領都オルディーンと領主ドライガン
おお……この潮の香り、かなり久しぶりだな……!
俺自身は北の山村育ちだが、海はこれまで何度か見たことがある。すべて紋影官としての任務絡みである。悲しい……今回もそうだし。
2人の商務官が馬車を下りる。そしてアーミックが両腕を上げて伸びをした。
「うぅん、久しぶりですねぇ。相変わらず盛況でいいことです」
「わたしは初めて来ましたが……この匂い、あまり慣れませんね。アーミックさんは以前にも来られたことが?」
「ええ、5年ほど前の定期監査で来ました。ここは領主様もとても話しやすく領民思いの方なので、わたしたちの仕事にも積極的協力していただけると思いますよ」
領主ドライガンだな。事前資料で見た情報を思い出す。
年齢は45歳で妻は2人。領民や封臣からの信頼も厚く、隣領との関係も良好。
領主にはいろんなタイプがいるが、まぁ理想的なタイプではないだろうか。領地経営も堅実で借金もないようだし。
また多くの税を帝国に収めているぶん、中央政府との距離はそれなりに近い。そしてそうした人物は税金を扱う役人や貴族との接触がどうしても増える。
実際にドライガンは、大蔵卿であるゴドウィン・ウィンチェスターと非常に距離が近いと言われており、そのゴドウィンは第一皇子派である。
大蔵卿は帝国の税収を取り扱う立場だし、たくさん税を納めているドライガンと距離は自然と近づくものなのだろう。
「すでに領主様にも定期監査の件は話が通っています。このまま屋敷に向かいましょう」
領都に入る際に手続きを済ませ、そのまま兵士に案内される形で領主の屋敷を目指す。
しかしすごい活気だな……帝都の東エリアも商業が盛んな区画だけあって騒がしいけど、また種類の異なる空気だ。
船乗りたちも多いのだろう、よく身体を鍛えている者も目に付く。それに旅行客も多いのか、異国の服や肌の色をした人も見かける。
「お祭りみたいだねぇ。くぅ、夜にはどこかの酒場でしっぽりやりてぇもんだぜ!」
ランド隊長が上機嫌で笑みを見せる。無事に領都に到着したことで、気が抜けたのだろう。……常に抜けていた気もするけど。
なんにせよ俺の仕事はここからだ。だが今回の仕事はヴァネッサ室長も言っていた通り、わりと楽な部類に入ると思う。
そもそも商務官と貴族が不正行為を働く可能性は低い。そしてブラックマーケットの実態調査だが、仮に禁制品が見つかったとしてもその場で何か対処する必要もない。
万が一禁制品を発見した際には可能な限り証拠を確保し、帝都に帰還してヴァネッサ室長に報告。あとは室長のほうがいろいろ手を回してブラックマーケット撲滅に動くことだろう。
「ふ……へへへ……」
「お、なんだぁレオン。お前もようやく気が乗ってきたのか!? よぉし、ならお前ら、今日はみんなで飲みに行くか!」
「いいんですか、隊長!」
「楽しみ~!」
すっかり観光気分だ……!
