第一話 史上最低・最悪のヒーロー
※各話の後ろに(改)マークがついているのは、誤字脱字の修正や言い回しなどの微妙な変更のためです。
内容自体にはほとんど変更はないので、既読の方は微妙な変更点を探すためだけにわざわざ読み直す必要はありません。
ヒーローとは、弱きを助け悪をくじく正義の象徴。
その多くは非の打ちどころのない才知・武勇を持ち、高潔で慈善的な心を持った完璧な存在として描かれる。
しかし、全てのヒーローがそうである保証はどこにもない。
最悪だ。
花咲美江は、二十四年の人生の中で一番の絶望を味わっていた。
先日、派遣社員として勤務していた会社に契約を更新してもらうことができず、実質解雇されてしまったのだ。それもこれも、日本経済の不況のせいである。
しばらくの間ならば、なけなしの貯金を切り崩していけばまともな生活くらいはできるだろう。だが、それがいつまで持つかなんてたかが知れている。
真っ当な仕事であるならば何でもいい。新しい職を探さなくては。
無職となってしまった日から仕事を探し求めたが、今の今までいくら求人誌による求人情報に頼ろうが、職業安定所に泣きつくように通い詰めようが職には恵まれなかった。
いっそ親元に帰ってニートかフリーターにでもなった方が楽だろうか……。
そんな甘ったれた考えが頭をかすめる日々が続く中、美江の目にあるものが飛び込んできた。
「監視役、募集中?」
それは、いつものように職業安定所に行き、元気よく突っぱねられた日の昼時であった。
通りかかった道の電柱に、明らかに手書きと思われる求人チラシがあった。
セロハンテープで角の四隅を、ぞんざいに貼り付けられている。
内容を見てみると、募集先の住所や連絡先の他に『どんな相手とでもコミュニケーションをとれる自信のある方、大大大大歓迎!』と、やたらと太いマジックペンで書かれていた。
「これ、正社員の募集かな」
バイトや契約社員みたいにあっさり切り捨てられてしまう立場はもうごめんだ。
美江はこの時、このチラシの内容が少々風変わりであることについては気にもとめず、真っ先にそんなことを考えた。『溺れる者はわらをも掴む』ということわざがあるが、その心境に実際に陥ってしまった人間の心理というものは恐ろしいものである。
「応募してみようかな」
コミュニケーション能力については自信がある。もしかすると、天職に巡り合えるかもしれない。
美江は半ばやけっぱちになりながら、携帯電話でチラシに書かれた連絡先に電話をかけた。
「はい。こちらKTH。どういったご用件でしょうか」
携帯電話から聞こえてきたのは、男性の声であった。
わりと気さくな口調で、よく通る低音の美声である。
「あの、チラシの求人情報を拝見しまして。その、応募を」
「えっ、本当? いやぁー嬉しいなあ。チラシ見て応募してきたの、貴女が初めてだよ」
「……え?」
男性の話し方が急に砕けたため、美江は反射的に眉をひそめた。
「うーん、やっぱりあんまり人通りがない場所にチラシを貼ってたのがいけなかったのかな。でも、今こうして勇気ある応募者が出たから結果オーライかな……」
「あの、そろそろ話を元に戻していただいてもよろしいでしょうか」
「ああっと、ごめん。応募が嬉し過ぎてつい興奮してしまった。で、もしかして何か聞きたいことでも? それなら、今すぐにでも面接して、その時に詳しいことを話すよ。住所はチラシに書いてあるよね」
「いや、あの、その」
「KTHはその住所のところにあるビルの中の変な扉の先だからすぐにわかるよ。僕の名前は黒沢。貴女は?」
「は、花咲です」
「花咲さんね。じゃ、この後面接で」
「あ……」
何だか美声の男性のペースに流されているうちに、面接の予定を決められた上に電話を切られてしまった。
普通は互いの都合のいい日を話し合って後日に面接という流れが妥当であるはずなのだが、あの男性はその辺りを考えようとは思わなかったのだろうか。
……悲しいかな。美江は今いつでも暇を持て余している身なので、すぐに面接に来いと言われても全く困りはしないのだが。
「大丈夫なのかな、こんなんで」
少々不満が募りつつも、無職である身を考えればぜいたくなんて言っていられない。
美江は顔を曇らせながらも、チラシに書かれた住所へと向かっていった。
チラシが貼られていた電柱から歩くこと約五分。美江は、暗い配色の低層ビルの前に立っていた。
「KTHって……」
ビルは二階建て。玄関近くにある案内の看板によると、一階と二階にはそれぞれ別のテナントが入っているようだ。地下に入っているテナントの名が書かれている部分に、今にも消えてしまいそうな字で「KTH」とある。
「地下ってことは、階段かエレベーターを使うってことよね」
とりあえずビルに入っていくと、低層であるためかエレベーターは存在していないことがわかった。一階にあるのは上に続く階段と、奥に見えているカフェ『夢幻』という店くらいのものであった。ただ、その平凡な屋内の景色の中に、明らかに一つだけ不調和を奏でているものがあった。通常の建物ならば同じ箇所に一つしかないはずの非常口の扉らしきものが、何故だか二つも並んでいるのである。
「……?」
二つの扉を交互に見比べる。左側にある方は簡略化された人の図が出口に向かって走るという一般的な絵が描かれた見慣れたものであったが、問題なのは右側の扉である。そこに描かれていたのは、出口に向かって走る人の図が何かを踏みつけて思いきりすっ転んでいるという大変間の抜けたものだった。もしこれがウケを狙って作られたものであるならば、これのデザインを手掛けた人物には、余程笑いのセンスがないに違いない。
「もしかして」
右の扉に向かって足を進める。これが、黒沢という人が言っていた変な扉なのだろうか。
「この先に、地下への階段があるのかしら」
美江は間抜けな絵が描かれた扉の前に立ち、緊張した面持ちでゴクッと唾を飲む。小刻みに震える手で、そっとドアノブに触れたその時であった。
「きゃあっ!」
何の前触れもなくドアが開き、驚いた美江は思わずその場に飛びのいた。
「あ? 何だお前。ここを開けようとしてたのか」
半開きのドアの先から、男のものと思われる声が聞こえてきた。先程の電話相手の声とは違う、随分と特徴的な声だ。
「な、何?」
美江が言うのと同時に、ドアが完全に開いて奥の人物が姿を現した。
そこに立っていたのは、しかめっ面をした男だった。歳はおそらく二十代半ばか、それを少し過ぎたくらい。襟首まで伸ばした長い黒髪を、安っぽいヘアゴムでちょこんと束ねている。背は一八〇センチあるかないかくらいの長身で、小柄な美江とは頭一つ分くらい背丈に差があった。上下使い古しの灰色のジャージにこれまた履き古しと思われる運動靴というかなりやっつけな服装ではあるが、よく見ると三白眼気味の鋭い眼差しに精悍な顔立ちをしていて、見る人によってはなかなかの男前だと感じるだろう。
