表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/29

忍び寄る罠

 

 五月の終わり、桜ヶ丘高校のキャンパスは夏の気配に包まれていた。木々の緑は一層濃くなり、昼間の陽光は肌をじりじりと焼くほどだった。

 放課後の園芸部では、リリィ・フロストことリリウムが、いつものようにセレナ・フローレンスと花の世話をしていた。

 温室の中は、湿気と花の香りが混ざり合い、穏やかな時間が流れている。

 リリィの銀色の髪は汗で少し額に張り付き、紫の瞳はスズランの白い花に注がれていた。

 

「リリィさん、最近スズラン、ほんと元気だよね。私たちの世話、ちゃんと伝わってるんだ。」 

 

 セレナがジョウロを手に、にっこり笑う。

 彼女の金色の髪は、温室のガラス越しに差し込む夕陽に輝き、リリィの心を温かくした。

 園芸部での時間は、リリィにとって戦場では知らなかった安らぎの場だった。セレナの優しい声、花の香り、土の感触。それらが、彼女の過去の傷を少しずつ癒していた。

 

「はい…セレナさんと、一緒だと、花も、喜んでる気がします。」 

 

 リリィの小さな声に、セレナがくすっと笑う。

 彼女はリリィの隣にしゃがみ、カスミソウの鉢をそっと撫でた。

 

「ふふ、リリィさんって、ほんと真剣だよね。花言葉みたいに、純粋で…なんか、癒されるな。」 

 

 セレナの言葉に、リリィの頬がほのかに赤くなる。

 彼女は視線を落とし、ジョウロを握る手に力を込めた。戦場では、誰も彼女にこんな言葉をかけてくれなかった。

 セレナの笑顔は、彼女にとって新しい世界の光だった。

 

 部活が終わり、二人は温室を後にした。校庭を抜け、校門に向かう道で、セレナがリリィに振り返る。

 

「リリィさん、明日も部活来るよね? 新しいハーブの苗、植えようってアヤメ先輩が言ってたよ。」 

 

「はい、来ます。楽しみ…です。」 

 

 リリィのぎこちなさの中に、微かな笑みが混じる。セレナはそれを見て、満足そうに頷いた。

 

「うん、じゃあまた明日! 気をつけて帰ってね!」 

 

 セレナは手を振って、反対方向の道へ歩いていく。

 リリィは彼女の後ろ姿を見送り、胸に温かな気持ちを抱えたまま、アパートへの道を歩き始めた。夕暮れの街は、家族連れや学生たちの賑わいで活気づいている。

 リリィの鞄には、セレナからもらったカスミソウの切り花が入っており、彼女の心を軽くしていた。

 

 ――ー

 

 しかし、その穏やかな時間は、長くは続かなかった。リリィがいつもの帰り道、住宅街の静かな路地を歩いていると、突然、異変に気づいた。路地の角、街灯の下で、三〇代ほどの女性がふらりと倒れ込む姿が見えた。

 彼女は黒いコートをまとい、赤みがかった短い髪が夕風に揺れている。

 女性は地面に膝をつき、苦しげに胸を押さえていた。

 

 リリィの足が一瞬止まる。

 戦場で鍛えられた直感が、警報を鳴らす。

 だが、彼女の心には、セレナの優しさや、園芸部での穏やかな時間が根付いていた。

 人を助けること。

 それも、「普通の高校生」として学ぶべきことではないのか。リリィは人見知りの自分を抑え、意を決して声をかけることにした。

 

「あ…あの、大丈夫、ですか?」 

 

 リリィの声は小さく、震えていた。

 彼女はゆっくりと女性に近づき、しゃがんで顔を覗き込んだ。女性の顔は青白く、額には汗が浮かんでいる。

 リリィの胸に、訓練で学んだ応急処置の知識がよぎる。だが、その瞬間、女性の目が突然開き、リリィをじっと見つめた。

 赤みがかった瞳には、どこか異様な光が宿っていた。

 

「リリウム…やっと、会えた。」 

 

 女性の声は低く、まるで愛おしむような響きだった。リリィの心臓がドキリと高鳴る。

 リリウム。

 彼女の偽名「リリィ・フロスト」を知るはずのない人物が、なぜその名前を? 戦場での記憶がフラッシュバックし、彼女の体が反射的に後ずさろうとした。

 

 だが、その瞬間、リリィの腹部に鋭い痛みが走った。

 女性の手には、いつの間にか小さな注射器が握られている。

 リリィの視界が揺れ、膝がガクンと崩れる。

 彼女は必死に意識を保とうとしたが、薬の効果はあまりにも速かった。

 戦場で鍛えた身体能力も、薬の前に抗えなかった。

 

「…っ、誰…?」 

 

 リリィのかすかな声が、路地の暗闇に消える。

 女性、リズは、リリィが倒れる姿をじっと見つめ、唇に歪んだ笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、リリウム。すぐに終わるよ…君は私のものになる。」 

 

 リズの声は、愛情と狂気が混じり合い、リリィの意識が闇に落ちる中、遠く響いた。

 彼女の鞄が地面に落ち、カスミソウの切り花が散らばる。

 夕暮れの街は静かで、誰もその異変に気づかなかった。

 

 ――ー

 

 リズはリリィの小さな体を抱き上げ、路地の奥へと消えた。

 彼女の手には、クロノスの使徒の通信装置。

 彼女はリリィを確保したことを報告するつもりだったが、その前に、彼女自身の欲望を満たす計画を進めていた。

 リリウムを捕まえ、時間をかけて「壊す」。その狂気的な願望が、彼女の心を支配していた。

 

 ――ー

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