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6 舞踏会

 会場となる大広間の扉が開かれた瞬間、光と音の奔流が押し寄せた。

 シャンデリアの煌めき、オーケストラの調べ、そして数百人の生徒たちが纏う絹擦れの音。

 私が足を踏み入れると、さざめきが一瞬止まり、すぐに感嘆のさざ波へと変わった。


「……あぁ、見て。ヴィオラ様だわ」


「なんてお美しい……。まるで夜の女神のようだ」


「近寄りがたいほどの気品だな。やはり公爵家の格が違う」


 周囲からの視線が、心地よい重みとなって私に降り注ぐ。

 ミッドナイトブルーのドレスは、会場の誰とも被ることなく、私の銀髪を冷たく際立たせていた。

 私は扇を胸元に添え、完璧な角度で微笑む。これこそが、私が積み上げてきた「完璧」の形。

 一方で。


「アナスタシア様、お可愛らしい……!」


「そのピンクのドレス、春の妖精のようにお似合いです!」


会場の反対側では、あたたかな春風のような空気が生まれていた。

 ローズピンクのドレスを纏ったアナスタシアが、鈴を転がすような笑い声と共に称賛を浴びている。


「ありがとう! ……あら、リサ様もそのブルーのドレス、とっても素敵! 瞳の色に合っているわ」


「ほ、本当ですか? 自信がなくて……」


「自信を持って? あなたはとっても可愛いもの!」


 アナスタシアは、自信なさげな下級生の手を両手で包み込み、励ましている。

 その距離の近さ。温かさ。

 彼女の周りには自然と人の輪ができ、笑顔が伝染していく。

 冷徹な美貌で人をひれ伏せさせるヴィオラ。

 愛くるしい笑顔で人を惹きつけるアナスタシア。

 やがて、人の波が割れ、私とアナスタシアがフロアの中央で対峙した。


「ごきげんよう、ヴィオラ様」


 アナスタシアが、ふわりとドレスの裾をつまみ、公爵令嬢として恥じない優雅なカーテシーを見せた。


「ごきげんよう、アナスタシア様。……とても愛らしい装いですわね。まるで砂糖菓子のように甘そうだわ」


「うふふ、ありがとうございます。ヴィオラ様こそ、夜空の星のように輝いていらっしゃいますわ。……誰も触れられないほど、高く、遠く」


 アナスタシアは無邪気な笑顔のまま、核心を突いてくる。

 周囲の生徒たちが、ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。

 全員が分かっているのだ。

 この後、ルーファス殿下が到着した時、どちらの手が選ばれるのか。それがこの勝負の「答え」になることを。







 ファンファーレが高らかに鳴り響いた。



「第一王子、ルーファス・ルミエール殿下のお成りです!」


 大階段の上に彼が現れた瞬間、会場の空気が一変した。

 私とアナスタシアに二分されていた視線が、強力な磁石に吸い寄せられるように、たった一点——彼へと集約される。

 純白の礼装に、王家の象徴である深紅のサッシュ。

 燃えるような赤い瞳が、会場全体を睥睨している。


(……あぁ)


 私は思わず息を呑んだ。

 美しい。ただ整っているだけではない。

 その立ち姿には、国を背負う者だけが持つ、揺るぎない自信と威厳が満ちていた。


(かっこいい……)


 不敬を承知で、そう思わずにはいられなかった。

 あれが、私の追いかける人。私が隣に立ちたいと願う、未来の王。

 胸の鼓動が早くなる。彼に見合うのは、この会場で私しかいないという自負が、私を熱くさせた。

 殿下が階段を優雅に下りてくる。

 その途中、人垣の最前列にいたアナスタシアの前で、彼は足を止めた。


「ルーファス殿下、ごきげんよう」


 アナスタシアは、ふわりとドレスの裾をつまみ、完璧なカーテシー(淑女の礼)を披露した。

 その所作は公爵令嬢として申し分のない洗練されたものだったが、顔を上げた瞬間に綻んだ笑顔には、隠しきれない人懐っこさが溢れていた。


「やあ、アナスタシア嬢。今夜は一段と華やかだね。そのピンクのドレス、春の女神かと思ったよ」


「まぁ……! 勿体ないお言葉ですわ。殿下こそ、月のように素敵です」


 アナスタシアは頬を染めて微笑んだ。

 礼儀正しいのに、堅苦しくない。まるで花が咲いたようなその空気感に、殿下も自然と表情を緩めている。

 私は、その様子を静かに見つめていた。

 挨拶くらいはするでしょう。彼は「平等」な王子様なのだから。

 その時、楽団の指揮者がタクトを振り上げた。

 舞踏会開始の合図だ。

 伝統として、最初のファーストダンスは、最も身分の高い男女が踊るのが通例だ。

 この場で最も身分が高いのはルーファス殿下。

 そして女性側は——公爵令嬢であり、成績優秀者の私か、同じく公爵令嬢のアナスタシアか。


 私は扇を閉じ、背筋を伸ばして彼を待った。

 

