武闘派聖女ジゼル、守られ系を目指したはずが失恋フラグを量産中!
「僕が好きなのは、お淑やかで優しい女の子だよ」
幼なじみの言葉を盗み聞きした瞬間、聖女ジゼル・バーンズは、
(えっ……嘘、でしょ!?)
失恋を、悟った。
お淑やか。
それは、この世でジゼルから最も遠い存在を示す単語と言える。なぜなら、ジゼルは騎士の家に生まれ育ち、趣味は刀剣収集。魔物は浄化するよりも物理で粉砕した方が早いと思っている、武闘派聖女だから。
花も恥じらう18歳の乙女は、物理ですべてを解決するのである。
(嘘よ! 嘘よね女神様っ! 嘘だって言って!!)
などとしょうもないことを女神に祈る。しょうもないけど見捨てないで欲しい。ジゼル的には切実な願いなのだ。
手すりをしっかり掴んで、中庭に向かって大きく身を乗り出した。春の風が感じられて心地良い。
ジゼルがいるのは、神殿の中庭に面した回廊、その2階部分にあたる場所だ。
中庭のベンチに神殿騎士たちが何人か座っているのが、この位置からだとよく見えた。彼らは先ほどからボーイズトークに興じている。2階から覗き見されているとも知らずに。
彼らの中に、夜空と同じ紺色の髪を持つ騎士――ブライトが混ざっているのを確認して、ジゼルの鼓動が跳ねた。
「聖女ジゼル様みたいな人ってこと?」
騎士の一人が、ブライトに話しかけている。
何てことを言ってくれたんだと、ジゼルは頭を抱えたくなった。この場でそれをしたら中庭に真っ逆さまだから、できないけれど。
ブライトは元々大きめの瞳を更に丸くし、一拍置いてからふわりと笑った。
「うん、まあ……そうなるかな?」
含みをたっぷり含んだ台詞と共に、繰り出されるのは爽やかスマイル。ジゼル的には苦笑いにしか見えない。
(うわあああああ!! ですよね!)
武闘派聖女は絶望した。
ジゼルみたいな人、というのは人によって意味するところが大きく変わるのだ。
その時、回廊を歩く誰かの足音が聞こえた。ほとんど条件反射で、ジゼルはビシッと直立不動の姿勢に戻る。
手すりに手を添え、いかにも中庭を穏やかに眺める『お淑やかな聖女様』を演じた。その間、1秒の早業。武闘派の名は伊達じゃない。
角を曲がって現れたのは、2人の神官だった。ジゼルは唇の端をわずかに持ち上げ、慈愛の微笑みを浮かべる。
ふたりはジゼルの姿を認めると一礼して、何事もなく去っていった。
彼らの姿が見えなくなった瞬間、ジゼルはささっと元の覗きの体勢に戻る。
そう、神殿内でのジゼルは『絵に描いたような理想の聖女』――だと思わせられる程の演技スキルを持っている。ふわふわのストロベリーブロンドに水色の瞳という可愛らしい色彩なのも、説得力に大いに関係していると思う。
可愛らしく、控えめかつ儚げな理想的な聖女。その本当の姿を知っているのは、幼なじみのブライトと、上司である枢機卿だけだ。
その片想い相手を探そうと中庭に視線を戻したジゼルは、騎士たちの中からブライトが忽然と姿を消していることに気がつく。
(あ、あれ!? いつの間に!?)
聖女としてのお役目の合間に、こうやってブライトを盗み見……じゃない、眺めることがジゼルの日課のひとつだというのに、見失ってしまった。
(逃げられちゃったなー)
心の中でため息をついていたジゼルは、背後から迫ってくる気配に少しも気付いていなかった。
「ジゼル、何見てるの?」
「うぇっ!!?」
淑女とは程遠い悲鳴を上げつつ、ジゼルは飛び上がりそうな勢いで振り返る。そこには件の幼なじみの姿があった。
(かっこいい……!)
