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Ⅰ 笑顔の復讐者



 兄弟で殺し合うよう定められたしきたり

 抗えず歪められてきた代々の兄弟

 兄は弟を退け 弟は兄を討つ

 親族の返り血に汚れてきた一族

 そんな歴史 俺が覆す


――――


 全て守ると、誓った。

 この世に生を受けたことで、生きていることで、知らず知らずのうちに、退け、傷つけた命があった。時には、失われた命でさえ。それに気付いたときには、もう、遅かった。取り返しのつかない事態になって、誰にも、どうにも、償いの出来ないことになってしまっていた。俺に出来るのは、残されたものを、それでも生きている命を、守ると誓うことだけだった。誓うことしか出来なかった。守るために磨いた剣も、政治や策略も、いつだって使う前に事態は終わってしまった。

 やがては王竜となるのだから。王族なのだから。剣を抜く必要はない。守るべきものなどない。守られるべき存在なのだから。父の庇護が、周りの献身があったからだ。そうして俺の後悔は積み重なっていく。

 だからもう俺は、従わない。誰かが俺を守って死にかける前に、俺が死地へ飛び込むのだ。

「ロート様、しっかり掴まっていてくださいね!」

 王城は広い。エイブラハムの常駐する王座の間までは長い。従者グリューンは俺の命を狙ってきた気弱な雌竜。雄竜の俺をも越す長身の持ち主だが、前髪で顔を隠して人の影に隠れているほど気が小さい。そんな彼女も今や蛇状の紺碧の竜形態。俺を乗せ、王座の間まで飛ぶ立派な従者だ。恐怖もあるだろう。死ぬかもしれない。それでも彼女は、この速さで俺の父の元へ向かってくれている。普段は臆病だが、こういうときにはえらく肝が据わっているところを見せる。流れていく見慣れた城内の光景は、非日常の一色に染まっていた。消えかけの衛兵竜の死体(竜は通常、生体活動が止まるとその体は消えて魔素に還元される)。血だまりと服だけが無惨に続く。時に凍った壁や床、衛兵竜そのもの、何か鈍器で陥没したらしい壁や床は、侵入者の正体を物語っている。ブラウは言っていた。カルト王国の『雷を纏う者』『吹雪将軍』。少なくとも後者は、いると見ていいようだ。唾を飲み込む。きっと強い。人間とは言え、俺が竜であるとは言え、勝利は難しいかもしれない。

 それでも、失いたくはなかった。父は嫌いだ。だからといって死んでほしいわけではない。それに、父の命は俺の大切なもの全ての象徴……父の命が失われれば、全てが崩れ去る。そんな気がした。

 二人の衛兵竜が守る王座の間への扉。二人は己の血だまりに伏していた。まだ体は残っているので、斬られてからそう時間は経っていない。けれども、身動き一つしない。勤勉さを買われてここの配置になった。片方には最近娘が産まれたと聞いたし、もう片方は所帯を持っていて、ここの配置を誇りとしていた。グリューンは人形態に戻ったが、怯える素振り一つ見せない。俺は彼女を振り返る。彼女は頷いた。俺も頷く。意を決して、扉を開け放った。

「よォ」

 息が止まる。目が見開かれる。総毛立つのを感じた。赤絨毯の先。王座。その中間にいた男。その右手に握られているもの。奥歯を噛み締める。手を握り締める。瞬間感じた恐怖はふつふつと変わる。怒りがこみ上げる。憎しみとも表せる。

「カワイイカワイイ、俺の甥っ子よ」

 憎悪を込めて睨む。まるで嬉しいかのように、男はエメラルドの瞳を細めて、歪んだ笑みを浮かべた。緑とも金ともつかぬ髪を散切りにしているかと思えば、後頭部からは一本に束ねた毛が伸びている。青磁色の、サイズを誤ったような、ぶかぶかのシンプルなロングコートを纏ったその男は、小柄だった。男は右手に掴んでいたものを捨てると、それは呻いた。すぐに起き上がると、俺を見て吠えた。

