2.パック開封と狂気のラブレター
「……はぁぁぁぁぁぁぁ、疲れたぁぁぁ……」
オブシディアン公爵邸、セレスティアの私室。
私は窮屈な夜会用のドレスを脱ぎ捨て、着心地の良い部屋着(前世の記憶を頼りに作らせたスウェットのようなもの)に着替えると、最高級の羽毛が詰まったソファーに深く沈み込んだ。
先ほどの卒業パーティーでの『婚約破棄コンフリクト』。
無事にルキウス殿下を1ターンも動かさずに完封し、完全勝利を収めることができた。
(……いやー、心臓止まるかと思ったわ!最初のドローで『魔力枯渇の宣告』と『破滅の闇』を両方引けてなかったら、あの脳筋ドラゴンに蹂躙されてたかもしれないし。それに相手が『強制反転』に対する解答を持ってなくて助かった。やっぱり妨害デッキは初期手札の要求値が高いのよね……!)
私はソファーでゴロゴロと寝返りを打ちながら、ガチ勢特有の「もしあの時相手が山札から逆転カードを引いていたら(トップ解決)」というタラレバの恐怖に、今更ながら身震いしていた。
「お疲れ様でございました、お嬢様」
そこへ、私の専属メイドであるアンナが、湯気を立てる紅茶のカップを銀のトレイに乗せて静かに入ってきた。
「それにしても、あの発情した豚……いえ、第一王子殿下。お嬢様の神聖なるプレイングを前にして、あろうことか『結婚してくれ』などとほざくとは。……やはり、あの場で私が喉笛を掻き切っておくべきでした。私のワイヤーならば、あの豚が悲鳴を上げる間もなく首を落とせましたのに」
アンナは完璧な淑女の笑顔を浮かべながら、その右手で果物ナイフをクルクルとペン回しのように回転させている。
……危ないからやめなさい。
「いいのよアンナ。所詮は敗者の戯言よ。それより!アレはどうなった!?私が予約しておいた例のブツは!」
私がガバッと身を起こして問い詰めると、アンナはナイフをスッとエプロンの裏に隠し、恭しく一礼した。
「抜かりはございません。お嬢様が首を長くしてお待ちだった代物……こちらに確保しております」
アンナが恭しくワゴンを押してくる。
その上に鎮座していたのは、黒と紫の禍々しい意匠が施された、真新しい未開封の箱。
本日発売の新弾拡張パック――『深淵の魔神箱』。それも、公爵家の財力に物を言わせた、堂々のカートン(15箱)買いである。
「キタァァァァァァッ!!」
私は公爵令嬢としての矜持も、悪役令嬢としての仮面もかなぐり捨て、ワゴンに飛びついた。
これだ。この箱を覆う薄い透明なフィルム。この手付かずの純潔を破る瞬間こそが、カードゲーマーにとって至高の快楽なのだ。
「フフフ……。アンナ、ハサミを」
「はい、お嬢様。消毒済みの聖なるハサミでございます、ですが婚約破棄の件、旦那様にご報告しなくてよいのですか?」
私は震える手でハサミを受け取り、丁寧に、カードを傷つけないよう箱を開封していく。銀色に輝くパックの束が、ズラリと顔を出した。
「そんなのあとでいいわよ。それよりも!ああ……いい匂い。この印刷されたばかりの魔導インクと、紙の匂い……!これを嗅ぐと、生きてるって実感するわぁ」
私がパックに顔を近づけて深く息を吸い込むと、アンナも後ろでウンウンと感動したように頷いている。
「ええ、分かりますお嬢様。その真新しい紙の匂い……まるで、敵対者の血を抜き取った直後の、新鮮な鉄の香りのように芳醇ですね」
スンッ
「アンナ、例えがサイコパスだからやめなさい」
私は早速、記念すべき1パック目を手に取り、封を切った。
カードの束を取り出し、一番後ろにある高位カードを見ないように、前から1枚ずつスライドさせて確認していく。この「じらし」がたまらないのだ。他のカードゲームだと一番前にレアが配置されていたりすることもあるが、その場合は裏返しにして一番前のカードを一番後ろに持っていく、それもまた乙なものだ。
