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第二話 戦えヒーロー! デパ地下バトル

 ヒーローとは、弱きを助け悪をくじく正義の象徴。

 時に己の利害に関わらず人々に慈善を施し、真っ当な手法を用いて悪を打ち破る、世界の救世主として描かれることがしばしばある。

 しかし、全てのヒーローがそうである保証はどこにもない。


「黒沢さん。うちのヒーローは一体どこで何をやっているんでしょう」

「どうせバイトだよ。朝も、夜中も、昼間もずっと。彼の居場所は僕にもわからない」

 某日の昼時。美江はKTHで黒沢からヒーローこと、永山についての話を聞いていた。

 経緯はともかくとして、仮にもヒーローの監視役という職業についてしまったのだ。あの破格な高給の分の働きをするために、少しでもあの外道のことを知っておいて、何があっても柔軟に対処できるようにしておかなければならないだろう。予備知識があるのとないのとでは、覚悟というものが違う。

「ずっとバイトしてるって、どこにいるのかわからないような人を監視するのは少々厳しいと思うんですけど。私、彼の連絡先なんて知りませんし」

「大丈夫。外道君のプライベートにまでつきまとって四六時中見張ってろなんて言わないから。あくまでも監視するのは、外道君が怪人と戦ってる時だけ。怪人が出没したって情報を僕が彼に送ったら、花咲君に同じように情報を送るから。その時だけ現場に向かってくれればオッケーだよ。この前、ケータイの番号を聞いたのは、そのためだよ」

「はあ」

 美江はここに勤めることが決まった直後、真っ先に連絡先を聞かれていた。

 それは、携帯電話を情報のやりとりに使うためだったようである。

「一応ヒーローの監視役なのに、そんなゆるい感じの仕事内容で大丈夫なんですか。何か、破格の高給をもらう身としては仕事がなさ過ぎると罪悪感というものが……」 

「気にしなくていいの。暇な時は暇だけど、仕事がある時はとんでもないくらい精神が疲弊するのが監視役だから。えっと、さっき外道君のことについて話を聞きたいって言ってたっけ?」

「ええ、監視役としては彼のことをある程度知っておいた方がいいと思いまして」

「やっぱり花咲君は真面目だね。よかった、二回も人選ミスしなくて」

 黒沢は微笑むと、リラックスした様子でクルクルとイスごと回り始めた。

 どうやら、あのレザー製イスは回転式だったらしい。

「僕も素性については詳しくはわからないんだけど、彼は本当に強いよ。前までここに勤めていたヒーローも結構強かったけど、外道君の怪人をとっ捕まえるペースは尋常じゃない。あのとんでもない金欲と、目的のためなら手段を選ばないっていう考え方さえ改めてくれたら最高のヒーローなのに」

「永山が強いっていうのは、この前に見た戦いで何となくわかりました。でも……」

「でも?」

「いや、ちょっとした疑問なんですけど、どうしてそもそもKTHがヒーローなんて雇って怪人退治を行ってるんですか。私としては、警察とか自衛隊が頑張って怪人退治をすれば、外道なヒーローがはびこることなんてないんじゃないかなーと思ってしまって」

 これは、美江の中で少し前から疑問に思っていたことであった。

 元々治安の維持を目的として設けられた機関が悪事を行う怪人を退治すれば、KTHなどという秘密組織が発足される必要などなかったのではないか。KTHという組織が様々な理由からヒーロー不足に悩み、優秀な人材集めの苦労にあえぐ必要もなかったのではないのでは、と。

 しかし黒沢は、その質問を聞くなり小さく息をついた。

「あのねえ、物事はそんなに簡単に考えられることばかりじゃないんだよ。警察は人間相手だけで手一杯だし、怪人が出没するたびにいちいち自衛隊が出動したら大事になって町中大パニックだよ。それだったら、屈強な人材を少数雇って周りが騒がないうちに全てを解決する。その方がうんと合理的だよね。そのために作られたのがこのKTHという組織であって、それは秘密組織という形であっても世間に必要とされている。わかった?」

「はあ。確かに、ヒーローと怪人がタイマンはってるところを一般の人が見てもドラマかショーのリハーサルくらいにしか見えないでしょうから、町中がパニックになる可能性は低い……ですかね」

 ただ、それはそれで撮影現場の写真を撮っておこうと考えるやからや、野次馬根性むき出しのやからが集って、それなりに騒がしくなりそうなものだが。

「それが一番、誰にとっても都合がいいってこと。地域の人だって、自分達の住む町に怪人が出没するって事実を知るよりも『あっ。何かの撮影やってる。カメラどこ~』って思ってる方がきっと幸せだからね。世の中には、知らない方が幸せってこともあるからさ。……うっ。酔った」

 黒沢は回し続けていたイスを止め、軽くえずいた。

 調子に乗って回り続けたため、三半規管がとうとう悲鳴を上げたらしい。

「そんなにクルクル回るからですよ。あ、もうこんな時間」

 美江は、身に着けている腕時計で時刻を確認した。

 気がつけば、もう食事時を過ぎている。 どうりで空腹を感じるわけだ。

「うぷっ……あー本当だ。花咲君、外でご飯を食べてきなよ」

「え、でも、いつ怪人の出没の情報が入るか」

「大丈夫。そんなに頻繁に怪人は現れないし、もし本部から連絡が来たらすぐに情報を送るから」

 黒沢は、やけに愛想の良い笑顔を浮かべている。

 だが、それには何か裏があるような感じがするのは気のせいだろうか。

「そう言う黒沢さんは、ご飯どうするんですか」

「えっ僕? 僕は色々デスクワーク以下等々があるから、ここを離れるわけにはいかないんだ。こう見えても、結構忙しいんだよ。それに、僕にはお弁当もあるし」

「それってひょっとして、愛妻弁当ですか?」

 美江が黒沢の指で光る結婚指輪を見ながら少々意地悪っぽく尋ねると、黒沢は「あ、ま、まあ」と言葉を濁した。

「いいですね、愛妻弁当。あの、ちょっと見せていただけませんか。将来色々と参考にしたいので」

「え、いや、んー……ええっと」

 愛妻弁当を見せてくれと言われただけだというのに、黒沢の態度が先程とは打って変わっておどおどとしたものになってしまった。

 多少は照れ臭いかもしれないが、愛妻弁当というものはそこまで他人に見られたくないものなのだろうか。

「と、とにかくね、食事とっておいでよ。うん。ちゃんと食べないと、健康に悪いしさ。この近くには、飲食店とかスーパーとかあるし。もう、昼休みとして一時間から二時間くらい戻って来なくても大丈夫。いや、むしろ戻って来なくていいから。怪人が出没しない限り、存分に休憩してていいから」

「どうして、そんなに私を追い出したがるんですか?」

「い、いや別に追い出そうだなんて……ははは。と、と、とにかく。外の世界が花咲君を待っているに違いないんだ。だから、ほら、外に向かってレッツラゴーだよ」

「……」

 黒沢は言葉の迷走の末に、とうとう死語まで口にした。

 美江はそのあからさまにおかしい態度を疑問に思いながらも「あ、じゃ、じゃあ」と言いながら上り階段の方へと向かっていった。

「あの」

「ん……ん?」

 移動の途中で振り返ると、黒沢は固い表情のまま額に冷や汗を浮かべていた。

「そこまで見られたくないものなのかしら?」

 美江は小声で呟いてから、階段を足音を立てながら上っていった。

「ふうーっ。乗り切ったあ」

 黒沢は美江が視界から消えると、緊張が解けたかのように事務机に突っ伏した。

 さらにもう一息ついてから、手の甲で額の汗を軽く拭う。

「あれだけは他人に絶対見られたくないからなあ。うん、絶対に」

 この時、彼は安心し過ぎたために気がついていなかった。誰も見ていないはずの光景を、美江がちゃっかりと覗いていたことに。

「あれだけ見られたくないってオーラを出されたら、かえって見たくなっちゃうのが人間の心理ってものよね」

 実は先程、わざと足音を立てて階段を半分くらい上ったところで一旦立ち止り、すぐに忍び足でUターンをしてKTHに戻ってきたのだった。

 美江は気配を押し殺し、KTHと階段の境目からどこかの家政婦が部屋を盗み見ているような姿勢で黒沢の様子を観察し始めた。

「はあ……」

 黒沢は憂鬱そうに溜め息をつくと、事務机の下からごく一般的な手提げ鞄を取り出した。おそらく、黒沢の私物だろう。

「どんなものが出てくるのかしら」

 早く出てこい、愛妻弁当。

 美江は手に汗握りながら、二・〇もある自慢の視力で鞄を凝視した。

「ああ、やっぱり今日もこれかあ」

「……?」

 とうとう鞄が開かれ、中から弁当の包みと思われる物が取り出された。

 しかし、それを見るなり美江は我が目を疑い、何度もまばたきを繰り返し始めた。

「な、何あれ。ハート?」

 知的な顔立ちをした男性の鞄から飛び出したのは、ハート柄をした包みであった。

 地は薄いピンク。そこにところ狭しと引っついている数々のハート達は赤、青、紫、濃いピンク、大きいものから小さなものまでとバリエーションは様々。あえて砕けた言葉で端的に表現するならば、『超ラブリー』と言うのがふさわしいだろう。