「慢心も大概にしろ! ここに来るまで、お前が出来ることなど何もないのが何故判らなかった! さっさと――」

「うるせぇよ、オトーサン」

 男はそれを……俺の父を、エイブラハムの腹を蹴った。言葉は断たれたが、それを聞くつもりは毛頭ない。俺は黙って剣を抜く。敵は一人ではない。ロングコートの男の他に、血で汚した大刀を泰然と立てている大男、右手に青、左手に赤の刀身の刀を持ち背筋を伸ばしている細身の青年、人間にはとても持てそうにはない巨大な槌を肩に担ぐ男、離れたところで棒立ちしている黒ずくめ。総勢五人だ。ロングコートの男――恐らく自称守護神マシューだろう――と黒ずくめ以外の三人は、カルト王国の緑の軍服を着ている。

「ロート様」グリューンが静かに耳打ちをしてくる。「マシューはお分かりになったと思いますが、あの大きな刀を持っているのが雷を纏う者クレハ、二刀流が吹雪将軍アラートかと」

 大男……クレハに視線を移す。無造作に伸ばした鳶色の長髪は項で一つに束ねているが、長い前髪と長いタートルネックで顔は目元しか露出していない。じっとりとこちらを見つめている。二刀流……アラートに目をやる。耳の下辺りで切りそろえた銀髪にブルーアイズ。マシューやクレハに比べて、端整な印象だ。涼しげな顔をしている。目が合うと、うっすらと笑んだ。

 二つ名が広まっていない、ということは、先ほどのクレハやアラートに比べれば、まだ弱いということだろうか。しかし、あの大槌は異常な大きさだ。ポニーテールは茶髪で、ヘアバンドまでしているため顔がよく見える。クレハやアラートに比べれば、決して若くはない。男は不敵な笑みを浮かべている。黒ずくめは棒立ちしていて何をする者なのか、何をするつもりなのかは皆目検討もつかない。一つだけ言えるのは、出会った当初のグリューンとどことなく似ているということか。

「どーだ、驚くのは済んだか? うちの精鋭だ」

 マシューは両手を広げる。顔に満ちた誇らしげな笑みは、優勢への自信か。剣を強く握る。

「想定内だ」

 唸るような低い声が漏れる。恐怖などは捨ててきた。マシューを鋭く見やる。

「それで?」

「何だ」

「こんだけいんのを分かってて、二人で来たのか?」

「……ああ」

「ぷっ……くく、ヒヒヒヒヒッ、ハッハッハッハッハッハァ!」俺は極めて真面目に返答をしたはずだが、マシューは耐えきれなかったらしく、大笑いを始める。こちらを向いた人差し指には、嘲笑の意が色濃く現れている。「慢心も大概にしろってぇ! 確かに! その通りだなぁ! エェ? オトーサンよぉ! カーワイソーに! あんだけ手塩にかけて育ててきて、こんなバァカに育っちまったのか! ヒヒヒヒヒッ! こりゃあ傑作だ! オトーサンがバカなら子もバカ、失踪者捜索者が失踪者になるってなぁ! 見ろよオトーサン、お前のカワイイカワイイ我が子は、お前愛しさに一緒に死にに来たぜ!!」

 再び起きあがったエイブラハムを振り返り、マシューは肩を震わせている。ひどい嫌悪感が心を満たした。今すぐ床を蹴って斬りかかりたいと体が騒いだが、従ったが最後、俺の命はない。

「あんたの目的は何だ」

「……ここまで来てわかんねえの?」

「王竜とその嫡子を狙った理由を聞いている」

「国を滅ぼす以外の理由があるように見えるか?」

「それだけなら自慢の手勢に任せれば済んだ筈だ」

「回りくでえなあ、つまり?」

「……守護神だとか騒がれているあんた自身が、敵地の中心に、こんな少人数で乗り込んできた理由を聞いているんだ」

 マシューだけではない。エイブラハムも、近くにいたクレハやアラート、大槌男でさえも、目を丸くした。顔色一つ変えないのは黒ずくめだけだ。俺とグリューンだけがこの場で異質だった。

 納得が行く筈がない。確かに、人間に比べて竜は強い。肉体的にも魔力的にも圧倒的に勝っていることが多い。だから、人間の中でも特に強いコマを仕向けてくるのは理解できる。しかしそんな危険ばかりの敵地に、わざわざ『総大将』が率いて出てくるか。兵の士気、統率、様々問題はあるだろうが、それらのためだけにお国の守護神を危険に晒すだろうか。そもそも守護神は死ぬかどうかも分からないが、少なくとも我が国ならば、竜神ベアトリスを国外に連れ出したりはしない。どう考えてみても、守護神とか呼ばれているマシューというあの男が、この場に存在している説明がつかない。