「あの、誰ですか?」
「はあ? 何で俺がお前なんかに名乗らなきゃいけねえんだよ。さっさとどいてくれねえかな」
「な……」
何だこいつ。いきなり初対面の相手に向かって。
男のあまりにも冷やかで無礼な対応に、美江は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「人の顔見て固まってんじゃねえよ。気色悪い奴だな。ま、お前にわざわざどいてもらわなくても、俺が横を素通りすればいい話だったか。ちっ。無駄な時間を食っちまったな」
男はそう吐き捨てるように言うと、美江の顔を一瞥してからその横を早足で通っていった。
「な、何なのあいつ。最低」
ある種の衝撃が頭から抜けきらないまま、美江は去っていく男の背中を睨みつける。
段々と遠くなっていくジャージには、ボロボロにはがれかけたプリントで『夜麻斗高校』と書かれていた。
「あのジャージ、いつから着込んでるわけ? 高校って……」
そのツッコミが耳に届いたのかは定かではないが、男はもう一度だけ美江の方をちらりと振り返ってからビルから姿を消した。
気を取り直して扉の先に進むと、案の定地下へと続く階段があった。辺りを照らす蛍光灯が暗いせいか、足場が安定しない上にどこまで階段が続いているのかさえ把握できない。
「さっきの男、もしかしてKTHの社員だったのかしら」
あんな人としてなっていないような奴まで雇っているから、コミュニケーションに長けているという人間を特に歓迎するという主旨の記述をチラシにしていたのだろうか。だとしたら、世も末である。
色々と考えつつ階段を下りていくと、一風変わった空間に辿り着いた。
「な、何なのここは」
そこは端的に例えると、まるでどこかの秘密基地のようであった。
地下であることもあり窓はなく、広さは一般的な会社のオフィスよりも狭いように感じる。
部屋の真ん中辺りに大きな円卓と、それを囲むいくつかの丸イス。壁際には水晶らしき物体がついた用途不明の大きな機械や、おもちゃなのかハイテク機械なのか判断に苦しむ物体がごちゃごちゃと置かれている。
奥にはノートパソコンが置かれている他、何かの書類と思しき紙やファイルが大量に積まれている事務机がある。その後ろには、レザー製と思われるチェアに座った男性がいた。
「あ、もしかしてさっきKTHに応募してくれた人?」
想定外の景色に呆然としている美江に対し、男性は笑いかけた。
「貴方が黒沢さんですか」
「いかにも」
黒沢は電話の時と同じように、気さくな美声で答えた。
小ぎれいな短髪に、上下茶色のスーツ姿。知的な顔立ちで、歳はパッと見ただけだと三十代前半か半ばくらいだろうかと思う。だが、実際は若いのか老けているのかよくわからない、年齢不詳な雰囲気を持っているような気がしてならない。
「いやいやいや。まさか、駄目元で貼ったチラシで応募が本当に来るなんて。嬉しい限りだよ」
「あの、ここって一体」
美江はおどおどしながら、何度も室内を見回す。ここは特撮ドラマの撮影スタジオか。それとも、近未来の地下都市の一部か。
「ここ? 電話でKTHだって言ったと思うんだけど」
「あの、詳しく聞こうと思ってたんですけど。KTHとは何でしょうか」
「怪人対策本部。略してKTH」
「……は?」
カイジンタイサクホンブ? それは、SF作品に登場する組織でしょうか。
いまいち状況を理解できない美江は、頭に鈍痛が走るのを感じた。
「あれ、ひょっとして理解してなかったのかな。チラシに豆みたいなちっさい字で細々と書いてあったと思うんだけど」
「理解も何も、怪人って……二十面相か何かですか」
「うーん、江戸川乱歩は一切関係ないんだけど」
黒沢は困った顔をしながらも、話を進めていく。
「KTHというのは、本来は極秘の機関なんだ。だから、よくわからないだろうから一から説明するね。簡潔に言うと、ここは宇宙から地球に飛来して悪事を働く怪人を退治して、宇宙に送り返すという世界平和に貢献する活動をしているんだ。ま、ここは厳密に言うと本部ではなくて地方の支部なんだけど。あっ。それじゃあKTHじゃなくてKTSじゃないのって思ったかもしれないけど、そこはご愛嬌ってことでツッコまないでね」
たった数分の間に意味不明かつ理解不能な世界観を一気に脳みそにぶち込まれたせいで、今にもショートしてしまいそうなのですが。
美江は次元を超えた話のぶっ飛び具合に、ただただまばたきを繰り返すばかりである。
「あの、大丈夫?」
そんな美江の様子を見て心配になったのか、黒沢が尋ねた。
「いや……その……」
大丈夫なわけがない。今すぐにでも、きびすを返して帰ってしまおうか。
ここにいるのがあまりにも場違いな気がしてきて、美江は思い詰め始めていた。
「あ、ひょっとして今の話を信じてないとか? それも仕方ないことかもしれないけど……。怪人といったって、見た目は特撮ヒーローものに出てくるような着ぐるみみたいな奴とか、仮装した人間みたいな奴ばっかりだもんなあ。もしそいつらを見たことがあったとしても、何かのショーのリハーサルくらいにしか思わないだろうからたいして気にもとめてないだろうし」
「え、怪人って着ぐるみみたいなんですか?」
黒沢の呟きに対し、美江は首をかしげた。
「あれ、もしかして怪人を見たことがあるとか」
「確証はないんですけど、ちょっと心当たりが」
着ぐるみという言葉をきっかけに思い出したのは、数日前の夜の出来事だった。
確かその日もいつものように職業安定所に突っぱねられ、日頃の溜まりきったストレスの発散にと思い屋台でグチグチ言いながら、女一人でやけ酒をしていた。
そんなこんなで時間が経ち、酔いが回った頃、ふと後ろを向いた時に変な物体を目撃したのである。
まるでどこかのゆるキャラにでもいそうな、額に角が生えた巨大なこんにゃく的な物体。それが、道路をテケテケと歩いていたのだ。
その後酔い潰れてしまって記憶が曖昧なのだが、その物体は誰かにボコボコにされていたような……。
「ふーん。怪人って、認知度が低いわりには結構目撃されてるみたいだね。じゃあ、もしかしてうちのヒーローも見たことあったりする?」
「は?」
怪人の次はヒーロー? この現代社会には、正義のヒーローまで実在しているというのか。
「まあそもそも、そのチラシで募集した監視役っていうのは、ヒーローの監視役って意味だったんだけどもね」
「は?」
ヒーローという言葉に戸惑っている間に、またも理解しがたいことを言われてしまった。
ヒーローの監視役を、チラシで一般公募した。……駄目だ。こんな短文の中に、信じられない量のツッコミどころが存在している。
監視役をチラシなんかで一般公募するって。正義の存在であるヒーローが監視されるって。そもそも、ヒーローがこの世に存在してるって……。