 ルーファス殿下が、ゆっくりと歩き出す。

 真っ直ぐに。

 そして——。


「——さあ、お手を。アナスタシア嬢」


 彼が白手袋の手を差し出したのは、私の数メートル手前にいた、アナスタシアだった。


「……え?」


 私の思考が空白に染まる。

 アナスタシア自身も驚きに目を丸くし、扇で口元を覆った。


「今日は新入生歓迎会だ。場の空気を和ませる『華やかさ』が欲しい。……君の柔らかい笑顔なら、緊張している新入生たちもリラックスできるだろう?」


 殿下はそう言い、戸惑う彼女の手を優しく、しかし強引に取ってフロアの中央へと連れ出した。

 ワルツの調べが流れる。

 愛らしいピンクと純白が、くるくると回り始める。

 私は、取り残された。

 完璧に仕上げたドレスも、磨き上げたステップも、今朝のあの言葉も。

 すべてが、音を立てて崩れ落ちていく。

 周りの生徒たちが、チラチラと私を見て何かを囁き合っているのが分かった。


「あれ? ヴィオラ様じゃないの?」


「やっぱり、殿下は可愛らしい方がお好きなのかしら」


 惨めだった。

 足元から凍りついていくようで、一歩も動けない。

 その時。


「——突っ立ってると、壁の花になっちゃうよ? 完璧なお姫様」


 呆れたような、けれどどこか気遣わしげな声。

 目の前に、カシウス・ノクスが立っていた。

 彼はいつも通りの少し崩した着こなしで、苦笑いを浮かべながら右手を差し出している。


「……カシウス」


「ルーファスも罪作りだね。まあ、あいつは『全体のバランス』しか見てないから、君を傷つけたなんて微塵も思ってないだろうけど」


「…………」


「ほら、手。僕で良ければ、あいつらが踊り終わるまでの時間稼ぎくらいしてあげるよ」


 彼の紫の瞳は、私の動揺も、プライドも、すべて見透かしていた。

 私は震える指先で、彼の手を取った。


「……一曲、お願いできるかしら」


「仰せのままに」


 カシウスが私を引き寄せ、ステップを踏み出す。

 彼のリードは驚くほど軽やかで、私の強張った体をふわりと運んでくれた。


「……笑いたければ笑えばいいわ。道化だもの」


「笑わないさ。ただ……君は少し、背伸びしすぎなんじゃないかと思ってね」


 カシウスは回転の最中、そっと私の耳元で囁いた。


「完璧じゃなきゃ選ばれないなんて、誰が決めたのさ」


 その言葉は、優しく、そして痛く、私の胸に突き刺さった。

 視界の端では、ルーファス殿下とアナスタシアが楽しそうに笑い合っている。

 その光景が滲んで見えたのは、きっと回る速度が速すぎるせいだと、私は自分に言い聞かせた。



***




カシウスとのダンスを終えた私は、礼を言って彼と別れると、すぐさま「公爵令嬢」としての顔に戻った。

ここからは、社交(戦場)の時間だ。

私は扇を開き、会場の有力な令息・令嬢たちの輪へと足を踏み入れた。


「——ごきげんよう、皆様」


 私が声をかけると、談笑していたグループの空気がピリッと引き締まる。

 

「あ、ヴィオラ様! ごきげんよう!」


「先ほどのカシウス様とのダンス、お見事でした」


 彼らは一斉に姿勢を正し、緊張した面持ちで私を迎えた。

 私は彼らの緊張を解くことなく、優雅に微笑む。

 

「ありがとう。……ところで、ランバート男爵令息。貴領の今年の小麦の収穫量は、例年より二割増しとの報告を聞きましてよ。素晴らしい手腕ですわね」


「は、はい! 治水工事が功を奏しまして……よくご存知ですね!」


「ええ。国の物流を支える重要な穀倉地帯ですもの。当然ですわ」


 私は次々と話題を振った。

 相手の領地の特産品、最近の法改正について、あるいは芸術の歴史的背景。

 私の知識は完璧で、会話に淀みはない。相手は感心し、「さすがヴィオラ様だ」と称賛の言葉を並べる。

 けれど、誰も私と「雑談」をしようとはしない。

 誰も私に、「このケーキが美味しいですよ」とは勧めない。

 私の周りにあるのは、冷たく洗練された「敬意」の壁だけだった。


(……これでいいのよ。私は次期王妃候補筆頭。舐められてはいけない)


