第六皇女アナスタシア
アイゼンブルク帝国の第六皇女であるアナスタシアは今年15歳になり、社交界デビューしたばかりである。
しかし人見知りで引っ込み思案な彼女は、最初のお披露目パーティー以外にお茶会などは参加していなかった。
「アナスタシア様。お茶会の誘いが来ておりますが……」
「…………い、や」
「……はぁ」
正直に言ってアナスタシアは皇宮から出たくなかった。知らない人と話すのは疲れるし、ずっとだれかに見られているのも落ち着かない。
しかし15歳を迎えてしまった今、いつまでもそうは言っていられないのはわかっている。
「……え、永遠に、14歳ならよかったのに……」
「永遠の……14歳……?」
できることならこのままずっと皇宮に引きこもっていたい。だれとも結婚せずにただ寝て起きてご飯を食べてお風呂に入って寝るだけの生活を永遠に続けていたい。それがアナスタシアの願望だった。
そんな彼女を幼いころから世話をしている侍女アンリが困ったように言う。
「今のところはお断りしても問題のない方からしかお茶会の誘いは来ていませんが……いつまでもそうは言っておられませんよ。姉君たちや大貴族の令嬢から誘われる可能性もあります。そうなればさすがに断れません」
「せ……セレーネ、お姉さまなら……いいけど……」
引きこもりアナスタシアではあるが、唯一セレーネだけは慕っていた。彼女はいつも明るく、アナスタシアに優しくしてくれるのだ。
理由は簡単、セレーネがアナスタシアを立派なセレニアンにしようとしているからである。
彼女は上の姉たちや貴族からの人気集めはあきらめているが、下の妹は話が別。むしろ皇族の中で唯一セレニアンにできるポジションであったために、セレーネはアナスタシアとずっと気安く接してきていた。
年齢が近いというのもあるが、アナスタシアにとってセレーネは数少ない普通に話せる人物である。
「はぁ……アナスタシア様。いずれにせよ数ヶ月後、あなたは帝立アストラ学院に通うことになります。入学前に貴族同士の会話に慣れておいたほうがいいと思いますよ」
「………………………………」
「アナスタシア様?」
「………………おえぇぇぇ」
「アナスタシア様ぁ!?」
■
昼間から夕方にかけてみっちり先輩たちにしごかれ、俺は黒紋監察室の制服を着て黒仮面をつける。
夜になったので、任務を遂行するべく城内を歩いて皇宮へと足を向けた。
「この任務に就いてもう15日経つけど……これ、なんの意味があるんだ……?」
帝都の中心部ともなると、夜中でもかなり明るい。地脈に流れる龍気を活用した照明がいたるところに設置されているからだ。
そんな中でも皇宮の敷地内だけはやや暗かった。派手な照明よりも、あえて静謐な雰囲気を出すことで高貴な感じを出しているのだろうか。
敷地に入るところで守衛に許可証を見せ、そのまままっすぐ建物を目指す。ここから建物までは10分ほど歩く必要があるんだよな……。
皇宮敷地内には広大な庭に加え、ここで働く者たちが下宿するための建物もある。それに皇宮内部もかなりの区画で分かれており、慣れていない者なら迷うらしい。
まぁ俺は建物内部まで入ることはないけどね。歩き続けてしばらく、ようやく目的地へとたどり着く。そこでしばらく待っていると、建物から1人の女性が姿を見せた。
「お疲れ様です」
その女性は懐から手紙を取り出すと、それを俺に渡してくる。俺はそれを無言で受け取り、うなずいて見せるとそのまままた来た道を戻っていく。
あとはこの手紙をヴァネッサ室長の部屋まで届ければ今宵も任務完了だ。本当になんだろうね、この任務……。
ちなみに手紙を持ってくる女性とは一度も話したことがない。
彼女は手紙がない日は「今日はありません」と報告してくれるし、ある日はさっきみたいに俺に手紙を渡してくれる。
きっと彼女も俺と同じく、どうして手紙を紋影官に渡すのか理解していないのだろう。俺もなぜここで手紙を受け取って運ぶのかは理解していない。
ヴァネッサ室長に聞いたら教えてくれるかもしれないが、俺の中の第六感が「聞いたらより面倒な事態に巻き込まれるぞ」とささやいているので、今のところ聞いていない。
まぁ俺自身、そこまで気になっていないというのも大きいんだけど。
そうして城内へと帰還し、ヴァネッサ室長の部屋をたずねる。そしていつも通りに彼女に手紙を渡した。
「ご苦労」
「いえいえ、これくらい楽なもんです。あと何日くらい続けます?」
いつまでも続く任務ではないだろう。せめてあと1ヶ月……いや、3ヶ月……いやいや、半年くらいは続いてほしい。
「もうじきだと思うがな」
「はぁ……」
「ああ、そうだ。わたしは明日から帝都を経つ。帰還は1週間後になるが、その間も今の仕事は続けるように」
「了解です」