「あの、大丈夫?」
黒沢の口から、本日二度目の「大丈夫?」が出てしまった。
だから、大丈夫なわけがないだろうと内心思いつつも、面と向かって正直に言うわけにもいかないので、美江は「あー……まあ」と適当にごまかしておいた。
……どうにかこの場をしのいだら、家に帰ってまた求人誌を読み漁ろう。うん、そうしよう。そう心に誓いながら。
「うーん、ここまで話を把握してなかったということは仕事内容についても、よくわからないままここに来たってことだよね。せっかく誠実で真面目そうな人が来てくれたのに、何だかもったいないな」
仕事内容を詳しく把握できないまま応募した美江も美江であるが、チラシに詳しい情報を書かなかった黒沢も幾分か悪いような気がする。もっとも、チラシに正直な仕事内容をみっちりと書き込んだりしたら、誰も応募してこないような気もするが。
しかし、一体どこの誰が「監視役」という言葉だけでヒーローのお目付け役という仕事内容に辿りつける超絶な発想力を持っているというのか。この点については厳しく追及したい所存である。
「きっと、この面接も辞退されてしまうんだろうなあ。仕事が仕事というだけに、お給料はそれなりの額を出させていただこうと思ってたんだけど」
「え?」
文句と苦情が次々に頭に浮かんでいる最中、美江は「それなりの額」という部分にピクッと反応した。それをしっかりと目視した黒沢は、にんまりと微笑んで手招きをした。
「な、何ですか急に」
「いいから、ちょっと来て」
言われるがままに近づくと、黒沢は事務机の引き出しから電卓を取り出して数字をパチパチと指先で叩きながら語り始めた。
「何で正義の存在であるはずのヒーローに監視役が必要なのかをまだ話してなかったね。信じられない話かもしれないけど、うちのヒーローって奴はね、とんでもない金の亡者なんだ。あいつは雇ってもらってる身だっていうのに、人の足元を見てことあるごとに給料の値上げを要求してくるんだ。ここ以外の地方のKTHのヒーローも多少の値上げ要求くらいならしてくるらしいと噂には聞いてるんだけどね、うちのはそれと比べものにはならないくらい群を抜いてひどいんだ。値上げの他にも交通費とか、経費とか、治療費とか、物品の修理費とかで特別手当をむしろうとするとか……思い出すだけで、気が滅入るよ。おまけに、ヒーローのくせして色々なバイトを掛け持ちしていてね、値上げの要求や特別手当の支払いを断ったら、何とバイトを優先して怪人退治を放り出すんだよ! 最低でしょ。だから、理不尽な給料の値上げ請求の防止や、怪人退治をちゃんとやるように促すために監視役を設けようという結論に至ったんだよね」
話を聞いてわかったのは、ここに勤めているというヒーローとやらがその肩書きにはふさわしくないくらいに外道であるということくらいであった。
思わず「そんなヒーロー、クビにすればいいのに」と言いかけてしまったが、黒沢の悩ましい表情で語る様子からヒーローを簡単にクビにすることができない事情があるということを何となく察してしまったので、それについては触れないでおくことにした。
「でも、そんなヒーローの監視役なんて雇ったら、余計に人件費とかかかりませんか。その監視役を雇うのって、えっと、KTHでしたっけ。ここのヒーローにかける出費を抑える役割も兼ねているんですよね」
「いやいやいや。あの、ヒーローが繰り出す目玉が飛び出る請求額に比べたら。で、もし貴女が監視役を引き受けてくれるなら、経費は別で毎月これくらいの給料を出そうと思ってたんだけど」
「……!」
数字がはじき出された電卓を見せられるなり、美江は口元を手で覆いながら絶句してしまった。
その額は派遣OL時代には決して考えられないような、破格の高値であった。下手をすると、そこらのエリートサラリーマンの給料なんかよりも、ずっと高い額でかもしれない。
「毎月、こんなに監視役に支払って大丈夫なんですか」
「ここ、給料だけは結構奮発して支払えるんだよね。何せ、こんなところでなんて誰も働きたがらないもんだから。しかも、ヒーローにむしられてる分がなくなると思えばこれくらい余裕で出せるよ。それに、うちのヒーローは本当にひどい奴なんだ。給料の値上げを断るごとにこっちの精神にグサグサくるようなことを平気で吐いてきて……おかげで、僕は胃を患ったよ。ついでにその痛みも緩和されるなら、これくらいドーンと払わないとバチがあたるってもんだよ」
何か理不尽な給料の値上げの防止よりも、後半に話していた内容のために高給を支払う目的があるように感じられるのは気のせいだろうか。
薬指に指輪が光る左手で胃の辺りをなでる黒沢の姿に、美江は哀愁に似た何かを感じた。
「あの、監視役って具体的にはどんな仕事をすればいいんですか」
「あ、仕事に興味持ってくれたの?」
「ま、まあ」
その、破格の高給にちょっと。……という言葉は飲み込んでおいた。
「じゃあ、監視役についてもう少し詳しく話すね。簡単に言うと、怪人が出た時にヒーローを見張ってちゃんと義務を果たすかどうかとか、不正な経費の上乗せをもくろんでないかとかをチェックしてほしいんだ。労働時間は、怪人の出現率に依存するから不規則。でも、暇な時はとことん暇。それでこの給料はかなり美味しいと思うけど」
「給料が高くて美味しいのはよくわかりましたけど、そのヒーローって見張っていないと義務を果たすかどうかも怪しいんですか? 話だけで判断すると、本当にここのヒーローって外道ですよね」
「だって、実際外道だし。さっきも言ったけど、怪人退治より掛け持ちのバイトを優先するような奴だから。ここだけの話、僕はあいつのことを影では外道君って呼んでるんだ」
「……」
それなりの事情があるとはいえ、ここまでボロカスに言われるヒーローって一体。
「それはともかく、監視役を引き受けてみる勇気はある? 僕の方は貴女を雇う気満々なんだけど」
「あっ」
そうだ。今までわけのわからないことを連発されてすっかり忘れていたが、これはれっきとした採用面接だった。
美江は、はたと気がついて目を泳がせた。
「悪い話じゃないとは思うんだけどね。多少の覚悟は必要だとは思うけど。で、どうする?」
「どうすると言われましても……」
美江が返事に困っていると、黒沢の目の前にあるノートパソコンから甲高い電子音が流れた。
何かのクラシック音楽に似ているが、微妙に音が外れているのか楽曲名までは特定できない。
「何なんですか、この音」
「噂をすれば何とやら。怪人が出没したみたいだね」
黒沢は至極冷静に言うと、キーボードを素早い手つきで打ってノートパソコンを操作し始めた。
瞬く間に、画面の中に様々な情報が映し出されていく。
「あー。またナーゾノ星人か」
「?」
ナーゾノセイジン?