でもわからないでもない、この街はそう思わせる何かがある。帝国でも有数の商業都市、その一つというのも納得だ。
「ランド隊長、初日ですよ!? ダメに決まっているでしょう!」
「まぁまぁ、アリアシアくん。彼らもここまでの長旅で……」
「大した苦労のない旅だったでしょう! この程度のことで初日から酒盛りしようなんて、たるんでいるとしか思えません! わたしたちは仕事のために来たのですよ!? そこはアーミックさんが一番わかっているはずでしょう!」
「そそ、そうだね……ハァ、ハァ……」
この旅路でわかったけど、アーミック……絶妙になじられるタイミングで口を挟んでいるよな……。今もランド隊長に向けられる矛先を華麗に自分に向けさせたし。
アリアシアはメガネをかけなおしながら、キリリとした目つきで兵士たちに視線を向ける。
「いいですか? あなた方も帝国の兵士であるなら、その自覚と誇りをもって……」
「きゃああぁぁぁ!」
「っ!?」
前方から悲鳴が聞こえてくる。ほとんど同時にランド隊長は俺たちの先頭へと移動し、腰の剣に手をおいている。
騒動に巻き込まれまいと、大勢の人たちがとある場所から離れていく。そうしてその騒動の中心となっているであろう場所に視線を向けると、そこには2人の女性と4人のいかつい男性がいた。
「な、なんですか、あなたたちは……!」
「あぁ!? とぼけんじゃねぇぞ!」
「そうだ……! てめぇがヴァルカ商会の関係者だというのはわかってんだ……!」
「ちょぉっとツラ貸してもらおうか、あぁん!?」
見目麗しい2人の若い女性が屈強な男たちに囲まれている。
おお……まぁこれだけ活気のある街だ、こういう騒動もあるか。
よく見ると彼女たちから離れた人たちも、今は野次馬になっている。こういうショーには慣れているんだろうなぁ……。
「兄貴……! いくらなんでもここじゃ人目がありすぎますって……!」
「ちっ……! だがはいそうですかとこいつらを見逃す理由にはならねぇ……! 多少強引でも、ここは……!」
「何をしているのかね、君たち」
「っ!?」
人だかりが左右に割れていき、そこに新たな人物が姿を見せた。高そうな服に奇麗に整えられた黄土色の髪……間違いなく貴族だろう。
彼の周囲には幾人もの兵士たちが並んでいた。いや……普通の兵士じゃないな。おそらくは騎士だ。
「てめぇ……っ! ど、ドライガン……!」
やっぱり……領主本人か。アーミックは相変わらず汗を流しながらオロオロしており、アリアシアは口元を両手でおおって驚いた表情を浮かべている。
またドライガンの隣にいた騎士がずぃと前に出てきた。
「領主様に対して呼び捨てとは、なかなかいい度胸じゃないか。マフィア崩れが、このような往来で人さらいができると思うな!」
「てめぇ……!」
一触即発。緊張感が高まる中、ドライガンは手を上げて騎士の動きを制する。
「よしたまえ、レイモンド。今の彼らはすでにマフィアではない。この街を支える者の1人として、更生してくれるのを期待したいのだよ」
「ドライガン様……! しかし……!」
「組織が解体されて動揺しているのはわかるが……しかし我が街での狼藉は見過ごせない。さぁどうするかね?」
「…………っ! クソがっ! お前ら、行くぞ!」
「あ、兄貴ぃ!」
4人の男たちは人混みを割って去っていく。
おや……見逃すのか。まぁ実際、何か被害が出たというわけでもなさそうだけど……。
「おお、さすが領主様だ!」
「マフィア 海の走者を壊滅させただけはある!」
「領主様がおらっしゃる限り、ここオルディーンは安全だな!」
助けられた女性2人も領主にお礼を述べるとその場から去って行く。……ふぅぅむ?