 黙って睨み続けていた俺の心情を察したらしい。マシューは俺に体を向けると、口の片端をつり上げ、腕を組んだ。

「ははあ、なるほど」

 マシューは一人で納得し、一人で頷いている。その後ろのエイブラハムは何故あんなにも驚愕の一色に顔を染めているのか。

「お前の反応を見て、俺も今合点が行った」

 歪んだ笑みに一瞬垣間見えた愁い。しかしそれはすぐに影を潜める。その後ろのエイブラハムは何故あんなにも顔を恐れに染めていくのか。

「やめろマシュー! 狙いは私の命と領土だろう!」

「それだけじゃねえけどな!」

 怒鳴るエイブラハム。振り返り様、マシューは腕でエイブラハムの顔を殴った。エイブラハムは床に倒れ込む。きっと体はもうぼろぼろなのだ。それでも立ち上がりマシューに襲いかかる。軽く腕で受け流される。再び床に飛び込んだエイブラハム。マシューはその体に歩み寄る。腹部に数回蹴りを入れた。体を震わせる。小さな呻き声。びくん、と俺の体が動いた。けれども飛び出さなかった。グリューンが俺の腕を引いたおかげだ。ダメだ。まだ、ダメだ。

 気が済んだのか。エイブラハムを蹴り終えると、その頭に足を乗せた。エイブラハムはこちらに背を向けて横たわっているため、顔は見えない。今度こそ床を蹴ろうとする。それよりも先に、マシューは顔を上げて俺と目を合わせた。

「よく聞け温室育ち」

 父以外の者に、上座から見下されるのは初めてだった。その初めての顔は、悲哀と、憎悪と、憤怒と、愉悦と、快楽と、慕情と、多くの感情が混じり合い、相生し、相剋し、生まれたり消えたりするうちに、わけがわからなくなって、区別が付かなくなったために生じたような、あまりに空虚で、気味の悪い、歪みきった笑みだった。瞬間、理解した。この男は、殆どの感情を笑顔で済ませる男なのだと。例え喜ぼうが、怒ろうが、悲しもうが、楽しもうが、この男は笑って喜び、笑って怒り、笑って悲しみ、笑って楽しむ、そんな男だ。何もかもが詰まりすぎて、空虚になってしまったひどく歪んだ笑みが、すべてを語ってしまっていた。この男の異様さに気付いたときには、既に遅かった。

「俺は、こいつの弟だ」

 事実はもっと、異様だった。

「戯れ言を」

 辛うじて出たのは陳腐な言葉。誰にでも言えるありきたりな文章だ。だって俺は、弟がいるような話を、父から聞いたことは一度たりともない。俺の父エイブラハムにきょうだいがいたという記録はない。ただ、一人っ子だったと。体は弱かったが、先王のたった一人の世継ぎであったため、王座を継いだ、と。誰しもそう言うし、どの本にもそう書いてある。

 怒りがふつふつとこみ上げる。

「そんな記録はこの国にはない!」

「なるほどォ、記録も抹消したわけかぁ」

 俺の荒らいだ声に一切動じることなく、マシューが歯を見せた。抹消された筈もない。本だけならまだしも、そんな話を漏らした家臣は見たことがない。目の前の悪辣な侵入者の言い分を裏付けるほどの確たる証拠はない。その話には説得力など皆無の筈だ。なのに何故か、納得してしまいそうになる、この力は何か。

 視線が一度赤絨毯に落ちる。浮かび上がるエイブラハムの顔。俺とブラウの過去。ああ、あのときのエイブラハムは、気持ちを押し殺した、苦しく、悲しい色を、微かに声音に、滲ませていた気がする。遠き日のエイブラハムの愁いを帯びた微笑。恐る恐る視線を上げる。横たわるエイブラハム。マシューの足。青磁色のロングコート。白い歯。エメラルドグリーンの瞳。緑がかった金髪。


 この男は、何故こんなにも、俺の父に似ているのか。


 あ。思わず声が漏れる。マシューは更に目を細める。ますます嬉しそうだ。こんなにも正反対の顔をするのに、何故。

「審判の崖」マシューは一言、単語を言い放つ。俺の聞きたくない単語。最も忌み嫌う場所。憎悪する記憶。「思い当たるフシがあんだろ、ロート兄ちゃんよォ?」

 衝撃に言葉を失う。消し去りたいと憎悪した過去。その中の俺と弟。悲しげな父。消えてほしいと懇願する現在。目の前の父と男。取り乱す父。弟を自称する男。

「三百年前! この国の王座を! この国の居場所を! 生きる道をかけて! お前と決闘し! 敗北し崖から落とされ! 死ぬことも許されなかった!!」声の限界に挑むような、興奮に身を任せた叫び。マシューは壮絶な笑みを見せた。「哀れな哀れな、現王竜エイブラハムの弟だよ!!」




