ブラックマーケットの奥にあるもの
それは見た目も匂いも間違えようのないものだった。
どこかスパイシーな香り、そして甘く舌に絡みつく刺激……アイゼンブルク帝国において専売制が敷かれているシナモールだ。
「ど、どうしてシナモールがここに……!?」
いくらブラックマーケットといえど、シナモールがあるはずない。そう思っていたからこそ、アリアシアは思わず大声を出してしまう。
それにここで売られている横流し品や盗品の売買が見逃されていると言っても、シナモールは許可のない者が扱うだけで罪に問われる品だ。
もちろんブラックマーケットに流した大元も大きな罪に問われることとなる。
「これは……ほ、本当にシナモールか……!」
レイモンドも両目を大きく見開いていた。帝国産のシナモールが扱われているだけでも大問題だが、目の前のシナモールは海外産……禁制品に指定されている物である可能性もある。
驚くアリアシアとレイモンドに対し、店主は歯を見せて笑みを向けていた。
「あんまり大きな声で言うんじゃないよ。へへ……驚いただろ? 少し前に大量のシナモールが入ったからよぉ、ヴァルカ商会に頼んで俺に専売権を回してもらったんだ」
「ヴ……ヴァルカ商会に頼んで……シナモールの専売権……!?」
何を言っているのかが理解できない。だが男はアリアシアの理解など気にせず続ける。
「おう。こういう甘い蜜を吸わせてくれるから、ヴァルカ商会には感謝しかねぇなぁ。自分たちで捌かずに、こうして下につく者に商売の種として回してもらえるんだからよ」
「………………!?」
アリアシアは商務官としてシナモールがどのような物なのかを正しく理解している。
仮に専売制が敷かれている帝国内でもし秘密裏にシナモールを扱おうと思えば、どのような手段が求められるか。彼女はその方法にすぐ思い至った。
「ま……まさか……」
方法は大きく2つ。一つは海外からの密輸品……言うまでもなく禁制品のシナモールを扱う方法。
もう1つは許可を得てシナモールを扱っている者から横流しで回してもらう方法だ。
そして聡明なアリアシアは、今の状況でどちらの可能性が高いのかがわかってしまっていた。
帳簿を確認したから把握できているのだ……他ならぬ領主が最近、シナモールを購入していた事実を。
「そんな……」
そもそもブラックマーケットに来たとき、最初に疑問が思い浮かんでいたのだ。破棄された物の行方をドライガンは把握できているのか……と。
なぜそんな疑問が出てきたのか。それはこれだけ堂々とした規模でブラックマーケットが開かれていることと、あの領主が知らない可能性なんてあるのかと疑ってしまったからである。
だがその可能性を疑うということは、ドライガンを疑うということ。
その疑いは突き詰めていくと、ヴァルカ商会とドライガンが裏で手を組んでいるかもしれないという疑念にたどり着く。
「騎士団を動かして〈海の走者〉を壊滅させたのは……」
ヴァルカ商会にブラックマーケットを与えるため。見返りはここでの売り上げ額に応じたお金だとすれば……?
それこそが「荷揚げ量が増えているのに税収が横ばい」の正体だとすれば……?
