紋影官レオン
アイゼンブルク帝国には皇帝直属の〈黒紋監察室〉と呼ばれる特殊な組織が存在している。
構成員や人数は不明、だがはっきりしていることがある。それは黒紋監察室所属の者は紋影官と呼ばれており、全員が何かしらの“異能”を有しているということ。
紋影官たちはその異能を使い、表沙汰にできない事件を影から解決する。そのために皇帝より直々に強い権限が与えられている……というものだ。
「な……なぜ、ここに……」
黒紋監察室は特殊組織ではあるが、秘密組織ではない。目撃例は多くないが、まれに城内で黒の仮面を被った者が歩いていることもある。
そのため知っている者たちは多いのに、全容はつかめていないという謎の組織だった。
ウワサだけは先行しているが、彼らの実際の目的や何をしているのかは闇に包まれている。
「っ!」
黒の仮面を被った小柄な女性は、気づけば両手の指に針を持っていた。
右に二本、左に二本……計四本の針を素早く投擲すると、それらは檻に入れられていた四匹の魔獣に一本ずつ刺さる。
「ギャウッ!?」
悲鳴は一瞬。どの魔獣も口から泡を吹いてそのまま床に崩れる。
全身が不規則に痙攣を繰り返していることから、刺さった針に毒が塗られていることが想像できた。
「て……てめぇ!?」
せっかく生け捕りにした魔獣を殺されたのだ、予定していた魔獣テロはもう起こせないだろう。終夜会の者たちは焦りと驚愕に両目を大きく見開く。
淡々とテロを食い止めてみせた女性はリシェルを無視して正面に視線を向けた。
「後輩、魔獣の処理と容疑者の確保は済んだ。あとは任せる」
「了解です先輩」
男たちを挟む形で、リシェルたちとは逆方向から声が聞こえる。そこにいたのは同じく黒い仮面を被った男性だった。
いや……仮面を被っていても声や髪型、背格好でわかる。その仮面の下にどのような顔があるのかを。
「てめぇらぁ! どこから来たかわからねぇが、生かしてぶべっ!?」
叫んだ男が壁際まで吹き飛ばされる。
いつの間に移動したのだろうか、黒仮面の男は一瞬前まで叫んでいた男のところに拳を振り抜いた姿勢で立っていた。
「……は?」
リシェルも軍学校を卒業しているし、仙勁も含めて鍛錬は積んでいる。しかしそんなリシェルの目をもってしても、今の動きはまったく見えていなかった。
それは終夜会の男たちも同様だっただろう。何が起こったのか理解できず、場に静寂がおとずれる。
「後輩、グアッドはそこの男」
「わかってますよ先輩」
再び男の姿が消える。そして……だれもがまともに抵抗できず、とんでもない加速で威力の向上した拳を受け、一撃で昏倒させられていく。
20人いたはずのマフィアは1分もかからずに制圧され……リシェルはその様子をただただ見ていることしかできなかった。
■
終夜会の奴らを全員倒し終える。今は俺の異能〈夜影疾走〉を十全に発揮できる時間だからな……仙勁レベル8以上の怪物でもいない限り、対処自体は容易だ。
制圧を終えた俺にノア先輩が近づいてくる。
「後輩、お疲れ様。相変わらず便利な異能」
「夜しか使えないし、そこまで便利でもないですって……」
そう……今使った俺の異能は「夜間のみ機動力を上げる」というものだ。しかも体力はしっかり消耗するので、ずっと走り続けることもできない。
夜が深まるほど異能の力は高まり、ピーク時には仙勁レベル8以上で身体能力を強化した奴と同等の機動力を得られる……が、問題は俺自身の身体がまだその力を扱いきれないという点だ。
しっかりと身体を鍛えて体力を伸ばさねば、いつまで経ってもこの異能を使いこなすことはできないだろう。
「後輩、わたしは今のうちにマフィアどもに薬を打つ。掃除屋ももうすぐしたら来る……どうするにせよ、あまり時間はない」
「わかっています」
ノア先輩を横切り、俺はリシェルのもとへと移動する。
ノア先輩がすでにその拘束を解いていたが、リシェルは床に座り込んだまま俺を見上げてきた。