 ――――『審判の崖』。

 そこは、罪人を裁く場所。生まれてきてはいけなかった命と、生まれてきてよかった命が、判別され、より分けられる場所。二人行って、一人だけが帰って来られる場所。

 竜の国チャロアイトを守護する竜神ベアトリス。審判の崖は、彼女の目が届きやすい場所とされている。ベアトリスの目に付く場所に、罪人を連行し、生きてもよい命か、死んでもよい命か、彼女に選んでもらうのだ。同じようにして、内紛に発展しそうな王族も、幼い内から争いの芽を摘むべく、審判の崖に連行され、誰が王座を継ぐにふさわしいか、ベアトリスに見定めてもらうための儀式を執り行う。

 例えば、力の差の真逆な兄弟。気の弱すぎる兄と、気の強すぎる弟。王竜の妃竜の子と、妃竜以外の子。そして、双子の兄弟。

 儀式の対象となっているにも関わらず、儀式を執り行わずに成長させた場合、ベアトリスの守護は絶え、竜の国チャロアイトは滅亡する、という一文まで残されている。

 俺とブラウも、例外ではなかった。無論俺たちは、王竜エイブラハムの妃竜フェリシアから生まれた双生児である。俺は武術を、ブラウは書物を好んだが、等しく存在を尊ばれた、平等で平穏な兄弟だった。ブラウも常々、兄さんが王竜になるんだ、兄さんこそが王竜にふさわしい、そんな兄さんの下で働けるようになるのが嬉しい、と語っていた。しかしそれを愚直に信じられるほど、俺たちの父は純真ではなかった。

 十年前のことだ。俺たちはいきなり、エイブラハム直々に、数人の従者や近衛兵を伴い、森の奥へと導かれた。森を突き抜けた先の、晴れ晴れとした青空と見慣れぬ崖。崖の先には森林が広がっていて、その先は俺たち竜にとって不慣れな土地……未開の領域か人間の国の領域であることは、推して知れた。

 告げられたのは、紛争の芽を摘むための儀式の内容であった。幼い俺には、将来、お前たちは政争で国を疲弊させることになるから、今の内に片方を殺しておけ、そのための、儀式の内容である、決闘という正当な装束を纏った、ただの殺し合いとしか思えなかった。実質、そうなのだろう。決闘では、武器も魔術も使用可能。ベアトリスに祝福されたものが勝ち、負けたものはその崖から落とされる。

 ベアトリスの見定めも祝福も、名ばかりのものだ。詠唱を必要とする魔術を得意とするブラウに対し、剣を磨いてきた俺。結果は生まれたときから決まっていたのだ。ろくに扱えもしないのに握りしめた剣をブラウの手から弾き、詠唱する時間も与えない。俺の圧勝だった。

 ブラウが涙を目に湛えながら、崖の先端に立つ。あのときの、残酷なまでに優しい故に悲しい笑顔を、俺は一生忘れないだろう。ブラウの足が地面から浮いた瞬間。体を動かしたのは一筋の電撃だった。

「やめろロート! 何をやっている!」

 気がついたら俺は、ブラウの腕をしっかりと握っていた。エイブラハムの怒号。ブラウの涙が溢れ出した。ブラウの足下に広がる深林。魔素が停滞して、凶暴な魔物が発生していてもおかしくない未開の領域。いくら竜と言えども、落ちて命を拾える高さではないと感じた。 

「黙ってください! そういうお父様は俺達に何をやらせているんですか!」

 ブラウは意外と持ち上げられない。視界の端で、足場がぱらり、ぱらりと、小石になって崩れていく。

「やめて、ロート兄さん! 離して! このままじゃ兄さんも落ちてしまう!」

 離せと懇願する割には、相も変わらず青い目から涙が筋をつくっている。そうはさせない。俺は腕に力を込めながら怒鳴った。

「ブラウも黙れ! 双子はなぁ、兄弟はなぁ、殺し合うものじゃない! 一緒にいるものなんだよ! お父様に、決めさせるものか! 俺達双子は、俺達兄弟は、一緒にいるものなんだ!」