 黒沢の表情を見るだけで、この弁当の包みの柄が本人の趣味で選ばれたものではないということが痛いくらいに理解できる。それはともかくとして、似合わない。似合わないにもほどがある。

「香織、まだこの前の旅行の約束が駄目になってしまったことを根に持っているんだな。いくら休みが少ない上に、急な本部での会議とかで予定が台無しになることが多くて家族サービスができないからって。うう……」

 妙に説明じみた言い訳のような独り言から判断すると、これは香織という黒沢の嫁からの、間接的な報復による悲劇であるらしい。

「僕だって、好きで子供との約束をすっぽかしてるわけじゃないのに。これも全部、地域の平和のために……うっわ、包みだけじゃなかったか」

 『超ラブリー』な包みの時点で半笑いになっていた美江であったが、包みの中が露になると、とうとう我慢できなくなり声を殺して本格的に笑い始めた。

 中から飛び出したものは、絶妙にかわいらしくて小さな弁当箱が三つ。それぞれその形状からあだ名をつけるならば、右端から『クマちゃん』『ウサギちゃん』『パンダちゃん』だろうか。

 誰がどう見ても、これは幼稚園児向けに作られたデザインのものだということがわかる。

「う、料理とかまで」

 とどめは、その『超ラブリー』な弁当箱の中身であった。黒沢の嫁がどこまで器用なのかはわからないが、ありとあらゆる料理が全てハート型になっている。料理に刺さっているつまようじですら、全て愛らしいキャラクターものを使用するという徹底ぶりだ。

 しかも、弁当に箸はついておらず、代わりに幼児向けのスプーンとフォークが添えられている。仮にも夫相手にここまでやるか、普通。

「こんな面倒な嫌がらせ、よく毎日続けるよね。ここまでしなくたって」

 こんな愛憎に満ちた愛妻弁当であれば、他人に見られたくないという心理が働いても仕方がないような気がする。いい歳をした男性がこんな『超ラブリー』な弁当を食べているところを見られたら最後、どん引きされるか大笑いされるかのどちらかに決まっている。

 ただ、美江の場合はそのどちらでもあったのだが。

「うん、味はいい。味だけは、本当にいいのに」

 黒沢はお子様用フォークでハート型のコロッケを突き刺して口に運んだ。

 その直後に溜め息交じりに呟いた一言は、哀愁さえ漂わせていた。

「ぷっ……私、見てはいけないものを見ちゃったのね」

 これは決して、人に言ってはいけない。なるべく他言をせずに、心の内にしまっておこう。

 笑いをこらえて肩をプルプルと震わせながら、美江は忍び足でKTHをあとにした。


 どうにか笑いのツボから脱却した美江は、KTHから徒歩十分程度の場所にある大手スーパーマーケット『金成かねなり』に足を運んでいた。

 最初は繁華街の空いている料理店にでも入って食事をしようと考えていたのだが、昼食時真っただ中だであることもあり、どこも混んでいて入店できなかった。

 その結果、惣菜が豊富に取り扱われているスーパーまで行くことにしたのだった。

「結構広いわね」

 店内は大手スーパーということもあってか、大変立派な内装をしていた。

 入口近くにはATMが三台。奥の方に目をやると、天井から複数の案内プレートがぶら下がっているのが見えた。その下にはずらりと商品が並んでいる陳列棚があり、訪れている客達が品定めをしている。

「さ、お惣菜。お惣菜」

 美江は案内の看板を頼りに、惣菜コーナーへと向かった。

「どれがいいかしら」

 惣菜コーナーの陳列棚には、多くの商品が並べられていた。

 それぞれおかずの違う種類豊富な幕の内弁当から、使い捨ての容器に入れられた天丼やカツ丼などといった丼類。コンビニでも売っているようなシンプルなおにぎりの他、パック寿司やカップみそ汁など、いちいち名を挙げていてはキリがないほどに品が充実している。

「私の料理のレパートリーより、種類多いかも」

「よし、次はこの……」

「?」

 圧倒的な品数にクラクラしていると、揚げ物コーナーの方からどこかで聞き覚えのある、特徴的な声が聞こえてきたような気がした。

「今のって……」

 嫌な予感を感じつつも、美江はすぐさま、そちらの方に顔を向けた。

「んー。前よりもちょっと味が落ちたんじゃねえか。担当者が変わったか?」

 その先にいたのは、試食品のメンチカツをブツブツ言いながら頬張っている永山だった。

 今日もあの高校時代からの使い回しと思われるボロジャージを、恥ずかしげもなく着ている。

 こんなところでヒーローと出くわしてしまうとは。何という忌々しい偶然だろうか。

「ちょ、ちょっとあんた。こんなところで何やってんのよ」

「あ? こんなところで会うとはな、地味女。KTHの回し者さんよ」

 美江が声をかけると、永山は嫌味ったらしい口調で言った。

 まだ口の中に食べ物が残っているらしく、若干聞き取りづらい。

「私の名前は地味女でも回し者でもないの。花咲美江っていうのよ」

「ふーん。花咲、ねえ」

 永山は冷たく言うと、ちらりと揚げ物コーナーのある部分に目を向ける。

 そこには、カニクリームコロッケがみっちりと並んでいた。

「何が言いたいのよ。名字とか名前とかで人をからかうのは、最低の部類に入るわよ」

「別に、何も言ってねえだろ。うん、こっちのポテトはなかなかいけるな」

 いくら睨みつけられようが永山は全く動じず、今度はメンチカツの隣りにある皮つきポテトの試食をつまようじでつついて食べ始めた。

「あのさ、試食品だからってちょっと食べ過ぎじゃないの」

「失礼な奴だな。俺は一種類の試食品につき二個までしか食わないってちゃんと決めてるんだよ。それ以上バクバクむさぼったりなんかしたら、スーパーの店員から目をつけられちまう」

「目をつけられるって。あんたまさか、いつもこのスーパーに来て試食品を漁ってたりするわけ」

「当然。暇な時に何軒かスーパーを回って試食品を食うことによって、食費が浮くんだ。どうだ、画期的な節約術だろ」

 こいつ、金の亡者なだけでなく守銭奴でもあったのか。こんな奴が地域の平和を守るヒーローなのかと思うと、本当に腹立たしい。

 美江は苦々しい顔で、目の前の永山をもう一度睨みつけた。

「ふふん。今日は朝の新聞配達と深夜の土木作業くらいしかバイトが入ってなかったから、優雅な試食巡りをするのにうってつけだったんだ。この前、特別手当を取り損ねさえしなかったら、ここまでセコいことを頻繁にやろうっていう気にはならなかったんだけどなあ」

