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黄金の休日

ゴールデンウィークがやってきた。桜ヶ丘高校のキャンパスは静まり返り、普段の喧騒が嘘のように生徒たちの姿はまばらだった。

 街は新緑に彩られ、春の陽気と連休の開放感が人々を外へと誘う。

 リリィ・フロストは、しかし、アパートの小さな部屋で一人、窓の外をぼんやりと眺めていた。

 銀色の髪をゆるく結び、紫の瞳にはまだ悪夢の残響がわずかに残っている。だが、セレナの優しい声と温室での時間が、彼女の心を少しずつ軽くしていた。

 

「ゴールデンウィーク…何を、すれば…」 

 

 リリィは呟き、机の上のカスミソウの鉢を見つめた。セレナからもらった小さな花は、彼女にとって新しい生活の象徴だった。

 戦場では、休日という概念は存在しなかった。訓練か任務か、ただそれだけの日々。 

 だが、今、彼女は「普通の高校生」として、何をすべきか考える必要があった。ユナの言葉、「人間として生きる」が、頭の中で響く。

 だが、その具体的な方法は、リリィにとってまだ未知だった。

 

 そんな時、スマホが軽快な音を立てた。画面を見ると、セレナからのメッセージだった。

 

「リリィさん、ゴールデンウィークの予定は? もしよかったら、明日、街で一緒に遊ばない? 絵画の個展と、音楽のライブがあるの。楽しそうだから、行ってみようよ!」

 

 リリィの胸がドキリと高鳴る。

 セレナと一緒に、街へ。絵画? 音楽? 戦場では、芸術や娯楽に触れる機会などなかった。だが、セレナの笑顔を思い出すと、彼女の心は自然と「行きたい」と思った。

 

「…はい、行きます。よろしくお願いします。」 

 

 リリィはぎこちなく返信を打ち、送信ボタンを押した。すぐにセレナから「やった! 楽しみ! 明日、駅前で一〇時にね!」と返事が来る。リリィはスマホを握りしめ、頬がほのかに熱くなるのを感じた。セレナと過ごす時間。

 それは、彼女にとって戦場では決して味わえなかった、温かな希望だった。

 

 ――ー

 

 翌朝、リリィは私服に着替えて駅前に向かった。白いブラウスに淡いブルーのスカート、シンプルだがセレナが以前「リリィさんに似合いそう」と選んでくれた服だ。

 鏡の前で何度も確認し、髪を整え、いつもより少し丁寧に準備した自分に、リリィは少し恥ずかしくなった。

 戦場では、装備の点検だけで十分だった。だが、今日、セレナと会うために、彼女は「普通の少女」として準備をしたかった。

 

 駅前の広場に着くと、セレナがすでに待っていた。彼女は花柄のワンピースにカーディガンを羽織り、金色の髪をゆるくウェーブさせて、春らしい装いだった。

 リリィを見つけるやいなや、セレナは手を振って駆け寄ってきた。

 

「リリィさん、おはよう! わ、めっちゃかわいい! その服、すっごく似合ってるよ!」 

 

 セレナの笑顔とストレートな褒め言葉に、リリィは顔を赤らめた。戦場では、誰も彼女の見た目を気にする者はいなかった。

 だが、セレナの言葉は、彼女の心を不思議と温かくする。

 

「ありがとう…セレナさんも、きれいです。」 

 

 リリィの小さな声に、セレナはくすっと笑い、照れたように髪を触った。

 

「え、ありがと! じゃ、行こう! まずは絵画の個展からだよ!」 

 

 セレナはリリィの手をそっと引き、駅前の賑わいの中へ歩き出した。リリィはセレナの手の温かさにドキリとし、戦場では感じたことのない緊張と喜びが混じる感覚に戸惑った。

 

 ――ー

 

