めた。

「失せろだと? それはこっちの台詞だ」

 スキンヘッドが、頭に生えた角をなでながらニタりと笑った。

「さーさーお客さん。こんなしょぼいバンドの演奏なんかより、俺達のパンチ効きまくりのセッションを聞いて下さいよー」

 赤髪がそう言ったのを皮切りに、怪人達は強引にステージへと上がってきた。

「おいっ神聖なステージに上がってくるんじゃねえ!」

 ボーカルの片方が声を荒らげ、客達のブーイングもますます音量が増していく。

 しかし、そんなちっぽけな声は一瞬にしてかき消されることとなった。

「うぎゃあ! な、何だこの音はっ」

「耳が痛い……死ぬっ!」

 怪人バンド達が、とうとうあの泣く子もわめくような地獄のメロディを奏で始めてしまった。

 音がよく響く狭い空間の中で、大音量で不協和音を掻き立てられてはたまったものではない。近くにいたジミー&リューブラザーズを始めとして、この場にいるほとんどの者が騒音に苦しみ悶え始めた。

「WO~♪ WO~♪ WO~!」

 耳が裂けそうな演奏の中で、セイコーがそれに負けないと言わんばかりに声を張り上げる。

 かろうじてうっすらと聞こえていた永山のギターも、とうとうかき消されてしまった。

「に、に、逃げろー!」

 客達やライブハウスの従業員達が、次々に出入口から外へと飛び出していく。ジミー&リューブラザーズのメンバーもまた、先程までの威勢はどこへやったのか、マイクを放り投げて逃げてしまった。

 出入口のドアが、開けっぱなしのままむなしく揺れる。演奏開始から一分も経たないうちに、この場にいる人間はうずくまったまま動けなくなってしまっている美江と、いまだにギターを弾き続けている永山だけになってしまった。

「……おい」

 やかましく響き渡っていた騒音が急に止んだかと思うと、怪人達はステージの後方に視線を傾けた。

「そこのギター。いつまで弾いてやがるんだ。俺達のワンマンライブの邪魔になってんぞ」

 スキンヘッドが、どすのきいた声で威圧する。それでもなお、永山は手を止めるどころか怪人達と目を合わせることすらしない。

 すると今度は、赤髪の方がからみ始めた。

「おいコラ。いい加減にしねえとそのギターをへし折るぞ」

「うっせーな。てめえの腕をへし折られたくなかったら、そのアホ面を引っさげてとっとと失せろよ」

「な、何だとてめえ!」

 暴言をもろに浴びせられた赤髪は、自身のギターをスキンヘッドに預けてから俊敏な動きで永山に殴りかかった。だが。

「人のバイトの邪魔すんな」

「ぎゃあっ!」

 永山はそれをあっさりとかわした後、赤髪の腹に回し蹴りをぶちかました。

 赤髪はステージから転がり落ちると、痛みにあえぎながらゲホゲホとむせた。

「ったく、一回痛い目を見ないと理解しない奴らだな。いいか、俺は今、ナントカっていうバンドのサポートメンバーとしてギターの演奏をしてるところなんだよ。たった四曲演奏するだけで日当五千円。なかなかいいだろ? 俺はな、もらった金に見合う分だけの仕事はするんだ。だから、あと三曲分弾くまで黙ってろ」

 言っていることと、やっていることが滅茶苦茶過ぎる。

 部屋の隅までどうにか逃げた美江は、永山がギターを弾き続ける理由を聞いて呆れ返ってしまった。

 現在の雇い主であるバンドメンバーや、演奏を熱を上げながら聞いてくれる客達が逃げた今、優先すべきことは絶対にそれではない。

 ……自分の仕事に対して律儀であることを自称するのであれば、まずは目の前にいる怪人を倒せ、馬鹿ヒーロー!