「一緒にいてはいけないから、こうして殺し合わせたのだ!」

「一緒にいてはいけない理由って何なんだよ! そんなのお父様の都合なんだろ? 俺達を巻き込むな!」

「双子が生まれた場合、そのどちらかを崖から落とし、王位継承権を持つ者を片方に絞らねば、竜神の守護が絶え、国が滅ぶとされる……! お前達はチャロアイトを滅ぼすつもりか!」

「片方が王位継承権を持たなかったらいいんだろう! じゃあ、ブラウは俺の従者でいいじゃないか!」

「何を言って……」

「どうせ、王族のブラウはいなかったことになるんだろう……! なら、王族のブラウは始めからいなかった! 俺と同じ日に生まれたのは、王位継承権を持たない、俺の弟のブラウだ!」

 ブラウの腕が滑り落ちそうになる。俺の腕も限界だった。離れる方がずっといやだ。一緒に落ちても構わない。それでも、母様の待つ王城に、二人で。吠える。渾身の力を込める。瞬間、何かが俺に被さった。体を打つ強い風が止み、温もりを感じる。次の瞬間、ふわり、と体が軽くなった。気がついたら、崖の根元にいた。俺とブラウとエイブラハムの三人で、息を切らしてへばっていた。あんたが出ていかないでください、だとか、ご自分の立場をわきまえてください、だとか、誰かを叱る家臣たちの声がした。




 あのときの父の、今にも泣きそうな、少年のような顔。後悔するくらいなら、気が進まなかったなら、しきたりに抗えばよかったのに。俺は父を、どうしようもない時代遅れの愚物を見るような目で見ていた。あれは、とんだ勘違いだったのかもしれない。

「父様の……弟……」

 掠れる声が漏れる。エイブラハムに目を泳がせる。依然としてエイブラハムは俺に背を向け、マシューに踏み倒されたままだ。

「じゃあ、あんたも……」胸を襲ったのは、憤怒かもしれない。或いは憎悪。或いは嫌悪。或いは虚無感。或いは憐憫。「俺にさせたことを、あんたもしてたのか……」

 剣を握る手が震える。誤魔化すように足を動かした。今度はグリューンの制止も意味を成さなかった。

「悲しみも、後悔も、なかったのか……?」

 悲嘆の滲む声が震える。これは問いではない。希求だ。

「お前が生きていることを」エイブラハムの声は細い。衰弱という身体的な理由でも、感情という精神的な理由でもあるだろう。「ずっと、願っていたよ」

 蚊の鳴くような音量ながら、極めて安らかな声音だった。心を支配していた陰りが晴れる。ならば何故俺にそうさせたのかという問いの一つも叩きつけたいが、今は素直に、助けるほどの価値もない雄竜でなかったことを喜ばしく思った。マシューの刺々しい壮絶な笑みも消え、和解が成るのだろう。ささやかな希望を込めてマシューに視線を上げた。

「黙れッ!!」

 激しい怒号が轟く。広い王座の間にそれは響いた。マシューは目を見開いてエイブラハムを見下ろしていた。一時の安堵が一瞬で緊張に豹変する。

「随分迷いのない行動だったと記憶しているがなァ? オメエに貰った傷は結局治らなかったぜ? 中途半端に落とされて、中途半端に死にかけて、死んでも死にきれず、生きようにも傷は深く、一命を取り留めても、泥水すすって身売りの生活だ。オメエが俺の生を願って生きてきた三百年間は、俺がオメエの死だけを願って生きてきた三百年間だ。……これだけやられても、まだ感動の再会に出来ると思ってんのか?」マシューは懐から緑の粒を取り出し、エイブラハムの上に撒いた。「強靱ナル蔓、緊縛セヨ」

 粒は種であった。何らかの植物の種を魔素とし、マシューは魔術を使ったようだ。緑色の蔓が瞬く間にエイブラハムをがんじがらめにした。これは宣戦布告だ。俺は床を蹴る。マシューめがけて剣を振り上げる。受け止めたのは大刀。クレハだ。いつの間にそこに。驚く暇もない。あっけなく俺は弾かれる。着地をするのもやっとだ。よろけたところをグリューンに支えられる。あの男、とんでもない怪力らしい。きっと睨む。マシューと目が合った。

