知将皇女セレーネ様
「あなた……たしかハグリアの街で護衛いただいた兵士さん!?」
「…………っ!?」
おおぉぉぉぉぉぉい! どうしてセレーネ皇女がこんなところにいるんだよおぉぉ!
いや、ここは皇族の居住区である皇宮だし、いてもおかしくないんだけどおぉぉぉ!
でもよりにもよって仮面を失っているタイミングでなくてもいいじゃねぇかあぁぁ! いくらなんでもタイミングがわるすぎる……っ!
よく見るとセレーネ皇女の隣にはもう1人、小柄な美少女がいた。服装の豪華さはセレーネ皇女と同じくらい……となると、この美少女がだれかはかなり絞られてくるな。
「お……お姉さまの……し、知り合い、です、か……?」
お姉さま……やっぱりか。たぶんこの方が第六皇女アナスタシア殿下だろう。
地面まで届きそうな薄緑の髪はセレーネ皇女の髪同様、夜でもわずかに煌めいている。皇族は妖精族の血も混じっているから、その影響だろうか。
アナスタシア殿下は左の前髪がかなり伸びており、片眼が隠れていた。声色や態度から、人見知りなのがうかがえる。
「ええ、アナスタシア。彼は兵士……のはず……なのです、が……?」
セレーネ皇女は下から上までしっかりと俺を見てくる。
今の俺はどう見ても給仕だ。1年前は兵士だった男がどうして給仕として皇宮にいるのか、意味不明でこの状況をすぐには咀嚼できないのだろう。
え……ガチでどうしよう。どうごまかそう……! こんなことならノア先輩の厚意に甘えさせてもらうんだったあぁぁ!
■
皇女セレーネは今、喜びで心が震えていた。長らく行方不明になっていた「自分の欲を極めて高いレベルで満たすことのできる道具」が目の前に現れたからだ。
セレーネは1年前、ハグリアの街に滞在している間になんとしてもモブ兵士をセレニアンにするつもりだった。
ところがザック(大変遺憾ながら名前を覚えてしまった)と会話をしたその翌日、彼は姿を消していた。
リシェル三等剣尉の話によると、ハグリアの街を襲った巨大魔獣の状況報告書、その第一報を帝都に持っていかせたのだという。
おかげでセレーネはかなり消化不良のままハグリアの街から帝都に戻ることになった。
(ここであったが百年目……っ! 絶対に逃さない……!)
この男をセレニアンにできた時、いったい自分はどれだけ承認欲求を満たせるだろうか。
あれから簡単にセレニアンになる庶民たちを見るたびに、攻略できなかったモブ兵士のことが脳裏に浮かんでいた。
モブ兵士の名前を調べることは簡単だろう。だがここで「見目麗しく聡明で清廉清楚なセレーネ皇女様が、一般兵の名前を調べているだと!?」というウワサが広まれば、それは大きな波紋を起こすこととなる。
あるセレニアンは「その兵士が俺たちのセレーネ様の心を射止めたのか! おのれ帝国め許さん!」と暴動を起こすだろうし、また別のセレニアンは「帝国兵がきっとセレーネ様の不興を買ったに違いない! おのれ帝国め許さん!」と暴動を起こすだろう。
皇女としてそのような事態だけは断固として止めなくてはならない。
そのためセレーネはイライラとストレスを抱えながらも、結局今日までモブ兵士のことを調べることができなかったのだ。
(落ち着きなさい、清廉清楚な皇女セレーネ……! これは千載一遇のチャンスよ……!)
今日はアナスタシアの侍女から「アナスタシア様を少しでも外の空気に慣れさせてもらえませんか」と泣きつかれ、こうして自室に引きこもりがちな妹を連れて皇宮敷地内の庭を歩いていたのだ。
夜ならばそうそう人に会うこともないからと、アナスタシアを説得してのことだった。常に八方美人を心がけているセレーネからすれば、アナスタシアの侍女のお願いを聞くことなど造作もないことである。
だがそんな日頃の行いと己の性格の良さ、素直な心根を天は見ていたのだろう。こうして最高の獲物を自分の前に並べてくれたのだから……!
「本当にお久しぶりですね! どうしてこちらにいらしたんですかぁ?」
17年鍛え続けてきた笑顔を浮かべつつ、両手を合わせる。
さすがに皇宮敷地内なので、街中を散策しているときと違って距離をつめるわけにはいかず、奥義〈小悪魔皇女の覗込術〉は発動できなかった。
そもそも不用意に近づいたら護衛騎士が間に入り込むことだろう。
だがそれはそれとして、どうして1年前はモブ兵士だった人物が、今はモブ給仕になっているのだろうか。
「あ、いやぁ……えっと、ですねぇ……」
モブ兵士からモブ給仕にクラスチェンジした男は目線を横にそらす。
一見するとこの反応はセレーネと対峙したセレニアンに多く見られるものだ……が、聡明なセレーネ皇女からすれば、モブ給仕の場合は他のセレニアンとはまったく性質が異なるものだと理解できてしまう。
やはりこの男はまだ自分になびいていない。でも構わない。抵抗が激しければ激しいほど、目的を達成できたときの快楽はとんでもないものになっているはずなのだから……!