 二人が向かったのは、街の中心部にある小さな美術館。

 地元のアーティストによる個展が開催されており、入口には「春の色彩」と書かれた看板が立っていた。

 美術館の中は静かで、柔らかな照明が絵画を照らし、訪れる人々が静かに作品を眺めている。

 リリィはそんな雰囲気に圧倒され、足を踏み入れるのを一瞬躊躇した。

 

「リリィさん、絵画って見たことある?」 

 

 セレナが小声で尋ねる。

 リリィは首を振った。戦場では、風景といえば敵の潜む地形か、戦略上の障害物でしかなかった。

 絵画など、彼女の人生には存在しなかった。

 

「…ないです。絵って、何を…見るんですか?」 

 

 リリィの素直な質問に、セレナは目を細めて微笑んだ。

 

「んー、絵ってね、ただ見るだけじゃなくて、感じるものかな。色とか、形とか、描いた人の気持ちとか…リリィさんが感じたことが、正解なんだよ。」 

 

 セレナの言葉に、リリィは少し困惑しながらも頷いた。感じる。

 戦場では、敵の動きや銃声の位置を「分析」することはあっても、「感じる」ことはなかった。彼女はセレナの後ろを歩き、最初の絵の前に立った。

 

 それは、広大な花畑を描いた油絵だった。色とりどりの花が風に揺れ、空は淡い青に染まっている。

 リリィは絵をじっと見つめ、なぜか温室のスズランを思い出した。セレナがそっと囁く。

 

「この絵、なんか春らしいよね。花言葉でいうと…ヒナギクの『希望』とか、スズランの『純粋』みたい。リリィさんは、どう思う?」 

 

 リリィは絵を見つめ、言葉を探した。戦場では、言葉で感情を表現することはなかった。

 だが、セレナの優しい声に背中を押され、彼女は小さな声で呟いた。

 

「…きれい、です。温かい、感じがします。」 

 

 セレナの顔がパッと明るくなる。

 

「うん、わかる! 私もこの絵、温かい気持ちになるんだ。リリィさんと一緒に見れて、なんか嬉しいな。」 

 

 セレナの笑顔に、リリィの頬が熱くなる。彼女は絵画を眺めながら、セレナのそばにいることの安心感を初めて意識した。

 戦場では、誰も彼女にこんな穏やかな時間を提供してくれなかった。

 だが、セレナと一緒なら、絵画も、芸術も、ただの「対象」ではなく、心に響くものになる気がした。

 

 二人はゆっくりと展示を巡った。抽象画、風景画、人物画。

 セレナは一つ一つの絵について、楽しそうに感想を語り、リリィに「どう思う?」と尋ねる。

 リリィは最初は戸惑いながらも、セレナの声に導かれるように、少しずつ自分の感じたことを口にした。

「明るい」「静か」「少し、寂しい」。そんな単純な言葉でも、セレナは真剣に聞いて、にっこり笑う。その笑顔が、リリィの心をさらに温めた。

 

 ――ー

 

 個展を堪能した後、二人は近くのカフェでランチを取った。

 セレナが頼んだのはフルーツたっぷりのパンケーキ、リリィはセレナの勧めで同じものを注文した。

 戦場では、栄養補給のための食事が全てだった。

 甘いものなど、ほとんど口にしたことがないリリィは、ふわっとしたパンケーキの食感と甘酸っぱいフルーツに目を丸くした。

 

「美味しい…です。」 

 

 リリィの素直な感想に、セレナが笑う。

 

「でしょ! 甘いものって、なんか幸せな気分になるよね。リリィさん、甘いもの好き?」 

 

「…わからない、です。初めて、こんなの食べました。」 

 

 リリィの言葉に、セレナが少し驚いたように目を瞬かせた。

 

「え、初めて!? じゃあ、これからいっぱい美味しいもの食べようね! リリィさんと一緒なら、なんでも楽しくなりそう!」 

 