「ああっ! よくもレッダスを……この野郎!」

 メンバーが蹴り倒されるのを見て頭に血が上ったスキンヘッドは、自身も楽器を手放して永山に襲いかかった。怪人のゴツゴツとした拳が、永山の顔面目がけて飛んでいく。

「だから、今はやめろっつってんだろうが。……よし、これであと二曲」

 スキンヘッドの動きはなかなかの速さのはずだったが、れも永山はいとも簡単にかわしてしまう。しかも、ギター演奏を継続させたままだ。

 どうでもいいことなのかもしれないが、絶対に才能の使い方を間違っているように思える。

「くそっ地球人のくせに。覚悟しやがれ!」

 少しフラフラとしながらも、赤髪がようやく立ち上がった。そして、今度はスキンヘッドと二人がかりで永山に飛びかかった。

「ちっ」

 流石のヒーローでも、二対一では厳しいものがあるらしい。今までなめらかだった演奏が、段々と乱れ始めた。

 それでもなお、永山は一度たりとも怪人達にその身を触れさせはしなかった。

「狭いんだよな、ここ。思うように動けねえ」

 動きづらい原因はスペースの問題ではなくて、楽器を弾き続けている部分にあると思うのだが。

 美江は心の中で呟きつつも、狭いステージ上で繰り広げられる乱闘を見続けた。

 怪人達が攻撃を加えようしては、永山がさらりとかわし続ける。そんな進展のない攻防戦がしばらく続いたが、とうとう事態が一歩動いた。

「ちょっとあんた、あたいのことを忘れちゃいないかい」

「あ?」

 いつの間にやらセイコーが永山の背中に回り込み、奴のことを羽交い絞めにした。

 どう見ても華奢な腕をしているというのに、永山はそれを振り払おうとしない。相手が怪人であるがゆえに、やはりその力は人間とは比べ物にならないくらいに強いのだろうか。

「放せ、白塗りババア。その腐りきった声を、わざわざ耳元で聞かせてんじゃねえよ」

 それにも関わらず、永山は自分が不利である状況であるにも関わらず相手に怒りの火をつけるような暴言を平然と繰り出した。

 痛烈な口撃を受けたセイコーの厚化粧の顔は当然、みるみるうちに歪んでいった。

「し、白塗りババアですって? この地球人は……スキルム! レッダス! 今のうちにこいつをやっちまいな」

「わかしやした!」

リーダーからの指示を受け、スキンヘッドと赤髪が永山を取り囲む。

「お前、とうとうセイコーさんを怒らせちまったなあ。さーて、どうやって料理してやろうか」

 スキンヘッドが指をバキボキと鳴らしながら嘲るような笑みを浮かべた。

 その横で、赤髪がさらに永山に向かって威圧をかける。

「そうそう、世の中には言っていいことと悪いことがあるんだよ。例えそれが、事実だったとしてもな!」

「レッダス、あとでぶっ殺す」

「……ごめんなさい」

 セイコーが鷹よりも恐ろしい目で睨みつけると、赤髪は自身が口を滑らせてしまったことに気がつき、ビクッと肩を震わせて萎縮した。

 それを見た永山は、まるで喜劇でも見ているかのようにケラケラと笑い出した。

「はははっ。よくもごちゃごちゃと即興でコントなんかできるな。まあ、見た目も白塗りに、ハゲに、ニワトリ頭だし妥当なところか。ひょっとしたら、下手な漫才よりも面白いんじゃねえの? その害虫を死滅させる勢いの騒音バンドなんかやめて、消えるのを前提にして芸人になったらどうだ?」

「! ! !」

 強烈にもほどがある毒舌が繰り出されると、怪人達の表情が一変した。

 自分達は素晴らしいと思っているバンド活動を馬鹿にされたことは、彼らにとっては存在意義を全否定されたことと同義であるらしい。

「お、俺達の音楽を馬鹿にしやがって……許さねえ!」

「別にてめえらに許されようが許されまいがどうでもいいけどよ、殴られるのはごめんだな」

 いきり立った怪人二人が殴りかかろうとすると、永山は一瞬の隙をついて自身の身体を押さえつけるセイコーの腕を振り払った。

「ひいっ!」

 そして、セイコーの腕をわし掴みにし、かがみ込むような姿勢をとってそのまま前方に彼女を放り投げた。

「ぎゃあ!」

「うわあっ」

 スキンヘッドと赤髪が咄嗟に受け止めたため、彼女が床に叩きつけられることこそなかったが、それでも充分に痛そうである。

「あ、あんた。女に手を上げたわねっ」

 セイコーは子分二人に支えられ、逆さ吊りのような状態になりながら上ずった声で叫んだ。

 怪人の世界においても、男が女に攻撃を加えるのはご法度であるという認識は共通しているらしい。

「あ? この男女平等のご時世に何甘ったるいこと言ってんだよ。俺はな、必要とあらば男も女も関係なしに容赦なく退治するって決めてんだよ。そりゃあもう、どんな手段を使おうが平等にな!」

 この男、やっぱり最低だ。間接的に、女も殴ると言っていやがる。

 美江はもはや、何も言う気になれなかった。

 いくら相手が怪人とはいえ、その姿勢にはいかがなものかと思われる節が大いにあるだろう。例え、その外道発言が多少理に適っていたとしてもだ。

「でも、これ以上俺の主義を貫いたら監視役にあとからギャーピー言われそうだしなあ。よし、じゃあこの腐れバンドどもに丁度良さそうな手でも使うとするか」

 永山は嫌味ったらしく美江を方を一瞥した後、意味深なことを言ってからピョンとステージから飛び降りた。

「……お、あったあった」

 そして、ジミーだかリューだかの置き土産であるマイクを手に取ると、それをおもむろに口元へ近づけた。

「え? まさかあいつ、歌う気?」

 何故にこのタイミングで歌おうとしているのだ?

