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母の日記と、帝国の罪

父の書斎で見つけた、母の日記。そこに記されていたのは、私の知らない両親の愛と、帝国の根幹を揺るがす恐ろしい秘密だった。父は、黒幕ではなかった。しかし、真実は、私たちをより過酷な運命へと導く…。

父の書斎の、隠し金庫から見つけた、母の日記。その古びた革の表紙を、私は、震える手で開いた。そこには、私の知らない母の、流麗な文字が綴られていた。

最初のページに書かれていたのは、若き日の父と母の、甘い恋の物語だった。政略結婚でありながら、互いに深く愛し合っていたこと。そして、私が生まれた時の、二人の大きな喜び。

『――アリア。私たちの、光。この子には、魔力などなくともよい。ただ、健やかに、自分の好きな道を生きてくれれば』

その一文に、私の目から、涙が溢れた。父は、母は、私を愛してくれていたのだ。では、なぜ、父は、あれほどまでに私に冷たくなったのか。

ページをめくる手が、止まらなくなる。日記は、私の幼少期の、幸せな思い出で満ちていた。しかし、ある日を境に、その内容は、一変する。そこから先は、恐怖と、絶望、そして、帝国の巨大な闇に関する、告発の記録だった。

母は、類稀なる、強力な「治癒魔法」の使い手だった。その力は、皇帝陛下の耳にも届き、彼女は、極秘裏に、皇太子――今の皇帝陛下の、主治医のような役目を務めていたのだという。

そして、母は、知ってしまったのだ。皇帝が、不治の病に侵されているという事実を。それは、代々の皇帝にのみ受け継がれる、呪いのような病だった。その病は、皇帝の生命力を少しずつ蝕み、やがては、その精神をも破壊するという。

『――陛下は、日に日に、正気を失っておられる。このままでは、帝国は、狂気の王に支配されてしまう』

母は、自分の治癒魔法で、必死に皇帝の病の進行を食い止めようとした。しかし、病は、彼女の力を、遥かに上回っていた。

そして、母は、さらなる禁断の領域に、足を踏み入れてしまう。彼女は、宮廷魔術師たちと協力し、「魔力と科学技術を融合させ、人の魂を、別の器――機械の体へと移し替える」という、神をも恐れぬ研究に、手を染めたのだ。『オウルム計画』。蛇の紋章は、永遠の生命を象徴する、ウロボロス。その計画の、最高責任者こそが、若き日の、私の父、アルバレス公爵だった。

父は、ただ、愛する妻を、そして、敬愛する皇帝を、救いたかっただけなのだ。

しかし、研究は、失敗した。人の魂を、機械の器に移すことは、できなかった。それどころか、実験は、暴走した。生み出されたのは、魂のない、ただ破壊衝動にのみ突き動かされる、禍々しい魔導兵士の、最初のプロトタイプ。

皇帝は、その失敗作を見て、絶望するどころか、狂喜したという。

『――素晴らしい! これぞ、我が帝国を、永遠に存続させる、不死の軍団だ!』

正気を失った皇帝は、この禁断の技術を、軍事目的に転用することを、命令した。父と母は、必死に反対した。しかし、皇帝の命令は、絶対だった。

母は、日記の最後に、こう書き記していた。

『――私は、この恐ろしい研究の、全ての資料を、封印する。夫も、同意してくれた。私たちは、皇帝陛下に、反逆することになるだろう。アリア、もし、万が一、お前が、この日記を読むことがあれば、どうか、覚えていてほしい。お前の父は、誰よりも、この国と、家族を愛していた、誇り高き男だったということを』

それが、最後の日記だった。その直後、母は、不慮の事故で、命を落とした。いや、おそらくは、皇帝の命を受けた、暗殺者によって、口封じのために、殺されたのだ。

父は、母の死後、変わってしまった。彼は、皇帝への忠誠を誓うふりをしながら、水面下で、『オウルム計画』の再開を妨害し続けてきたのだ。そして、私に冷たく当たったのも、私を、この帝国の闇から、遠ざけるためだった。私に、何も期待していないふりをすることで、私を、凡庸な、ただの貴族令嬢として、生きていかせるためだったのだ。

全ての真実を知り、私が、日記を抱きしめて、その場に崩れ落ちた時。書斎の扉が、開いた。そこにいたのは、父と、そして、ギルバート様だった。

「……アリア。お前は、知ってしまったのか」

父の顔は、絶望に、歪んでいた。

ギルバート様もまた、父との対話の中で、ある程度の真実を知ったのだろう。その表情は、険しく、そして、苦しげだった。

「お父様……」

私は、震える声で、父を呼んだ。

父は、私の前まで来ると、その場に膝をつき、私の肩を、強く抱きしめた。

「……すまなかった、アリア。ずっと、お前に、辛い思いをさせて……」

それは、十数年ぶりに感じる、父の、温もりだった。

しかし、私たちの、束の間の和解は、けたたましい警報の音によって、引き裂かれた。屋敷が、完全に、何者かに包囲されている。窓の外を見ると、そこには、皇帝直属の、近衛騎士団の姿があった。

そして、その先頭に立っていたのは、騎士団の総長であり、皇帝の最も忠実な僕と言われる、「鉄血宰相」だった。

「アルバレス公爵! 皇帝陛下への、反逆の罪で、お前を逮捕する! そして、その娘と、騎士団長ギルバートも、反逆幇助の罪で、拘束させてもらう!」

皇帝は、全てを知っていたのだ。ギルバート様が、私の技術に目をつけた時から、私たちの動きを、全て監視していた。そして、私たちが、真実にたどり着いたこの瞬間に、全てを、闇に葬り去ろうとしている。

『オウルム』の真の主は、私の父ではなかった。その背後で、全てを操っていた、真の黒幕。それは、この帝国の頂点に立つ、狂気の皇帝、その人だったのだ。

父は、私とギルバート様を、背後に庇った。

「……行け、二人とも。ここには、隠し通路がある。そこから、都を脱出しろ」

「お父様も、一緒に!」

「私は、行けん。私がいなければ、奴らは、お前たちを、どこまでも追い続けるだろう。私が、全ての罪を被って、ここで、時間を稼ぐ」

それは、彼の、父親としての、最後の覚悟だった。

「ギルバート殿。娘を、頼む」

ギルバート様は、無言で、しかし、力強く、頷いた。

父が、私たちを、隠し通路へと押し込む。

「アリア。お前は、母さんの、そして、私の、誇りだ。……愛している」

それが、私が聞いた、父の、最後の言葉だった。

隠し通路の扉が、閉まる直前、私は見た。一人、近衛騎士団の前に立ちはだかる、父の、誇り高い後ろ姿を。

私たちは、地下通路を、ただ、無我夢中で、走った。私の頬を、涙が、とめどなく、流れ落ちていた。

父の愛、母の真実、そして、帝国の罪。あまりに多くのものを、一度に、知ってしまった。

そして、私たちは、今や、帝国全体を敵に回す、反逆者となったのだ。

私たちの戦いは、終わったのではなかった。それは、これから、始まるのだ。この、狂った世界を、私たちの手で、修理するための、孤独で、絶望的な戦いが。

暗い地下通路の先、ギルバート様が、私の手を、強く、握りしめてくれた。その温もりだけが、私の、唯一の、光だった。

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