 永山は試食に使っていたつまようじで口の中を掃除しながら、さらにねちっこく嫌味を吐いた。

 どうやら、先日のスクーター騒動のことをまだ根に持っているらしい。

「あんたさ、どんだけバイトしてるのよ。ねちねち倹約までして……そんなにお金が好きなわけ?」

「ああ、好きだよ。だーい好きだ。できることなら、札束と籍を入れたいくらいだ。さあ、今度はタダでデザートにありつくとするか」

「ちょ、ちょっとっ」

 ゴミ箱にひょいっとつまようじを捨て、足早に歩き始めた永山のことを美江は追いかける。

 その足取りや言動から判断すると、どうやら青果コーナーにでも向かうつもりらしい。

「何だよ、人の後ろについて来やがって。まだ何か用でもあるのか。今は怪人出てねえんだから、俺を監視する必要はねえだろ。てめえはストーカーか?」

「ストーカーじゃないわよ。あんたのことなんて、個人としてはこれっぽっちも興味ないんだから。ただ、色々と聞いておきたいことがあるってだけで」

 この最低な人格の持ち主と長く関わるにおいて、精神的負担というものは絶対かかるに決まっている。ならば、それを少しでも軽減するために、この男のことをなるべく理解しておかなければ。

 美江は、そういった理由で永山について来たのだった。

 例え監視中に辛辣な言葉を吐かれたとしても、相手の行動や思考のパターンを把握しておけば、「ああ、こいつはこういう奴だから」と割り切ることができる。そうなれば、仕事がぐっと楽になるに違いない。

「聞きたいこと? 相談だったら、一分につき千円よこせ」

「……は?」

 おい。今、下手な弁護士への相談料よりも滅茶苦茶高い金額をサラッと言わなかったか。

 一瞬聞き間違いかと思ったが、永山の平然とした態度を見た限りそうではないらしい。

「聞こえなかったのか。相談なら、一分につき千円だ」

「あ、あのね。私がしたいのは相談じゃなくて、質問なんだけど」

「ふーん。そうか、質問か。なら、一回につき二千円だな」

「……は? どうしてあんたに質問するのに、二千円も払わなきゃならないのよ!」

 あまりに理不尽な物言いに対し美江は憤慨する。しかし、永山は足も止めないままニヤッと笑った。

「今のは質問か? これで、二千円は確定だな」

「ふ、ふざけないでよ。どうしてあんたなんかに」

「はい、四千円」

「人の話を聞きなさいよ。何で質問しただけで、こんな法外な額を」

「六千円だな」

「どうしてって言ってるでしょうが!」

「八千円かなあ」

「だーかーらーっ!」

「はい、一万円達成だ。おめでとうございまーす」

「……」

 この外道。性格が悪いのは重々承知していたが、これほどまでにひどいとは。ここまでたちが悪いからかい方は、生意気な小学生でも実行しないだろうに。

 「ああ、こいつはこういう奴だから」という心理に持っていく前に、想定外の発言の数々のせいで泥沼にはめられた美江はすっかり疲れ果ててしまった。

「ふん。やっと黙る気になったか。あーこれで優雅なデザートタイムを満喫できる」

 青果コーナーに着くと、永山はきょろきょろしながら辺りをほっつき歩き始めた。

「今日もなかなかいい試食がそろってんなあ」

 扱っている商品が多いだけに、用意されている試食品もまた目移りするほどに豊富であった。

 永山はしばらくフラフラした後、みかんの試食の前で足を止めた。

「呆れた」

 この男は、いい歳をして毎日のようにこんなことを繰り返しているのだろうか。ヒーローとしてうんぬん言われる以前に、まずは人としてもどうなのか。

 無邪気な子供達に混じって試食品をむさぼる永山の背中を美江が軽蔑の眼差しで睨んだ、その時であった。

「お、お客様。困りますっ。おやめ下さい!」

「!」

 女性の悲鳴が突如響き渡り、店内の和やかな雰囲気が一変した。

 周囲の客達は皆、何事かと悲鳴のした方に顔を向けたり、その先に行ったりと人間の心理としては妥当であると考えられる反応や行動をし始めた。だが。

「うん? 今のは別に、俺に対して叫んだわけじゃねえんだな。だったら、どうでもいいや」

 永山はそう一言発しただけで、また試食品の方へと向き直ってしまった。

 みかんの次は、グレープフルーツに手をつけている。

「あんた、悲鳴が聞こえたってのに、駆けつけようとか思わないわけ? 仮にも、地域を守るヒーローでしょ」

 美江は、永山のヒーローとしてあるまじきリアクションを強くとがめた。

 それでも彼は関心のなさそうに、果物にしゃぶりついている。

「俺はヒーローと言っても、怪人退治専門のヒーローだから。どうせ今のは、女の店員がドスケベでキモいオヤジに尻でも触られただけだろ。そういう奴への対処はな、警察か警備員の仕事だ」

「そうかもしれないけど、人としてそれはどうなのよ。専門以外のトラブルだったとしても、ヒーローと名のつく存在としてどうにかしてあげようとか思わないわけ?」

「ヒーローは便利な雑用係にあらず。そんな心情、ゴミ屑ほども湧かねえな。無料奉仕ってのは、ボランティア団体とアンパンマンくらいしかやらないものと思え」

 こいつの発想は、どこまで下衆な構造になっているのだ。ここまで貫かれると、逆に笑えてくる。

 美江が心の中で毒づいていると、永山の手首についている通信機から音程が外れ気味のクラシック曲が流れてきた。

「ちっ。黒沢か。どいつもこいつも、人のデザートタイムを邪魔しやがって」

 永山は露骨に不愉快そうな顔をしながら舌打ちをすると、試食品の横にある布で指先を拭き、慣れた手つきで通信機のタッチパネルを操作した。

「永山君、出るのが遅いよ。一体、何してたんだい」

 通信機から、黒沢の声が聞こえてきた。

 美江が背伸びをして横からのぞき込むと、画面の中に不機嫌そうな作り笑いがあるのを確認できた。

「バイトですよ、バイト。俺はね、毎日忙しいんです」

 永山は、かったるそうな口調で大ぼらを吹いてみせた。

 本来ならば、この機械にはテレビ電話のような機能があるはずなのだが、カメラがついていると思われる部分にはしっかりとガムテープが貼りつけられているので、通信相手はその嘘を簡単には見破れそうにない。

「はいはい、いつも勝手にご苦労様。で、本題に入るよ。ついさっき、KTHの近くにある『金成』っていうスーパーに怪人が現れたって情報が入ったんだ。早急に向かって」

 何という偶然だろう。ちょうど『金成』にいるところなのだが。

 それはつまり、先程の悲鳴は怪人によるものであった可能性が高いということだ。

 一般的な感性の持ち主のヒーローならば、これだけ聞けばすぐに怪人の元へ向かい、任務の遂行を速やかに行うのだろう。

 ……普通はそうなのだろうが、この外道は一味違った。

「え、『金成』ですか? ここからだとめっちゃ遠いんですけど。バイトは昼休み中だから中抜けしようと思えばできますけど、交通費という問題が生じますねえ。タクシーで飛ばしていくらになるやら……当然、そちらの方でお支払いしてくれるんですよね?」

 永山は自分がどこにいるのかを知られていないのをいいことに、交通費という名目で特別手当を要求し始めた。

 この男、最低だ。最低にもほどがある。

「すみません、黒沢さん。私です、花咲です。聞こえますか?」

 ついに我慢しきれなくなった美江は、通信機に向かって声を張り上げ始めた。

 永山はそれを見て「げっ! や、やめろっ!」と言いながらどうにか制止しようとしたものの、それでもなお美江は「聞こえますかー!」を連呼する。

 店内の客が悲鳴よりも二人の珍妙なやりとりの方に注目し始めたのだが、そんなことは気にしていなかった。

「え、花咲君? 永山君と一緒にいるのかい」

 ようやく美江の声が届くと、黒沢はキョトンとした様子で首をひねった。

「ええ。ついさっき偶然出くわしたんです。スーパー『金成』で、彼が試食コーナーを漁っているところに」

「ほほーう。永山君、君は今『金成』にいるんだね。聞いた話とずいぶん違うようだけど?」

 黒沢は、モニター越しに冷淡な眼差しを向けた。

 永山はというと、大変ばつが悪そうにしながら束ねている後ろ髪をいじっている。

「君って、そういう嘘も平気でつくんだね。いつもプライバシーがどうこう言ってくるから、通信手段であるKTシーバーにGPS機能をつけてはいなかったけど、どうやらそれを検討する日が来たようだね」