証拠はない……が、この疑念を完全に払しょくできるような証拠もない。むしろ倉庫街が数年にわたって変化していない点といい、疑う余地のほうが強い。
そんなアリアシアの焦りなど何も感じていないようにランドは口を開く。
「はぁ~……本当にあったよ。しかし大胆だねぇ、シナモールとは……」
もはやそんなのんきなことを言っている場合ではない。まずはシナモールの確保を優先、帝国産か海外産かを調べる必要がある。
また監査は途中で切り上げて帝都に戻るべきだろう。場合によってはブラックマーケットに対する強制立ち入り調査を……。
「そこの4人だ!」
「っ!?」
そのとき、自分たちが歩いてきた方向から男たちの声が聞こえてきた。視線を向けると殺気だった者たちが武器を手に走ってきている。
この異様な事態にランドとレイモンド、それにアーミックもすぐに状況を理解した。
「どうやら俺たち、潜入がバレたみたいだな!」
「商務官だと身分を明かすかい?」
「いえ……あの雰囲気、完全に私たちの正体に気づいていますね」
「なら……」
「奥へ逃げよう!」
追手から逃れるように、アリアシアたちはさらに奥へと走っていく。
「あ!」
「逃げたぞ、追え!」
走りながらもアリアシアは思考が混乱していた。勘が告げているのだ……証拠はなくとも状況的に「ドライガンとヴァルカ商会はつながっている」と。
おそらくランドもレイモンドも、そしてアーミックもまだその可能性には行きついていない。また事実はどうであれ、今は捕まらないように逃げるしかない。
「く……! こっちに行って、本当に逃げ切れるのか!?」
「さぁてね! だが来た道はすでに塞がれているだろうし、活路は前に見出すしかないってねぇ!」
「こ、こういう場所は何かあったときに逃げやすいように、いくつか出口があるものだと思うのですが……」
「東端の古倉庫とつながっている道がどこかにあるはずでは!?」
「それだ!」
だが逃げてどうするというのか。ドライガンが本当に黒幕だった場合、屋敷に戻るのは危険だ。何を信じればいいのかがわからなくなっている。
だが状況は思考がまとまらないアリアシアを待ってはくれなかった。
正面は行き止まり……いや。1人の男が門番のように守っている出入口があるのみ。
「お! まだあの出入口までは手が回っていないみたいだな! 1人しか見張りがいねぇ」
「ならここは俺に任せてくれ! はああぁぁぁぁぁぁぁ!」
レイモンドがこれまでとはまったく異なる速度で一気に正面の門番へと距離を詰める。仙勁を練り上げ、身体能力を向上させたのだ。
素人目で見てもレイモンドがかなりの使い手だとわかる。
そんな彼はあっという間に門番の側へ移動すると、そのまま強化した肉体能力を活かして男を蹴飛ばした。
「よし! ナイスだ騎士くん!」
「ひぃ、ひぃ……! は、はやくあの奥へ逃げましょう……!」
「まてえぇぇ! そこから先には行くんじゃねえぇぇ!」
追ってくる男たちが怒声を上げる。おそらくこの先が倉庫街へとつながる秘密の物資運搬ルートになっているのだろう。
最初にランドが入り、続けてアリアシアとアーミックが入る。最後に出入口近辺に待機していたレイモンドが入り、彼は扉を閉めた。そのままカギを閉める。
「よし、これでしばらくは時間を稼ぎ……」
レイモンドの声が途中でとまる。無理もない、アリアシアも声が出なかったからだ。
「……………………」
逃げ込んだ先は通路ではなく部屋だった。正面には立派な机とイスが置かれており、そしてその周囲には。
「こ……これ、は……」
うめくようなアーミックの声。
そう……そこにあった数々の物品は、いずれも帝国においては禁制品に指定されている物だった。
「黒夢晶に潮精の鱗粉……! そ、それに赤黒く光るこの液体、もしや無声毒……!?」
対象の意識を混濁させて操り人形に変える月香茶、依存性が強い深紅香辛料。それに魔獣のものと思わしき卵もいくつかある。
「こ……ここは……! 禁制品の保管庫……!?」
どれだけ部屋を確認しても、入ってきた出入口以外に通路はつながっていない。間違いなくここは禁制品専用の保管庫だった。
さすがにアリアシアにも理解ができている。これは商務官が立ち入っていい領域ではないということを。ではだれであれば立ち入れるのか。
(し……紋影官……!)
今さらになってどうしてこの街に紋影官が現れたのか、それがわかった。おそらくアーミックたちも同様だろう。
間違いなくあの紋影官は、ここブラックマーケットで保管されている禁制品にあたりをつけて帝都からやってきたのだ。
彼らはこうした表には出てこない……いいや。出せない案件を扱うプロのエージェントなのだから。
うかつに紋影官がかかわる領域に踏み込むべきではなかった。おそらくこの街の持っている闇は、自分が考えるよりも深く暗い。
動揺で舌が乾いていく。だが現実はそんなアリアシアを気遣うことなどなかった。突然カギのかかった扉が爆発したような音を響かせながら砕け散ったのだ。
「きゃっ!?」
扉を蹴破ったのは昨日も見た人物……ボディーガードと紹介されたベネテリー。そしてその隣に立っているのはオールバックの男性。
その男性は初めて出会ったときとまったく同じ笑顔のまま口を開く。
「困りますねぇアリアシアさん。そこは許可がない者には立ち入りを遠慮してもらっている部屋になるのですよ?」