ときめく心のままにニヤけそうになる顔を、必死に取り繕う。
一般的にはブライトの顔はかっこいいというより可愛いに分類されるだろう。童顔で、穏やかかつ優しげな顔立ちをしている。猫みたいなふわふわ髪は、見ているだけで心が和んだ。
そんなゆるふわ可愛い系の騎士が、ひとたび剣を取れば怜悧な刃物のような雰囲気に変わり、真剣な眼差しで魔物を両断するのだ。普段の空気も好きだけど、ジゼル的には何よりもそのギャップがたまらない。
ジゼルにとって、世界で一番、ブライトはかっこいい。かく示された、証明終了。
「さっき、身を乗り出してたでしょ? 何か面白いものでもあった?」
その言葉に、ジゼルははっと我に返った。中庭を覗いていたことはバレているけど、幸い会話を盗み聞きしていたことは知らなそうだ。
「えーっと、そうなの。お花が綺麗で、つい」
えへへ、と誤魔化す。ブライトはジゼルの隣に立って、中庭を見下ろした。
触れあってしまいそうなほど、肩が近い……。
「本当だ。ジゼルがいつも魔物を倒して、街を守ってくれるおかげだね」
ブライトは誇らしげにジゼルを見ている。
(『浄化して』じゃ、ないんだよなあ……)
心の中だけでがっくりと脱力した。
本来、聖女というのは魔物が撒き散らす穢れを浄化する力を持った希少な存在だ。ジゼルは聖女としては半人前もいいところなのだが、魔物を自力で倒せるという一点において、他の者の追随を許さない。
結果、教国カテドラルで最も優秀な筆頭聖女、なんて呼ばれる羽目になっている。
筆頭聖女がゴリゴリの武闘派。
そんな醜聞を公にはできないので、頭を抱えた枢機卿の厳命もあり、ジゼルの護衛役は毎回幼なじみのブライトの役目だった。
一緒にいられることは嬉しいけど、ブライトの好みのタイプを知った今となっては複雑である。だって、魔物を自らぶったぎる聖女なんて、どう考えても幼なじみの守備範囲じゃないのだから。
「じゃ、また次の任務で」
ブライトがジゼルに手を振って、その場を離れる。
去っていくその背中を見つめながら、ジゼルはある決意を固めた。
(ブライトは幼なじみだし、今さらお淑やかぶってもしょうがないと思って素で接してたけど……)
ブライトの好みのタイプを知った今、ジゼルはその考えをゴミ箱に突っ込むことにした。
こちとら10年以上片想いし続けている太い心臓の持ち主だ。こんなことでは恋を諦めてはあげられない。
(私、お淑やかになる!!)
ジゼルはぐっと握り拳を作って気合いを入れる。それがお淑やかな聖女とはかけ離れた仕草であることを指摘してくれる人は、誰もいない。
*
ジゼルは、努力した。
聖女の中には貴族令嬢がいて、聖女になったばかりの頃、彼女たちには礼儀作法のことで随分お世話になった。お陰様で、表向きのお淑やか演技は身に付いている。
今回も、勝手にそのお淑やかスキルをラーニングさせてもらうことにした。
ジゼルが目を付けたのは、令嬢たちが作る穢れ避けの加護が籠った刺繍だ。刺繍をしているだけで、何となくお淑やかで高貴な女性っぽくなれそうだ。
「まあ、ジゼル様。刺繍なら、喜んでお教えしますわ」
令嬢たちはいやな顔ひとつせず、針すら持ったことがないジゼルに一から刺繍を教えてくれた。
針も刃物のひとつだと思い込もうとしても、ちまちましていて案外難しい。剣なら感覚が身に染みているから、直感でやってもなんとかなるんだけどな、と心の中でぼやく。
途中、ブライトを含む騎士たちが様子を見に来たことがあった。
「ジゼルが刺繍? 珍しいね」
幼なじみが早速気付いて、声をかけてくれた。嬉しくてテンションが上がったジゼルは、思わず手に力が入りすぎてしまう。
「痛っ!」
指先に鈍い痛みが走る。勢い余って針を刺してしまったようだ。左の人差し指に赤いものがぷくりと盛り上がり、じんじんと痛む。
「大丈夫?」
ブライトがさっと駆け寄って、ジゼルの手を見た。間近にある、真剣に指先を確認する瞳に、ドキドキと胸が高鳴る。
「すぐ手を洗った方がいいよ」
ブライトはジゼルの手を引いて、水場まで連れていってくれた。手が直接触れあっている。その事実に、
「圧倒的役得……っ!」
ジゼルは頬を真っ赤に染めた。
(お淑やかにしててよかった! ありがとう女神様っ!)