 そう思ったのは美江だけではないらしく、あまりにも突拍子もない行動を目の前にした怪人達もまた、軽くパニックを起こしていた。

「な、ななな……てめえ、一体どういうつもりだ!」

 スキンヘッドがごもっともな一言を放ったが、永山はそれを無視してただ微笑を浮かべるばかりである。

「ふざけやがって……覚悟しろ!」

 とうとう頭に血が上りきったらしい赤髪が、永山に向かって再び飛びかかろうとした。

 ……奴の行動の真意をこの場にいる全員が知ることとなったのは、それとほぼ同時であった。

「まひるのーそーらーにーひかーりかーがやくきみーはー」

「いっ……!」

 永山が大声で歌い出したのは、ジミー&リューブラザーズが歌っていた『太陽と月のカンケイ』であった。それが耳に飛び込んでくるなり、声を聞いた皆が皆、顔面を石化させられたかの如く硬直させた。

「ひ……ひ……ひどい!」

 美江は思わず怪人バンドの騒音騒ぎの時よりも強く耳を押さえ、苦悶の表情を浮かべながら絶叫してしまった。

 抜群の運動神経を誇り、なおかつ楽器まで華麗に弾きこなしてしまう容姿端麗なヒーローの口から放たれた歌……らしきものは、音程という音程がことごとく外れ倒していた。いや、この表現だけでは足りない。さらに言うのであれば、わざと音を外して歌っているのでは? と疑わしいくらいにメロディが本来の音程を一か所たりともかすめてすらいないのだ。それも大声かつ一本調子の歌唱法が恐ろしく不愉快で、さらにその聞き心地の悪さに拍車をかけている。それがマイクを通してライブハウス内に延々と反響し続けるものだから、たまったものではなかった。

「ぎゃああああ!」

「耳が……耳が腐る!」

「ひゃあああああー!」

 怪人達もまた、自分達の音楽を遥かに凌駕する歌を聞かされると、地獄の亡者にも負けないくらいの苦しみ方をし始めた。床をのたうち回っては、永山の歌をどうにか止めようと少しばかり動こうとする。しかし、力尽きてまたのたうち回る。その繰り返しであった。

「あーあーぼくはきみにてらされるだけのあわれなつきーなのーさーふたーりのーあいだにーながれるあまのがわがしずかにふたりをみまもってーいるーよー」

 いやいや、静かになんて絶対に見守ってないから。その歌詞に出てくる天の川、確実に氾濫しまくっちゃってるから。少なくとも二人が……出会う……こと……は……。

 美江の意識は、太陽と月が結局どんな結末を迎えることとなったのかを聞き終える前にぷっつりと途絶えてしまった。


 気がつくと、美江はKTHの丸イスに腰かけて円卓に突っ伏していた。

「んー……」

 どうやって自分がここまで戻ってきたのかはよくわからない。ただ一つ言えるのは、原因不明の頭痛がズキズキと猛威を振るっているということだけだ。

「永山君。前にも言ったはずだよね? お願いだから怪人を倒す手段は少しくらいまともなものにしてよ」

 事務机の方から、ズタボロになった耳を癒してくれる美声が聞こえてくる。これは、黒沢の話し声だ。

「いいじゃないですか、あれで怪人をまとめて三人も倒せたんですから。それよりも、さっさと特別手当を下さい。今回は、連絡を受ける前にサクッと怪人を倒したんですから」

 やたらと頭に響く特徴的な声を聞くと、美江はずっしりと重く感じる身体にムチを打って、どうにかそちらの方へと顔を向けた。

 視線の先には、見た目だけならいかにも歌がうまそうな風貌である、ミュージシャンスタイルのままでいる永山の姿があった。

「だからってさ、普通ド下手くそな歌で怪人を倒そうとか思うものかい? あの後さ、ライブハウスの近所からものすごい量の苦情が殺到したんだよ。KTHの存在を知る機関から、本部がお叱りを受けてひどかったんだからね。そのせいで、僕はまた本部から色々と責められたよ。怪人どころか、花咲君まで一緒に気絶させちゃったみたいだし……はあ」

 黒沢は、悪い意味で破天荒と言えるヒーローの行いに大変呆れているようである。

「あのですね。それこそ前にも言ったと思うんですけど、怪人を倒すのに手段なんて選んでなんていられないんですよ。それに今回に関しては、自分が学生時代に音楽の成績でずっと1を取り続けてしまうくらいに歌が下手なことを自覚していて、あえてそれを武器にしただけなんですよ。それのどこがいけないって言うんです?」