 以前小耳にはさんだ『KTシーバー』というのは,永山が手首につけているハイテク通信機の名前だったらしい

 この状況で思うことではないのかもしれないが、『KTシーバー』といい、『ナーゾノ星』といい、KTHに所属してからまともな固有名詞を聞かないように感じられるのだが。

 美江が余計なことを考えている間にも、男二人の会話は続いていく。

「ま、まあ、今回のはほんの出来心ですよ。スクーターの修理費とかで、出費が重なったものですから。しかし、よかったですねえ。大変優秀な監視役を雇えたようで」

「僕はこう見えても、人を見る目はある方だと思ってるから。人選ミスだって、一回くらいしかしたことないし」

「おやまあ、そうですか。たった一度しかミスをしたことがないなんて、大変うらやましい限りですよ。俺なんて、今までに数えきれないくらいのミスをしてしまいましたからね。まず、黒沢さんみたいに嫌味な人を上司に持ってしまったこと。次に、黒沢さんみたいな皮肉屋を上司に持ってしまったこと。極めつけは、黒沢さんみたいな方と人生のうちに出会ってしまったことでしょうかね。ああ、ヒーローと言う名の肩書きに踊らされ、サラリーマンに毛が生えた程度の給料で日夜命がけで怪人退治をさせられている俺は、何てかわいそうな人間なのでしょうか!」

「き、君って奴は」

 永山が不意打ちの如く一気にまくし立てると、黒沢の表情が引きつったまま凝固した。

 いくら内容が屁理屈に限りなく近く、道理に適っていないものだったとしても、まとめて罵声を浴びせられれば心が折れて当然だ。

「い、嫌味と皮肉がひどいのは僕じゃなくて永山君の方だろう。そんな口の悪い人、どこを探したってなかなかいるもんじゃないよ。うう……」

 KTシーバーから涙声がもれる。これでは、せっかくの美声が台無しだ。

「素敵な褒め言葉、まことにありがとうございます。ま、怪人退治の方は渋々ながらヒーローとして遂行させていただきますので、黒沢さんはその若作りの老体にムチでも打って情報収集以下等々にご従事下さいませ」

「わ、若作りって言わないでくれないかな。僕はねえ」

「以上」

 永山は黒沢の年齢ネタに触れてとどめを刺してから、強引に通信を切ってしまった。

 何気に気になってはいるのだが、黒沢は一体何歳なのだろうか。

「さーてと、程よくむしゃくしゃしてきたところで怪人を倒すとするか」

 美江がさらに余計なことを考えている間に、永山は数分前に女性の悲鳴が響いてきた方へとスタスタ歩いていった。

 その口振りから判断すると、怪人に八つ当たりをする気満々らしい。

「ま、待ってよ!」

 小走り気味にその背中を追っていくと、精肉コーナーに辿り着いた。

「げっ。な、何あれ」

 加工された精肉商品が多く並ぶ中、一際目立っていたのは品物ではなくウインナーの試食品の前であった。

「お客様、いい加減にして下さい! 試食というものはお一人につき一つから二つまでが限度というものですよ!」

「んむんむ。これはガーリック風味がきいていてなかなか。こちらは……レモンの香りがたまらない」

 すっかり半泣きになってしまっている若い女性店員に怒鳴られながら、口髭をたくわえた年配の男性が試食品を端から端までむさぼり尽くしている。

 男性はベージュのカーディガンにジーンズといった、どこにでもいそうなおじ様みたいな風貌をしているが、七三に分けられた白髪からニョキッと飛び出した角が、彼が人間ではないことを表していた。

「何? あのおっさん。そんなに飢えてるのかな」

「意地汚いなあ。角のコスプレに金使うんなら、飯買えよ」

 そこらに群がる野次馬達は、怪訝そうにしながらヒソヒソと話をしている。様子から察するに、誰も目の前の男が怪人だとは夢にも思っていないようだ。

「あれ、怪人よね? やってることセコ過ぎ……」

 一応、試食品をむさぼり倒すということ自体はかなりの迷惑行為であり、周囲の秩序を多少は乱すかもしれない。だが、怪人が行う悪行としてはあまりにもセコいのではないだろうか。

「あの野郎。何ていい根性をしてやがるんだ。いくら俺でも、あそこまでバクバク試食を漁ったりなんてしねえぞ。ま、でもウインナーはここに来て真っ先につまんどいたから食いっぱぐれなくて済んだな。俺への直接被害はなしだ。良かった、良かった」

 おいコラ、下衆発言はやめろ。

 美江は自分の利害のことしか考えていない永山に白い目を向けた。

「はいはい、ちゃんと仕事はするから睨むなよ。形はどうであれ、ジロジロ見られるのは好きじゃねんだ。ったく、かったりいなあ」

 永山は面倒臭そうに言うと、強引に人混みをかき分けながら怪人の元へと歩いていった。

「おい、怪人。食事の時間は終わりだぞ」

「んむ?」

 角をわし掴みにされると、怪人は試食に伸ばす手を止めた。

「何だ君は。人の食事を邪魔するとは、今までどのような教育を受けてきたのかな。その汚い手を、速やかに角から離しなさい」

「角から手は離さねえが、角をてめえの頭からなら引きはがしてやるよ」

「おお、君は地球人の中でも大変野蛮な性質をお持ちでいらっしゃるようですな。ならば、このわたくしがその性質をしっかり正してあげるといたしましょう」

「は? てめえ何言って……うわっ!」

 次の瞬間、美江には目の前で何が起きたのかがすぐには理解できなかった。

「ふふふ。よく飛びますね、地球人は」

 怪人がほんの少し振り上げた腕に当たっただけで、永山は大きくはじき飛ばされてしまった。

「いてえ! うぐっ……」

 しばらく空中を泳いだかと思うと、商品が並べられているワゴンに背中を強打し、痛みに表情を歪めた。

「永山が、あんな一発で……」

 チンピラ怪人と戦った時に、あれだけの強さを誇っていた男がたったの一撃で。

 美江は俄には信じられず、口元を手で覆ったまま固まってしまった。

「んむ。食後の運動も済ませたことですし、わたくしはこれにて。ああ、明日はどこを巡ろうか。楽しみで仕方がない」

 怪人は涼しげに言うと、ざわつく周囲を尻目にいずこへと去っていった。

 突然の出来事にざわつく周囲。この場には、彼を追う勇気のある者はいないようだった。

「うー……」

「あ、だ、大丈夫?」

 しばらく呆然としていた美江であったが、うめき声が耳に入ると床でひっくり返っている永山の元まで行き、抱き起した。

「頭とか打ってないわよね」

「うぐぐ。あの野郎、見かけによらずとんでもねえ馬鹿力だったな。くそっ! 治療費ふんだくる前にずらかりやがって。そこが一番ムカつく……いてて」

「ちょっとでも心配した自分が馬鹿みたい。金がどうこう言えるなら、バリバリ元気そうね」

 論点がずれた一言を聞くなり、美江の中で永山を心配する気持ちがしゅるしゅるとしぼんでいった。

「いてっ! な、何すんだてめえっ!」

 ポイッとヒーローの頭を放るように床へ投げてから、「はあ……」と深い溜め息をついた。

 

「と、いうわけで。どこかのおじ様みたいな姿をした怪人は、ヒーローがあまりにもふがいなかったばっかりに取り逃がしてしまいました」

 KTHに戻った美江は、『金成』で購入したおにぎりを片手に持ちながら、黒沢に事の次第を報告していた。

「ふーん。永山君が怪人を取り逃がすなんて珍しいね。おまけに怪我までしちゃって、本当にいい気味……コホン。本当に気の毒だったね」

 黒沢はデスクワークをしつつ、どこかニヤニヤとしながら円卓の方を見た。

 その視線の先では、非常に不機嫌そうな顔をした永山が丸イスにどっかりと座り込んでいる。

 上半身には何も身に着けておらず、背中には曲がった湿布が何枚も貼られていた。

「咄嗟に受身をとったからこの程度の怪我で済みましたけど、これでも見た目よりダメージ大きいですからね。これは、立派な労災です。よって、特別手当は請求させていただきますから」