またも飛び出した、よくわからない単語に美江は顔をしかめた。
「あの、それって何ですか」
「え? ナーゾノ星人は、ナーゾノ星という月の裏側にある小惑星から最近よく地球に飛来する宇宙人だよ。日本語に限りなく近い言語を話す奴らで、日本にばかり出没しては何かと悪事を働くんだ。ここ数日だけで、何人のナーゾノ星人を捕まえて本部に送りつけたことやら」
ここの世界観は、B級特撮番組並、またはそれ以下なのだろうか。
美江は真顔で馬鹿馬鹿しい話を語る黒沢の姿に、つい吹き出しそうになってしまった。
第一に、ナーゾノ星という名称はあまりにも滑稽というか、センスがないにもほどがあるだろう。
第二に、月の裏側にそんな変な名前の小惑星がいつ湧いて出たというのだ。
第三に、何よりもこんなくだらない話を、知的な顔立ちな男性が真剣に語るのが不釣り合いでたまらない。
他にも思うところはあるが、キリがなくなりそうなのでこの辺りでやめておくことにした。
「さて、じゃあヒーローに連絡して怪人を捕まえてもらうことにしようか」
黒沢はそう言うと、キーボードを打ってパソコンを操作した。
「呼び出し、と」
「……何ですか、黒沢さん」
最後にエンターキーが押されると、パソコンから男の声が流れてきた。
パソコンを使ってヒーローとやらと通信しているようだが、その画面は真っ暗で何も映っていない。これは、音声のみの通信手段なのだろうか。
「あ、またカメラのところにテープ貼ってるね。せっかくのKTシーバー付属のテレビ通話機能が台無しじゃないか」
今の黒沢の発言で、美江は脱力のあまりずっこけそうになってしまった。
通信手段のカメラ部分にわざわざテープを貼り、相手に顔を見えなくするヒーローなんて前代未聞だ。
「だって、このKTシーバーの小型カメラは俺の顔だけではなく、俺の周りの景色まで黒沢さんのパソコン画面に映すじゃないですか。それって、プライバシーの侵害になりませんかね」
ヒーローであるらしい通信相手は、実に嫌味ったらしい口調で自論を述べる。
その声は特徴的で、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「プライバシーの侵害ってねえ。こういった通信をする時に、ちょっとばかし僕に姿を見られるだけじゃないか」
「それが困ると言ってるんです。もし、黒沢さんが連絡をよこしてきた時に俺がキャッシュカードを片付けている時だったり、暗証番号をメモしたりしている時だったらそれは大事ですよ。下手をしたら、俺の個人情報が黒沢さんにダダ漏れしてしまう危険性があるじゃないですか。この通信記録って、パソコンに全て自動的に保存されているわけでしょう?」
「君のその口振りだと、まるで僕が君のお金を盗もうとしていると疑っているように聞こえるんだけど」
「それは誤解ですよ。黒沢さんみたいなチキンハートをお持ちの方が、現在の地位を捨ててまで犯罪に手を染めるとは考えてませんから。俺は、黒沢さんのパソコンがハッキングされて情報が流出することを恐れているんですよ」
「チキンハートってねえ……。あと、パソコンのハッキング対策はバッチリだからね。君に心配されなくても、僕がちゃんと細心の注意を払ってるから」
「黒沢さんがやってるって言うから、こっちは心配なんですけど」
「君って奴は本当にサラッと毒を吐いてくれるよね。僕、君のそういうところ好きになれないな」
「ははは、何を今更。大丈夫、そんなのお互い様ですよ」
「……」
一連のやりとりを横から聞いていてわかったのは、ヒーローが相当な屁理屈屋で猛毒持ちだということだった。こんな奴を毎日のように相手にしていては、胃を患うのも無理はない。
「で、雑談はここまでにして、さっさと要件を話してくれませんかね。俺、今はバイト中で忙しいんです。孤独に耐えきれずに会話したかっただけなら容赦なく切りますよ」
ヒーローは自分が仕掛けた舌戦を一方的に切り上げると、今度はイライラしたようなトーンで言った。
「僕は孤独じゃないし、勝手に通信切ったら駄目だから。面倒になってきたから簡潔に言うけど、A区に怪人が出たんだよ。具体的な情報はKTシーバーに送るから、それで色々確認して早急に向かって」
「早急に? それは嫌ですね」
「はい?」
ヒーローからのまさかの出動拒否に、黒沢の眉がつり上がった。
「どういう意味かな、それは」
「言葉の通りの意味ですけど。だって、また俺にバイトの中抜けしろって言ってるんでしょ。少し前にバイトを強引に中抜けしたせいで、そのままクビになってしまったという話をしたばかりですよね」
「それは、君がヒーローとバイトを掛け持ちでやってるのが悪いだろ」
「今の世知辛いご時世、ヒーローだけじゃ食っていけないんですよ。もし黒沢さんが正義感という心持ちだけで怪人を倒す善意のヒーローをお求めになるのであれば、今すぐ俺をクビにして新しいヒーローをお雇い下さい。しかし、並のサラリーマンより少々高いくらいの給料で地球の平和を命がけで守ってくれるようなすんばらしいお方は、どこをほっつき歩いてもぜーったいに見つからないと思いますけどね!」
「ま、また痛いところを。でも、君が言ってることも矛盾してるだろ。独身でサラリーマンより高い給料もらっておいて、食っていけてないわけが……」
「人の揚げ足を取るのに必死になる前に、俺がどうすれば怪人退治に赴く気になるかを真剣に考えた方がいいと思いますけどね。以上」
「あっ」
結局、ヒーローからの通信は一方的に切られてしまった。
「ああ! もうあの外道! やっぱり人選ミスだったあ」
黒沢は悔しそうに叫ぶと、強く頭をかきむしった。
「あの。ヒーローってまさか、黒沢さんが選んで雇ったんですか」
美江がおそるおそる尋ねると、黒沢は、コクッとうなずいた。
「こっちにも色々事情があってね。ある日、ここで働いていた前のヒーローが突然やめちゃってさ。最初は本部に連絡して人材派遣の要求をしたんだけど、ヒーローなんて誰にでもできるような仕事じゃないから本部も人材不足だったらしくて、きっぱり断られたんだ。それで、仕方なくこの地域で一般公募してみたら、来たのはどいつもこいつもヒーローショーのスーツアクターの募集と勘違いした人ばかり。仕事内容を話したら、みんなしっぽを巻いて逃げたよ。ほんの一部だけ正義に燃えてヒーローをやりたがった人達もいたんだけど、そういった人に限って運動能力が低過ぎたり、虚弱だったりで戦えそうな人はゼロ。外道君だけだったんだよね。仕事内容を聞いても逃げ帰らなかった上に、怪人と戦えそうなくらい強かったのは。でも、面と向かって言われた第一声が『この仕事、いくらもらえるんですか』だった時点で彼の本性に気がつくべきだったんだよなあ」
