ヴァネッサ室長と皇帝ガルディアス
ヴァネッサの前にはレオンとソフィアの2人が立っていた。あらためて報告書に視線を落とし、ヴァネッサは額を押さえる。
「まずどうしてセレーネ皇女がレオンと知り合いになる?」
「いや……俺にもさっぱりでして……」
「レオンちゃんが仮面を壊しちゃって、素顔のまま皇宮へ行ったからよねぇ~」
そこも報告書を見ればわかる。問題なのはセレーネ皇女がはっきりと「レオンという給仕」を認識した点だ。
ヴァネッサの記憶にある限り、あの皇女は庶民の名前をまず覚えない。覚える気がない。
なのにこの時は皇女のほうから名を確認してきたという。
「給仕レオンなど、どこにもおらんぞ」
「いや、まぁ……珍しい名前でもないし、ごまかせるかと思いまして……」
「…………まぁいい。それで? ソフィア……第二皇子派と終夜会の関係が完全に絶たれたとあるが……?」
終夜会が第二皇子派と距離が近いのは帝国情報院の働きもあってある程度はつかめていた。
たしかに幹部のジスの行方を追っていたのは事実だが、それは何も追い込んだり処分するためではない。
「そうなんですよぉ~。ここ3日ほど、ちょっと探っていたんですけどぉ、どうやら両者ともに距離を置いたみたいですねぇ~」
「……ハァ」
ヴァネッサは当初から、アシュレイ皇子陣営が自分の手紙を回収する男を突き止め、そのまま接触してくる可能性について考慮していた。
そもそもこの件に関してはアシュレイ陣営と面談する前から、皇帝陛下より相談を受けていたのだ。
そして手紙を回収しているのが黒仮面の男であると確認すれば、「黒紋監察室がかかわっている」と自然と理解させることができる。
賢いアシュレイ皇子であれば、すぐにこれが何を意味するのかを察するだろう。
すなわち「皇帝陛下が娘を政治の道具にするのを許さない」と伝えてきている……ということを。本来であればここまでがヴァネッサの計画だった。
ところが結果はどうだ。どういうわけか黒仮面を被っていないタイミングでレオンと第二皇子派が接触してしまい、彼のことを「第一皇子派に属する給仕」だと誤解してしまった。そしてその誤解は今も解けていない。
さらに第二皇子派と終夜会の関係が絶たれることとなった。これ自体はわるい話ではない……と言いたいところだが、いい話とも言い切れないのだ。
「やってくれたな。またいろいろと練り直しをせねばならん」
「マジすか」
「ああ。練り直しは必要だが、逆に言えばもともとの予定よりも利用しやすい状況を作れるかもしれん。どちらにせよ面倒な作業が多く発生することになるがな」
今回の作戦は、その目的も含めてヴァネッサ自身、だれにも話していなかった。
だからこそレオンは黒仮面が壊れても素顔のまま皇宮に向かったし、姿を見せたジスについてソフィアも執拗に追跡を続けた。
そもそも「皇帝陛下がかわいい娘2人を兄から守ろうとして、私情で黒紋監察室を動かしたのだ」とは言えなかったのだが。
良くも悪くも黒紋監察室は皇帝の私兵である。
「まぁ目先の目的はクリアできた、今はこれでいいだろう。レオンの黒仮面もまた発注しておく」
「ありがとうございます」
長期目線では戦略の練り直しが必要になったが、とりあえず皇帝のオーダーはクリアできた。だが早期に相談が必要なこともある。
予想以上の……いや、斜め上の成果を部下が出したことについては、少なくとも自分だけでなく皇帝自身にも責任があるとヴァネッサは胸中でつぶやき、そのまま陛下への面会依頼を出す。
そして翌日。ヴァネッサは城内にある皇帝の執務室へと足を踏み入れた。
「失礼します、ガルディアス皇帝陛下」
「おお、ヴァネッサ。報告書には目を通した、今回もよくやってくれたな」
「は、おほめにあずかり光栄です」
皇帝ガルディアス……今年50歳になる人物だが、見た目は若々しい。
前皇帝とは違って武闘派タイプではないが、娘2人を前にすると判断能力が著しく低下することをヴァネッサは知っていた。