 湿布だらけになってもなお、永山の頭には金のことしかないらしい。

 ここまで筋金入りだと、もはや何も言えない。

「特別手当ってねえ。さっきあれだけの大ボラをぶっこいた人間が言えることかい? 本当なら、君はクビになってもおかしくない立場なんだよ。わかってる?」

「別に、俺のことをクビにしたければそうなさって下さってもかまいませんよ。でも、果たして黒沢さんは俺ほどの逸材をもう一度見つけ出すことができるでしょうか。甚だ疑問ですね。さ、黒沢さんが望むのであれば、どうぞ俺を今すぐクビにしちゃって下さい。そうしたら、ヒーロー不在によりこの地域の平和は乱れ、ヒーローにふさわしい逸材が見つからずに胃がキリキリと痛む毎日が貴方に訪れることとなるでしょう」

「ううっ」

 痛いところをつかれた黒沢は、悔しそうにしながら左手で胃の辺りを押さえた。

 この地域のヒーローは、物理的な暴力だけでなく言葉の暴力の方も達者であることを忘れてはいけない。

「そんなに胃が痛むなら、病院に行った方がいいと思いますけどね。黒沢さんが入院でもしてしばらく顔を合わせなくてよくなったら、こっちも清々しますから。いててて、やっぱりまだ背中が痛むな。おい、花咲」

「えっ」

 おにぎりをちょうど食べ終えたところでで声をかけられ、美江はビクッと肩を震わせた。

「んくっ……ふう。何か用?」

「悪いけどさ、腰のところに湿布貼ってくれねえか。さっきの質問料の一万円はチャラにしてやるからさ」

「チャラってねえ……」

 永山の背中は既に湿布だらけであるが、どれも無理をして自分で貼りつけたものであるため、全て微妙に曲がっている。腰の部分にいたっては、ひんやりとしたところが患部に当たってすらいない。

「何で私がそんなことをしなくちゃいけないのよ」

「ほーう。人がせっかく一万円をチャラにしてやるって言ってやってるのに、そんな態度をとるのか。じゃあ、湿布はもういい。さっさと質問料の一万円を払え」

「質問にまともに答えてないくせして、よく言うわよ。どうしてあんたなんかに」

「お、また質問する気か? 累計質問料が一万二千円に増えるけど、いいんだな」

「わかったわよ。貼ればいいんでしょ、貼れば」

 こいつのたちの悪い言い回しに付き合っていては、到底身が持たない。

 言い返すのが面倒になった美江は、身近にあったおしぼりで手を拭いてから永山に近寄った。

「ほら、そこのテーブルに置いてある奴を痣になってるところに貼ってくれ。正確にな」

「偉そうに……」

 あごでしゃくって指示をする永山に不満を持ちながら、美江は湿布を手に取り腰を見据えた。

「あーいてて。絶対に貼るところを間違うなよ」

「わ、わかってるわよ」

 こいつ、馬鹿みたいな運動神経を持っているだけに、いい身体をしているではないか。

 美江は口やかましい指示を聞いているうちに、ふと思った。

 永山は並ではない身体能力を持っているだけに、非常に引き締まった身体をしている。やや細身であることもあり、服を着ている時は優男にしか見えないのだが、ここまでシャープな筋肉の持ち主であったとは……。

「おい。何ボーっとしてんだよ」

「えっ」

 永山がいきなり鋭い眼光で睨んできたため、美江は目を見開きながら軽くのけぞった。

「べ、別にボーっとなんてしてないわよ。ただ、そう、腰ってどの辺かなって」

「腰は腰だ。見りゃあわかるだろ。ったく、いくら俺がいい身体してるからって発情してんじゃねえよ」

「は、は、発情っ!」

 多少見とれてしまったことは百歩、いや、千歩譲って事実であったとしても、発情という表現はあんまりではないか!

 この一言がきっかけで、美江の中で何かがプチッと音を立てて切れた。

「誰があんたなんかに発情するもんですか。このっ!」

「うぎゃあああ!」

 美江は一喝すると、フィルムをはがした湿布を永山の目の辺りに思いきり貼りつけた。

 永山は悲痛な叫び声を上げると、床に転がり悶え苦しんだ。

「目がっ……目がっ……しみる! いてててて! しかも臭えし!」

  思いの外、その威力は高かったようである。屈指の強さを誇るヒーローは、湿布一枚で撃沈してしまった。

「永山君。女の子を怒らせたら恐いんだから、少しは気をつけないと。ぷっ……」

 それを端から見ていた黒沢は「ざまあみろ」とでも言いたそうに不謹慎な笑みを浮かべていた。

「これは立派な傷害罪だ!慰謝料払え、慰謝料!」

「だったら、私もあんたのことを侮辱罪で訴えるわよ。あんたさ、私にどれくらい暴言を吐いてくれたっけ? さ、これでおあいこよ」

「うぐぐ……」

 言葉でさらにねじ伏せられると、永山は湿布を引きはがしてからおとなしくなった。

 下手な怪人が倒されるのを見るよりも、ある意味では爽快な光景である。

「悔しそうにしてるけど、そもそも君が怪人に負けたりしなかったら、こんなことにはならなかったんだからね。あきらめなよ。ぷぷっ……」

 滅多に見られない永山が悶える姿に、黒沢はすっかり気分を良くしたらしい。やけにニコニコしながら、明るく語り始めた。

「大体、変身もしないで怪人を倒すのには限界ってものがあるんだよ。今回だって、油断しないで最初からKTシーバーを使って変身していれば、湿布のお世話にならないで済んだんじゃないのかい」

「え、へ、変身?」

 今、間違いなく変身がどうこうとか言わなかったか。

 特撮作品などには欠かせない「変身」というワードが耳に入るなり、美江は関心を向けた。

「黒沢さん。あいつ、ドラマに出てくるヒーローみたいに変身できたりするんですか」

「おい。人を指差すな」

 美江に指を差された永山は、半身を起こしながら不快そうに顔をしかめた。

「うん。変身できるよ。KTシーバーに特定の番号を打てばすぐにね。でも、彼はヒーローになってから一度も変身したことないんだけどね」

「だから、指差さないで下さいってば」

 黒沢はさらに、便乗するかのように永山に向かって指を差しながら説明をした。

「変身って……」

 話を聞いた限り「変身」というのは何とかレンジャーだとか、何とかマンなどがよくやっている、ほんの数秒の間に光に包まれちゃったりなんかして、こじゃれた全身タイツみたいな格好になった後に異様なまでの強さを手にするという奴のことであると解釈して間違いないだろう。

 話だけならどうにか飲み込むことができたが、現代の技術でそんなことができるのだろうか。もしできるのであれば……ぜひとも見てみたい。

「俺は嫌ですよ、変身なんて。あんな格好、頼まれたって絶対にしたくありません。たかが運動能力が三倍、耐久力が十倍程度の恩恵じゃあ、変身する価値もありませんよ」

 待て待て待て。その性能だったら、充分に価値があり過ぎるだろうが。

 美江は、永山の言葉に心の中でツッコミを入れた。

 運動能力三倍って。耐久力十倍って。どういう次元の話なのだ。

「科学技術の結晶に向かって何てことを言ってくれるんだ。本部が開発した、あの変身スーツを君のように馬鹿みたいな身体能力を持っている人間が身につけたら、すごいことになるよ。怪人の連行率がますます上がって、地域の平和はもっと守られるようになるに違いないんだから。……僕の残業も減って、家庭の平和も守られるようになるに違いないし」

 黒沢は力強く語るが、やたらと強調した前半部分よりも、後半の弱々しく付け足すように呟いた部分の方に情がよりこもっていたように聞こえたのは思い違いだろうか。

「だって、あのスーツのデザイン最悪じゃないですか。ダサいって言葉じゃ足りない代物ですよ、あれは。あれを着て外を出歩くくらいだったら、ショッカーの仮装をしてファッションショーに参加した方がマシですからね。あんなものはね、人間が着るものじゃありません。薪にくべて、暖をとるのにしか使えたもんじゃありませんよ」

 何も、そこまで言わなくても。

 変身という名目で身につけることになるという戦闘用スーツというものは、ただでさえきつい永山の口調を、さらに辛辣なものに変えてしまうほどひどい見てくれをしているのだろうか。だとしたら……余計に見てみたいではないか。