とにかく、こんなことになってしまったのには深い事情があるらしいということはわかった。
「うう、胃が痛い。こんなことが続いたら、上に怒られるのは僕だってのに。うー……」
ストレスがピークに達してしまったのか、黒沢はとうとう胃を押さえてうめき始めてしまった。
多分、役職としても中間管理職くらいなのだろう。上と下からの精神攻撃に、だいぶ参っているようだ。
「あの、大丈夫ですか」
「駄目」
美江が一応心配して声をかけると、黒沢は何のためらいもなく即答した。
「どうして私がこんなところに来ないといけないのかしら」
周囲の殺風景な様子に、美江は深い溜め息をついた。
ここはA区にある廃工場前。現在はほとんど使用されていないボロボロの建物と、人気のない景色ばかりが広がっている。
美江は自分が住んでいる地方都市がわりと都会の方だと思っていたので、ちょっと町外れに出ただけでこんな場所があるということに驚いていた。
「怪人どころか、人っ子一人いないんだけど」
そんなところまで美江がわざわざ出向いたのは、胃を病んでしまった黒沢に何度も懇願されたからだった。
何でも、『ヒーローを何とか説得するから、ちゃんと駆けつけてくるかを確認してほしい』とのことである。
美江は最初、「怪人が出る場所に一人でなんて行けません」と言って断ったのだが、黒沢の「日当三万円」の一言でつい滅茶苦茶な話を承諾してしまった。金の魔力とは、なんとも恐ろしいものだ。
「一応護身用の武器は借りたけど、それでもねえ」
手の中には、黒沢から支給された怪人にも効くように電圧を調整された『KTビリビリ』なる情けない名前のスタンガン。しかし、これだけで身を守るとなると、かなり不安である。
「はあ……職探しをしてただけなのにどうしてこうなっちゃったんだろう。もうっ!」
苛立ちのあまり、美江は足元に転がっていた小石を思いきり蹴飛ばした。
小石は弧を描きながら、どんどん小さくなっていく。
「いってえ!」
「あっ」
いや、そんなまさか。
先程まで誰もいなかったはずの場所に、いつの間にやら誰かがいて、見事に小石はその人物に命中した。
しかもその人物は、何かがちょっと普通の人とは異なっていた。
「誰だおい。俺に石なんかぶつけたのは」
美江は二・〇もある自慢の視力で、その姿をよく確認した。
一見するとただのチンピラに見えるが、その額には人間にはないユニコーンを連想させる角がニョキッと生えている。しかもそれは、以前に見かけたこんにゃく的な物体に生えていたものと酷似していた。
「まさか、あれがナーゾノ星人?」
そう考えたのも束の間。怪人らしきチンピラは、すぐに美江の存在に気づいた。
「何だ姉ちゃん。俺にいきなり石なんかぶつけやがって。俺が誰だかわかっててやったのか、おい」
チンピラは日本語に近いどころか、もろに日本語と思われる言葉を吐きながら迫ってきた。
わりと遠かったはずの怪人との距離が、みるみるうちに詰められていく。
「ひっ」
美江は手を震わせながら、スタンガンを目の前にかまえる。
この男が怪人であろうがなかろうが、チンピラに目をつけられてしまったことに変わりはない。その恐怖が心にべったりと張り付いて、思うように身体が動かなかった。
「ったく。地球人ってのは人の頭に石ぶつけといて謝りもしねえってか。人として、それはどうなのかなあ? さーて、どう償ってもらおうか」
チンピラはニヤリと趣味の悪い笑みを浮かべながら、じりじりと美江に迫る。
そんな時、「そこらで食い逃げ繰り返してたクソ怪人がグダグダ言ってんじゃねえよ」という特徴的な声と、車か何かのエンジン音が聞こえてきた。
「誰だっ」
チンピラと美江がその音がする方を向くと、猛スピード走ってくる一台のスクーターの姿が目に映った。
「うらあっ」
「ぎゃあああ!」
スクーターはスピードを一切落とさぬまま猛進すると、その勢いでチンピラのことを跳ね飛ばしてしまった。
チンピラは空中で何回転かした後、数メートル先の地面に叩きつけられた。
「ふう、先制攻撃としては充分だろ」
前方部分が大きくへこんだスクーターは動きを止め、それに乗っている運転手はうめくチンピラの方を見た。
格好はフルフェイスの黒いヘルメットに、赤と白の縦縞が入った派手な上着。スクーターの荷台には大きなポップな字体で『スマイルピザ』と書かれている。
「ピザ屋さん?」
何故にピザ屋が怪人をスクーターで跳ね飛ばすのだ。
美江が理解の範疇から逸脱した超展開に混乱していると、運転手はゆっくりとスクーターから降りた。
「怪人のせいで町に迷惑がかかることによって、俺のバイトに費やせる時間が減っちまうのがわかんねえのか。もしてめえのせいでバイトがクビになっちまったら、どう責任取る気だよ」
この声や、理不尽な言いぐさ。聞いたことがある。そう、どこかで……。
美江が妙な既知感にとらわれたのと同時に、運転手は素早くヘルメットを取り外した。
「てめえが、俺のバイト代を立て替えてくれるってか。ん?」
「……!」
その素顔が露になると、美江はあんぐりと口を開けた。
この暴走スクーターの運転手の正体は、KTHの入口のドアですれ違ったあの最低男だった。
まさか、あの高校ジャージ男が地域を守るヒーローだったなんて。信じられない。
「俺はな、お客様にさっさとピザを届けるという、実に重大な使命を持ってるんだ。いいか、これから俺はてめえとの戦いを五分以内に片付ける。覚悟しろよ」
男はそう高らかに宣言すると、やっとのことで起き上がったチンピラ目がけて突っ走り、プロの格闘家も青ざめそうな威力の飛び膝蹴りをぶち込んだ。
「ぎゃあああ!」
まさかの二度目の先制攻撃に、受け身を取れなかったチンピラは悲痛な声を上げながらまたも数メートルほど吹っ飛ばされてしまった。
「な、何だてめえ。地球人のくせに……」
チンピラはフラフラしながらも起き上がり、やられっぱなしとはいかないと言わんばかりに反撃を試みる。しかし、ピザ屋のアルバイトの強さは半端ではなかった。
「けっ。そんなへなちょこパンチで俺を倒せると思うなよ。うらっ」
「ぎえっ!」
ヒーローは変身などの芸当は一切使用せず、己の身体能力の高さだけで怪人に右ストレートを的確に打ち込んだ。その後も、ほぼ一方的な攻撃が続いていく。
「うぎゃあああ!」