「……一般、一般、おっ、これはマナ加速に使える汎用魔法カードね。……そして、最後の一枚は……!」
親指に力を込め、最後のカードを横にスライドさせる。
キラリ、と特殊加工されたカードの輝きが目に飛び込んできた。
「特級の魔法カード『貪欲なる知恵』!よしよし、悪くない滑り出しよ!条件付きとはいえ、2枚ドローの手札補充は私のデッキの生命線だからね」
私はホクホク顔でカードを魔導スリーブ(保護フィルム)に収納する。
この『深淵の魔神箱』には、現在環境トップと言われている強力な対策カードが収録されている。私が狙うのは、その最高位である『幻想級』仕様の一枚だ。
「来い……! 私の盤面をさらに強固にする、最凶の誘発魔法……『絶対拒絶の宣告者』……!」
私は無心でパックを剥き続けた。
ビリッ、スッ。ビリッ、スッ。
部屋の中に、パックを開封する小気味良い音だけが響き渡る。
そして、5箱目の終盤。
「……ん?」
カードをスライドさせた指先が、ピタリと止まった。
一般カードの裏から見えたのは、ただのキラキラではない。カードの枠までが特殊な加工で虹色に輝く、圧倒的な存在感。
「――ッ!!キタァァァァッ!!」
私は椅子から飛び上がり、そのカードを高々と掲げた。
「アンナ見て!引いたわ!幻想級の『絶対拒絶の宣告者』よ!!ふふふ......これで私のデッキは完成した!相手が息をする事すら許さない、完璧な盤面制圧が可能になるわ!!」
「おめでとうございます、お嬢様! さすがはお嬢様の御手。神に選ばれし『剛運』の持ち主でございますね!」
アンナもパチパチと拍手をして喜んでくれる。私は歓喜に打ち震えながら、そのカードを最も高級な硬質スリーブに入れ、胸に抱きしめた。
(あぁ、最高……。婚約破棄されたことで、これからは面倒な王宮の行事に出る必要もない。このカードたちと一緒に、領地で悠々自適にコンフリクト三昧のスローライフを送るのよ……!)
私の輝かしい未来のビジョンが、完璧に構築されたその時だった。
コンコン。
控えめなノックの音と共に、執事長が部屋に入ってきた。その手には、銀のトレイに乗せられた一通の封蝋された手紙がある。
「お嬢様。夜分遅くに申し訳ございません。先ほど、王宮より急ぎの『親書』が届きまして……」
「王宮から?ルキウス殿下から?」
私は不機嫌に眉をひそめた。
パック開封の至福の時間を邪魔された上に、差出人があの脳筋王子とくれば、不快指数はMAXだ。
「どうせ、負けた腹いせに『あのコンフリクトは無効だ!』とか『精神的苦痛の慰謝料を払え!』とか、そういう類のものでしょう? 負け犬の遠吠えね」
「お嬢様。そのような汚物、読まずに私が暖炉の火にくべておきましょうか?」
アンナが手紙をトングで摘み上げようとするが、私はそれを制した。
「一応、目だけは通しておくわ。公爵令嬢としての義務だからね」
私はペーパーナイフで封を切り、中の便箋を取り出した。
王家の紋章が入った最高級の羊皮紙に、ルキウスの流麗な筆跡で文字がびっしりと書き込まれている。
私は、冷ややかな目でその文面を読み始めた。
『――親愛なる我が絶対の支配者、セレスティアへ』
「……はい?」
一行目から、私の脳の処理能力がフリーズした。
し、支配者? なんだその書き出しは。
『今でも、君のあの冷たい瞳が忘れられない。私のロマンを、誇りを、王家伝来の『白銀の双頭竜』を、容赦なく除外領域へと叩き落とし、私に何もさせずに完封したあの絶対的な快感……』
(……快感?)