「ま、変身なしでも今回取り逃がしてしまった怪人はしっかり捕まえてみせますから安心して下さい。奴は去り際に、明日も試食を漁るとか何とかご丁寧にほざいてやがりましたからね。明日、絶対にけりをつけてやりますよ」

 永山はいつになく真剣な面持ちを作ると、得意げに決意表明をしてみせた。

 こんな奴でも、少しくらいは地域を守るヒーローとしての自覚が心の隅に眠っているのだろうか……。

「あのクソジジイ。俺に怪我させておいてただで済むと思うなよ。偉そうにたくわえてた口髭引っこ抜いて、代わりにマジックでチョビ髭描いてやるからな。鼻の下洗って覚悟しとけよ。はっはははは!」

 やはり、そんな考えは間違っても抱くべきではなかった。

 とてもヒーローがするとは思えない言動により、わずかな期待はものの数秒で爆殺されてしまった。この男は、金の他には仕返しのことしか頭にないようである。

 

「どうして私が、こんなところに来なきゃいけないのかしら」

 ああ、前にもこんなことを言った記憶があるなあ。などと思いながら溜め息をつく。

 美江は今、とある諸事情によりKTHから少し離れた位置にあるデパートの地下売場にいた。

「まさか、あいつからちゃんと監視しろって言われるとは思わなかった。一体、何を企んでいるのかしら」

 実は前日に起きた湿布騒動の後、美江は永山からある話を持ちかけられていた。

 それは、怪人が出る場所に大方の見当がついているから先回りしておいて自分の活躍を目に焼きつけておけという、いまいち理解しがたいものだった。

「あいつ、ずいぶん力説してたわね」

 永山の話を、忠実に回想するとこうであった。

『あの怪人のジジイは、試食巡りに精根を注いでるって感じだった。そんな奴が、絶対に目をつけそうな場所を俺は知ってるんだ。それはな、デパ地下だ。デパ地下と言やあ、よっぽどケチなところでなけりゃ売り場を一周しただけで軽ーく一食を浮かせられるくらいの試食の宝庫なんだ。は? デパ地下に目星をつけるまではいいとして、どのデパートに怪人が出没するかまではわからないんじゃねえかってか。俺をなめるなよ。この近くには、試食の穴場と囁かれるすげえデパートがあるんだ。奴は、間違いなくそこに現れる。心配するなって、俺の勘がそう言ってるんだ。信じろって、な? だから、俺は明日、そのデパートに先回りして怪人に対して一計を案じようと思う。お前はそれをしっかり見届けて、黒沢に俺の活躍を報告しろ。別に、話を盛れとか言ってねえんだから嫌な顔するなよ。あくまでも、自分が見たままのことを忠実に伝えてくれりゃあいいんだからさ。……ふっふっふっ、黒沢の連絡を出し抜いて怪人をさっさと捕まえりゃ、特別手当は確実だからな』

 どこまでも、「金が信念」という言葉が具現化したような奴である。

「でも、あいつの言ってた通りかも。ここ、本当にすごいわ」

 美江は感心しながら、改めて周囲を見回す。

 広いスペースの中には、ところ狭しとテナントが立ち並んでいる。どれも主に食品を取り扱う、有名店ばかりだ。しかも、どのテナントも店頭にズラッと試食品を設置している。今時不景気だというのにめずらしい。

「で、どこにいるのかしらね。うちのヒーローは」

 あの意地汚い怪人がこのデパ地下に目をつける可能性が高いということはよくわかった。しかし、肝心の永山がどこにも見当たらない。いないものは、監視しようがないではないか。

「まさか、謀られた?」

 客や店員がごった返しているのを見ているうちに、美江の中である一つの疑念が浮かんできた。

 ひょっとして、自分は永山にはめられたのではないか、と。

「いや、それは流石に……でも、あいつならやりかねないんじゃ」

 ヒーローとしての仕事についての苦言や、特別手当の請求の妨害を受けたくないがために、自分に嘘の情報を吹き込むことで監視の目からまんまと逃れる。そして、永山自身はどこかで悠々とアルバイト。奴の人間性を考えると、可能性がゼロであるとは言い切れないのでは……。

「んむんむ。このワインもなかなか。値段のわりには、芳醇な香りがフワッと」

「!」

 この渋い声、聞き覚えがある。

 美江は永山に対する疑惑についての思考を一時中断し、声のした方へと向かった。

「や、やっぱり」

 案の定、既に人だかりが出来上がってる。

 どうにか野次馬をかき分けて先に進むと、前日に見たおじ様風怪人の姿があった。

「こちらの赤ワインはどうかな。んむ、程良い渋味の調和というものが」

 ワイン売り場の前で、小さなプラスチックのコップに注がれたワインの試飲に舌鼓を打っている。

 もう何杯も口にしているらしく、そこらの床には空のコップが大量に散乱していた。

「あの店員、あれだけ試飲をがぶ飲みされて文句の一つも言わないのか」

 野次馬をしている客の一人が、不審そうな表情をしつつ呟く。

 怪人の前には、上にほとんど物が乗っていないお盆を持った男が突っ立っていた。

 白のワイシャツにに黒の長ズボン、深緑のキャップに同色のエプロンといった、そこらにいるワインコーナーの店員達と同じような格好をしている。

 パッと見ただけでは普通の店員と変わらないように見えるが、キャップを目深に被っている上にうつむき気味であるせいで顔がよくわからない。だが、その口元は微かに笑っているように見えた。

「あれ?」

 あの店員、どこかで見たことがあるような。

 そうは思ったものの、距離が遠いせいで、視力に自信があってもはっきりとは確認できない。

 美江は小柄な体格を活かし、さらに人だかりの奥へと進んでいった。

「ぷはっ」

 どうにか最前列に出ると、美江はよく目を凝らして男の容姿をじっくりとらえた。

「なっ……!」

 細身の長身に、ちょこんと束ねた後ろ髪。顔こそ隠れていて認識できないが、間違いない。あれは永山だ。

 一体どうして、ワイン売り場の店員なんかになりすましているのか。

「お客さん、ワインのお味はお気に召しましたか」

 ずっと黙ったまま店員を演じていた永山が、とうとうその特徴的な声を発した。

「んむ。それなりに楽しめる味ではあったぞ。また来ることを約束しようぞ」

 怪人はいかにもご満悦といった様子で、口の周りについたワインをペロッとなめる。

 それを目にした瞬間、永山はさらに口角を上げた。

「ではお客さん。そろそろ代金の方をお支払いしていただきましょうか」

「んむむ? 君は何を言っているのかね。これはあくまでも試飲だろう。無料ではないのか」

「普通はそう思いますよね。こんなそこらでウロチョロしてる店員と同じ格好の奴が、ワインを入れたコップを乗っけたお盆を持って売り場の前に突っ立ってたりなんかしたら。でも、この顔に見覚えがないとは言わせねえでございますよっと!」「んむむむむっ?」

 永山がキャップを放り投げると、怪人はやっとその正体に気がついた。

 美江は「声を聞いた時点でで気づけよ」とツッコミを入れたくなったが、ここは空気を読んでグッとこらえた。

「君は昨日の地球人。どうしてここに」

「てめえの思考回路を考えたら、ここに来ることくらい簡単に予測できたんだよ。そうそう、ついでにいいこと教えてやる。てめえがガブガブ飲んでたワインはな、俺が泣く泣く身銭を切って買ったものなんだよ。税込み価格二千五百円のワインが計二本、合わせて五千円だ。さあ、きっちりお支払いいただこうか!」