野次馬たちが仕事に戻っていく中、領主はこちらにまっすぐ向かってきた。
「帝国軍の軍旗を掲げた2台の馬車……商務官殿かな?」
「はいそうです、ドライガン様」
まさか領主の館に到着する前に、領主本人と対面を果たすとは……。まぁ用があるのは俺じゃなくて商務官のほうなんだけど。
きっと領主も俺たち一般兵は視界に入っていないだろう。アーミックは一団を代表して前に出る。
「おや、あなたはたしか、以前も定期監査で我が街に訪れた……」
「覚えていただいておりましたか。アーミックです、お久しぶりです」
「そうだ、アーミック殿だ。いやぁ、懐かしい。ん? そちらの女性は……?」
「は、はは、初めまして。アリアシアと申します、商務官として参りました」
「領主のドライガンだ、よろしく頼む。そうか……今年は2人なのかね?」
「はい。少し滞在期間が長くなるかもしれないのですが……」
「ああ、構わないとも。商務官としての仕事は帝国にとって大変大事なものだということは理解している。まぁいつまでもこんなところで話していても仕方がない、来たまえ。我が家に案内しよう」
そう言うとドライガンは案内するように歩き出す。その周囲を騎士たちが固めた。
帰り道も領民が「領主様だ!」「よかったらうちの魚を持っていってください!」と声をかけている。
すごいな……領民思いとは聞いていたが、かなり人気のようだ。
というかこれ……本当に今回の仕事は楽なのでは……? どう見ても領主と商務官が癒着するように見えないし。
それにこのぶんだとブラックマーケット自体、あるかどうかもあやしくなってきた。見たところマフィア対策も講じているみたいだからな。
実際に領主が税をちょろまかしているのかはわからないが、そこを調べるのは商務官殿の仕事だ。
まぁ領主のあの態度からして、不正はしていなさそうな自信しか感じなかったけど。
なんにせよ俺の仕事は別にある。さっさと終わらせて余った時間でせっかくなら観光もしてみたいところだ。
そんなことを考えているうちに大きな屋敷へと到着する。
「ここが我が家だ。馬車は使用人にあずからせよう。護衛の兵士諸君にも部屋を用意する。今日は疲れているだろう、ゆっくり休んでほしい。商務官殿とは明日あらためて打ち合わせの時間を取らせてもらおうと思うのだが、いかがかな?」
「えぇ、問題ございません。それでよろしくお願いしますよ」
即座にアーミックさんが答える。アリアシアは何か言いたそうな顔をしていたが、結局彼女の口から言葉が出ることはなかった。
「オルディーン滞在中はここを自分の家だと思って過ごしてほしい。もちろん兵士諸君らも同様だ。何かわからぬことがあれば、使用人に聞いてくれ。皆にはしっかりと話を通しておこう」
至れり尽くせりだな……! 末端の兵士にも気を配ってもらえるとは……!
この日は屋敷で夕飯をご馳走になった。といっても領主や商務官は別の場所で一緒に食事をとっており、俺たち兵士だけは大部屋に案内され、そこでみんなで食べる形になったのだが。
「おお、海の幸に酒まで……!」
「すげぇ……! こんなご馳走、食べたことがないっす……!」
「オルディア領まで来てよかったぁ……!」
「しかも公衆浴場の無料パスまで!」
海のある活気のある街、初日から豪華な食事に酒、そして無料で利用できる公衆浴場。
……こりゃランド隊長でなくとも、観光気分に拍車がかかっちまうな!
そうして満足のいく夜を過ごした翌日。俺たちは呼ばれた部屋へと赴くと、そこにはすでにアーミックとアリアシアの2人がいた。
アリアシアもすっかり緊張が表情からなくなっている。きっと昨日、領主との食事会で打ち解けることができたのだろう。
「やぁランド隊長。昨日はいかがでした?」
「最高の夜を過ごさせていただきましたよ! いやぁ、オルディア領までの護衛任務を引き受けて本当によかった!」
「ははは、皆のやる気につながったのなら何よりです」
「もう……遊びに来たわけではないと何度も言っているのに……」
アーミックとアリアシアはソファに座り、その後ろを俺たちが2列に並んで立つ。
扉にノックが鳴り、ドライガンが姿を見せたのはしばらく経ってからだった。
「やぁアーミック殿にアリアシア殿。昨日はよく眠れましたかな?」
「それはもう」
「は、はい……おかげさまで……」
「はは、満足いただけたようでよかった」
ドライガンは2人の正面にあるソファに座る。その後ろには2人の騎士が立った……が、その中の1人が俺の顔を見て両目を大きく見開く。
感動の再会と言いたいところだが、お互いこの部屋では私語を話せないからな……。俺はニッと笑みだけ向けておく。
「ではドライガン様。さっそく打ち合わせを進めさせていただけますかな?」
「もちろんだ。例年通り、定期監査には全面的に協力しよう」