「話を戻してやろう、よく聞け。俺の目的は復讐だ」

 俺の前にグリューンが立つ。両手にパタを構えた。

 マシューの前にクレハとアラートが構える。大槌男と黒ずくめはマシューの後方……エイブラハムの傍に立った。

「安心しろォ、オトーサンは殺さねェからよ? 五兄妹だってェ? あとその従者? 殆どが先祖代々の家臣なんだってなァ? ノワール、ノワールもいんだろォ? ヒッヒヒ、目の前で一人ずつ嬲り殺していってやるよ! 目も耳も閉じさせてはやらねェぜ! 女子供は侍らせてもいいなァ? 俺、かわいい子供好きなんだよ。見たぜ、長女と次女。オメエの嫁に似てるなァ? 幸せだっただろうなァ? 三男だったか、あいつもまだかわいい時期だよなァ? かわいい内に雌にしとくのも悪くねェな! カルトには性転換技術もあるんだぜ! 雄の証を取り去って飼い殺しにしてやるよ! 長男と次男……お前が長男か、ロートか。虫酸が走るんだよ、お前。ヤロウには興味ねェから、目の前でゆっくり殺してやろうかと思ってたが……悪くはねェな? お前も雌にして、俺の傍で飼ってやろうか。ヒッヒヒ、たまんねェなァ、なァ、オトーサンよォ……?」

「あああぁぁぁぁ!」

 何も策はない。この激昂も相手の術中にはまるだけだと気付いてはいた。体に走った悪寒が全てを乗っ取った。この男は、死んでいるべき男だ。生きていてはよくない命の持ち主だ。雄叫びを上げながら駆ける。グリューンが先回りする。クレハを封じようとしたようだ。しかしグリューンの刃をアラートが止めた。横で鳴る金属音。マシューに寄るでもなく、やはりクレハが立ち塞がる。左から流れる斬撃。まともに受け止められはしない。前に飛び込む。すぐに体制を立て直しクレハに向く。クレハの対応も遅くはない。既にこちらを向いている。睨み合いが始まる。リーチはあちらの大刀の方が長い。速さと手数ではこちらが勝っている。一気に踏み込む。クレハの反応が遅れた。とった。力を込めて剣を突き出す。心臓を突けば人間は死ぬ。

「なっ……」

 剣が止まった。クレハの左胸に接したところで。無論服を貫いてはいる。少しの肉の感触もある。骨に当たったか、そんな馬鹿な。明らかに堅い何かに接触した。剣はそこで止まった。クレハも馬鹿ではない。俺は諦める。すぐに後ろに跳ぶ。俺のいた場所をクレハの大刀が薙いだ。

 何がおかしい。硬質の薄い鎧でも下に着ているのか。少しでも情報を得なければまずい。クレハの観察を始めた瞬間、答が分かった。この近距離にならなければ分からない。タートルネックで隠した頬から、緑がかった肌が見えた。鱗だ。

「そう驚くな」クレハの声は至って静かで落ち着いていた。タートルネックを直す余裕さえ見せる。「……俺は、竜じゃない。かといって人間でもない」

 俺はその答を知っている。この男は竜でなく人間でもない、しかし竜である俺を上回る腕力を振るい、人間には似つかわしくなく、竜では隠せるようになる鱗を露わにしている。この男は竜と人間のハーフ、竜人だ。竜人には時に、人間はおろか竜でさえも凌ぐ身体能力を発揮する者がいる、と聞いた。小難しいことは覚えていないが、肉体を得た利点だったか、遺伝だったか。

 口の片端がつり上がる。油断していたわけではない。しかし、想定を上回るコマだ。あの『雷を纏う者』が外れ者だったとは。しかも、刃は利かないと来た。ならばどうするか。得物は剣しかない。魔術など、そんなもの魔術と呼びませんよ、とブラウが鼻で笑いそうな簡素なものしか使えない。しかも俺の対応属性の火の魔素は、周辺にはない。体術は手を伸ばしている内にあの大刀で真っ二つだろう。剣しかない。今は亡き想い人の軍用サーベル。右手で握り締める。鱗があるなら打撲でいい。鱗がない頭を狙え。