 珍妙な騒ぎに、辺りがさらにざわつき始めた。仕方がないことと言ってしまえばそれまでなのだが。

「ふむ、君は本当にがめつくて野蛮な地球人ですねえ。ならば、わたくしがもう一度お仕置きをして差し上げましょう」

 怪人は鼻で笑うと、前日と同じように腕を素早く振り上げた。

「バーカ。何度も同じ手を食らうかよ」

 怪人の行動パターンを読み切っていた永山はそれをあっさりとかわし、軽々と後方に飛びのいた。

 やはり、この男の運動能力は尋常ではない。

「おや、君は野蛮なくせに学習能力というものが備わっておりましたか。生意気ですねえ」

「うっせーな。てめえなんかさっさと叩きのめしてKTHに突き出してやる」

 この会話を皮切りに、地球人VS異星人の肉弾戦が幕を開けた。

「うらあっ!」

 まずは永山が勢いをつけ、怪人目がけて飛び蹴りを放った。

「口ほどにもありませんね。鈍いことこの上ない」

 怪人はそれを見切り、その容姿からは想像がつかないくらいの鮮やかな動きでよける。

 そして、そのまま体勢を整えてから足払いをかけた。

「俺が鈍いだと? ふん、てめえほどじゃねえさ」

 だが、永山もまたそれを軽やかにかわしてしまう。

 普段の行いはともかくとして、怪人との戦いの時だけは何となくヒーローっぽい感じがする。

「何だこれ。新手のパフォーマンスか? おっさんの方、頭に角みたいな飾りつけてるし」

「いいぞー! もっとやれーっ!」

 客達は、その戦いっぷりをすっかり店のイベントと勘違いしてしまっているようだ。そのせいで、何気に売り場が滅茶苦茶になってしまっていることは誰も気にも止めていない。

 男はプロレス観戦でもしているかのように盛り上がり、女は比較的端麗な永山の容姿に見とれて携帯電話のカメラ機能で写真を撮りまくっている。

 怪人の存在が公になってどうこう騒がれるよりは遥かにマシなのだろうが、これでいいのだろうか。

「食らえっ!」

「ぐふっ」

 熾烈な攻防戦の末、永山のハイキックが怪人の頬に激しく命中した。

 怪人は衝撃で吹っ飛んでいき、床に無残な姿で転がった。

「ぐう……地球人にしては強い。君はもしや、この地域の」

「そう、俺はこの地域を守る雇われヒーローさ。参ったか」

 永山は嘲るように笑いながら、したり顔を決めた。

 そのさまはヒーローというよりも、状況が優勢な立場にある時の悪役幹部に近いように見えて仕方がない。

「やはりそうでしたか。流石、仲間をボコボコにしてナーゾノ星に送り返してきただけのことはある。どうやらわたくしは、本気を出して君に勝負を挑まなければいけないようですな」

 怪人はゆっくりと立ち上がると、瞳を怪しく光らせた。

 身体からもうもうと煙を上げ、その姿を奇怪なものへと変化させていく。

「……」

「あれ?」

 以前チンピラ怪人が変身しようとした時は、変身しきる前に不意打ちを加えるといった、ヒーローにあるまじき行動をした永山であったというのに、今回はおじ様怪人が異形なものへと姿を変えていくのを腕を組んだまま傍観している。深読みかもしれないが、何か考えでもあるのだろうか。

「すごい技術だな。どうやってやってんだろう」

「ママー。あの怪獣のぬいぐるみ欲しいー」

 誰もが目の前の怪人を本物だとは認識しない中、どこにでもいそうなおじ様は完全に化け物へと変化した。

「どうです? これがわたくしの本当の姿ですよ。見違えましたか」

 真紅に染まった身体には、全身を覆うようにうろこがびっしりとついている。

 顔は人間に近い容姿をしていた時の面影はなく、頭部は赤いトカゲに角が生えたようなものへと変貌を遂げていた。

 二股の尻尾を振るその外見は、まさに特撮作品に登場する怪人そのものであった。

「おー。こりゃあ見違えたな。すごいすごい、驚いた」

 永山は巨大トカゲを前に、棒読みに近い無感情な口調で言った。

 その直後、活き活きとした目をしながらニタッと意地の悪い笑みを顔に貼りつけた。

「本当、めっちゃ醜く化けやがったな! それだったらな、さっきのクソジジイモードの方がいくらか格好がついてたってもんだ。あっはははは!」

「な……な……何ですと」

 真の姿を面と向かって侮辱されたのが余程悔しかったのか、怪人はギョロギョロと動く目玉を光らせながら激昂した。

「君のことだけは、絶対に許しません。その腐りきった性根を、徹底的に叩き直して差し上げます。覚悟しなさい!」

「てめえ如きにできるかなあ。無理だと思うけどなあ」

「無理なものですか。今のわたくしは、先程までとは比べものにならないくらいの強さを誇るのですから。自分が吐き倒した暴言の数々を、深く悔みなさい」

 怪人は「シャアアア!」と奇声を上げ、指の先から鋭利な爪を伸ばす。

 それを武器に永山に向かって突進しようとした、まさにその瞬間であった。

「うぐぉ……」

 ゴロゴロゴロ……。

 怪人の腹の中から、雷雲がどこかの空で奏でていそうな轟音が周囲に響き渡った。

 それと同時に、怪人は大きく目を見開いて下腹部を手で押さえ込む。

「な、何ですこの痛みは。うう……ああっああああ……」

 ゴロゴロゴロゴロ……。

 腹から鳴り響く音の大きさは、さらに容赦なく増していく。

「ま、まさかあんた、さっきのワインに何か仕込んでたんじゃ」

 美江は状況を察すると、すぐさま永山を問い詰めた。

 その返答はというと、実に淡白なものであった。

「当然だ。こいつは怪人の中でもなかなか手強そうだったから一服盛らせてもらった。ただ怪人をおびき寄せるためだけに、店員に化けて酒を飲ませるなんて面倒なことをするかよ」

「一服盛ったって、何を?」

「即効性のある市販の下剤をたっぷりと。この怪人、グルメを気取ってるわりには恐ろしいくらいの味音痴だったみたいだな。はっははは!」

 敵に下剤を盛るなんて、ヒーローとしては考えられないような最低の戦法ではないだろうか。この男、やはり骨の髄まで外道要素に溢れている。

「おおおっ……ぐ、ぐぐ……」

 地球外の生命体であるナーゾノ星人にも、人間が服用する市販の下剤というものは効果てきめんらしい。怪人は身体中から汗を吹き出してその場にうずくまってしまい、もはや戦える状態ではなくなってしまった。

「ヒーローショー、終わったみたいだな」

「奇抜なオチだったわねえ」

 戦いを見物していた客達は、イベントが終了したと思い込んだらしく小首をかしげながら徐々に散り散りになっていった。

「さーてと」

 周りの状況などには全く興味を示さない永山は、ゆっくりと怪人の元へと歩いていった。

「ち……地球人というのは何と卑怯な生き物なのでしょう。ぐ……ううっ……」

「おっ。卑怯と表現されるくらい俺の一計は出来が良くて素晴らしかったのか。間接的に褒めてくれてありがとよ、クソジジイ」

「誰が君なんかを褒めますかっ……おおおっ!」

 怪人が悪事を働いたがために、ヒーローに退治されるという末路を辿ったということを美江は重々承知している。だが、ここまで苦しむさまを見せられると、何だかかわいそうに思えてならなかった。

「さ、仕事、仕事。〇〇一‐二四と」

 永山は服の袖を少しまくり、KTシーバーに数字を入力する。

 怪人はそこから放射された光を浴びると、いつぞやの時と同じように小型の荷車に乗せられて縄でぐるぐる巻きという状態になった。

「さっさとKTHに持って行って、仕事を終わらせるとするか。花咲、約束のことは忘れてねえよな。今日の俺の活躍、黒沢に一から十まできっちり伝えろよ」

「あ……うん」

 経緯はどうであれ、ヒーローが怪人を倒すのに成功したことには変わりはない。

 いまいち気が進まないが、監視役としての職務はしっかりとこなさなくては。

「じゃ、そろそろ」

「お待ち……なさい」

「あ?」

 永山は取っ手に手をかけ、KTHへと向かおうとした。

 その途端、荷車が押されようとしたところで怪人が苦悶の表情を浮かべながら、蚊の鳴くような声で話し始めた。

「ヒーローよ、わたくしにこんな仕打ちをしておいてただで済むと思ってないでしょうね」

「タダ? 慰謝料でも支払う気にでもなったか」

「ぐ……どこまでもふざけたことを。いいですか、わたくしがナーゾノ星に帰ったら……うっ。わ、我が星の皇帝に君の非道な行いを事細かに伝えます。うぐっ……こ、皇帝は、ナーゾノ星人に害をなす君の存在を放ってはおかないでしょう……」