なんて、ジゼルが泣きそうになっていたのを、
「そんなに痛かった? 魔物に攻撃されるより?」
ブライトは斜め上の勘違いをしていた。魔物に攻撃されてもジゼルは反撃で仕留めるチャンスだと思うから、痛みなんか感じている暇はないのである。ましてや泣くなんてありえない。
(今度、魔物に攻撃されたら泣いてみよう)
嘘泣きスキルも入手しなきゃいけないな、と心の中で育成計画を立てた。
そんなトラブルがありつつも、数時間かけて、なんとかシンプルな花びら1枚を完成させることができた。
(私、お淑やか聖女にレベルアップできた……!)
まだ途中だし縫い目はガタガタだけど、やり遂げた達成感に満たされる。
教えてくれた令嬢たちにお礼を言って、ジゼルは席を立つ。ちまちま作業をしていたから、すっかり肩が凝ってしまった。
(剣の素振りでもしよう……)
ジゼルは神殿の裏にある雑木林へ向かった。ここは神殿の敷地内だけど、滅多に人が来ない。物理的な方面の鍛練をする時に、よくお世話になっている。
パニエで裾を広げたローブの下に、おもむろに手を入れる。そこに隠していた愛用の双剣を抜き、構えた。愛剣は針と違って手に馴染む。まるで自分の一部みたいだ。
軽く素振りをして、汗ばんだ額を拭った時――
「今日も頑張ってるね」
後ろからブライトに声をかけられて、ジゼルは固まった。剣が地面へと落下する。ギギギ、と効果音が聞こえてきそうなくらいゆっくりと、そちらへ視線を向けた。
ブライトは右手に持った剣を軽く持ち上げた。
「今日もやる?」
ジゼルとブライトは、空いた時間があればここで手合わせをしている。お淑やか聖女を目指す身の上のジゼルとしては、断る以外の選択肢はない……はずなのだが。
「うん!」
理性よりも、想い人と一緒に過ごしたい。剣を抜く時の真剣な顔が見たい。そんな欲望が、勝った。
刺繍作戦の次は、真っ当に聖女業務をこなすことを重視しようと思った。すなわち、魔物を叩きのめすのではなく、護衛騎士に守ってもらいながら穢れを浄化する方向で活躍する――守られ系聖女を目指すのだッ!
今日のジゼルとブライトは、街の外に出ていた。街を守る結界の一部が穢れで破れてしまったので、浄化と補修をするのがジゼルの役目だ。
「ジゼルがやるなんて珍しいね。普段は魔物討伐ばっかり志願するのに」
ブライトが目を丸くしていた。
(普段のことは忘れて!)
そんなジゼルの心の声は、当然片想い相手には届かない。
「ほら、これだって聖女の大事な役目でしょ?」
笑って誤魔化した。
ジゼルとブライトは街壁に沿ってぐるりと移動し、穢れが溜まったポイントへ移動する。機能している結界が近いからか、道中魔物は出てこなかった。
守られ系アピールはできなかったけど、考えようによっては結果オーライかもしれない。なぜなら、出てきたらどうせジゼルは拳で即殴り飛ばして、色々台無しにしてしまうからだ。
「少し待っててね」
ブライトに背中を託し、ジゼルは浄化の力を使う。結界に張り付いている黒っぽいモヤを、手の平から生み出した光で照らす。
表向きは厳かに、神聖に。
けれど中身は必死だ。ごっそり気力が持っていかれるような感覚を覚えるけど、気力で全身を奮い立たせる。これは戦いだ。戦士たる者、戦いの途中で倒れる訳にはいかない……!
(鎮まってっ!)
ジゼルは顔を歪める。こんな顔、お淑やかを目指していなかったとしても、想い人には晒せない。顔を突き合わせていなくてよかった。
ジゼルの聖女としての純粋な実力は並以下だから、こんな小さな穢れの浄化でも一苦労だ。結界の張り直しも含めて、他の聖女の3倍くらい時間がかかってしまう。
やっと仕事が終わって、ジゼルは疲労感から思わず大きく息を吐いた。これは演技じゃない。
「ジゼル、お疲れ様」
ブライトが微笑む。力の抜けたような、相手をほっとさせる力がある彼の笑顔が、ジゼルは好きだった。顔面凶器とも言えるその顔にやられて、よろよろと座り込む。
(顔が眩しすぎる……!!)