端から見ると、チンピラがピザ屋の店員に滅多打ちにされているようにしか見えない……。
そんな珍妙な光景を、美江はただただ傍観しているばかりだった。
「ぐほっ……お、お前。ただのピザ屋の店員ではないな」
顔がすっかり腫れ上がってしまったチンピラは、泣き声になりながら叫んだ。
「あ? タダでピザ屋でバイトなんかするかよ。この仕事はな、時給八〇〇円でやってるんだ」
「ふ、ふざけるなあー!」
「ただ」という単語は、この男の脳内辞書の中では「無料」という意味しか所有していないのだろうか。流石、金の亡者と称されるだけはある。
「は? ふざけてるわけねえだろ。ただでさえ時間に追われてるっていうのに、てめえみたいなクソ宇宙人と理由もなしにたわむれるわけねえだろうが。俺はな、金のためならいつだって本気だ。バイトの時も、ヒーローとして怪人をとっちめてる時もな!」
とうとう男は、自らの正体がヒーローであるという事実を明かした。
その端麗な顔に、見事なまでのしたり顔を貼りつけながら。
「ヒ、ヒーロー? お前が、あの、ヒーローなのか?」
ヒーローという単語が耳に入るなり、チンピラの表情が一瞬で凍りついた。
今日という日にヒーローの存在を知った美江には、詳しいことはわからない。だが、怪人達の中ではヒーローが恐怖の存在として認識されているということだけは理解できた。
「どうした。そんなに俺が怖いのか? せっかくのいかつい顔が、すっかり台無しになってんぞ。ビビり過ぎてチビっちまったか?」
男は尋常ならざるくらいの凄みをきかせながらチンピラに迫った。
そのさまはおそらく、一般的なヒーロー像からは大きく逸脱している。
「く、くっそお。お前がたくさんの仲間を病院送りにしたんだな。こうなったら、俺の本気を見せてやる。仲間の敵討ちだあ!」
チンピラはやけくそ気味に叫ぶと、カッと目を見開いて天を仰いだ。
ひょっとして、特撮作品に出てくる怪人のように巨大化したり、化け物的な形態に姿を変えるのか?
恐ろしいと感じる反面、美江は怖いもの見たさでちょっぴり期待してしまった。
「うおおおおおっー!」
チンピラの身体を、不気味な光が包む。目がギラギラと赤く輝き、爪は鋭く伸びていく。みるみるうちに、口が耳に届きそうなくらい裂けていき……。だが。
「耳障りな声で吠えてんじゃねえよ。近所迷惑だろうが!」
「ひぎゃあああっ」
男は、変身中の怪人の側頭部に向かって容赦なく回し蹴りをかました。
チンピラは、人間とも怪人ともつかないような中途半端な格好で、その場にうずくまった。
「こ、この野郎。変身中の怪人に向かって攻撃するなんて何考えてやがるんだ。非常識だぞ!」
「怪人の常識なんて知ったことか。元々宇宙のへんぴな小惑星から飛来してきて好き勝手しやがる非常識な分際のくせして、偉そうに常識主張してんじゃねえよ!」
「いぃぃぃぃぎゃあぁぁぁぁぁぁー!」
この悲鳴を皮切りに、ヒーローによる怪人へのおぞましい暴行はしばらく続いた。
美江は見てはいけないと思いつつも、目を手で覆いながら指の隙間からその凄惨な一コマをちゃっかり見ていた。
色々な意味で元の姿をとどめていない怪人が白目をむいて失神すると、男は「一丁上がり」と呟いてから手をパンパンと払った。
「ちっ。こんな奴を叩きのめすのに六分もかかっちまったか。目標タイムを守れないとは、情けねえ」
男はピザ屋の制服の袖を少しめくり、手首についた機械らしき物で時間を確認して舌打ちをした。
それはリストバンドにスマートフォンがくっついたようなデザインで、戦隊ものの主人公達が変身する時にでも使用していそうな装置に見えなくもない。
「あ、あのー……」
美江は少々臆しながら、男に声をかけた。
「誰だお前。ずっとここにいたのか」
「い、いましたよ。ずっと。貴方がそこに転がってる角が生えたチンピラをボコボコにしてるのを、この目でがっつり見てました」
もっとも、怪人の額に生えていた角は暴行のせいですっかりへし折れてしまっているが。
「ふーん。存在感がなさ過ぎて全く気がつかなかったな。きっとお前、地味過ぎて辺りの景色と一体化してたんだな」
こ、こいつ。いきなり何てことを言ってくれるのだ。
確かに美江の風貌は、肩まで伸ばした髪を全く染めず、メイクも服装も歳にしてはかなり控えめといった、かなり目立たないものである。しかし、面と向かって「地味」と吐き捨てられたのは生まれて初めてだった。
相手にこう出られると、こちらの態度も自然と悪くなる。
「存在感がなくて悪かったわね」
「悪いと思うなら、改善するように以後努力するんだな。で、何で女一人でこんなところをフラフラほっつき歩いてたんだ。人目を盗んで、密売取引でもしようってか」
「そんなわけないでしょ!」
ほぼ初対面の人間に、ここまで腹立たしいことを立て続けに言われるのも生まれて初めてだ。
美江は手に持っているスタンガンを男に押し当ててやろうかと思ったが、これは怪人に向けて使うために特別に作られたものだということを思い出し、どうにか堪えた。
「そうムキになるなよ。カルシウムが足りてねえのか? ま、お前の健康状態なんざ知ったことじゃねえけどさ。……ん?」
話の途中、男の視線が美江の手元に向いた。どうやら、手に持っているスタンガンの『KTH』と入ったロゴに気がついたらしい。
「そのスタンガン……ははーん。お前はKTHの回し者だったのか」
「回し者って言い方はないじゃない。私はただ、黒沢って人に頼まれてここに」
「黒沢ねえ。若い女をパシッてよこすなんて、何考えてんだか。でも、ちょうどいい。黒沢に頼まれてここに来たってことは、KTHのことを知ってるんだろ。だったら、一つ頼まれてくれ」
「え?」
美江がポカンとしている様子など気にも留めず、男はいまだに失神したままの怪人の方に向き直った。
「よし。〇〇一‐二四」
指先を使って手首についた機械の画面をタッチして操作すると、機械から怪人に向かってまばゆい光が放射された。
「うわあ……」
光が止むと、怪人はいつの間にか小型の荷車の上に乗せられて縄でぐるぐる巻きに縛り付けられていた。
現代の技術でこんなことが可能であるなんて。
美江が感心していると、男はうんうんとうなずいてからこんなことを切り出した。
「これでいいな。じゃ、こいつをKTHまで届けてくれ」
「はあ?」
女一人で成人男性みたいな怪人を運べだなんて、正気の沙汰で言っているのかこいつは。
男からの無茶振りに、美江は耳を疑った。
「な、何で私がそんなことしなきゃいけないのよ。あんたの仕事じゃないの」
