モーリックと紋影官
その風貌はこれまで何度も調べて把握できていたはずなのに、いざ目の前にするとすぐに黒仮面の人物と“ある単語”がつながらなかった。
数秒経ってその単語が何かをモーリックは思い出す。
「し……紋影官、だと……!?」
皇帝直属の組織、黒紋監察室。そのエージェントたる紋影官。
未だに全容が解明されていない異能を持つ者たちで構成されており、1人1人が一軍に匹敵するとさえ言われている最強にして最恐の刺客。
モーリックは黒紋監察室にはもともとかなりの警戒心を払っており、ブラックマーケットも紋影官が入り込んでくる可能性を考慮してわざわざ禁制品保管室も作った。
「バカな……! ありえない、まだお前たちが介入するフェーズではないはずだ……!」
そう……ありえないのだ。そもそも商務官の定期監査では違和感が出ないように帳簿や倉庫の状態を整えていた。
今現在、帝国が掴めるとすればせいぜい「荷揚げ量が増えているのに税収が横ばい」という違和感のみ。
そうした違和感に対する完璧な答えをモーリックとドライガンはしっかりと準備していた。「あぁ、だから税収が横ばいなんですね」と納得できる答えを。そもそも似たような事例はどこにでもあることだ。
だからこそおかしい。今の時点で紋影官がいるという事実が。
紋影官は帝国から見ても特別な人材のはず、ちょっと疑わしいというくらいではわざわざ帝都から遠く離れた領地まで派遣してこないはずだ。
「なぜ……! なぜオルディア領にいる!?」
オルディア領は帝都から片道約2週間の距離だ。それだけ離れた土地に、なんの根拠もなく貴重な人材を送り込んくるわけがない。
だがこうして目の前にいるということは、それが皇帝の意思であるということ。
なぜなら紋影官が姿を見せたということは、皇帝の名代としてそこに立っているということなのだから。
「なぁぜだ! どこでこの部屋の存在を知った!?」
「……………………」
「無駄口を叩くつもりはないと!? だがこうしてこの場に姿を見せた以上、お前はこの部屋と集められた禁制品について知っていたはずだ……!」
よく見ると扉近辺に固めていたはずの男たちが全員倒れていた。
いったいいつ倒したのか。アリアシアたちと会話しているときに後ろでそんなことが起こっていたなど、まったく気づいていなかった。
いや……それができるからこその紋影官なのだろう。裏社会では危険度レベル最大に設定されている闇の執行者なのだから。
「見る限り、禁制品の種類は全部で18種類か……」
「っ!?」
紋影官の言う通りだった。
中には禁制品に見えないようにオブジェクトのようにカモフラージュしている物もあるというのに、この短い時間で一瞬で看破されてしまう。
「それに……そこの瓶は技管局で開発中の試作品〈赤い息〉だな」
「…………っ! そ、そこまで、わかるのですか……!」
どうして帝国の技管局で開発された試作品の薬がここにあるのか。きっと目の前の人物はそのことも把握できているのだろう。
つまりすでにドライガンに対しても黒だと確証を得ているということだ。
「あなたの考えている通りですよ……!」
「俺の……考えている、通り…………」
「えぇそうです! ドライガンが第一皇子派の筆頭である大蔵卿ゴドウィンと距離が近いのは知っているでしょう!? 〈赤い息〉はそこの伝手で仕入れた物ですが……! なるほど、これですか! 〈赤い息〉の物流ルートをたどって、ここの存在に気づいたと……! 迂闊でした……!」
技管局の試作品ともなれば、もし国外に持ち出せればどの国も強い関心を示す。大陸でも有数の研究者が集う組織で開発されたものなのだから。
モーリックも同じく強い関心を抱いており、ドライガンの伝手を使うことで横流ししてもらうことに成功した。
だが流すほうが下手打ったのだろう。おそらくそこで紋影官の網に引っ掛かり、こうしてドライガンを通じてヴァルカ商会にたどり着いたのだ。
「く……! ようやくここまで地盤を固めたというのに……! これほど早くに紋影官の介入を許してしまうとは……!」
「モーリック様。いかに紋影官といえど、相手は1人。……奴さえ片付ければすべて元通りです」
「そうはいきませんよ。仮に紋影官を倒せても、黒紋監察室はすぐにまた別の紋影官を送り込んできます。すでに我らの存在は明るみに出てしまった……残念ですが帝国より撤退するしかありません」