「……いつから〈黒紋監察室〉に?」
さすがにもう気づいているか。俺は黒仮面を外してリシェルと視線を合わせた。
「軍学校を卒業してすぐだ」
「そう……つまり一般兵というのは仮の姿だったのね……」
騙すつもりはなかったが、〈黒紋監察室〉に所属している紋影官は簡単には正体を明かせない。
リシェルにはバレてしまったが……まぁこれくらいならいくらでもリカバリーがきく。
「どこからが任務だったの……?」
「最初からだ。セレーネ皇女に賊を警戒させるウワサを流し、周囲の人間を使って急遽ハグリアに向かわせたのも〈黒紋監察室〉によるものだ」
「………………っ!?」
つまりどういうことなのか。何が“最初から”だったのか……リシェルにはすでにそれが理解できているだろう。
「つまりわたしが立てていた計画も、全部お見通しだったわけね……」
「そうだ。リシェルが俺とザックにセレーネ皇女護衛のリクエストを出させたのも、そういうふうに思考を誘導した」
「たしかに……兵士の選別に補佐から『同級生でしょう?』とあなたとザックを勧められたわ……あれも〈黒紋監察室〉の仕込みだったというわけ……?」
まぁそこに関してはあまり重要ではない。仮に俺とザックにリクエストが来なくとも、セレーネ皇女の護衛兵士として配置される方法はいくらでもあった。
あくまで隊長やリシェルに不信感を抱かせることなくここハグリアまで来るのに、都合がよかったというだけの話。
「帝国はラブルローン王国から来た【放浪の翼】をマークしていたし、かの国には諜報員たちもいる。【放浪の翼】が現地で何を調達して帝国にやってきたのかも把握していた」
リシェルの計画を察知した〈黒紋監察室〉だが、通常であればこの時点で〈帝国情報院〉が解決に動く。そもそも【放浪の翼】をマークしていたのも彼らだ。
しかしこの事態を“使える”と判断した〈黒紋監察室〉の室長は「黒入り案件」として、強引に自分たちの管轄にした。
“黒入り”になった案件は〈黒紋監察室〉以外に手出しはできないし、むしろ法による秩序がきかなくなるので下手にかかわると巻き添えをくらう。
「〈黒紋監察室〉の室長は、リシェルには感謝しているだろう」
「どうして……?」
「俺も詳しくはないけど、お偉いさんたちの権勢争いに今回の件が使えるらしい。たぶん終夜会とつながりの深い大物貴族と関係あるんじゃないか」
リシェルが実行部隊にマフィア終夜会を使ったのは偶然だ。しかしその偶然に喜んだのが〈黒紋監察室〉の室長であるヴァネッサである。
こうして皇女をさらおうとしていた終夜会のメンバーたちを捕えることにも成功したし、目的は果たせたと言えるだろう。
「そう……。どちらにせよわたしももう終わりね……」
「何がだ?」
「……え? だって、知っているんでしょう? わたしが何をしようとしたのか、どうしてこうなったのか……」
今回の俺の本当の任務は、ここまで事態を“無事に”進めさせ、マフィア終夜会の幹部グアッドを捕えること。
黒夢晶の性能を知ったグアッドは、それを用いてセレーネ皇女誘拐に動くと読んでいた。
皇女誘拐はかねてから依頼を受けていたものだし、終夜会はずっとチャンスをうかがっていたはずだからな。
そして今回、たまたま別の仕事でハグリアにいたタイミングで、まさかのセレーネ皇女が少ない護衛でこの街へとやってきた。この“偶然”にグアッドは大層喜んだに違いない。
俺は黒仮面を再び被ると、リシェルに視線を落とす。
「リシェル三等剣尉、今回の我らの任務の協力に感謝する」
「な、何を……言っているの……?」
「きみは我らの特別協力員として、ストライダーを使ってうまく黒夢晶を帝国内に持ち込んでくれた。そしてそれを使って皇女殿下誘拐をたくらんでいた者たちをこうして一ヶ所に集め、一網打尽することができた」
黒入り案件に対処している間、〈黒紋監察室〉の紋影官にはあまりにも大きすぎる権限と裁量権が与えられる。