感無量である。
「大丈夫? 疲れたなら運ぼうか?」
「はははは運ぶっ!?!?」
驚きすぎて声がひっくり返った。ブライトは絶句するジゼルに構わず、こう、と肘を曲げた状態で両手を前に突き出した。
(そ、それはまさか伝説のお姫様抱っこ……では!?)
恐ろしいシチュエーションに気付いて、ジゼルの心はときめきが止まらなくなる。
だというのに、なけなしの理性で頭をぶんぶんぶん! と勢いよく首を横に振った。無理だ。だってめちゃくちゃ密着することになる。そんなことをされたら、心臓が爆発してジゼルは確実に死ぬ。死因が魔物にやられて、ではなくブライトに恋しすぎて、になってしまう。
「大丈夫! 私重いしっ! ローブの下に双剣もあるしっ!」
ジゼルはぱっと立ち上がり、腕を無駄に振り上げながら歩き始めた。後ろでブライトがくすくす笑っている。
(……あ。守られ系になるなら、運んでもらった方が良かったのかも……?)
そう思っても、後の祭りだ。今さらお願いするなんて到底できる訳もなく、ジゼルとブライトは帰り道も並んで歩いた。
ジゼルの努力は、続く。
神殿への道の途中に、武器屋がある。ジゼルは刀剣の類いに目がないので、普段はついつい覗いてしまうのだが、今日は素通りした。
「ジゼル、寄らなくていいの?」
「あ……う、うん。大丈夫だよ」
後ろ髪を引かれる思いで、ジゼルは歩みを進める。これもお淑やか聖女になるためだ。
(で、でもちょっとだけ……っ!)
去り際に、ちらりと武器屋を振り向く。店頭に飾られている美しい細工の銀色の細剣が、ジゼルを誘っている。
(綺麗だし、私が使うのにちょうど良さそう)
手にとって、振ってみたい。そんな未練はあるけど、背に腹は変えられない。
根っこが生えそうになる足を無理やり引き剥がして、神殿への道を進んだ。
食堂で出る夕食も、いつもならお代わりしてモリモリ食べるところだけど、半人前くらいにした。お淑やかさの演出という面もあるけど、今のジゼルは剣の鍛練を禁止している。それなのに普段と同じ量を食べることは乙女心が許さない。
「今日は食欲ないの?」
「そうなの。なんだろうね」
ブライトに問われ、なんでもない風を装ったのに――直後に、ぐぅとお腹が間抜けな音を立てる。慌ててお腹を押さえたけど、隣にいるブライトの耳は当然誤魔化せない。
(恥ずかしすぎる……!)
ジゼルは頬に熱が集まるのを自覚した。とてもじゃないけど、顔があげられない。
「ジゼル。お肉好きでしょ? もらってきてあげる」
席を立ったブライトの体が笑いを堪えるように震えている。大失敗だ。乙女心にとっては致命傷だ。
(でもお肉……食べたかったんだよね)
幼なじみは、ジゼルの食事の好みまでお見通しだ。彼の優しさに思わず顔が緩んでしまった。
「ねえ、ジゼル」
ある日のこと。部屋を訪ねてきたブライトは、ジゼルに布に包まれた細長い何かを差し出してきた。思わず受け取ると、ずっしりとした重みを感じた。
布が巻かれているので中身は見えないけれど――武闘派聖女ジゼルには、それは剣にしか見えなかった。
「最近元気ないから、心配なんだ」
心配と渡されたコレに、何の因果関係があるのだろう。疑問に思いつつ、ジゼルは布を取り去った。
「こ、これはっ!」
ジゼルの顔がぱあっと輝く。手の中には、あの日、帰り道で見かけた細剣があった。手にしっくりくる重さで、思った通りジゼルが振るうのにちょうど良さそうだ。おまけに鞘が仕込み杖になっているから、聖女が持ち歩いても不自然ではない!
「あげるよ。この前、これを見てたでしょ?」
目を細めるブライトに、ジゼルの心の疼きが止まらない。
(見ててくれたんだ……!)
プレゼントそのものよりも、気にかけてもらえていたことが嬉しくて、ジゼルの胸がいっぱいになる。
「それ使って、また稽古しようね」
「うん!」
嬉しいお誘いに、ジゼルは満面の笑みで頷いた。
「……うん?」
そこで、はたと気付いた。ジゼルは今、お淑やか聖女を目指して努力をしていたはずだ。お淑やかな聖女は剣で喜んだり、剣の稽古をしたりしない。
……そもそも、お淑やかな聖女に剣を贈ろうなんて思う人はいないだろう。
(つまり……ブライトはやっぱり私をお淑やかだって見てないってことじゃない!!)