 乾いた喉をジュースで潤そうとした時、少し離れた場所から、ドッと沸くような笑い声が聞こえた。

 

「きゃはは! うそ、クリームがついちゃった!」


「あーあ、アナスタシア様ったら!」


「僕が取ってあげますよ!」

「いや、僕がハンカチを!」


 そこには、人だかりができていた。

 中心にいるのは、もちろんアナスタシアだ。

 彼女は片手に皿を持ち、口の端にクリームをつけたまま、無防備に笑っている。

 本来ならマナー違反もいいところだ。けれど、周囲の令息たちは顔を赤らめて彼女の世話を焼き、令嬢たちも「もう、しょうがないわね」と微笑ましげに見守っている。

 

「ねえねえ、このタルト、すっごく美味しいの! みんなも食べてみて?」


 彼女がそう言って差し出すと、何人もの手が伸びる。

 そこには身分の壁も、派閥の緊張感もない。ただ純粋な「楽しい」という共有があるだけ。

 

「…………」


 私は扇を持つ手に力を込めた。

 私があんな風にクリームをつけたら?

 きっと全員が凍りつき、「ヴィオラ様が乱心された」「アルセイン家の恥」と囁かれるだろう。

 完璧であること。それは、弱みを見せないこと。

 つまり、誰にも「隙」を見せないこと。

 それは……誰の侵入も許さないということ。


(私は尊敬されている。あの子は愛されている)


 その決定的な違いを、まざまざと見せつけられている気分だった。

 ふと視線を巡らせると、ルーファス殿下の姿があった。

 彼は会場の隅々まで気を配り、老齢の伯爵夫人から新入生の代表まで、分け隔てなく声をかけている。

 

「やあ、楽しんでいるかい?」


「君のドレス、とても似合っているよ」


 その笑顔は完璧で、美しい。

 



 次々と挨拶に来る生徒たちへの対応を続けながら、私は次第に息苦しさを感じ始めていた。

 笑顔の仮面が、皮膚に食い込んで痛い。

 完璧な言葉を紡ぐたびに、中身が空っぽになっていくような感覚。

 

「……申し訳ありません。少し、疲れてしまったようですわ」


 私は会話を遮り、やんわりと周囲を遠ざけた。

 

「少し、風に当たってまいります」


 私は喧騒から逃れるように、大広間のバルコニーへと足を向けた。

 夜風が、火照った頬を冷やしてくれる。

 バルコニーの手すりに寄りかかり、暗い庭園を見下ろす。

 カシウスの言葉が、まだ耳に残っていた。

 

 『完璧じゃなきゃ選ばれないなんて、誰が決めたのさ』

 

(……決まっているわ。王妃とは、国母とは、完璧であるべき存在だもの)


 自分に言い聞かせていると、背後でカツン、と足音がした。

 

「——ここだったのか。探したよ」


 振り返ると、月明かりを背負ったルーファス殿下が立っていた。

 喧騒を抜け出してきたのだろうか。その表情は、王子の仮面を少しだけ緩め、ただの少年のように見えた。

 

「殿下……。皆様へのご挨拶はよろしいのですか?」


「一通り済ませたよ。どいつもこいつも、腹の探り合いばかりで疲れる」


 彼は苦笑しながら私の隣に並び、同じ夜空を見上げた。

 

「……先ほどはすまなかったね。ファーストダンス、君を誘うべきか迷ったんだが」


「いいえ。新入生の緊張を解くには、アナスタシア様の笑顔が最適でしたわ。殿下の采配は完璧でした」


 私は淀みなく答えた。

 感情を殺し、論理だけを口にする。それが私の役割だから。

 

「そう言ってもらえると助かる。君なら分かってくれると信じていたよ」


 殿下は嬉しそうに頷き、そして私に向き直った。

 その赤い瞳が、いたずらっぽく、けれど真剣に輝く。

 

「さて、義務ファーストは終わった。……今日の締めくくりには、僕を満足させてくれるパートナーが必要なんだ」


 彼は優雅に右手を差し出した。

 

「——今日のラストダンス、私と踊ってくれるかい?