「それが、都合が悪くてさあ。俺はな、これからピザの配達を再開しなきゃいけねえんだ。俺が働いてる『スマイルピザ』って店はお客様第一で、ピザが出来てから三十分以内に配達して店に戻らないとクビになっちまうんだよ。怪人をKTHまで届けてたら、予定の時間を過ぎちまう」
「ヒ、ヒーローとしての任務の遂行よりも、バイトを優先するわけ?」
「怪人をKTHにすぐに届けなかった場合にヒーローをクビになっちまう確率は限りなく低いが、ピザの配達は間に合わなけりゃ即効クビ。つまり、これは損得勘定の結果の優先順位ってわけだ。バイトの合間に怪人倒しに来ただけまだ責任感ってもんがあるだろ。それ以上のものを求められるのは酷ってもんだ。じゃ、あとは任せた」
「ちょ、ちょっと!」
美江があわてて呼び止めると、男はスクーターにまたがりながら顔だけ向けた。
「何だ。俺は今、ナンパされてるほど暇じゃねえんだけど」
「そんなことするわけないでしょ、失礼ね」
「ふん。言われたことが図星で照れてるのか? 悪いけど、お前は俺の好みじゃねえよ」
「だから、違うって言ってるでしょ!」
本当は、スクーターのところまで走ってあの男のことをぶん殴ってやりたい。しかし、金の亡者と称される奴にそんなことをすれば、法外の治療費を請求されかねないのでここはグッと我慢する。
「素直じゃねえなあ。でも、まあいい。怪人の運搬を押しつけちまったし、名前くらいなら教えてやるよ。それだけで済むなら安いもんだ」
男は美江の言い分を聞かず、微かに口角を上げた。
「俺は永山努。今度こそ、じゃーな」
それだけ言うと、永山はヘルメットを被り、スクーターを飛ばしてどこかへ去っていった。
「な、何なのよあいつ……」
夕暮れ時の殺風景な廃工場前には呆然とする美江と、白目をむいたままのチンピラ風宇宙人だけがポツンと取り残された。
美江がKTHに戻ったのは、すっかり日が沈みきった後であった。
「はあ……はあ……」
円卓の前にある丸イスに座りながら、疲労で乱れてしまった呼吸を整える。
まさか、日当三万円に釣られたばっかりにこんな重労働をさせられるはめになろうとは。
「大変だったみたいだね。あの時、胃痛がひどくなければ渋々自分で出向くつもりつもりだったんだけど。でも、怪人の運搬を面識のない相手に押しつけるなんて。本当に外道なんだから」
胃痛から回復したらしく、いくらか元気を取り戻したらしい黒沢は、呆れ果てた様子で言いながらパソコンをいじっていた。その視線はパソコン画面ではなく、例の水晶らしき物体がついた用途不明の機械の上に転がされている怪人の方を向いている。
「……これで準備OK!」
何やら入力操作を終えると、黒沢はエンターキーを押した。
すると、用途不明の機械の水晶部分から虹色の光が発射された。それは怪人の身体を一瞬で包んだかと思うと、五秒も経たないうちに怪人とともに消えてしまった。
「え、何今のっ……すごっ……ええっ?」
まるでCGを駆使した演出のようなものを目の前で見せられ、美江は疲れを忘れて興奮する。
現代の技術というものは、知らないうちにどこまで発達したというのか。
「黒沢さん。今のは一体何ですか」
「ああ、これ? この機械はね、一般には普及していない転送装置。これをパソコンで操作することによって、捕まえた怪人を本部の方に送るんだ。今頃怪人は本部の方で、ナーゾノ星に送り返す手続きをとられてるんじゃないかな」
「へえ……すごいですね」
転送装置だなんて、SF映画にしか存在していないと思っていた。
美江は科学の結晶であるとも言える機械に、しげしげと見入ってしまった。
「あ、そうそう。貴女に日当をお支払いしないと」
黒沢は事務机の引き出しから茶封筒を取り出すと、席を立って美江の元まで歩いてきた。
「約束通りの三万円と、重労働の分の迷惑料として二千円を上乗せしておいたから。これで勘弁してね」
「あ、ありがとうございます」
それに見合うような働きをしたとはいえ、ちゃんと苦労が評価され、ボーナスとして上乗せ分が生じたことに美江は感謝した。
現在収入がない身の上としては、これほど喜ばしいことはない。
「で、そろそろ本題に移るけど……ここに勤めてみる気にはなった?」
「えっ!」
しかし、このタイミングで黒沢から思いがけない不意打ちが飛んできた。
先程は怪人の出現によってうやむやになってしまった話であったが、黒沢の中ではまだヒーローの監視役の採用面接は継続していたらしい。
「さっきのアルバイト的な仕事で、監視役にコミュニケーション能力を求められていた理由がわかったよね。そして、どうしてこの仕事の給料がやたらと高いのかも」
「あ……」
今の一言で、美江は自分の中で全てがつながったような気がした。
「あの高給は、ヒーローに理不尽な言いがかりでむしられる額よりはマシってだけで決められたわけじゃなかったということですね」
「大正解。あんな奴と嫌でも関わり続けなきゃいけない人のために色々考慮して、その結果があのお給料。コミュニケーション能力に自信がある人を求めたのも、並の精神力の人じゃ僕みたいに胃を患いかねないからなんだよね。で、どうするか決めた?」
「そ、それは」
正直なところ、あの永山という男への印象は最悪だ。あんな奴とは、できることなら一秒たりとも関わっていたくない。おまけに、この仕事は自分が求めていた真っ当な職とはとても言い難い。でも、あの高給がどうしても魅力的だ……。
美江の心に、ぐるぐると葛藤が渦巻く。
「私は、その」
その迷いについて口にしようしたのとほぼ同時に、階段の方から足音が聞こえてきた。
美江と黒沢は、音の響いた方に視線を向けた。
「黒沢さん、先程はしつこいくらいに連絡をよこして下さってありがとうございました。そのおかげで、俺はあやうくスクーターの運転中に事故を起こすところでした」
「あっ……!」
なめらかな嫌味をスラスラ吐きながら現れたのは、高校時代から着続けていると思われるボロジャージを身にまとった永山であった。その姿が目に入るなり、黒沢の顔つきが険しくなる。
「それは、君が地域の平和よりもバイトを優先しようとしたからだろ。君が出るまでパソコンのキーを連打して呼び出し続けたもんだから、こっちは指が腱鞘炎になるかと思ったよ」
どうやら黒沢が永山を説得するのに用いたのは、ひたすら連絡を入れ続けるというシンプルな強硬手段だったようだ。
「腱鞘炎ねえ。それはただ、黒沢さんがお歳を召したせいで関節や節々が悲鳴を上げているだけなんじゃないですか。加齢性の肉体の衰えを、俺のせいにされても困るんですけど」