心の中で絶叫し、ジゼルは頭を抱えたくなった。目の前で何も知らずにニコニコしている幼なじみは、本当にずるい。
ジゼルは、二度目の失恋をした。
*
「街の周囲で大型の魔物が目撃された」
知らせが届いたのは、とある曇天の日だった。
東にある『魔物の住み処』と隣接している教国は、住み処から這い出し人間の国を荒らす魔物を討伐する役目を請け負っている。
聖女、護衛騎士、その他聖職者が集められた大聖堂で、それは枢機卿によっておもむろに発表された。聖堂にさざめきが反響する。
職種によって反応が大きく違う。護衛騎士は真顔、あるいは覚悟を決めた顔をしたのに対し、ほとんどの聖女は不安そうに戸惑っていた。――ただひとり、ジゼルを除いて。
「誰か、討伐志願者はいるか?」
枢機卿の発言に、真っ先に手を挙げた者がいた。ふたり同時に。
ジゼルと、ブライトだ。
ジゼルは、参加することに少しも悩まなかった。
(ブライトやみんなが暮らすこの街を守りたい。それに、強敵相手にどこまで通用するか試してみたいもの……!)
武闘派ゆえに、ジゼルの心の中は燃え上がっていた。こんな状況だ、お淑やかがどうとか言ってはいられない。
あとは、他の聖女は立候補しないだろうという考えもあった。普段の魔物退治もあまり引き受けたがらない彼女たちには、大型の魔物なんて荷が重い。適材適所、向いている者がやればいい。
(そういえば……なんで、ブライトは立候補したんだろう)
ブライトはジゼルとは違う。騎士として腕を鍛えてはいるけど、どちらかというと争いごとは嫌いなはず。穏やかで落ち着いていて、率先して挙手するタイプではない。
様子を見て、誰もいなそうなら手を挙げる――そんなところだろうと思っていたから驚いた。
ジゼルたちの立候補を皮切りに、騎士の中からぽつぽつと志願者が現れ始める。枢機卿は一人一人に視線を向け、頷く。
「では――志願者は全員が準備でき次第、街を発つように」
枢機卿が壇上を去る。ジゼルは、その背に深々と頭を下げた。
「ブライト!」
他の志願者が着々と準備を進める中、ジゼルはひとり、中庭でブライトに声をかけていた。
「なんで、志願したの?」
ジゼルの言葉に、ブライトは呆れたように半目になった。
「それ、君が言う?」
「え?」
「君なら絶対に率先して行くって言うと思った」
いつものふわふわした雰囲気はどこかに消えている。代わりに、黒い双眸に強い決意の光が宿っていた。
「だから僕もそうした。……君を守る。必ず」
重々しい声色で告げられたそれに、ジゼルは息を呑む。まるで世界から幼なじみ以外がすべて消え去ったかのように、彼から目が離せない。
「一緒に、戦ってくれる?」
そう言われて、ジゼルは咄嗟に胸を押さえた。どきんと、大きく高鳴るそれを感じて、大きく息を吐いた。
(そっか。……そういうことなんだ)
全身が、陽の光を浴びたときのようにじんわりと温かくなる。守ると言ってくれたことではない。
――ジゼルはようやく、自分の『本当の気持ち』に気が付いた。
「ありがと。私も、ブライトを守るよ」
どちらからともなく、拳を突き合わせる。そうやっている時間が何よりも愛おしくて、ジゼルは自然と笑顔になっていた。
魔物と戦うことなんか、ちっとも怖くなかった。
*
街の外、街道から少し外れたところにそれはいた。食人植物、無数の蔓を伸ばし、動物を食らう大型の魔物だ。そいつは接近した時点でこちらに気付いており、うねうねと蔓を揺らして臨戦体制に入っている。
