情報院エージェントとの接触
この街でどうやって情報院のエージェントと接触を果たすのか。その方法はヴァネッサ室長からしっかりと共有してもらっていた。
俺は大通りから少し外れた場所にあるパブ〈海猫の止まり木〉へと向かう。海猫の看板が出ているのですぐに見つけることができた。
まだ営業時間外だろうが関係ない。俺は何も遠慮することなく扉を開いて中へと入る。
すると狭い店内のテーブルの上にはイスがあげられている光景が目に入った。きっと床清掃の準備なのだろう。
「今は営業時間じゃねぇよ」
扉が開いた音がしたので気になったのだろう、厨房からやや強面な男性が出てくる。俺はそんな彼に笑みを見せた。
「ここに黒潮の酒は置いてるかい?」
「…………いや、今は切らしている。代わりに深海ならあるが」
「ならいいや。ところでここって、コインの換金とかもできるか?」
そう言うと俺は懐からやや大きめのコインを取り出して店主らしき男に見せる。それを見て男は俺と同じく笑みを浮かべた。
「……そこの扉から二階へ上がって、一つ目の部屋に入れ。それから隣の部屋の壁に合図を出せ」
「あいよ」
言われたとおりに店の奥にある扉を開き、そこから二階へと上がる。続けて一つ目の部屋に入り、隣の部屋へ聞こえるように壁をノックした。
コン、ココン、コン……コココン。
これも一種の符丁のようなものだ。ここまでしてようやく壁の向こうにいるエージェントに、紋影官が来たと知らせることができる。
ちなみにパブ〈海猫の止まり木〉自体が、領都オルディーンに設けられた情報院の拠点である。おそらく情報院は主だった領地に、こうしたセーフハウスを設置しているのだろう。
あらためて情報院の怖さが伝わってくるな……あまり近づきすぎないようにしたいものだ。
もっとも向こうも、黒紋監察室に対して同じような印象を持っているだろうけど……。
『……あなたが紋影官?』
壁の向こうから声が聞こえてくる。あえて声色を変えているのだろう、男か女か判別がむずかしい。
「そうだ。聞いているだろうが、オルディーンのブラックマーケットの実態調査にやってきた」
『もちろん聞いている。結論から言う、ブラックマーケットの場所は不明』
「……なんだって?」
語尾でも性別を隠そうとしているな……なかなか用心深い性格のようだ。
まぁ情報院のエージェントなんて、紋影官以上に顔や素性がバレたらやっていけないだろうし。
「予定ではそっちで見つけたブラックマーケットに、俺が直接向かうことになっていたんだが……」
『こちらの不手際ではない。もともとブラックマーケットの場所は見つけていた……が、少し前に場所が変わった』
「場所が変わった……?」
『そうだ。マフィア〈海の走者〉を知っているか?』
ここでその名前が出るのか……。そしてなぜ場所が変わったのか、今の質問でおおよそ輪郭が見えてきた。
「ああ。少し前に領民を傷つけたことで、領主主導で潰されたマフィアだろ?」
『その通り。それまで〈海の走者〉がブラックマーケットを取り仕切っており、場所は倉庫街の東端で行われていた。しかし〈海の走者〉が壊滅してから、その場所ではブラックマーケットが開催されていない』
やはりか……取り仕切り役が消えたので、ブラックマーケットの場所が変わったんだ。しかし同時に疑問が浮かんでくる。
「今、ブラックマーケットはどこが取り仕切っているんだ? そもそも今も存在しているのは確かなのか?」
取り仕切る者がいなくなったから消えた……というのは理解できる。だがこのエージェントは「場所が変わった」と言った。
つまり今もブラックマーケットはどこかでだれかが取り仕切っている可能性があるということだ。
『存在しているのはたしかだ』
「……根拠は?」
『増加する荷揚げ量に対し、街から出ていく荷物量には変化が見られない。どこかで秘密裏に捌かれている』
エージェントなりにまだこの街にブラックマーケットがあるという確証があるわけか。しかしそういうことなら話ははやい。
「今、この街には帝都から2人の商務官が来ている。さすがに出荷量が変わっていなければ、帳簿を確認してわかるだろう。きっと領主に報告すれば、あやしい商会などに対して強制調査が入るはずだ」
ドライガンはマフィアを正面から壊滅させるなど、過激な一面がある。きっと商務官から違和感を報告されたら、それを放置しないはず。
そう考えたのだが、エージェントからは想像と異なる回答が返ってきた。
『ムダ。表向きの帳簿上ではその変化が見つからない』
「……なんだって?」
『そもそもこの街にやってくる商務官は、例年形式的な監査しか行わない。港湾労働者への個別の聞き取りやすべての倉庫に対する実地調査、商会の帳簿を数年前までさかのぼって見たりしないかぎりは、出荷量の違和感までたどりつけない』
形式的に監査……か。たしかにあの2人の商務官は、細かな監査までは行わないだろう。そうした細かな監査をするということは、領主や商会がほぼ黒だと確証を持っているときだ。
そもそも領主を疑っていないし、領主も自分は何もやましいことをしていないとはっきり態度で示している。
裏でブラックマーケットが継続されていても、形式的な監査ではその真実にはたどり着けない。
「ん……? 表向きの監査でも気づけないような違和感に、お前は気づいたというのか?」
『こちらは帳簿を見ずとも、この目で直接見ればおおよその出荷量について確認ができる』
「うひゃあ……」
なんという力技……!