ヴィオラ嬢」


 その言葉を待っていた。

 誰にでも愛想を振りまく「公務」ではなく、実力を認めた相手への「指名」。

 私は胸の高鳴りを扇の下に隠し、静かにその手を取った。


 

「……はい、喜んでお受けいたします。殿下」




***


 私たちがホールに戻ると、ちょうどラストダンスのアナウンスが流れるところだった。

 人々が道を開ける。

 私たちはフロアの中央へと進み出た。

 音楽が始まる。

 ゆったりとした、けれど格調高いワルツ。

 殿下のリードは力強く、正確無比だ。私はその動きに一ミリの遅れもなく追随する。

 ドレスの裾が遠心力で美しく広がり、私たちは一つの独楽のように回転した。

 

「……あぁ、見て。なんて美しいの」


「やはり、ヴィオラ様とルーファス殿下のダンスは別格ですわね」


「まるで完成された芸術品だ……息をするのも忘れてしまう」


「さすが、入学成績1位と2位のお二人だわ」


 周囲からの感嘆の声が、音楽に乗って聞こえてくる。

 「可愛い」ではない。「美しい」「凄い」。

 それが、私たちが勝ち取ってきた評価。

 殿下の腕の中で回りながら、私はようやく自分の居場所を取り戻した気がした。

 ふと、視界の端に二つの影が映った。

 フロアの隅で、アナスタシアとカシウスが踊っている。

 アナスタシアは楽しそうに笑い、カシウスは何かを囁いて彼女をからかっているようだ。

 あちらはあちらで、とても幸せそうな空気を纏っている。

 

(……あちらの二人で、ラストダンスを踊っているのね)


 その光景を横目で見ながら、少し複雑な思いが胸をよぎった時、殿下が口を開いた。

 

「今日のラストダンス、ありがとう。やはり君と踊ると、背筋が伸びる思いだ」


「光栄ですわ」


「……ふふ、あっちも楽しそうだな」


 殿下の視線もまた、カシウスたちに向けられていた。

 

「こうして見ると、不思議な縁だと思わないか? ヴィオラ、アナスタシア、カシウス……僕たちは幼少期からずっと一緒だった。そしてまた、この学園でも共に過ごせる」


 殿下は心底嬉しそうに、目を細めて言った。

 

「僕は嬉しいんだ。立場や派閥はあっても、僕たちの絆は変わらない。これからも四人で、昔のように切磋琢磨していけたら最高だと思っているよ」


 ドクン、と心臓が冷たく跳ねた。

 殿下は、気づいていないのだろうか?

 それとも……私たちが過去のような関係ではないことに気づいていながら、あえて「昔話」をして、私を枠の中に留めようとしているのだろうか。

 

「……そうですね」


 私は仮面を崩さず、同意の言葉を紡ぐ。

 

「昔のように……皆様と仲良く学園でも過ごしていけたら、素敵ですわね」


 口ではそう言いながら、私の頭の中では冷徹な計算が走っていた。

 

(仲良く? ……いいえ、無理よ)


 形式的な関係なら続けられるでしょう。

 でも、本当の「お友達」に戻ることなんて、もうできない。

 だって、この国の王太子妃の席は一つしかないのだから。

 いずれ必ず、殿下の隣に立つのは——アナスタシアか、私か。どちらかに決まってしまう。

 選ばれなかった方は、敗者として去るしかない。

 これは椅子取りゲームなのだ。

 

「いや……無理かもしれない」


 無意識のうちに、私の心の声が微かに漏れ出ていたのかもしれない。

 その時。

 ジャンッ、と曲調が変わった。

 優雅なワルツから、テンポの速い、超絶技巧を要する格式高い楽曲へ。

 思考の海に沈みかけていた私を、殿下の強い手がグイと引き寄せた。

 

「——ヴィオラ嬢」


 至近距離で、燃えるような赤い瞳が私を射抜く。

 彼は、私の迷いなど吹き飛ばすような、残酷で、眩しすぎる「キラキラとした笑顔」を向けた。

 

「ここからが本番だ。……ついてこいよ」


 それは、ただのダンスのリードではなかった。

 『僕の覇道についてこれるか』という、王からの挑戦状。

 私は瞬時に迷いを捨てた。

 今は、考えなくていい。今はただ、この人を誰よりも完璧に輝かせることだけが、私の使命。

 

「——望むところですわ」


 私は不敵に微笑み返し、加速するステップへと身を投じた。

 友情も、恋心も、すべてを靴底ですり潰すように。

 私たちはただひたすらに、美しく、鋭く、踊り続けた。


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