真っ先に剣を抜いたのはブライトだった。優しげな空気が一転して、抜き身の刃のような鋭さで魔物を睨む。
「聖女様は後方に……うわあっ」
ジゼルに声をかけようとした騎士が、蔓に絡まれ宙吊りにされてしまう。踠くほどに蔓は絡み、身動きがとれなくなっていく。
ジゼルは迷わず仕込み杖を構えた。姿を現した細剣が、銀色に煌めく。
ブライト以外の騎士は、教国が誇る筆頭聖女であるジゼルを守ろうと動き始めていたところだったから、突然の聖女の奇行に目を奪われていた。
これで、ジゼルの三度目の失恋は確定だ。
――それでも、構わないと思った。
「はあっ!」
ジゼルはローブのまま走り、気合いと共に跳躍。騎士を拘束している蔓をいとも容易く切り裂いてみせた。
「ジゼル、再生能力があるみたい。気をつけて」
ブライトが逆側から迫る蔦を切り払いつつ、声をかけてくれる。確かに、ブライトが斬った蔦は千々に裂かれたはずなのに、断面から新たな蔦が生えてきていた。それどころか、破片ひとつひとつが意思のある生き物のように動き、みるみるくっついて元の蔦を形成する。
「任せて!」
ジゼルは拘束してこようとする蔦を払い除けながら、己の内側に意識を集中する。背中にとんとあたたかい衝撃を受ける。
「背中は守るよ」
ブライトが囁き、再び剣を振るうために離れた。
蔦は聖女のはしくれであるジゼルを優先して倒すべき敵と認識したのか、一斉に襲いかかってくる。それをブライトが斬り伏せ、ジゼルには蔦一本すら届かない。
彼に任せておけば、大丈夫。ジゼルはそう判断し、更に深く集中する。
己の奥底にある光――聖女の浄化の力を掴み、引き上げた。刃物よりもよっぽど扱いにくいそれを、薄く広く、討伐隊の面々の武器に纏わせる。
お淑やか聖女を目指して邁進していた時に浄化の力を多く使っていたせいか、少し前より格段にレベルアップしている。ジゼルはそれを実感した。
ブライトの剣が銀色に閃く。切り落とされた蔦は、ジゼルの力で完全に消滅し、断面も断ち切られたまま再生は始まらない。
他の騎士たちは最初、ジゼルとブライトに圧倒されていたものの、我を取り戻したらしい。次々と迫る蔦に、それぞれ対処し始めた。
「ブライト、いくよ」
「わかった。付き合う」
ふたりは頷き合い、食人植物本体へ向かって走り出す。伸ばされる蔦を切り払い、左右から同時にその体に剣を突き立てた。
断末魔の叫びが響く。最後の抵抗とばかりに蔦がめちゃくちゃな軌道で襲いかかってくるけれど、すべてふたりで斬り伏せた。
魔物の体が光の粒子のように溶け、消える。
ジゼルは息をつき、剣を下ろす。隣でブライトも、同じように剣を鞘に納めていた。
「さすがジゼル。今日も絶好調の剣の腕だね」
ブライトが微笑みかけてくれる。
剣の腕を褒められた。ジゼルは嬉しくて、笑顔を返す。
(あなたに振り向いてもらうことより、この方がずっといい)
お淑やかになるなんて、あなた好みになるなんて、土台無理な話だったのだ。
何よりも、守られるんじゃなくて、お互いの背中を守りたい。あなたの隣に、武闘派聖女として並んで立ちたい。
それが、ジゼルの素直な気持ち。
だから、この片想いはもう叶わなくても――
「せ、聖女様……」
微かな声で、ジゼルの思考は中断された。背後で、騎士たちが信じられないものを見る目でこっちを眺めていた。ぷるぷると肩を震わせている者もいる。
嫌な予感がした。
(みんなが見てるのにあんな大立ち回りしたから、まさか怒られる……?)
