無能令嬢と謗られたので、仕事辞めます。あ、引き継ぎはしません、無能なので。
「アンヌ・トレヴァー侯爵令嬢。お前みたいな無能令嬢が、執務室を与えられているだけありがたく思え」
夜会の場で、男爵令嬢のシャーリーと腕を組んだ王太子であるエドウィン殿下が、冷たい目で私を睨みつける。
シャーリーは儚げな様子で目を潤ませながらエドウィン殿下にしなだれかかり、上目遣いに隣の王太子を見上げていた。
エドウィン殿下の言葉に私は唖然とする。私がやっている仕事は、一応執務室が与えられて当然のもののはずなんだけれど。
魔術の研究は魔力量の多い貴族の務めの一つ。当然、侯爵令嬢である私も、王立魔術研究所で執務室を持っていた。
特に私は生活魔道具の研究を得意にしていた。生活魔道具は庶民にとっても生活必需品。だけど、その分他の魔術研究者たちからは見下されてもいた。
「お前のように、生活魔道具なんぞ庶民向けの卑しいものを研究している者など、王太子妃に相応しくない。王太子妃に相応しいのは、光魔法を研究している男爵令嬢のシャーリーだ! よって、お前との婚約は今夜をもって破棄する!」
「そんな……、殿下……」
「それに、お前のような無能令嬢に王立魔術研究所のポストは勿体無い! 王太子である私の婚約者だからこそ与えられていた役職だが、それも返上してもらおうか」
ら、ラッキー!
ずっとずっと、私は政略結婚で王太子と婚約させられたことが不満だった。だって、生活魔道具の本家本元である隣国マシヌ王国に留学したかったんだもの!
王太子の婚約者じゃなくなり、職も失った私は、さっさと隣国の魔法学園魔道具科への留学を決めた。
お父様は私が留学して会えなくなることを大層嘆いておられたけれど、そろそろ子離れしてほしい。
早速私は荷物をまとめ、数人の侍女を連れてマシヌ王国の魔法学園へと旅立った。
なお、王立魔術研究所での仕事の引き継ぎは面倒なのでしていない。だってクビになってるんだもの。しょーがないよね。
王宮における魔道具の整備は私が一手に引き受けていたけれど、誰にだってできることのはずだし多分大丈夫大丈夫。
そしてたどり着いたマシヌ王国の魔法学園魔道具科は、夢のような環境だった。
「こ、これがドライヤーなるもの? 素晴らしいわ。温風を出して髪を乾かせるなんて。火の魔法と風の魔法の複合魔道具なんてどうやって実現しているのかしら」
元々住んでいたポレーン王国では、冷蔵庫やコンロなど、氷魔法、火魔法といった単一の魔法による魔道具しかなかった。
「わあ、風魔法と水魔法で、洗濯ができる洗濯機ね! これならあかぎれに悩む庶民の奥様たちも大喜びだわ!」
「アンヌ・トレヴァーさん。こちらの複合魔道具における魔力干渉について、それを避けるための回路を組みなさい」
「はい、先生!」
私は魔道具科での授業に夢中になっていた。
一生懸命授業を受けていると、授業終わりに銀髪の男子生徒から声をかけられる。
「君、ずいぶん熱心に授業を受けているね。留学生だったかい?」
「あ、はい、そうです。ポレーン王国から来ました。アンヌ・トレヴァーと申します」
「ふむ、素晴らしい。魔道具科は君みたいな優秀な生徒が現れて幸運だったな」
「あの、貴方は……?」
銀髪に紫色の瞳を持つその人は、男にしては線の細い美しさで、ゆったりと優雅に微笑んでいた。
「ああ、紹介が遅れたね。私はクラウス・オールディス。オールディス公爵家の長子だ」
マシヌ王国のオールディス公爵家といえば、数多の魔道具を開発している、魔術研究における名門中の名門だ。
私は慌てて深々と頭を下げて、改めてご挨拶する。
「これは、知らずに失礼いたしました」
「そう畏まらないでくれたまえ。この学園では、皆平等な生徒だ」