 今度はクレハが来た。一歩が異様に大きい。一気に間合いを詰められる。大刀は長い。重い。それでいて早い。辛うじて右に避ける。床に擦れる大刀。耳障りな金属音。大刀の峰に足をかけた。剣を頭部めがけて振り払う。まただ。また堅い手触りがした。確かに頭部だった筈だ。剣の先には手があった。クレハの右手だ。甲で剣を止めている。驚愕に再度声を漏らしそうになる。そんな暇も与えない。途端に天地が逆転した。ように感じた。気が付くと宙に放り出されていた。乗りかかった大刀を振り切り俺を放ったのか。空中で体勢を直し、床に着地する。こちらも暇は与えない。すぐさま床を蹴る。跳びかかり様、やはり頭を狙う。今度は大刀で受け止められた。そのまま振り払われる。持ち直した瞬間に気付く。背後は壁に近い。後ろには退けない。大刀が振ってくる。避けられない。剣を頭上で横に構える。見た目以上の重さだ。両手が痺れる。歯を食いしばる。反撃を伺って必死に抗う。しかしこれを振り払える気はしない。

 ぱち、と、静電気のような音がした。気のせいではない。クレハを何とか見上げる。彼は口を開くところだった。

「紫電刀」

 魔術の一種か、思考を巡らせるまでもなかった。強い衝撃。体が強ばる。すぐに脱力した。剣を落とす。無様にも足腰は頼りにさえならなかった。その場にへたり込む。

「あっ……き、貴様……」

 舌も痺れている。まともな言葉も発せられない。今なら斬りかかれるのに。それほど隙だらけでクレハは目前で棒立ちを披露している。

「『雷を纏う者』だったか、俺の二つ名」やはりその声は淡々と落ち着いている。俺を見下す目は驚くほど静かだ。「年中静電気を帯びていそうで、あまり好きではないな」

 痺れが収まってきた。座っている方が余程情けない。剣を拾う。震える足を奮い立たせる。目前のクレハは大刀を振り上げていた。辛うじて握っている程度の剣を横に構える。

「雷を纏っているのは、こちらの方なのだが」

 再び手を痺れが襲う。手だけではない。全身だ。とうとう立っていられなくなった。膝から崩れ落ちる。遠くで金属の甲高い音。俺の剣があんなに遠くに行っている。背中の壁が冷たい。何かがこみ上げてきた。耐えきれずに吐き出す。赤い。血だ。剣を飛ばされたとき、俺も斬られていたらしい。右半身を痛みが襲う。朦朧とする意識を叩き起こしクレハを見上げる。誰かがクレハを強く蹴ったようだ。音がした。そこにクレハはいなかった。エメラルドの瞳。涙をいっぱいに湛えている。

「ロート様! しっかりしてください!」グリューンが助けてくれたらしい。痛みと意識が温かに包まれるのを感じる。簡素な治癒魔術を使っているらしい。「ごめんなさい、お守りできなくて、ごめんなさい……!」

 意識がはっきりとしてくる。まだ子竜とはいえ、俺も竜だ。この程度の怪我ではまだ致命傷には至らない。顔を上げる。少なくとも俺たちが相手にせねばならないのはクレハとアラート。クレハは壁に突っ込んでいたらしい。その程度はどうってことないといった様子で遠方で立ち上がっている。アラートはクレハのような装甲持ちではないらしく、所々に血が滲んでいる。もちろんグリューンも無傷ではない。目の前でしゃがみ込んで泣いている従者の頭を撫で、顔を緩める。

「お前を従者にするべきでなかったな」グリューンが顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。小心者だから、滅多に目が合うことなどない。きれいな目だ。丸く見開かれている。「一緒に死んでくれなんて、言えない」

 傍らにあった剣。グリューンが持ってきていたらしい。即座に手に取る。立ち上がる。大きく踏み出す。アラートの剣を受け止めた。こちらはまだ軽い。いつ近付いてきていたのか分からないほどの、その速さの方がむしろ危険ということか。そのまま振り払う。アラートは素直に打ち負かされ後退した。クレハがゆっくりと歩み寄って来る。グリューンも立ち上がり、俺の背に背を向けて立った。クレハと並ぶのではないか、と思えるくらい、長身の雌竜だ。

「ロート様がわたしの主で本当によかった」ふふ、と笑い声をこぼす。この死地だというのに、晴れやかな声音だ。「死ぬ瞬間までロート様と一緒なんて、これ以上の幸せはないもの」

 は、と乾いた笑い声が漏れる。アラートを睨む。涼しげな笑みを浮かべている。負けじと笑みを作ってやる。剣を握り締める。慢心で身を滅ぼす愚かな主を許してくれ。

「一緒に死んでくれ、グリューン」



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