「まさか終夜会のジスを釣りあげ、さらに第二皇子派が第一皇子派に対してさらに警戒心を高める結果に終わるとはな! やぁ愉快愉快」
「こちらで不手際があったのは事実です。……予定よりもだいぶ早く第二皇子派の権勢が削がれました」
「ああ、問題はそこだな」
皇帝ガルディアスも第一皇子と第二皇子が水面下で次期皇帝位を争っていることは把握している。来るべき日に備えて、互いに勢力の拡大を図っていることも。
だがガルディアスもヴァネッサも、もうしばらくは2人の間で均衡を保たせる予定だった。この段階で第二皇子派と終夜会が関係を絶つのは、まだはやいのだ。
「このままでは第一皇子派が、一気に決着をつけるチャンスだと考え始めるかもしれんなぁ……」
「今すぐ……というわけではないでしょうが、5年先に起こるはずだった戦いが2年先になったかもしれません」
第二皇子派のバルシアが末席に追いやられ、終夜会の力がなくなったとはいえ、すぐにその権勢が弱まるというわけではない。
だが時間をかけてジワジワと影響は広がっていくだろう。
今のところガルディアスは次期皇帝をはっきりと定めてはいない……が、絞ってはいる。そしてその中に3人の息子全員が入っているわけではなかった。
「まったく……アシュレイが余計なことを考えなければ、自分の権勢を削ぐこともなかったというのに……」
アシュレイ派閥の貴族が第五皇女セレーネと第六皇女アナスタシアに目をつけたのは、ガルディアスはとっくに把握していた。
そのうえで2人の娘が次期皇帝位争いに巻き込まれるのを避けたいと考え、ヴァネッサに命じたのだ。
ただ一言、「なんとかしろ」と。実に皇帝っぽい命令の仕方である。
皇帝の丸投げに慣れているヴァネッサはあれこれ作戦を立て、レオンにお使いに行かせることにした。黒仮面が壊れていなければ、今ごろすべてうまくいっていただろう。
黒紋監察室にもイレギュラーはあったが、今回の件についてはアシュレイ陣営の自業自得であった。
「しかしこれほどあっさりと第二皇子派と終夜会を切り離してみせるとは……なかなか有能な紋影官がそろっているようだな」
「有能なのは間違いありません。今回はさすがにやりすぎですが……」
「よい、とにかくしばらくアシュレイも娘を使おうなどとは考えまい。だが第一皇子派をこのままにしておく、というわけにもいかんなぁ?」
そう言うとガルディアスはヴァネッサにどこかいたずら小僧を思わせる目を向ける。
「なんとかしてくれるな?」
要するに第一皇子派の権勢も削いでしまえということである。もちろん手段はヴァネッサに丸投げだ。
「……もちろんです、陛下。ただ今すぐというのはむずかしいですが……」
「ああ、時期も任せる。理想は1年以内にまた両者の間で均衡しているくらいが望ましいが……」
ただでさえ黒紋監察室は、他にもいろいろな案件を抱えている。中には“黒入り”もあるのだ、第一皇子派ばかりに構ってはいられない。
一方で黒紋監察室は皇帝の私兵という側面があることも事実。こうして皇帝のオーダーに応え続けるのは義務でもある。
「それから一つ、非常に気になることがあるのだがね?」
「なんでしょう?」
「一般兵から給仕に……それも皇宮に立ち入れるくらいに出世したレオンという男を、セレーネがいたく気になっているようだ。これ、報告書のレオンくんだよね? 【夜影疾走】の」
「……ですね」
報告書にも記載があった。セレーネ皇女とたまたま遭遇してしまい、さらに向こうは1年前にハグリアの街で護衛についてきていた一般兵ということを覚えていたと。
たしかにただの兵士が1年後、給仕になっていれば驚きもするだろう。
「給仕のレオンはまた兵士に戻ったとか言っておくから、しばらく彼を帝都の外に出してくれるかな? かわいいセレーネの口から他の男の名前など聞きたくないし」
「…………はっ。かしこまりました」
レオンの次の任務が帝都外になったのが決まった瞬間だった。
(まったく……まぁちょうど外での任務に人手が必要だったタイミングだ。2週間くらい休みをやって、それから向かってもらうか……オルディア領へ)