ジゼルは思わず身構えた。みんなの憧れである筆頭聖女様が剣を振り回して暴れたなんて、枢機卿辺りに聞かれたらお説教の予感しかない。騎士たちだって、夢を壊された、もしくは仕事を奪われたと怒り出すかもしれない――
しかし、彼らの対応は予想の斜め上をいくものだった。
「ジゼル様……いや、姐さんと呼ばせてくださいっ!!」
「はい!?」
「姐さんマジかっけええ!!!」
「聖女(物理)最高! 一生ついていきますッッ!」
「あはは。君はさ、君らしくいるのが一番いいよ」
騎士たちの叫びを聞いて、ブライトまで声をあげて笑っている……。
「ちょちょちょ、ちょっと待って! やめて、私ぜんぜん聖女らしくなんかなくて――」
弁明しようとブライトに向き合ったその瞬間、足を何かにとられた。
「ぎゃああ!」
色気も何もない無様な悲鳴をあげて、ジゼルがつんのめって倒れそうになる。
「危ない!」
咄嗟にブライトが抱き留めてくれて、事なきを得た。見ると足に蔦の破片の一部が絡み付いていた。蹴り飛ばすと、本体同様、光になって消えていく。
「あーびっくりし」
た、と最後まで言う前に、ブライトの大きな瞳と至近距離で目が合った。息が止まり、二の句が継げなくなる。よく考えたら体は密着しているし、腕が背と腰に回ってるし、目の前にある彼の胸板は騎士の男性らしく、逞しくて――
「こういう時は、役得って言うんだっけ?」
耳元で囁かれて、頭のてっぺんから足先まで全身すべてが熱くなる。
「え、あ、あの……」
頭が真っ白で、口をぱくぱくすることしかできない。
「ジゼルは可愛いね」
鼓膜をくすぐる声に、ジゼルははっと我に返った。「可愛い」に舞い上がっている場合じゃない!
幼なじみの胸を思いっきり押して、その包容から脱出する。魔物と戦っていた時よりずっと呼吸を乱しながら、ジゼルはブライトを睨んだ。
「ブライト、いつから女たらしになっちゃったの? そんなの誰彼構わず言っちゃだめだよ。勘違いされちゃうよ!」
ジゼルの渾身の主張に、ブライトは目をぱちぱちと瞬かせた。それから彼は、堪えきれないといった様子で、くすっと息を吐き出す。
「………………ジゼルって、いつも予想外のことばっかりするから、目が離せないよ」
ブライトはジゼルに一歩近付く。はにかむような笑顔が、眩しい。
「あのね。……好きな女の子にしか言ってないから、心配しなくて大丈夫だよ」
ためらいがちに、それでも真っ直ぐに向けられた言葉。飲み込むまでに、数秒の時間が必要だった。
好きな女の子にしか言ってないソレを、名指しでジゼルに向けて言った。
それは、つまり……。
「う、嘘! だって私、あなたの好きなタイプがお淑やかで優しい子って聞いたもの!」
「……それって、この前中庭で話してたこと? ……聞いてたんだ」
頷くと、ブライトは優しい表情でジゼルの手を取った。
「それはジゼルのことだよ。君が隠してるものを、僕が勝手に吹聴するわけにいかないでしょ」
ブライトはジゼルの手を、自身の左胸に誘導して触れさせた。手の平に、彼の熱と早鐘を打つ鼓動が伝わってくる。
「立派な聖女であろうとする君も、ありのままの君も、好きだ。……信じてくれる?」
彼の顔はほんのりと朱に染まっていて、その言葉が本当だと雄弁に物語っていた。
「わ、私、ずっと失恋したと思ってて……」
「それで、最近いろいろ努力してくれてたんだ」
幼なじみには、ジゼルの行動なんてすっかりお見通しだったらしい。ブライトの力強い腕に捕まって、ジゼルはまた彼と密着する。
「失恋させちゃった分、好きだって言わせて」
視線を逸らしながら告げられた言葉に、ジゼルの全部が満たされる。
「……うん。うん! 私もね、ブライトのことが大好き。ずっと」
やっと言えた気持ちは、甘酸っぱくてくすぐったい。でもジゼルの中では当たり前の感情だったから、さらりと素直に言葉にできた。
ジゼルとブライトは、見つめ合い――
「うおおおお! 姐さんの恋が叶ったー!!!」
「おめでとう姐さん!!」
騎士たちの熱狂的な声援に、はっとジゼルは我に返る。
「う、う、うるさいー! ここは空気読んで消えるところでしょっ!!」
抱きしめられたまま涙目で抗議するジゼルに、ブライトは温かい笑顔を向けた。
街に戻った武闘派聖女は、騎士たちに本性がバレた件で、予想通り枢機卿にしこたま絞られた。
「姐さんをいじめるな!」
「姐さんとは何だ姐さんとはっ! 貴様らそれでも騎士か!」
枢機卿の眉間に刻まれた渓谷は深く、溢れたため息は山のように多かった。
醜聞をこれ以上広げないようにするため、そしてまた騎士たちの熱意に押されて、彼らは武闘派聖女と共に魔物討伐専門の「ジゼル隊」を結成することになる。
その先頭には常に、仲睦まじい聖女と騎士の姿があったという。