 あの歌は、本気の本気での大熱唱だったというのか……信じられない。

 美江の頭痛がさらに増し、余計にぐったりとなってしまった。

「君が音痴か音痴じゃないかなんてどうでもいいんだよ。話題をすり替えないでくれ。僕が言いたいのは、君は仮にもヒーローなんだからまともな手段を使って怪人を退治してくれってことなの」

「らしくないと言われましてもねえ、こういうヒーローも案外ありだと思いますよ。少なくとも、短所を活かして怪人を退治したという部分については、全国の歌が苦手な子供達に勇気を与えることにもつながるような、称賛に値する行動だったとも言えますよ」

「全然言えないから。君の公害レベルの歌でさ、どれくらいの人が気分を害したと思ってるんだい。ヒーローが周囲の住人に多大な迷惑を与えながら怪人を倒すって、ありえないでしょ」

「それは背に腹は代えられないって奴ですよ。ほら、ウルトラマンだって怪獣を倒す時に家をプチプチ踏み潰しながら戦ってるじゃないですか」

「創作と現実をごっちゃにしない!」

 美声VS微声……いや、正論VS屁理屈の戦いはまだまだ続く。

「はあ。永山君と話してるだけで頭が痛くなってきちゃった。君と関わってるだけで気苦労が絶えないよ」

「ほほう。じゃあ、頭痛薬でも飲みますか。本来一錠二十円のところ、特別に一万円でお譲りしましょう」

「いらないから! どうしてこうも君はヒーローらしくないかな。金の亡者だし、外道だし、性格も悪いし……」

「悪口を言われるなんて屁でもないですけど、これ以上続けるようであればパワハラで訴えますからね。そもそも、問題の発端は俺を雇った黒沢さんにあるんですよ。もし俺が何かをやらかしたとすれば、それは全て黒沢さんの人選ミスが原因ということになるんです。俺ばかりを頭ごなしに責めるというのはいかがなものかと」

「うう……」

 痛いところをつかれた黒沢は、口元を歪ませながら胃の辺りを手で押さえた。

 それでもなお、永山は口撃をさらに加え続ける。

「大体、ヒーローという存在に何でもかんでも都合よく求める方が間違ってるんですよ。何かを犠牲にしないと、地域の平和なんていう大それたものを守れるわけないでしょうが。どんな物事にも、デメリットというものは付き物なんですよ。それに、噂によれば他の地域のヒーローだって色々苦情を受けているらしいじゃないですか。俺のやり方だけを全否定するという姿勢はよろしいとは言えないんじゃないですか」

「だ、だって君の場合は苦情の件数の桁が……」

「文句があるなら俺をさっさとクビにして、機動隊とか自衛隊とかに頼んで怪人目がけてバズーカの一発でもぶち込めばいいじゃないですか。ま、それでも近隣に迷惑をかけるということにつながるという問題点は一切解消されないでしょうけどね。さあ、ヒーローの手段を選ばない怪人退治と街中にバズーカをドーンとやるのとでは、どちらが周囲への損害が大きいでしょう?」

「話が飛躍し過ぎだし、話題の主旨もずれてるから。ううう。胃、胃があ……」

「胃薬なら、一錠五万円でお譲りしますけど」

「自分で持ってるからいらない!」

「あ、そうですか。なら、別の話に移りましょうか。特別手当のことなんですけど、さらに上乗せして欲しいんですよ。怪人倒すのに、大声で歌をフルコーラス歌ってのどを痛めてしまいましてね。これは当然、労災に入りますよね」

「君って奴は……」

 ヒーローらしくないヒーローと、司令官らしくない司令官の戦いはさらに続きそうなのだが、美江はどっと押し寄せてきた疲れのせいで段々と眠くなり始めた。

「ヒーローに何でも求めるな、か」

 ヒーローという重い肩書きを背負っているとはいえ、永山も一応人間なのだ。

 それが奴の言葉を聞いているうちに思った、美江の率直な感想であった。

「何でも完璧だったら、嫌味だもんね」

 きっと描かれていないというだけで、ドラマに出てくる普通のヒーローにだって物欲もあるだろうし、自分の感情を優先したい時があるに違いない。できないことや苦手なこともあって、それは人としては当たり前のことなのだ。

 ……永山の場合に関しては、それがどの点においても異常に強いと言えなくもないのだが。

「疲れた……」

 美江はぼんやりとした意識の中で、結局自分がどうやってここまで辿り着いたのかを思い出せないまま静かに眠りについた。

 言い争いという名の輪唱を続ける美声と微声が、美江にとっては心地良い子守唄代わりとなった。

この話に登場する歌手及び楽曲はフィクションです。

実在するものとは一切関係ありません。

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