嫌な予感が背筋を駆け上がる。私は恐る恐る、続きに目を落とした。
『私は愚かだった。高いマナを払い、力でねじ伏せることこそが王者の戦いだと信じて疑わなかった。だが、君のあの陰湿で、緻密で、私の行動に連鎖しては徹底的に拘束するプレイングを前にして、私は悟ったのだ。私には、君という絶対的な管理が必要だと!』
(……うわぁ……)
私の顔から、サァーッと血の気が引いていく。
文章から滲み出る、隠しきれない熱量と、完全にベクトルを間違えた情熱。
『だからセレスティア。いや、我が女王よ。婚約破棄は撤回する。すぐにでも君を王宮に迎え入れ、そして……毎晩寝室で私をあの【呪縛の茨】で縛り上げ、私の行動に【破滅の闇】を突きつけて全てを否定してくれ!! 君の妨害魔法だけが、私の乾いた魂を満たしてくれるのだ!!追伸:明日、君の屋敷へ迎えに行く。私を存分に蔑んでくれ。』
……ヒュルリと、部屋の中に冷たい風が吹いた気がした。
私は手紙をそっとテーブルの上に裏返して置き、震える両手で自分の頭を抱えた。
「……キモぃ。キモすぎるわ」
なんだこれ。
ただの嫌がらせの手紙かと思ったら、純度100%のドMに覚醒した変態からの、狂気じみたラブレターだった。
呪縛の茨で縛り上げろ?行動を否定してくれ?カードの名称をそんな卑猥な文脈で使うな!
「お嬢様……?いかがなさいましたか? お顔が真っ青ですが」
アンナが心配そうに覗き込んでくる。
私は乾いた笑いを漏らしながら、その手紙をアンナに差し出した。
「アンナ……。これ、読んでみて」
「はっ。……失礼いたします」
アンナが手紙を読み始める。一行、二行と視線を落とすにつれ、彼女の纏う空気が、見る見るうちに『氷点下』へと下がっていくのが分かった。
「…………ッ!!」
ギチチチチチッ!!
アンナの手の中で、王家から送られた最高級の羊皮紙が、怒りの握力によってメリメリと音を立てて圧縮されていく。
「……この、薄汚い豚が……ッ!!」
アンナが顔を上げた。
その瞳からハイライトが完全に消え失せ、底なしの暗黒が広がっている。
「お嬢様の神聖なるプレイングを、あろうことか己の劣情を満たすための『快楽』に変換するとは……。これは単なる不敬ではありません。お嬢様の尊厳に対する、万死に値する『冒涜』ですわ……!」
ゴゴゴゴゴ……。
アンナの背後から、視認できるほどのドス黒い殺気がオーラとなって立ち昇っている。メイド服のポケットからは、先ほどまで隠していたはずのワイヤー、解体用メス、そして爆薬の入った小瓶が次々と飛び出してきた。
「お嬢様、ご決断を。明日の朝、あの発情した豚が屋敷にやってくる前に……私が王城の給水塔に遅効性の『毒』を撒いてまいりましょうか? それとも、寝室に忍び込み、その愚かな脳髄ごと焼き払ってさしあげましょうか!?」
「待ってアンナ! 落ち着いて! それやったら私たち、ただのテロリストだから!!」
私は必死にアンナの腰に組み付き、暗器を没収しようと揉み合った。
「離してくださいお嬢様! あの豚は、お嬢様の『平穏なパック開封ライフ』を脅かす害虫です! 私が駆除せねば、お嬢様の純潔が……!」
「純潔はともかく、コンフリクトでドン引きさせて追い返すから! 物理で解体するのは最終手段にして!」
私が叫ぶと、アンナはハッと我に返り、スッと暗器をメイド服の中に隠した。
「……左様でございますね。お嬢様の『コンフリクト』で、あの豚の心を徹底的にへし折るのですね。流石はお嬢様、残酷で素晴らしいご判断ですわ」
「……うん、そういうことにしておいて」
私は深くため息をつき、テーブルの上に置かれた幻想級の『絶対拒絶の宣告者』を見つめた。
平穏なカードゲーマー生活。
それは、どうやら私が考えていたよりも遥かに遠く、険しい道のりになりそうだった。
(……明日、あの変態王子が来たら、盤面制圧どころか、手札を全部叩き落とす【ハンデス(手札破壊)】で泣かせてやる……!)
私は新たに決意を固め、明日の『撃退用デッキ』の構築を始めるのだった。