この場においては帝国の法など機能しない。今だけは俺とノア先輩が法だ。
「とくに帝都で大きな規模を誇るマフィア終夜会の幹部をこうして秘密裏に捕えられたのは大きい。リシェル特別協力員にはあらためて感謝を」
今回の件はリシェルだけを責めることはできない。なぜなら俺たちは彼女の計画を知った上で、それを利用して今の状況を作り出したからだ。
はじめからリシェルは俺たちの協力者だった……そういう形に収めることで、彼女の罪をあやふやなものにする。
そこで後ろからノア先輩が声をかけてくる。
「お友達だからって、ずいぶんと優しすぎない? 後輩」
「先輩、彼女は家族喧嘩を企てていただけです。おかげで収穫は十分ですし、これくらいは見逃してください」
リシェルは黒夢晶を使って国家転覆を企てていたわけではない。
ノワゼル領で騒動を起こすために禁制品に手を出したのは明確な罪だが、今は俺がルールだ。それをどれくらいの罪と考えるのかは、あくまで俺の主観と裁量になる。
そもそも領主には自分の統治する領地において、独自に法を定める権利が認められている。いわば帝国内における独立した国のようなものだ。
リシェルがノワゼル領内に……自分の親族が統治する領地で騒ぎを起こそうとしていたことは事実。
だが仮にもし騒動が起こっていても、それはあくまでノワゼル家の問題。帝国政府は理由もなく関与しないだろう。
それにリシェルは最後まで明日の皇女殿下の予定を漏らさなかった。このことからも、帝国自体に悪意を向けていたわけではないということは明らかだ。
というか帝国内に持ち込まれた黒夢晶を利用しようと考えたのは、他ならぬうちのトップだし……。
「リシェル三等剣尉の今後の活躍に期待する」
「う……うぅ……っ」
リシェルは泣いていた。自分の罪がなくなることによる喜びの涙……ではないだろう。
任務前に確認した事前資料でリシェルのことはおおよそ調べ終えている。黒夢晶を帝国内に持ち込んだ動機についてもおおよそは把握済みだ。
彼女の心境は、育ってきた環境の異なる俺では推し量れない。今後同じことが起こらないとも言えない……が、俺は彼女の持つ心の強さに期待したいと思う。
それでまた何か起こったら……なんてことは今は考えない。そうなったらそうなったで、きっとしたたかな室長はうまく状況を利用するだろうし。
「ではリシェル。ここにはすぐに後始末のため人がやってくる……はやく戻るとしよう」
そう言うと俺は仮面を外して彼女に腕を差し出した。
■
翌日。リシェルは俺同様あまり睡眠はとれていなかったはずだが、疲れを感じさせない様子でセレーネ皇女の護衛を指揮していた。
もしかしたら今日、4匹の巨大魔獣が街中に現れていたかもしれないと思うと、なんだか不思議な気持ちになるな。
こういう「もしかしたらありえたかもしれない事件」を未然に防ぐのも〈黒紋監察室〉の任務である。
「もうすぐ一般兵士の職務ともお別れか……」
今回俺はこうしてハグリアに来るため、約1ヶ月前にザックのいる部署へと一般兵として配属された。任務を終えたので、また別の仕事を与えられることだろう。
セレーネ皇女は兵士たちの慰問を済ませると、街に出て視察を続ける。
昨日皇女を見られなかった住民たちがウワサを聞きつけ、かなりの数がセレーネ皇女の後ろに列をなしてついてきていた。
「はぁ……」
リシェルの様子が気になったから今日も一般兵士の役職を果たすことにしたが、こうして人気の皇女様の護衛に街を練り歩くのは疲れる……。
リシェルも大丈夫そうだし、こんなことなら俺もノア先輩と一緒にあの後帝都に帰ってもよかったな……。
そんなうかない表情でため息を吐いていると、急にセレーネ皇女がこちらに笑顔を見せる。そしてごく自然に口を開いた。
「そこのあなた。よろしければわたしに、普段はどのようなお仕事をされておられるのか教えていただけないかしら?」
………………なに?