 皇帝? ナーゾノ星には、皇帝が存在しているというのか。

 美江は怪人の話に関心を向けたが、永山は興味のなさそうに大欠伸をした。

「へいへい、勝手にしてくれ。そんなことより、絶対に漏らすなよ。金も入らねえのに掃除させられるなんて、たまったもんじゃねえからな」

 怪人の捨て台詞を適当にあしらうと、その後も彼の言葉に耳を傾けることなくガラガラと荷車を押していった。


 後日、KTHに出勤していた美江は、円卓近くで作業をしている永山と話をしていた。

「あんた、KTHまで来て何やってんの」

「内職。今日はめずらしく、バイトが全部休みだからな」

 地域を守るのが使命のはずのヒーローは、円卓に造花のパーツが大量に入った段ボールを置いてちまちまと内職を行っている。

 パーツ入りの段ボールの横には完成品を入れる箱が置かれており、中は既にクオリティの高い造花達で溢れていた。

 美江は作業光景を見て「内職なら、家でやれよ」と言ってやりたくなったが、先日の一件についてどうしても気になることがあったため、そちらについて尋ねてみることにした。

「ねえ、あのトカゲみたいな怪人を倒した時にあんたがしてた格好だけどさ、どこから調達したのよ。あれ、あのお店の制服よね」

 店員でもないはずの永山が、どうしてあの一式をそろえることができたのか。まさか、制服をくすねたわけでもあるまいし。

「ああ、その話か。今は機嫌がいいから特別にタダで教えてやる。実はな、あそこの売り場の近くで昔バイトしてたことがあってな、あの店の店員の何人かとも顔見知りだったんだ。その中で、あの日にシフトが入ってない奴に頼み込んで制服を借りたんだ。『今度お前が開く合コンに顔を出してやるから』って言ったら、一発でOKされたぞ。ふふん、これは人脈の勝利って奴だな」

 まあ、こいつは見てくれだけはいいからな。

 今の説明だけで、美江は妙に納得した。

 永山の容姿は、一般女性十人のうち七人くらいは食いつきそうなくらい整っている。だから、彼の顔写真を合コン相手に送っておけば、女性陣の方もそれなりに気合が入った面子がそろうに違いない。

 ……もっとも、奴の性格を知った瞬間に彼女達の熱は一気に冷めてしまうだろうが。

「よーし。造花作りを片付けたら次の内職に移るぞ。金が俺を待ってくれてるからな!」

 本日、永山の機嫌がやたらといいのには理由がある。トカゲ型怪人を倒した時に、最初の目論み通り、まんまと特別手当を手に入れたからだ。

 特別手当という名目で、奴がどのくらいの額を受け取ったのかまでは美江にはわからない。だが、ふて腐れている黒沢を見れば、大体の見当をつけるのは簡単であった。

「何が『金が俺を待っている』だよ。あれだけふんだくっておいて、まだ足りないのかい。ふう、人の気も知らないでさ。のんきなもんだよ」

 黒沢はデスクワークをしながら、ルンルン気分の永山を睨みつける。

 いつもより低いトーンに、彼の心情が嫌というほどにじみ出ていた。

「気も知らないでとか言われましても、そんなもんわかるわけがないでしょう。俺、エスパーじゃないんで」

「そういうことじゃないんだよ。君にはね、言っておかなきゃならない大きな問題があるんだ。あのさ、永山君は怪人を倒す時に何をやらかしてくれたんだい」

「何をって、俺はしっかり任務を遂行しただけですが」

「任務の遂行……ねえ。そのやり方に問題があるって僕は言いたいんだけど。あの怪人を本部に転送して数分もしないうちに、苦情が来たんだよ。具体的には口に出したくないんだけど……本部が、怪人のせいでどえらく汚れたって」

 そのことについては、詳しく掘り下げずとも何が起きたか察することは容易だろう。

 気まずそうに咳払いをして間を置いた後、黒沢はさらに説教を続けた。

「店内の物品が破損したって理由でデパートから弁償の請求が来るのはまだいい。ぼったくり値の特別手当も、本部から連絡が入る前に怪人退治が決行されたわけだから今回ばかりは仕方がないと思う。でもさ、怪人の倒し方くらい少しは考えようよ。君は仮にもヒーローなんだよ? それなのに、あんな色んな意味で汚い手段使って……君が変なことをやらかしたら、怒られるのは全部僕なんだからね」

「ふーん。そうですか」

 一通り聞き終えると、永山は内職作業にいそしんでいた手を止めた。

 そして、緩みきっていた表情をたちまち真顔に変えた。

「仮にもヒーローとか言われましてもね、俺の知ったことじゃないですよ。俺は手段を選ばずに地域に仇をなす怪人を退治しただけであって、例えその過程がどうであったとしても、結果としては使命を果たしています。怪人だって、時には卑劣極まりない手を使って攻撃してくることがあるんですよ。それなのに、ヒーローという肩書きに縛られて手段を選んで戦っていては、怪人どもに完全になめられます。そんなんで、地域の平和が守り切れるなんて思えません。怪人相手に手段を選ぶということは、武装集団に普段着と水鉄砲で戦いを挑むようなものなんですからね!」

「うう……」

 早口で勢いよくまくし立てられ、黒沢は苦々しく口元を歪めた。

 どうやら、返す言葉を見つけられないらしい。

「黒沢さんはよーく存じておられますよね、俺がヒーローになってから怪人の連行率が跳ね上がったことを。それなりの成果を上げてるんですから、それ相応の評価くらいして欲しいものですね」

 永山はさらに吐き捨てると、口笛を吹きながら内職を再開した。

「ちょっとだけ、一理ある……かも」

 美江は誰にも聞こえないような、小声でボソッと呟いた。

 永山は確かに、とてもヒーローと名のつく者がするとは思えない手段を用いて怪人を打ち倒した。しかし、それは彼なりに考えた地域を守るための対抗策でもあったのだろうか。

 時と場合によっては、手段を選ばずに地域の平和を優先した方がいい。そういう観点においては奴の発言はまんざら間違いとは言い切れないのかもしれない……。

「おい、俺のことをジロジロ見てんじゃねえよ」

「えっ」

 永山が、美江のことを三白眼気味の目で睨みつけてきた。

 彼の方を向いたまま考え事をしていたことが、癇に障ってしまったようだ。

「べ、別に。見てなんていないわよ」

「いーや、見てた。絶対に見てたな。金がかからないのをいいことに、俺の甘いマスクを存分に堪能していたに違いない。ま、これだけ花が似合う男が目の前にいたら、見ちまうのも無理はねえけどなあ」

 永山はケラケラ笑いながら、完成したばかりの造花を指先で揺らした。

 わりと格好はついているのかもしれないが、本人がその容姿を充分過ぎるほどに自覚しているせいか、何だか腹立たしい。

「見てないって言ってるでしょ、しつこいわね! 黒沢さん、証言して下さいよ」

「へ? ごめん。書類作るためにパソコンばっかり見てた」

「もうっ!」

「ほーら、ムキになって叫ぶってことは、やっぱり俺のこと見てたんだろ。ガキじゃねえんだからさ、素直に認めちまえばいいのによ。どっちにしても、お前は俺の好みとは程遠いんだけどな!」

「なっ……!」

 永山が無神経極まりない一言を吐くと、美江の怒りに莫大な量の油が注がれた。

 頭の中の理性という理性が、どこかへとポーンとすっ飛んでいく。

「好みじゃない好みじゃないって、あんたに言われなくないわよ。この……外道っ!」

「おお、小さな活火山がとうとう噴火したか。後でちゃんと、弁償しろよな」

 目の前にいる最低男に殴りかかるのは簡単なことだ。だが、それを実行すれば後で何を言われるか考えるだけでも恐ろしい。

 消えていく理性と燃え上がる怒りの中で美江が選んだのは、永山がねちねちと作り上げた造花がこんもりと入った段ボールを全力でぶん投げることだった。

 中身はたちまち宙に散り、出来上がっていた造花は衝撃でバラバラになっていく。

 KHTの室内は、色とりどりの花びら達によって鮮やかに染められていった。

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