表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

4 朝の出会い

 アルセイン公爵家の朝は早い。

 東の空が白む頃、私はすでに身支度を終えていた。

 侍女の手によって一糸の乱れもなく結い上げられた銀髪。皺ひとつない制服。鏡に映る私は、今日も完璧な「公爵令嬢」だ。


「行って参ります、お父様、お母様」


 家族への挨拶を済ませ、迎えの馬車に乗り込む。

 扉が閉まった瞬間、私は鞄から分厚い書物を取り出した。

 『王国立法史・中級編』。

 馬車の揺れなど気にならない。通学のこのわずかな時間は、誰にも邪魔されずに研鑽を積める、私にとって大切なひとときだ。


(……あの背中は、まだ遠い)


 ページをめくりながら、ふとルーファス殿下の涼しげな笑顔が脳裏をよぎる。

 先日の小テスト。私はまたしても、彼にあと一歩及ばなかった。

 その僅かな差を埋めるため、私は今日もペンを握る。



***



 学院の正門前。

 私が馬車を降りようとしたその時、偶然にも、王家の紋章を掲げた白亜の馬車が滑り込んできた。

 本当に、ただの偶然。

 けれど、同じタイミングで扉が開いた瞬間、私は運命めいたものを感じずにはいられなかった。


「——やあ、おはよう。ヴィオラ嬢」


 馬車から降り立ったルーファス殿下が、眩しい朝陽を背負って爽やかに微笑んだ。

 朝の光に透ける黒髪、燃えるような赤い瞳。

 不意の遭遇だというのに、彼の立ち振る舞いは絵画のように完成されている。


「おはようございます、殿下。……ええ、本当に。驚きましたわ」


 私は胸の高鳴りを悟られないよう、静かにカーテシー(淑女の礼)で応える。

 私たちは自然と並び、教室へと続く並木道を歩き出した。

 その瞬間、周囲の生徒たちから「キャーッ!」「今日も素敵だわ……!」と黄色い歓声が上がる。

 殿下は、その声援の一つ一つに、軽く手を振って応えている。


「馬車の中でも本を広げていただろう? 遠目に見えたよ」


「……見られてしまいましたか。お恥ずかしい限りです」


「いや、感心していたんだ。ヴィオラ嬢は本当に勤勉だね。我が国の学生のかがみだよ」


 殿下は優しい声でそう言ってくださった。

 けれど、その口調はどこか、模範的な生徒を褒める教師のようでもあった。

 私は教科書を抱きしめる手に少しだけ力を込め、彼を見上げた。


「……学校生活には慣れましたが、万年2位の座に甘んじているつもりはありませんの。次のテストこそは、殿下に追いついてみせます」


「はは、頼もしいな」


 殿下は屈託なく笑った。そこに焦りや対抗心の色はない。


「みんな君くらい熱心だと、学院ももっと活気づくんだけどな。……楽しみにしてるよ、頑張ってくれ」


 軽い。


 私の「宣戦布告」を、彼はさらりと「応援」で返した。

 まるで、子供のかけっこを見守るような余裕。

 私は唇を噛んだ。まだ、彼の本気にすら触れられていない。


「そういえば、ヴィオラ嬢」


 風がふわりと髪を揺らした時、殿下が話題を変えた。


「もうすぐ『春の舞踏会』だね。新入生にとっては初めての顔合わせの場だ。……君はもちろん、参加するのだろう?」


「ええ、もちろんですわ。公爵家の娘として、欠席する理由はありません」


 春の舞踏会。

 それは新入生の歓迎会であり、貴族社会へのデビュー戦。


「そうか、それはよかった」


 殿下は安心したように頷いた。


「当日は大勢の来賓も来るし、正直、僕一人では挨拶回りが大変そうでね。君のような、礼儀作法が完璧な公爵令嬢がいてくれると、場が締まって助かるよ」


「……ええ、微力ながら」


 場が締まる。助かる。

 彼は私を「一人の女性」として誘っているのではなく、「有能な公爵令嬢」として、その場のクオリティを保証する駒の一つと見ている。


「期待しているよ。素晴らしい夜会にしよう」


 殿下は私に、とびきりの「営業スマイル」を向けた。

 その笑顔は、先ほどすれ違った女子生徒に向けたものと、何一つ、ミリ単位で変わらない完璧な笑顔だった。


「——はい、殿下」


 私は淑女の仮面を貼り付け、微笑み返した。

 二人並んで歩く背中。

 周囲からは「お似合いの二人」に見えたかもしれない。

 けれど、私は痛感していた。

 この距離は、物理的な距離よりも遥かに遠い。

 彼の瞳に、私という「個」を映させるためには——もっと、もっと完璧にならなくては。

 私は焦燥感を胸に秘め、彼の隣を歩き続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