「はい。ありがとうございます」
その日からの私は、それはそれはもう充実した毎日を過ごしていた。
複合魔道具の製作方法を学んでいき、自力で整備、製作の実習も行う。
その過程で、クラウス様との交流も増えていた。
「クラウス様ー。雷魔法の応用で、照明を作れないでしょうか?」
「照明? ふむ、面白いな。確かに雷はよく光るが。火魔法よりも明るいかもしれない」
「ええ、そしたら昼間のように明るい部屋が作れるかもしれないと思いましたの」
クラウス様は、私の突拍子もない思いつきを面白がってくれて、一緒に研究してくれることになった。
「この雷を持続的に発して光を保つことができる素材は、光明花の蕾あたりが使えるか?」
「ペガサスの鬣などはいかがでしょうか」
そんな風に話し合いながら、研究を進めていく。
そうして数ヶ月の時を過ごし、ついに雷魔法の照明が完成した。
「う、うわ、明るい!」
「素晴らしいわ。これ、今度の魔道具学会で発表致しませんこと?」
「いいな、それ! アンヌ、君は天才だ!」
煌々とした光が、研究室の雑然とした部屋を照らし出す。積み上げられた本も、机の上に並んだ書類の文字も、はっきりと見えるくらいの明るさだ。
私たちは互いに手を取り合って喜んだ後、ハッとなり手を離した。男女がこんな風に手を握り合うのはよくない。
「す、すまない」
「あ、いえ、すみません」
お互いに赤面しながら、背を向ける。その顔の火照りまで全て雷電灯——そう名付けた——が照らし出す。
私たちはその日、どこかギクシャクとしながら学会の準備を進めていった。
◆◆◆
一方で、ポレーヌ王国の王宮は大混乱に陥っていた。
誰も王宮で使われている魔道具の整備をすることができないのである。
アンヌ・トレヴァー侯爵令嬢が王宮の魔道具担当になる前は、70過ぎの老人が長くその任を担っていた。そのアドルフ翁という老人は、すでに認知機能に低下が見られており、改めて整備の仕事をさせようとしても話にならない。
しかし、アンヌは王太子に追い出されるように王立魔術研究所を辞める羽目になったため、引き継ぎも誰にも行われていなかった。
「どうなっている! 風魔法の『旋風機』が作動しないではないか! これでは暑くて執務にならない!」
「ですが、殿下。これは最新式かつ最大規模の旋風機。これの整備ができるのは、アンヌ嬢ぐらいしかおりません」
「ならばアンヌを連れ戻せ」
「お言葉ですが殿下、アンヌ嬢を王宮から追放したのは殿下では?」
「ぐ、ぐぅ……。うるさい! いいからアンヌを連れ戻せ! ……いや、埒が明かない。もういい、俺が迎えにいく!」
◆◆◆
私とクラウス様は、シャンデリアの開発に勤しんでいた。
狭い範囲に大量の雷魔法を詰め込むと、互いに干渉しあって事故を起こしかねない。だから、それぞれの雷電球にしっかりと結界を張って、互いに干渉し合わないようにしなければならない。
その研究を進めているところだった。
「ここに、この術式で結界を張れば、十八灯の雷シャンデリアが作れそうだな」
「そうですわね。それじゃあ、この術式を魔石に込めて……」
そんな風に話し合っていたところ、研究室に訪問者がいると連絡があった。
学園の中に、クラウス様は研究室を持っているのだ。そこに私もお邪魔している形だった。
「まあ、どなたかしら?」
「それが、そのポレーヌ王国のエドウィン殿下と名乗っておられます。それはそれは大勢のお供の者を引き連れて……」
「嘘でしょ!? なんで、エドウィン殿下が?」
「遊学という名目で、当国へ来られていらっしゃるようです」
「うわぁ……」
なんの用があって私を訪ねてきたのか知らないけれど、ぜえったいろくなことじゃないわ!