紋影官に見つかるということは、皇帝に見つかるということである。
たとえここで目の前の紋影官を倒せても、すでに自分たちは皇帝に睨まれているのだ。これ以上帝国で活動するのは不可能だろう。
「紋影官殿。取り引きしませんか?」
「……ほう。取り引き」
「そうです。この部屋の禁制品の他、裏帳簿の場所をお教えしましょう。その帳簿にはドライガンがどこまで関与しているのかも記載されています」
「……………………」
モーリックはドライガンが裏切ったときに備えて彼の共犯内容も記録していた。向こうも同じようなことはしているだろうが、こちらはすでに失うものはない状態だ。
また紋影官もドライガンとヴァルカ商会の癒着に気づいていても、詳細な部分まではつかめていないはず。この情報は価値があるはずだ。
「裏帳簿はこの屋敷ではなく、店舗のほうで管理しているのですよ。大事なものほど屋敷で保管しているはず……そういう心理を逆手に取ったのです」
「………………なるほどな?」
ここの禁制品はあきらめるしかない。だが〈深渦の核〉は自分が持っている。
一からのやり直しになるが、これだけでも持ち帰れたらまだマシだ。
とにかく取り引きをしてこの場を脱する。ミルドリス共和国にも異能持ちが1人いるが、あんな怪物と積極的に戦いたいとは思わない。
取り引きで済ませられるのならそれにこしたことはないのだ。
「取り引きというのなら、まずはこちらの要望に応えてもらおうか」
「なんでしょう?」
「そちらの4人をこちらに。見たところ我が国の商務官に兵士、騎士のようだからな」
これにどうするかモーリックは思考する。まずは2人返して残りはこの先の交渉次第。普通に考えればこれがベターだろう。
だが相手は異能持ちだ。“取り引き”には応じる姿勢を見せているが、“交渉”となった途端に「国外マフィアと交渉する気はない」と態度を硬化させる可能性も否定できない。
そもそも紋影官が動いているということは、商務官に頼らずともブラックマーケットに関する証拠はすでに掴んでいるはず。
彼にとってこの4人はどこまで価値があるのかあやしい部分もある。
ならばまずはこちらの姿勢を明確にすべき。真剣に取り引きをしたいと考えているのだという姿勢を。
「……わかりました。4人をそちらに返しましょう」
「モーリック様、よろしいのですか」
「えぇ。紋影官殿にとってこちらの4人は人質になりませんよ」
自分が紋影官の立場であれば、まず間違いなくこの4人は無視する。
目の前の紋影官が4人を返すように言ってきたのは、本人も言っていた通り「本気で取り引きを行うつもりなのか」という確認をする以上の意味はない。
だからこそモーリックは中途半端に人質を取るような真似はやめた。これで少なくとも向こうには、本気で取り引きをするつもりがあるという姿勢が伝わったはず。
「どうぞ、アリアシアさんたち」
「え……」
「はは……マジかよ……」
モーリックとベネテリーは通路を作るように端による。
4人はゆっくりとした足取りで扉のほうへと向かい……そして紋影官と合流を果たした。
「4人はすぐに地上へ」
「で、でも……」
「ブラックマーケットにはもうほとんど人がいない。いいから早く上がれ」
「……行こう。俺たちがいても足手まといになるだけだ」
4人を地上へ移動させる……おそらく自分との取り引き内容を聞かせないためだろう。
しかしブラックマーケットにはすでにほとんど人がいないとは……。
おそらくアリアシアたちを追いかける騒動の中で、商務官が監査に来ていることに気づいた者たちからさっさと逃げ出したのだ。
残っていた配下たちは紋影官によって始末されているのだろう。
「さて……これでこちらの誠意が伝わりましたか?」
「誠意か……」
「えぇそうです。こちらから出せる情報はすべてお出ししましょう。その代わり我らを見逃していただきたい。もちろん再び帝国の地に足を踏み入れることはしませんとも」
顔は笑顔のまま、モーリックは緊張感を極限まで高めていた。紋影官の言葉次第では強引な手に出なければいけないからだ。
こうなってはいかに懐の〈深渦の核〉を持ったまま、ミルドリス共和国へ帰れるかが勝負。
そう考えていたそのタイミングで紋影官はうなずきを見せる。
「先ほどからやたらと懐に意識が向いているが……。何か持っているのか?」
「………………っ!」