ヴァネッサ室長も忙しい身だ、帝都を離れるのはよくある。今の任務がいつまで続くのか不明瞭だが、最低でもあと1週間は続くということか。
日中の鍛錬さえなければこれほど楽な仕事はない。
「わたしのいない間だが、受け取った手紙はこの箱に入れておいてくれ」
そう言うとヴァネッサ室長は机の上にある木箱を指さす。
なんてことはない、手紙をヴァネッサ室長に渡すか木箱に入れるかの違いだ。
「わかりました。引き続き任務にあたらせていただきます!」
「ああ、よろしく頼むぞ」
■
翌日。第二皇子アシュレイはガルフォードを呼んで話をしていた。話題は2人の皇女とのお茶会である。
「あれ以来、何度か手紙を出しているんだけどね。妹たちからはまったく返事がこないんだよ」
アシュレイはガルフォードの献策を受け入れ、セレーネとアナスタシアに手紙を送っていた。しかし一向に返事はこない。
普通、第二皇子たる自分から手紙を受け取れば、即座に返事を書くものだろう。しかもガルフォードらの娘からも手紙を出させているのだが、それらにも一切の返事が返ってこない。
不審に思っていたが、ここでガルフォードが重々しくうなずきを見せた。
「実は私も気になりまして、他の者に探らせてみました」
「ほう。妹たちがなぜ手紙を返さないのか、探れるものなのかい?」
「私もどこまで探れるかは不透明な部分がありましたが、収穫はありました」
皇宮で働く者たちの中には、ガルフォードの息がかかった者もいる。
皇宮はある意味で外界との接点が限られた空間なので、情報の共有はむずかしい。しかしまったくできないというわけでもない。
時間はかかったが、ガルフォードは決定的な情報の入手に成功していた。
「どうやら我らの手紙を皇女殿下とは別の者が受け取っているようなのです」
「……ん? どういうことだい?」
「詳細はわかりかねますが……夜な夜な手紙を皇宮まで受け取りに来ている者がいることはつかめております」
つまりこれまで書いた手紙はすべて妹たちに届くことなく、第三者が受け取っていたということだ。しかしそうなると大きな疑問が出てくる。
「それは……いや、わざわざそんなことをするなんて……兄上くらいしかやるメリットがないではないか……」
普通に考えれば、第二皇子が妹に宛てた手紙を横からかすめ取ることはできない。しかも内容はただお茶会に誘うという単純なもの。
手紙を奪い取っている者は、間違いなくアシュレイと妹たちの距離が近づくことを警戒している。
ではどういった人物がそんな細かい部分を警戒するのか。そして第二皇子の書いた手紙を奪えるというのか。
「はい……おそらくジェイケル皇子の手によるものかと……」
「く……! まさか兄上は、すでに妹たちに手を伸ばしていたのか……っ!?」
間違いない。そもそもセレーネとアナスタシアが皇帝陛下と距離が近いという情報をこちらが掴めたのだ、絶対に第一皇子陣営はその情報を掴めないという確証はどこにもない。
「調べたところ、セレーネ殿下もアナスタシア殿下も、ジェイケル皇子と個別に面会した記録はございませんでした」
「なるほど……兄上も忙しいからね。兄上が妹たちと会うには日程の確保がむずかしいが、自分が手を出せない時を狙って私と妹たちの距離が近くなるのを警戒したのか……」
つまりそれだけセレーネとアナスタシアの2人を、ジェイケルも重要視しているということである。
それは裏返せば、アシュレイ陣営にとって大きな武器になるということ。
「実際に手紙を受け取りに来ているのはだれだい?」
「そこまでは……。どうやらいつも男1人だけのようですが」
「なるほど……それで。手は打てそうかい?」
ここでガルフォードは真剣な表情になる。ガルフォード自身、アシュレイと同じく理解しているのだ。
第一皇子が警戒するほど、セレーネとアナスタシアと距離を詰めるのは重要なことだということを。
「まずは懐柔が可能かを試します。それでだめなら……」
「強硬手段に出る、か」
「いずれにせよ手紙をだれの指示でどこへ運んでいるのかははっきりさせねばなりません」
そうだ。そこを暴かねば次の手も打ちようがない。多少強引な手に出ても、手紙をかすめ取っている人物から情報を吐かさねばならないだろう。
「だがこちらがその男に気づいたことは伏せておきたい。うまくやれそうかい?」
「はい、バルシアがその手の連中と伝手があります。彼に対処させましょう」
「ふ……」
バルシアは紋影官に話しかけに行くほど、有用だと判断した相手に取り入ろうとする男だ。
今は第二皇子派についているが、もしジェイケルのほうが優位だと判断すれば、手のひらを返す可能性も否定できない。
仮に今回の件でヘマをやらかしたとしても、最悪の場合はバルシアを切れば済む。こういうときに使う人物としてはうってつけだった。
「では任せるよ」
「かしこまりました。早急に手を打たせましょう」