 セレナの明るい声に、リリィは小さく頷いた。

 彼女の胸の奥で、セレナと過ごす時間が、戦場では知らなかった「幸せ」を教えてくれる気がした。

 

 ――ー

 

 午後は、セレナが楽しみにしていた音楽ライブへ向かった。

 街の小さな野外ステージで、地元のインディーズバンドが演奏するイベントだ。会場には、若者や家族連れが集まり、軽快な音楽が響いている。

 リリィは人混みに少し緊張したが、セレナがそっと手を握ってくれた。

 

「大丈夫、楽しそうな雰囲気でしょ? 音楽、聴くの初めて?」 

 

「…はい。戦…その、昔、住んでたところでは、音楽はなかったので。」 

 

 リリィは言葉を濁し、偽の過去を口にした。戦場では、銃声や爆音が「音楽」だった。セレナはそんなリリィの言葉に、優しく微笑んだ。

 

「そっか。じゃあ、今日がリリィさんの音楽デビューだね! ほら、ステージ始まるよ!」 

 

 ステージでは、ギターとドラムの軽快なリズムが響き、ボーカルの女性が明るい声で歌い始めた。観客が手拍子や歓声を上げ、会場は一体感に包まれる。

 リリィは最初、ただ立ち尽くしていた。音楽とは何か、彼女にはわからない。

 だが、セレナがリズムに合わせて軽く体を揺らし、楽しそうに笑う姿を見ていると、彼女の心も少しずつ揺れ始めた。

 

「リリィさん、ほら、手拍子してみて!」 

 

 セレナがリリィの手を取り、リズムに合わせて叩く。

 リリィはぎこちなく真似し、セレナの笑顔に釣られて小さく微笑んだ。音楽の振動が、彼女の胸に響く。

 戦場では、音は危険の合図だった。

 だが、この音楽は、ただ純粋に心を軽くするものだった。

 

「楽しい…です。」 

 

 リリィの小さな声に、セレナが目を輝かせた。

 

「やった! リリィさんが楽しそうで、私も嬉しい! また一緒にライブ来ようね!」 

 

 ライブが進むにつれ、リリィは音楽に身を任せる感覚を覚えた。セレナと並んで手拍子をし、時折彼女の笑顔を見つめる。

 その瞬間、悪夢の影は遠くに感じられた。

 セレナのそばにいると、過去の傷が少しずつ癒える気がした。

 

 ――ー

 

 夕暮れ時、二人はライブ会場を後にし、駅へと向かう道を歩いた。夕陽が街をオレンジ色に染め、セレナの金色の髪が輝く。

 リリィはセレナの横を歩きながら、今日のことを振り返った。絵画、甘いパンケーキ、音楽。

 全てが、彼女にとって初めての体験だった。

 

「リリィさん、今日、楽しかった?」 

 

 セレナの声に、リリィは小さく頷いた。

 

「はい…とても。セレナさんと、一緒で、よかったです。」 

 

 リリィの素直な言葉に、セレナの顔がパッと明るくなる。

 

「私も! リリィさんと一緒だと、なんか…特別な感じがするんだ。ゴールデンウィーク、まだあるから、またどこか行こうね!」 

 

 セレナの笑顔に、リリィの胸が温まる。

 彼女はセレナの手をそっと握り返し、小さく微笑んだ。戦場では、未来を考える余裕などなかった。だが、セレナと過ごすこの時間は、彼女に「明日」を想像させた。

 

 ――ー

 

 その夜、リリィはアパートの部屋で、ベッドに横になりながらスズランの鉢を眺めた。

 セレナの笑顔、絵画の色彩、音楽の響き。

 それらが、彼女の心に温かな光を灯していた。

 

「人間として、生きる…か。」 

 

 ユナの言葉がよみがえる。リリィは目を閉じ、セレナの声を思い出した。

 ゴールデンウィークはまだ続く。

 セレナと過ごす時間が、彼女の新しい人生を、少しずつ彩っていく。

 

 ――ー

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