潜入準備
〈深渦の核〉……これは深海に住まう魔獣の心核を加工した闇道具である。
龍気を吸収させることで起動し、爆発と同時に周囲に渦潮のような衝撃波を生み出す禁制品である。
「〈深渦の核〉はどれも貴重です。今回の交渉では小規模な物だと聞いていますが……」
そもそも深海に潜って魔獣を倒せるのは、妖精族の潮精だけだ。素材も貴重だし加工にも高度な技術が求められる。
だが高レベルの深海魔獣、その心核を加工した〈深渦の核〉であれば、街一つが吹き飛ぶと言われている。
さすがにそこまでの〈深渦の核〉はそうそう存在しない。
今回モーリックが交渉する予定の〈深渦の核〉は、起動してもせいぜい屋敷が一つ吹き飛ぶくらいのもの。
とはいえ爆発物としての性能で見れば、十分すぎるほどの威力を兼ね備えているのだが。
「わざわざ帝国に出向いてブラックマーケットを奪ったのは、本国の連中に見つからずにこうした交渉を行える場所を確保するのが目的でしたからねぇ」
「はい。帝都からはほどよく離れており、かつ港町としては十分に発展している……そのうえ地元のマフィアはザコ。ヴァルカ商会が足掛かりにするには理想的な地と言えます」
モーリックたちがブラックマーケットを〈海の走者〉から奪ったのは約1ヶ月ほど前。だが準備自体は数年前から進めていた。
いきなり巨大資本を持つ商会が現れたら目立つ上にオルディーンの市場を混乱させてしまう。やっかみを買う可能性も高かったので、最初は小さな商売からスタートしていた。
そして時間の経過とともに徐々に取引量を増やし、自然な速度で商会を大きくしていく。
本国にはヴァルカ商会の本店もあるので、このあたりの調整は容易いものだった。
「たしかに理想的ですね。港の検問も我らヴァルカ商会には甘いので、今では積み荷の入れ替えも容易に行えていますし。あぁ、帝国軍技術管理局の試作品も本国ではなかなか評判がいいようですよ」
「帝都で精製された、表に出ないはずのブツ……よく手に入るようになったものです」
「フフ……まぁ“彼”と我々は利害が一致していますからね。互いに信用も信頼もない仲ではありますが、今の関係が続く限りは今後もうまくやっていけることでしょう」
モーリックの最終目標はミルドリス共和国で強い影響力を誇るマフィア〈黒燭会〉のボスとなることだ。
〈黒燭会〉は組織としての規模もかなり大きく、幹部の数も多い。モーリックも幹部の1人ではあるが、組織内において競争は年々激化していた。
彼はその競争で頭一つ抜きんでるために、商会の支部長として帝国に乗り込んできたのだ。
縄張りもあるのでさすがに帝都まで手を伸ばすつもりはないが、オルディーンで〈海の走者〉を潰すことは造作もないことだった。
おかげで今やオルディーンの闇市場は完全にモーリックが手中に収めている。今後もブラックマーケットを活用して表では出回らないような品を買い集めていくつもりである。
「しかし連中もよく〈深渦の核〉の買い取りについて、交渉に応じましたね……」
「まぁそれなりの額を出すのであれば、手放しても構わないというレベルの品なのでしょう。今後は遺跡から出てくるアーティファクト裏取引の場としても活用していきたいと思っていますよ」
「ますます動く金が大きくなりますな……」
金の話が出たことで、モーリックはそういえばと顔を上げる。
「昨日来た商務官たち……どう思いましたか?」
「どう……と言われましても。商務官は見るからに新人、兵士たちもとくに覇気などは感じませんでしたな。あえて言うのであれば、騎士はなかなか腕が立ちそうでしたが……」
ブラックマーケットで裏の取引を行っている都合上、ヴァルカ商会は二重帳簿……表向きの帳簿と裏の帳簿の二種類が作成されていた。
もっともそれはヴァルカ商会だけではない。ブラックマーケットを通じての取引が多く、また横流し品やごまかした巨額の税を受け取っている側も同様である。
事前に商務官が来ることは聞いていたので、モーリックは表向きの帳簿だけを見せて監査を終わらせた。倉庫も確認されたが、あれは監査の目を欺くための“見せ倉庫”である。
倉庫街に保有している倉庫も見られたところで何も問題はない。
何しろブラックマーケットの会場は屋敷の地下であり、すべての品はそこに集積されるようにできているからだ。
「あの騎士……おそらく仙勁レベルは5か6といったところですかね」
「なかなかの使い手ですな……」
「えぇ。まぁこの国の騎士はだいたいそれくらいの実力を持つ者が多いですから。ですがベネテリー、あなたはパッとしない兵士が気になっていたでしょう?」