マンパワーもいるし、相当な時間が必要なはずだ。もしかしたら情報院のエージェントが持つ技能で調べたという可能性もあるけど。
「とりあえずブラックマーケットがまだ存続しているということはわかったよ。しかし〈海の走者〉が消えてすぐにその後を引き継ぐとは……今取り仕切っている奴は、よほど抜け目がないんだろうな。で、今はどこのだれが取り仕切っているんだ?」
『……………………』
勘だがおそらくこのエージェントはおおよそのあたりをつけている。だからこそここまで実情を俺に話したのだろう。
もし今の取り仕切り役がわかっていないのなら、ただ「ブラックマーケットは場所が変わった」と言って、あとは調査中だのなんだの言って話を打ち切ればいい。
場所が変わって見つけられないのは事実なのだろう。その状態……言わばエージェントにとって恥となり得る可能性があるにもかかわらず、ここまで紋影官に実態を話した理由。
たぶん俺に対して助力を求めているのだと思う。
そして助力を乞うタイミングはどこかと言えば、ブラックマーケットの支配者についておおよそのあたりをつけられたタイミングだ。
『……まだ確証は得られていない、が。高確率である商会がかかわっている』
「うん……? マフィアではなく、商会がブラックマーケットを取り仕切っている可能性があると?」
『そうだ。そもそも商会など、マフィアのフロント企業になっているケースも往々にしてよくある話。その商会の正体がマフィアだったとしても驚かない』
ああ……なるほど。今の話でその商会がどこか目星がついた。
「なるほど、あやしいのはヴァルカ商会か」
『…………っ! なぜ……そう思った?』
「簡単だ。この街に存在していた唯一のマフィア〈海の走者〉はすでに壊滅している。もうこの街には半グレ集団くらいしか残っていない。だが他国となると話が別だ」
『ほう……』
「ヴァルカ商会は他国に本拠地のある商会だが、オルディーンに支部を建てたんだろ? しかも勢いもノリにノっていると聞く。他国から乗り込んできて、そのままオルディア領の儲けをかすめ取ろうとするのは十分に考えられる」
まぁあとはヴァルカ商会くらいしか、この街で商売をしている商会を知らなかったというのもあるけど。
だが他に有力な商会があるならともかく、他国からやってきた商会があやしいというのは間違いないんじゃないだろうか。
しかし俺はまだこの街にくわしいわけではない。もしかしたらヴァルカ商会以上にすごい商会もあるのかもしれないが……その場合、ドヤ顔で決めたこの推理も恥ずかしいことになる。
『なかなか有能だな。さすがは紋影官といったところか?』
どうやら恥ずかしい目にあうのは回避できたようだ。
なんとなく領主の目が行き届いている以上、領内の商会であれば余計にマフィアじみた活動はしにくいのでは、とも思っていたけど。
「さぁなぁ……。だが確証はないんだな?」
『そうだ。〈海の走者〉が潰えた今、ブラックマーケットの基盤を引き継げそうな商会がヴァルカ商会くらいという消去法でもある。しかし仮に黒だったとして、どうやって引き継いだのかがわからない』
あたりはつけているが、確証は何もない。調査もなかなか進んでいない……そんなところか。
「まぁそういうことならまずは様子を探りに行ってみるか」
『……何をするつもりだ?』
「商務官はおそらく午後から、この街でとくに取引量の多い商会を回るはずだ。その中には必ずヴァルカ商会も入ってくるだろう。俺は商務官の護衛として店に入ってみるよ」
『店に入るだけでは何もわからないと思うが……』
「まぁまだ時間はあるし。まずは視察ってとこだな」
それに商会の場所や建物の中を把握しておくだけでも意味はある。とりあえずここでの仕事が見えてきたな。
もともとブラックマーケットは存在しており、現在もほぼ継続されている。今取り仕切っている者で最もあやしいのはヴァルカ商会。
ここからはエージェントと協力しつつ、まずはブラックマーケットの場所を突き留めるのが先決だな。
「ところでもともとブラックマーケットがあった場所は倉庫街の東端と言ったか?」
『言ったが?』
「……………………」
たしか倉庫街の東端は今、〈海の走者〉の残党が拠点にしているという話だったな。建物自体も古くて使用されていないとかなんとか。
なるほど……こっちも別口で一度話を聞いてみていいかもしれない。
「俺の仕事はブラックマーケットの実態調査だ。まだこの地で開催されているというなら、場所を探すことには協力したい」
『……助かる。こちらは午前中であればほぼ毎日ここにいる。言伝があれば1階のマスターに』
「あいよ。それじゃまた」
情報を得られたところで部屋を出て一階へ下り、マスターにお礼を述べる。
というかあの面倒な符丁、客がだれもいなければ黒仮面を見せるだけで済んだのでは……?
そんなことを考えつつ屋敷に戻って豪勢な昼食をもらう。そしてお昼をいくらか回ったタイミングで、兵士たちが集められたのだった。
「これから外に出て商会をいくつか回ります。あなたたちの中から2人、ついてきてください」
予想通りの展開だったので俺はすぐに手を上げる。
というかアリアシアだけ……? アーミックはどうしたんだ……?