「わ、私なんかがセレーネ様のお帰りの邪魔をしてこうして立ち止まらせてしまうわけにはいきません。どうぞ私のことなぞ無視してこのまま中にお入りください」
そう言うとモブ給仕は道を空ける。これも客観的にみるとセレニアンとしては正しい行動だ。
しかし鍛え抜かれた眼力を持つ眼力帝セレーネ様からすれば、自分との会話を避けたがっていることが容易に看破できてしまう。
(…………っ! いいわ……要するに真っ向勝負というわけね……っ!)
ここまでの挑戦を受けたことなど、これまでの人生で一度でもあっただろうか。いやない。
だがバトルフィールドが自分に不利ということを百戦錬磨のセレーネ皇女様はすでに察していた。
ここは皇宮敷地内で、しかも今は夜。自分と護衛騎士だけならばまだ打つ手もあったが、ここには人見知りのアナスタシアもいる。つまり状況的にモブ給仕相手に長話ができないのだ。
もしここでモブ給仕相手に長く立ち話をしてしまえばどうなるか。
アナスタシアの心労になるのはもちろんだが、何よりも恐ろしいのはこの事実を知ったセレニアンたちが「その給仕がセレーネ様を誘惑したのか! おのれ帝国め許さん!」と以下略。
(つまりこの場においては、譲れない勝利条件とここまでいければ文句なしの勝利条件を設定し、今後に向けた対策を取れる状況に持ち込めれば問題ないということ……っ!)
今日の反応を見てあらためて実感した。このモブ給仕はセレニアンにするまで、おそらく相当な時間をかけねばならないということを。今この瞬間、自分に許された時間では到底不可能ということを。
ならば長期戦になることを見越して、ここでの遭遇を次のチャンスにつなげるべき。
「ふふ……ありがとうございます。でもこうしたまたお会いできたのも何かの縁。お名前をおうかがいしても?」
ごく自然な動作と口調で名前をたずねる。名前を押さえることができれば、モブ給仕の動向を探ることなど造作もない。
あとは偶然を装って接触回数を増やすことで、この男はいずれ完璧なセレニアンとなるだろう。
ここまで完璧に練られた戦略をわずか1秒で思いついてしまった自分の有能さがあまりにも恐ろしいセレーネであった。
「あぁ~……いや、自分なんかの名前、皇女様に名乗るほどのものでもないといいますか……」
やはり手ごわい。こちらに残された時間は残りわずか。こうなれば多少強引であっても次の手を打つべきだ。
「あら……うふふ。そんなことありませんよ。それにそこまで言われてしまうと、気になってお名前を聞くまで自室に戻れません」
「…………っ!」
ここが自分にとって有利なバトルフィールドであれば、一気に勝負を終わらせることもできた。モブ兵士からモブ給仕になって皇宮に入れるようになるまで、相当な活躍があったに違いない。
そこを深堀りして「さすがですね!」「知らなかったですぅ」「すごいですね!」「センスあると思いますぅ」「そうなんですかぁ!」からなる、55あるセレーネの奥義〈五声魅了陣〉を発動させることができれば、決着はついていたはずだ。
だがその時々の状況を見極め、柔軟に戦略を変えられるのも清楚知将セレーネ元帥の能力である。この瞬間、セレーネは戦いの勝利条件を「名前を聞く」に変更した。この間、わずか0.5秒(当社比)である。
そして強硬手段を取られたことをモブ給仕は正しく理解したのだろう。目を泳がせながらも口を開く。
「れ……」
「れ?」
「レオン、です……えぇ。ただのレオンです」
「………………」
たしかに勝利条件は達成できた……が、満点ではない。家名を聞けていないし、レオンなんて名前のモブなどこの帝都にいくらでもいる。
だが皇宮に入れるレオンという名の給仕となると、かなり絞ることができるだろう。それにさすがにタイムアップだ、これ以上は護衛騎士を含めて他の者たちに余計なウワサを流されかねない。
「ありがとうございます、レオンさん。ではごきげんよう」
そう言うとセレーネはなんでもないようにレオンを視界に収めることなく建物の中へと入る。
だが彼女にはわかっていた。レオンとの戦いはまだ始まったばかりだということを。
(ふ……うくくくくくく……! レオン……! あなたはわたしに大いなる実りを与える道具……! いつかくるその日が楽しみだわ……!)
この日のセレーネ皇女はぐっすりと眠ることができたという。
■
(……や、ややこしいことに……なった? いや、大丈夫だよな?)
まさかあんなにしっかり名前を聞いてくるとは……!
しかしレオンなんて名前はべつに珍しくないし、変に偽名を使うよりもいざというときにごまかしやすいだろ。
何よりも兵士だったはずなのにどうして給仕として皇宮にいるのか、ということを突っ込まれなくて助かった……!
あの場合、さっさと名前を告げて帰ってもらうのが最適解だったと思う。
「あの……」
気づけばいつもの侍女さんが扉から顔をのぞかせていた。きっと俺と皇女の遭遇もあって話が終わるまで待っていたのだろう。
侍女さんは俺が普段と違う装いなのは気になっている様子だったが、なんだかんだ仮面越しとはいえもう10回以上会っている。
どうやら仮面をつけていなくても、俺がいつもの紋影官だとわかったようだった。
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