5 薔薇色のドレスと、氷の微笑
教室の窓から、初夏の陽射しが降り注ぐ放課後。
私の耳に、華やいだ声が飛び込んできた。
「ねぇ、アナスタシア様! 今度の舞踏会、ドレスはもうお決めになりました?」
「ええ! お母様と一緒に選んだの」
教室の中央、机を囲んで盛り上がっているのは、アナスタシアとその取り巻きたちだ。
アナスタシアは少し照れくさそうに、けれど嬉しそうに頬を染めている。
「私はね、ローズピンクのドレスにしようかなって思っているわ。レースがたくさんついていて、春らしくてとっても可愛いの」
「まぁ! 絶対にお似合いですわ!」
「アナスタシア様の可愛らしさが引き立ちますね!」
ローズピンク。愛らしく、守ってあげたくなる彼女にぴったりの色だ。
私は手元の教科書を閉じ、ふっと息を吐いた。
(……あぁ、もうすぐ舞踏会ね)
『春の舞踏会』
それは新入生歓迎の意味合いが強く、正式な夜会とは異なり、パートナー(エスコート)を伴う必要がない。
まだ婚約者のいない生徒たちが、自由にダンスや会話を楽しみ、親睦を深めるためのフランクな会だ。
(エスコートなしで気楽に動けるのは助かるわ。……けれど)
私は背筋を伸ばす。
気楽なのは周りだけ。王族や高位貴族が集まる場に、真の「休息」など存在しない。
誰が誰と話し、誰がどの派閥に興味を持っているか。
気を抜かず、公爵令嬢として完璧に立ち回らなくては。
***
そして迎えた、舞踏会当日。
アルセイン公爵家の私の自室は、夕方から戦場のような慌ただしさに包まれていた。
最高級のシルク、宝石箱から溢れる輝き。
数人の侍女たちが、私の支度に追われている。
「……まぁ」
最後の一筆、紅を差し終えた侍女が、感嘆の息を漏らした。
「綺麗ですわ、ヴィオラ様……。今夜の会場の誰よりも、貴女様が一番お美しいです」
「本当ですわ。学園の殿方など、皆様ヴィオラ様の美貌に惚れてしまわれるに違いありません」
鏡の中の私は、夜空を映したような「ミッドナイトブルー」のドレスを纏っていた。
銀の髪は高く結い上げられ、白い肌とのコントラストが、まるで冷たく輝く月のようだ。
アナスタシアの「愛らしいピンク」とは対極にある、「気高い青」。
「うふふ、ありがとうみんな。そんなに褒められると、自信が出てくるわ」
私は鏡の中の自分に、完璧な微笑みを向けて見せた。
その時。
「——ヴィオラ様」
しわがれた、けれど温かい声がかけられた。
乳母の代から私を見守ってくれている、侍女長のマーサだ。
彼女は私のドレスの裾を丁寧に直しながら、鏡越しに私と目を合わせた。
「……?」
「今日は、お役目などを忘れて……どうか、年相応の少女として、全力で楽しんできてくださいね」
「マーサ?」
「ヴィオラ様は、少し頑張りすぎてしまわれますから。……貴女様にも、息抜きが必要ですわ」
マーサの瞳は、公爵令嬢としての私ではなく、ただの一人の少女としての私を心配してくれていた。
幼い頃、膝の上で絵本を読んでくれた時と同じ、優しい目。
私は一瞬、仮面を外しそうになった。
けれど、すぐにまた淑女の顔を張り付け、困ったように眉を下げた。
「そうね、マーサ。……でも、役目は忘れられないわ。私はアルセイン家の娘ですもの」
「ヴィオラ様……」
「心配しないで。羽目を外しすぎない程度に……ええ、優雅に楽しんでくるわ」
それが、私にできる精一杯の強がりだった。
「……承知いたしました。行ってらっしゃいませ」
「また帰ったら、お土産話を聞いてちょうだいね」
「えぇ、楽しみに待っておりますよ」
マーサに見送られ、私は部屋を出た。
待っているのは、煌びやかな戦場。そして、ルーファス殿下。
屋敷の前には、家紋入りの豪華な馬車が待機していた。
私はドレスの裾を翻し、静かに乗り込む。
馬車が石畳を蹴って走り出す。
窓の外を流れる景色を見つめながら、私は胸元のサファイアを強く握りしめた。