モーリックは意図して反応を示さなかったが、玄関ホールでベネテリーに問われた兵士は「ツンとした匂い」と話していた。
もちろんモーリックたちには身に覚えがある。横流し品には大量の香辛料もあるし、中には帝国において専売制が取られているシナモールもあるのだ。
地下のブラックマーケットから運び出されたときの匂いが微かに残っていたのだろう。
「気のせいだったかもしれませんが……何か探っているような気配がしたもので」
「……なんにせよ商務官もあと数日でいなくなります。兵士も一緒に帝都へ帰りますよ」
「はい」
おそらく今日を境にして、ヴァルカ商会オルディーン支部店は大きく飛躍する。長年かけて準備してきたかいもあった、すでに政治的にも守られる立ち位置も築けている。
ここからはより積極的に闇売買に力を入れていき、やがて世界でも有数のブラックマーケットまで成長させる。その時、自分は次期ボスとしてのポジションを確立できているだろう。
その未来を思い描いたところでモーリックは真剣な表情となった。
「……ベネテリー。今夜のブラックマーケットはとくに警備を厳重にしておいてください」
「はい、かしこまりました」
■
バニィと一緒に倉庫を出た後、俺は一度領主の屋敷へと戻る。そして自分の荷物を持ってパブ〈海猫の止まり木〉、その二階へと上がった。
バニィが隣で見ている中、荷物の中身を取り出して今夜に向けた準備を整えていく。
「わぉ。それが紋影官の使う道具?」
「バニィだって似たようなものは持っているだろ」
「まぁねぇ。でもレオン、剣とかは持っていかないの?」
紋影官の戦闘スタイルは大きく3つに分かれる。
持ち前の異能を全面的に発揮するタイプ、仙勁や剣などの武器を使うタイプ。そして両方を組み合わせるタイプだ。
俺は異能と武器、両方を使うタイプである。もっとも夜限定だし、日中に戦闘が発生した場合は武器に頼った戦いになるのだが。
「まぁ今回はな」
ブラックマーケットに潜入するのは今夜……つまり俺の異能【夜影疾走】が発揮できるタイミングだ。
先輩たちの鍛錬と数々の任務を乗り越えたことで、【夜影疾走】は1年前よりもずいぶんと使いこなせるようになったと思う。
懐に投げナイフを仕舞い込み、技管局が開発した特殊な腕輪を両腕に装着する。合わせて金属片がいくつも重ねられた特殊グローブも装着した。
「しかしアリアシアたちを正面からブラックマーケットに向かわせていいものか……」
「まだ言ってんの? まぁ役割分担だと思えばいいじゃない。正面は商務官たち、裏はわたしたち」
「いや、バニィはここまでだ。裏ルートの潜入は俺1人で行く」
「なんでよ!?」
「バニィの任務はブラックマーケットの場所を突き留めるところまで。そこから先は紋影官の領分だろ」
これも役割分担だ。情報院は情報の収集と解析が仕事であり、それらを活用して実際に動くのが俺たちだ。
「ぶうぅぅぅ……! あたしも潜入調査したいのにぃぃ……!」
「どうしてもやりたいなら、今から上司の許可を取ってこい」
はぁ……ヴァネッサ室長もまさか商務官が現地のブラックマーケットに乗り込むとは考えていなかっただろうな……。
でも状況的に仕方ないよな? アリアシアは自分の力であの倉庫にたどり着いていたし、それだけの能力があるならオルディーン滞在中に遅かれ早かれブラックマーケットを見つけていただろう。
うん、俺のせいじゃないな。アリアシアがとても優秀な商務官だったのがわるい。
むしろ事前に介入して騒動を大きくしないように釘を刺せた俺、ものすごくナイスなのでは……?
「ま、しょうがないよね。あたしは紋影官殿の活躍を見せてもらうとするかな!」
「そんな目立った活躍はないよ。俺の任務はわかっているだろ?」
ブラックマーケットの実態調査、ただそれだけだ。何かヤバいものが流れていたとしても、それをどうこうするのは俺の仕事ではない。
これもヴァネッサ室長が言っていた通り、これまでの任務に比べると楽な部類だろう。言ってしまえば現地で調べて帰るだけの仕事なのだから。
「よし……時間になったら倉庫に行くとしようかな」
俺は荷物に入って倉庫からモーリックの屋敷へ。アリアシアたちは屋敷の裏門からブラックマーケットが開催されている地下室へ移動する手はずになっている。
何かあっても向こうにはレイモンドもいるし、大丈夫だとは思うが……。はぁ、何もトラブルが起きませんように……!