「か、加齢性って」
永山の辛辣な一言に、黒沢の頬がピクッと歪んだ。
彼はどうみても加齢を指摘される年齢にはとても見えないというのに、どうしてここまできつい物言いを平然とできるのか。
「ちょっと、今のはいくら何でも失礼でしょ」
永山の言いぐさに耐えられなくなった美江は、咄嗟に口を挟んだ。
「お前は確かあの時の……。会うのはこれで二度目だったか」
「厳密には三度目なんだけど」
「記憶にねえなあ」
どうやら永山は、KTHの入口で美江とすれ違った時のことは覚えていないらしい。
「記憶にないの? 別にいいけど。それより、さっきの黒沢さんに対する暴言。謝りなさいよ。どう見たって、加齢がどうとか言われる歳じゃないでしょ」
「はあ? 何言ってんだお前。この人はすっげえ若作りしてるけど、実年齢は」
「永山君、その続きを言ったらただじゃ済まないからね」
黒沢が、穏やかな美声で二人の会話を遮った。しかし、そのトーンに情の類は感じられない。
「ほほう、ただじゃ済まないとは。一体どんな職権乱用をするおつもりで?」
「それは、君のご想像にお任せするよ。ははははは」
黒沢は笑いながら答えたが、目が怖い。どうやら、年齢について触れられたくないようだ。
「まあ、このままこの話を続けていても無駄でしょうからこの辺りでやめにしましょう。俺は、そんなことよりもうんと大事な話をしに来たわけですから」
「給料の値上げならお断りだよ」
「残念。今回は特別手当の方ですよ」
永山はそう言うと、ちょこんと束ねている後ろ髪をいじりながらこう切り出した。
「今回の任務の遂行は、バイトの途中で行いました。その際に使ったスクーターが、怪人退治の時に破損してしまったんですよ。そのスクーターは店からの借り物でしてね、あの後店長から大目玉を食らいましたよ。ぎりぎりクビは免れましたけどね、スクーターの修理費を払うはめになりました。でも、それは怪人退治の時に破損したのだから当然KTHの方で払ってもらえますよね。ついでに、店長に怒られるはめになった俺の苦労に見合うボーナスもつけてくれると非常に嬉しいんですけど」
「ふーん。怪人退治の時にスクーターがねえ」
黒沢が美江に目配せをした。永山の話が、事実であるのかを尋ねているようだ。
「えっと……」
永山が怪人を退治しに来た時、確かに奴はスクーターに乗って現れた。だが、果たしてあの現場でスクーターが破損するようなことがあっただろうか。落ち着きながら、よく思い出す。
「……あ」
あの時、スクーターが破損するという事態は一応起きている。しかし、その原因は永山自身にあるではないか。
「あれはあんたが怪人をスクーターで跳ね飛ばしたから壊れたんでしょ! 時速何キロくらい出してたかとかまではさっぱりわかんないけど、借り物であんな非常識なことをする方が間違ってるわよ。あんたがあんなことさえしなかったら、絶対スクーターが壊れることはなかったわね」
「げっ。お前、そんなところまで見てやがったのか」
美江が厳しい口調で指摘すると、永山の額に冷や汗が浮かんだ。
「ほーう。怪人に攻撃されて壊れてしまったとかいうならともかく、自分の意思で故意的にやったことに対しては特別手当は出せないなあ。それは自己責任として、実費でバイト先にスクーターの修理費を弁償してね!」
「ぐぬぬぬぬ……」
黒沢に不謹慎なくらい満面な笑顔で言われると、永山は悔しそうに歯ぎしりをした。
端正でありながら冷たく鋭い三白眼で、美江にキッと睨む。
「てめえ、やっぱりKTHの回し者だったんだな」
「回し者じゃなくて、あんたの監視役よ。史上最低・最悪のヒーローを見張るためのね」
「ぐ、お、覚えてろよ!」
漫画などに登場する雑魚キャラなんかが言いそうな捨て台詞を怒鳴るように吐くと、永山が大げさに足音を鳴らしながらKTHから出ていった。
「ふんっ。あんな奴が地域の平和を守ってるなんて信じられない。黒沢さん、やっぱりあんなヒーローはクビにした方がいいんじゃ」
「……勝った」
「はい?」
何がですか。何に勝ったというのですか。
そう尋ねる間もなく、美江は黒沢に感謝の眼差しを向けられた。
「あの外道君に口で勝ったのは、本当に初めてだ。貴女がいなかったら、またあいつに言い込められるところだった。今回の勝利は、完全に貴女のおかげだよ。本当にありがとう!」
「ええっ」
初めての勝利ということは、今の今までは永山の理不尽な要求を涙を飲みながらじっと受け入れてきたということなのだろうか。だとしたら、何とおぞましいことなのか。
「もうこれは面接うんぬんとか、どうでもいい。ぜひとも、貴女にはここでヒーローの監視役として働いてほしい。言わば、これはスカウトだよ。お願い! あの外道君の監視役を引き受けて!」
「あ、いや、ちょっと」
自分よりずっと年上であると思われる相手に深々と頭を下げられ、美江はすっかり戸惑ってしまった。
ここまで監視役を誰かに懇願したくなるほど、黒沢はずっと永山に苦しめられてきたのだろうか。
「そんな。頭を上げてくださいよ。こんなことされても困ります」
「いや、貴女が首を縦に振ってくれるまで絶対に頭は上げない。何なら土下座でも……」
「それはもっと困ります! わかりましたから。ヒーローの監視役、引き受けますから」
「本当?」
「きゃっ!」
美江が根負けするなり、黒沢は尋常ならざるスピードで頭を上げた。
人間離れした反応速度及び変わり身の早さ、恐るべし。
「いやあ……こんなに喜ばしいのはもう何年振りだろう。娘が生まれた時以来かなあ。うう、これでKHTの財政も、この地域の平和も、僕の胃の平和も保証されたも同然だ。早速明日から、ここでのお勤めをぜひともよろしく!」
「は、はあ」
何だか今日一日だけで、自分の境遇が大きく変わってしまった気がする。
美江は困惑を表情に残したまま、軽く息をついた。
特撮ドラマの世界に出てきそうな怪人とやらがこの現代社会において当たり前のように存在していて、その怪人とやらを退治するための秘密組織的なものと、怪人を実際に打ち倒すヒーローもまた現実に存在している。そして、言わば一般人である自分が、そんな非現実的な世界の住人になりつつあるなんて。
……しかも、その地域の平和を守っているというヒーローが子供の夢をめっためたにぶち壊しそうなくらい最低というか、外道だなんて。
「何か、すっごく複雑……」
こうして、美江の常識では考えられないような日常が、否応なしに幕を開けることとなった。