帝都の闇と、公爵の影
英雄的勝利も束の間、私たちは『オウルム』の背後にいる黒幕が、帝国中枢にいることを確信する。父である公爵の不審な動き。信じたくない疑惑の中、ギルバートは私を庇い、全ての罪を背負おうとする。彼の覚悟が、私の心を強くする。
村での勝利は、私たちに「英雄」の称号をもたらした。呪いから解放された騎士団長と、彼を支えた天才技師令嬢。私たちの物語は、吟遊詩人によって面白おかしく脚色され、帝都中の酒場で歌われるほどだった。
しかし、私たちの心は、少しも晴れていなかった。『オウルム』と名乗った謎の組織。彼らが、私の設計図を基に、あれほどの数の魔導兵士を短期間で作り上げた。それは、一個人の力でできることではない。背後には、国家レベルの、巨大な支援組織があることを、明確に示していた。
工房に戻った私たちは、騎士団の諜報部と協力し、本格的な黒幕の調査を開始した。壊れた魔導兵士の残骸を分析すると、いくつかの部品に、特殊な刻印がされているのが見つかった。それは、帝国内でも、ごく一部の、認可された軍需工場でしか使われないものだった。
「……やはり、敵は、帝国の内部にいる」
ギルバート様の表情が、険しくなる。
そして、さらに調査を進めるうちに、私は、信じたくない一つの可能性に、突き当たってしまった。
その軍需工場は、表向きは、帝国軍の管轄下にある。しかし、その工場の運営に、最も大きな影響力を持っている貴族。それは、私の父――アルバレス公爵だったのだ。
「そんな……まさか……」
私は、血の気が引くのを感じた。父が、この事件の黒幕? 魔力のない私を、常に「出来損ない」と蔑み、家の恥だと疎んじてきた父。彼が、私の技術を評価し、それを悪用しようなんて、考えるだろうか。いや、だからこそ、なのかもしれない。私への憎しみと、私の才能への嫉妬。それが、彼を、このような凶行に駆り立てたのだろうか。
頭の中が、混乱していた。信じたくない。けれど、状況証拠は、あまりに黒に近い灰色だった。
私の苦悩に、ギルバート様は、すぐに気づいた。彼は、私が集めた資料を黙って見つめた後、静かに、しかし、きっぱりと言った。
「……アリア。お前は、この件から、手を引け」
「え……?」
「これは、もう、お前が関わるべき問題ではない。アルバレス公爵が黒だとすれば、それは、貴族間の、醜い権力争いだ。俺が、騎士団長として、全てを片付ける」
彼の言葉は、私を気遣ってのことだとわかっていた。娘である私に、父親を断罪させるような、酷なことをさせたくないのだろう。
しかし、それは、私には、耐えられないことだった。
「嫌です! これは、わたくしの技術が生んだ、悲劇です! わたくしが、最後まで、責任を取らなければ……!」
「責任だと?」
彼の声が、少しだけ、荒くなった。
「お前に、何の責任があるというのだ! お前の技術は、人を救うためにあったはずだ! それを、捻じ曲げたのは、奴らの方だろう!」
彼は、私の両肩を、強く掴んだ。
「いいか、アリア。もし、お前の父が黒幕なら、俺は、容赦なく、彼を断罪する。そうなれば、お前は、反逆者の娘となる。お前の未来に、癒えぬ傷が残る。俺は、それだけは、耐えられない」
彼の瞳には、深い苦悩と、そして、私を守ろうとする、必死の想いが宿っていた。彼は、私を守るためなら、全ての罪も、憎しみも、自分一人で背負うつもりなのだ。
「……なぜ……。なぜ、そこまで、わたくしを……」
「……愚かなことを、聞くな」
彼は、そう言うと、衝動的に、私の体を強く抱きしめた。
「……お前を、愛しているからだ。理由など、それだけで、十分だろう」
耳元で囁かれた、初めての、愛の言葉。それは、あまりにストレートで、不器用で、けれど、何よりも、誠実な響きを持っていた。
私の涙腺が、決壊した。私は、彼の胸の中で、子供のように、声を上げて泣いた。
泣きじゃくる私の背中を、彼は、優しく撫で続けてくれた。そして、私が少し落ち着いた頃、彼は、決意を固めたように、言った。
「……今夜、俺は、一人で、アルバレス公爵の屋敷へ向かう。全ての真実を、確かめるために」
「危ないです! わたくしも、行きます!」
「駄目だ。お前は、工房で待っていろ。これは、俺の戦いだ」
彼は、私の反対を、聞くつもりはないようだった。
その夜。ギルバート様は、本当に、一人で、私の実家である、アルバレス公爵邸へと、向かった。私は、工房で、いてもたってもいられず、ただ、彼の無事を祈ることしかできなかった。
レオたちが、「我々も行きます!」と言ってくれたが、これは、ギルバート様が、私を想うが故に、選んだ、孤独な戦いなのだ。私たちが、手出しをすることは、彼の覚悟を、踏みにじることになる。
しかし、深夜になっても、彼は戻ってこなかった。不安が、胸を締め付ける。
その時だった。工房の扉が、静かに開いた。そこに立っていたのは、父の執事である、セバスチャンだった。彼は、幼い頃から、私を陰ながら気にかけてくれていた、数少ない理解者だ。
「アリアお嬢様。旦那様が、お呼びでございます」
「父が……? ギルバート様は、どうなったのですか!」
「……騎士団長閣下は、今、旦那様と、お話をされております。ですが……」
セバスチャンは、何かを言いにくそうに、口ごもった。
「お嬢様。あなた様が、真実を知るべき時が、来たのかもしれません。どうか、これをお持ちください」
彼は、私に、一つの、小さな鍵を渡した。
「それは、旦那様の書斎にある、隠し金庫の鍵です。……真実は、あなた様自身の目で、お確かめください」
彼の言葉に、私は、全てを覚悟した。
私は、セバスチャンの手引きで、誰にも気づかれずに、実家へと戻った。そして、父の書斎へと、忍び込んだ。奥の部屋から、父と、ギルバート様の、緊迫した話し声が聞こえてくる。
私は、震える手で、鍵を使い、壁に隠された金庫を開けた。
中に入っていたのは、一冊の、古い日記帳だった。それは、父のものではなかった。日記の主は――若くして亡くなった、私の母のものだった。
ページをめくる。そこに書かれていたのは、私の知らない、両親の愛の物語と、そして、帝国の根幹を揺るがす、恐ろしい秘密だった。
父は、黒幕ではなかった。彼もまた、帝国の巨大な闇に、抗おうとしていた、一人の被害者だったのだ。そして、その闇の元凶は、私たちが想像すらしていなかった、帝国の、最も神聖な場所に、潜んでいた。
全ての真実を知った時、書斎の扉が、ゆっくりと開いた。そこには、驚愕の表情を浮かべた、父と、ギルバート様が、立っていた。
私の手にある、母の日記を見て、父は、全てを悟ったようだった。
「……アリア。お前は、知ってしまったのか」
彼の声は、諦めと、そして、深い悲しみに、満ちていた。
私の本当の敵は、父ではなかった。しかし、その真実は、父との和解を、意味するものではなかった。むしろ、それは、私たち親子を、そして、私とギルバート様を、より深く、そして悲劇的な運命へと、引きずり込んでいく、序章に過ぎなかったのだ。