もう、せっかく研究が佳境に入っていい感じだったのに、ふざけないでほしい。
私はうんざりしながらも、ほっとくわけにもいかなくて、学園の応接室を用意するように指示を出して、そこに移動してエドウィン殿下を出迎えようとする。
しかし——。
「遅い! いつまで待たせるつもりだ!」
研究室に、エドウィン殿下が入ってきてしまった。
「殿下! この研究室にはいろいろな実験用の魔石や器具があって危険です。応接室をご用意するのでそちらでお話は伺います」
「うるさい! 面倒だ、さっさと話をつけるぞ。アンヌ・トレヴァー。王立魔術研究所に戻ってこい。そして、魔道具の整備をするのだ」
殿下は、私が従うのが当然と言わんばかりに顎をしゃくり、話は終わったかのように私を連れて帰路に就こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください! 殿下、今更そんなこと言われても困りますわ」
「なぜだ。お前は王立魔術研究所をクビになったのが恥ずかしくて、わざわざこんな国まで逃げ出したんじゃないのか。それをもう一度ポストを用意してやるというのだ、帰ってくるのが筋だろう」
なんの筋ですか!? それ。
そもそもクビになったのが恥ずかしくて逃げ出したって、どうしてそんな話になっているの? むしろ意気揚々と留学してきたのだけれど。
それにこの国の公爵令息の前で『こんな国』呼ばわりとは。ポレーヌ王国よりマシヌ王国の方が発展しているのに、わかっているのかしら、殿下。
「お言葉ですが、殿下。私は今雷魔法による照明の開発に勤しんでおります。それを途中で投げ出して、国へ帰るわけには行きませんわ」
「なんだと! そもそもお前が、仕事の引き継ぎもせずに逃げ出したせいで、魔道具の整備がきちんと行われないようになったんじゃないか! 帰ってくる義務がある」
「私はクビになった身の上です。それに、私は殿下いわく『無能』だそうですから、そんな無能に引き継ぎなんて難しいことできませんわ」
今更呼び戻そうなんてされても、帰る気にはなれない。せっかく雷電灯のシャンデリアだって作れそうな時に。
けれど、殿下はまるでこちらの意見など聞く気もない様子で、無理やり私の腕を引っ張った。
「きゃ」
「エドウィン殿下、おやめください。アンヌ嬢が嫌がっている」
クラウス様が止めに入るけれど、エドウィン殿下は私の腕を離さない。
「エドウィン殿下、私はこの学園で果たすべき研究が……」
「うるさい! こんなもの……」
エドウィン殿下は、手近にあった魔石を掴むと、作りかけのシャンデリアの方へと投げつけた。
「まずいっ!」
シャンデリアは、雷魔法の塊のようなものだ。それに、まだ作りかけで安全装置もきちんと働いていない。そんなものに、魔石を投げ付けたりしたら……。
ピカ、と鋭い光が目を焼く。そして、私が目を開けた時には……。
「クラウス様! クラウス様!」
クラウス様が、雷魔法の直撃を受けて、顔に火傷を負っていた。
「エドウィン殿下! なんてことをするのです!」
「う、うるさいうるさい! 俺は何も悪くない! と、とにかく、今日はもう帰るぞ」
流石にまずいと思ったのか、エドウィン殿下は逃げるように去っていく。
「クラウス様、大丈夫ですか」
「ああ、幸い誰の命にも別状はないようだ。私は大丈夫だから、そんな泣きそうな顔をしないでくれ……」
クラウス様は、取り乱す私の髪を、そっと撫でた。
それからはもう、天地をひっくり返すような大騒ぎだった。
ポレーヌ王国の王太子が、他国の公爵令息に火傷を負わせたのだ。国家間の軋轢にもつながる大事である。
クラウス様のお父様であるオールディス公爵はカンカンに怒っているし、私のお父様も危うく娘が傷つけられるところだったと怒り狂っていた。
結果——。
エドウィン殿下の廃嫡が決まった。王太子には第二王子殿下が選ばれることになる。
それはまあ、いいのだけれど。
元々私は王族との政略結婚を望まれていたこともあり、改めて第二王子殿下と私が婚約をするべきではないかという話まで持ち上がっていた。
その上、流石に王宮の魔道具整備を引き継ぎもなしで放り出したということで、責任はエドウィン殿下の言動にあるとはいえ、私も事態を改善するように命じられた。流石に国王からの命令には、普通は逆らえない。
だけど、それはクラウス様がなんとかしてくれた。
一旦国へ帰って引き継ぎをするだけで、またマシヌ王国に留学してもいいことになったのだ。
「火傷の賠償として、アンヌ・トレヴァー侯爵令嬢の身柄の自由を望む、かぁ」
賠償の示談書の中には、身柄の自由には『居所の自由、職業の自由、結婚の自由』も含むと書いてあった。これで私は、政略結婚をしないで好きな相手を選べるということになる。
そうと決まった私は——。
「クラウス様、大事な話があるのですけれど……」
「おや、奇遇だね。私もだよ」
お互いに、用意していた魔道具の指輪を差し出していた。
「これは、暑い時には涼しい風を、寒い時には暖かい風を出してくれる指輪だ」
「クラウス様、こちらは暗い夜道を照らしてくれる雷電灯の指輪です」
お互いに少し沈黙した後、同時に吹き出す。
「全く、私たちは似たモノ同士だな」
「そうですね」
互いにくすくす笑いながら、薬指に指輪をつけた。
「これからも、末長く私と共にあってくれるかい?」
「はい、喜んで」